進化・・・というのかな・・・(; ̄ー ̄A
スンダランドで生まれた「熱帯ジャポニカ」。ここから一体どのようにして「温帯ジャポニカ」は生まれたのか。
今の日本と同じ「水稲栽培」と並行して深めてみます。
ってことで、本日のテーマ「熱帯ジャポニカの進化」。始まり始まり~~ ペンペン
熱帯ジャポニカが温帯ジャポニカに進化・・・というよりも環境に適応するに大切になる理屈は、前回お示ししたこの理屈であるようです。
佐藤氏の著書「イネの歴史」には、種子をつけないルフィポゴンの株をポットで育てた話があり、「予想だにしなかったことだが、その株は次のシーズンにはたくさんの穂をつけ、多量の種子をつけたのだった。私たちはこれに仰天したが、植物学の教科書には、植物たちは、乾燥、低温、養分不足などのストレスにあうと、とたんに花を咲かせて種子をつける「行動」にでると書かれてある」と述べている。
つまり、「ストレス」が植物の繁殖にはとても重要なキーワードとなる、ということです。
熱帯ジャポニカ米の前身である「ルフィポリゴン」。ルフィポリゴンはスンダランドンの水没というストレスにさらされ、元々種子をそれほど実らせないはずのルフィポリゴンが大量に趣旨を実らせるようになる。
ご紹介してあるブログをなぞる形になりますが、このルフィポリゴンは、たとえストレスにさらされたとしても湿地帯では実を付けることはなく、陸地で栽培したときに限り実をつけていたようです。
熱帯ジャポニカは、このルフィポリゴンを陸地で栽培する中で、やがて進化した・・・ということでしょうか。
今のところの情報としてはそこまで詳しいものは出てきません。
スンダランドの水没を免れ、メコン川を遡上した熱帯ジャポニカはラオスやタイで焼畑栽培をされるようになり、その環境に適応してもち米へと変異を遂げます。
また、さらにメコン川をさかのぼった熱帯ジャポニカは中国まで到達します。
丸がついているところ。2か所ありますね。
1か所が「メコン川」。もう一か所が「長江」です。
丸を付けているのはその名前が掲載されている場所ですが、流域をたどると上流でメコン川と長江はかなり近い位置までさかのぼることがわかると思います。
さてさて。中国にたどりついた熱帯ジャポニカ米。この熱帯ジャポニカ米がどのようにして中国に広がっていったのか・・・ということを探るのに、もちろん先にご紹介したブログでも記されてはいるのですが、もうちょっと解りやすく記されているサイトがあったので、そちらをご紹介してみたいと思います。
日本人の源流を探して-2
このブログを読みますと、メコン川をさかのぼって中国に到達した熱帯ジャポニカ米は長江を下降して、その下流域、加工部分。
中国「浙江省」というところにまで到達し、そこで初めて栽培されるようになるようです。
上図の赤く塗ったあたりの地域ですね。 河姆渡村というそうですよ。世界で最も古い稲作の痕跡がこの地域で見つかったのだそうです。
そう。熱帯ジャポニカはメコン川を遡上した後、メコン川を下ってