う~ん
なかなかこの記事を記すには体力と根気が必要となりそうなのですが・・・。
がんばってみます。
「高橋是清の財政政策」。
高橋是清の続きです。
前回の記事では、第一次世界大戦の終息により、アジア市場へヨーロッパが戻ってきたことから、日本経済が一気に不景気に転換したこと。
その状況で関東大震災に見舞われ、返済が不能となった債権が「不良債権化」したこと。
そして、第一次若槻禮次下、片岡直温大蔵大臣が、実際には破綻していない東京渡辺銀行が、「破たんした」という誤った発言を行ってしまい、このことが原因で日本が恐慌に
見舞われたことをお伝えしました。
この一連の流れにより発生した恐慌を、「昭和金融恐慌」と言います。
恐慌そのものは一旦終息したものの、当時の財閥であった「鈴木商会」が倒産。その煽りを受けて鈴木商会との関係性が深かった台湾の「台湾銀行」が休業に追い込まれ、金融不安は
一気に深刻化しました。
恐慌を引き起こした若槻内閣が退陣し、この内閣を継承したのが田中義一(ぎいち)内閣。田中首相に請われ、「昭和金融恐慌」を終息させるまで、という条件で大蔵大臣として
内閣入りしたのが高橋是清氏。
さて。高橋是清。彼は一体どんなマジックを使ってこの恐慌を終息させたのでしょう。
きっと現在なら、こんなことを言われるはずです。「とんでもないばらまきだ」って。
まず、是清が行ったのは、「支払猶予措置」。銀行から借主への支払督促をある一定期間行わないようにする「モラトリアム」措置。そう。みなさんの記憶には、国民新党の党首で
あった亀井静香さんが行ったあの金融モラトリアム法が記憶に新しいかと思います。
高橋是清が行ったのは、日銀から市中銀行(民間の金融機関)に向けた、緊急融資政策。これ、聞こえはいいですが、要は日銀券をバンバン印刷して市中銀行にばらまいた、って
表現した方がわかりやすいと思います。何と、この時是清は緊急措置として、紙幣を片面だけしか印刷していないものを増刷したのだそうです。
是清が目指したのは、国民の金融に対する不安をぬぐい去ること。片面しか印刷していない紙幣を銀行の店頭に積み上げさせたのだそうです。
実際、当時の日本国民はその山のように積み上げられた紙幣を見て、恐慌に対する不安をぬぐい去ることができたのだとか。実際に恐慌は沈静化したのだそうです。
是清は、この政策を実行するに当り、自分に代わって総裁となった井上準之介と協力し、この政策を実行しました。
しかもこの時、田中義一内閣はこのとんでも緊急措置を実行するため、府県知事を大幅に人事異動。政府に批判的な府県知事を免職や休職扱いにし、さらに政府に批判的な社会主義者
や共産主義者(いわゆる左派。左翼と呼ばれる人たちのことです)を一掃するため、治安維持法の改正(最高刑を死刑とした)まで行ったのだそうです。
さて。この一連の流れ。皆さんはどう感じるでしょうか。
「右側」と「左側」でもお示しましたが、いわゆる「左派」とは反体制派。ですから、当然「革新主義者」、いわゆる「リベラル」が多く存在する勢力でもあります。
戦後の日本を思ってみてください。やはり、自民党に代表される「右派」を社会党や共産党に代表される「左派」が責め立て、政策の実行を難しくしていた現状があったかと思う
のです。
もし、昭和金融恐慌の折、高橋是清の金融政策を左派や反体制派によって邪魔されていたら・・・。
そう。同じようなことが最近ありましたよね。
リーマンショック後の日本です。
のんきの中では、高橋是清氏と、麻生太郎当時内閣がとてもよく似たイメージで映っています。
まず、リーマンショック後。麻生政策の実行は、小沢一郎率いる民主党により、その政策の実行を2ヶ月以上も遅らされました。
そして、景気を回復させるための段取りを整えたにも関わらず、左翼マスコミにより、誤った印象を植え付けられ、政策はとん挫。左翼民主党へとその政策の実権は移り渡った
のです。
これ、実は田中義一内閣においても全く同じようなことが起きます。
当然、これだけ強硬なことを行ったわけですし、麻生内閣と同じようにその効果を国民が実感できるようになるにも時間がかかったはずです。
そして、是清が政権から去った後、この政治システムの大幅な改正は、田中内閣の暴走を招き、当時昭和天皇の逆鱗に触れ、内閣総辞職へと追い込まれます。
わかりますでしょうか。是清が執った政策は「積極財政」。しかも過剰ともいえるかなり思い切った積極財政政策です。
そして彼を登用したのは田中義一総理。つまり、田中総理が批判を受けて内閣総辞職になったことによって、結果的に是清の政策が否定された形となったのです。
田中義一氏の後を引き継いだのは濱口雄幸総理大臣。田中義一氏の所属した政党が立憲政友党。濱口総理が所属したのが立憲民政党。
立憲政友党を今の自由民主党とすれば、立憲民政党は今の民主党のようなものです。
濱口総理は図らずも是清とともに積極財政政策の後押しをした日銀総裁、井上準之介を大蔵大臣として迎えます。井上準之介の執った政策は、金解禁、緊縮政策、産業合理化。
続く第二次若槻内閣も同様な政策を継続し、そしてそんな中、濱口総理の時代。世界は「世界恐慌」に見舞われることとなるのです。
過去の記事でも、何度もお示ししましたが、不景気経済下で実行する緊縮財政政策は、国民の家計を非常に苦しめます。
麻生総理や故小渕総理の執った経済政策は、「ケインズ経済学」に基づいています。
つまり、積極的な公共投資を必要な分野に行うことにより、乗数効果を引き起こし、結果的にGDPの拡大につなげていく、という手法。
是清は、図らずもこのケインズの理論と同じ理屈に基づいて、ケインズよりも前にケインズと同じ理論を既に実践していたのです。
世界恐慌の煽りを受け、日本経済は「昭和恐慌」へと突入します。
緊縮財政政策を続ける濱口総理、若槻総理。そして、世の中は再び是清の登場を必要とします。
是清の執った「リフレーション政策」。緊縮財政政策が続けられる中、人々の手元には資金が不足し、やがて「デフレ経済」へと突入します。
そんなデフレ経済を救った是清の政策。財政法第5条が制定される原因ともなった政策です。
さてさて。次回記事テーマは「リフレーション」。のんきは、この政策こそ、今の日本経済を低迷から脱却支える起死回生の一手であると思えてなりません。
「リフレーション政策」。一体どんな政策なのか。それでは、次回記事をお楽しみに~
帰りしにクリックを・・・
なかなかこの記事を記すには体力と根気が必要となりそうなのですが・・・。
がんばってみます。
「高橋是清の財政政策」。
高橋是清の続きです。
前回の記事では、第一次世界大戦の終息により、アジア市場へヨーロッパが戻ってきたことから、日本経済が一気に不景気に転換したこと。
その状況で関東大震災に見舞われ、返済が不能となった債権が「不良債権化」したこと。
そして、第一次若槻禮次下、片岡直温大蔵大臣が、実際には破綻していない東京渡辺銀行が、「破たんした」という誤った発言を行ってしまい、このことが原因で日本が恐慌に
見舞われたことをお伝えしました。
この一連の流れにより発生した恐慌を、「昭和金融恐慌」と言います。
恐慌そのものは一旦終息したものの、当時の財閥であった「鈴木商会」が倒産。その煽りを受けて鈴木商会との関係性が深かった台湾の「台湾銀行」が休業に追い込まれ、金融不安は
一気に深刻化しました。
恐慌を引き起こした若槻内閣が退陣し、この内閣を継承したのが田中義一(ぎいち)内閣。田中首相に請われ、「昭和金融恐慌」を終息させるまで、という条件で大蔵大臣として
内閣入りしたのが高橋是清氏。
さて。高橋是清。彼は一体どんなマジックを使ってこの恐慌を終息させたのでしょう。
きっと現在なら、こんなことを言われるはずです。「とんでもないばらまきだ」って。
まず、是清が行ったのは、「支払猶予措置」。銀行から借主への支払督促をある一定期間行わないようにする「モラトリアム」措置。そう。みなさんの記憶には、国民新党の党首で
あった亀井静香さんが行ったあの金融モラトリアム法が記憶に新しいかと思います。
高橋是清が行ったのは、日銀から市中銀行(民間の金融機関)に向けた、緊急融資政策。これ、聞こえはいいですが、要は日銀券をバンバン印刷して市中銀行にばらまいた、って
表現した方がわかりやすいと思います。何と、この時是清は緊急措置として、紙幣を片面だけしか印刷していないものを増刷したのだそうです。
是清が目指したのは、国民の金融に対する不安をぬぐい去ること。片面しか印刷していない紙幣を銀行の店頭に積み上げさせたのだそうです。
実際、当時の日本国民はその山のように積み上げられた紙幣を見て、恐慌に対する不安をぬぐい去ることができたのだとか。実際に恐慌は沈静化したのだそうです。
是清は、この政策を実行するに当り、自分に代わって総裁となった井上準之介と協力し、この政策を実行しました。
しかもこの時、田中義一内閣はこのとんでも緊急措置を実行するため、府県知事を大幅に人事異動。政府に批判的な府県知事を免職や休職扱いにし、さらに政府に批判的な社会主義者
や共産主義者(いわゆる左派。左翼と呼ばれる人たちのことです)を一掃するため、治安維持法の改正(最高刑を死刑とした)まで行ったのだそうです。
さて。この一連の流れ。皆さんはどう感じるでしょうか。
「右側」と「左側」でもお示しましたが、いわゆる「左派」とは反体制派。ですから、当然「革新主義者」、いわゆる「リベラル」が多く存在する勢力でもあります。
戦後の日本を思ってみてください。やはり、自民党に代表される「右派」を社会党や共産党に代表される「左派」が責め立て、政策の実行を難しくしていた現状があったかと思う
のです。
もし、昭和金融恐慌の折、高橋是清の金融政策を左派や反体制派によって邪魔されていたら・・・。
そう。同じようなことが最近ありましたよね。
リーマンショック後の日本です。
のんきの中では、高橋是清氏と、麻生太郎当時内閣がとてもよく似たイメージで映っています。
まず、リーマンショック後。麻生政策の実行は、小沢一郎率いる民主党により、その政策の実行を2ヶ月以上も遅らされました。
そして、景気を回復させるための段取りを整えたにも関わらず、左翼マスコミにより、誤った印象を植え付けられ、政策はとん挫。左翼民主党へとその政策の実権は移り渡った
のです。
これ、実は田中義一内閣においても全く同じようなことが起きます。
当然、これだけ強硬なことを行ったわけですし、麻生内閣と同じようにその効果を国民が実感できるようになるにも時間がかかったはずです。
そして、是清が政権から去った後、この政治システムの大幅な改正は、田中内閣の暴走を招き、当時昭和天皇の逆鱗に触れ、内閣総辞職へと追い込まれます。
わかりますでしょうか。是清が執った政策は「積極財政」。しかも過剰ともいえるかなり思い切った積極財政政策です。
そして彼を登用したのは田中義一総理。つまり、田中総理が批判を受けて内閣総辞職になったことによって、結果的に是清の政策が否定された形となったのです。
田中義一氏の後を引き継いだのは濱口雄幸総理大臣。田中義一氏の所属した政党が立憲政友党。濱口総理が所属したのが立憲民政党。
立憲政友党を今の自由民主党とすれば、立憲民政党は今の民主党のようなものです。
濱口総理は図らずも是清とともに積極財政政策の後押しをした日銀総裁、井上準之介を大蔵大臣として迎えます。井上準之介の執った政策は、金解禁、緊縮政策、産業合理化。
続く第二次若槻内閣も同様な政策を継続し、そしてそんな中、濱口総理の時代。世界は「世界恐慌」に見舞われることとなるのです。
過去の記事でも、何度もお示ししましたが、不景気経済下で実行する緊縮財政政策は、国民の家計を非常に苦しめます。
麻生総理や故小渕総理の執った経済政策は、「ケインズ経済学」に基づいています。
つまり、積極的な公共投資を必要な分野に行うことにより、乗数効果を引き起こし、結果的にGDPの拡大につなげていく、という手法。
是清は、図らずもこのケインズの理論と同じ理屈に基づいて、ケインズよりも前にケインズと同じ理論を既に実践していたのです。
世界恐慌の煽りを受け、日本経済は「昭和恐慌」へと突入します。
緊縮財政政策を続ける濱口総理、若槻総理。そして、世の中は再び是清の登場を必要とします。
是清の執った「リフレーション政策」。緊縮財政政策が続けられる中、人々の手元には資金が不足し、やがて「デフレ経済」へと突入します。
そんなデフレ経済を救った是清の政策。財政法第5条が制定される原因ともなった政策です。
さてさて。次回記事テーマは「リフレーション」。のんきは、この政策こそ、今の日本経済を低迷から脱却支える起死回生の一手であると思えてなりません。
「リフレーション政策」。一体どんな政策なのか。それでは、次回記事をお楽しみに~
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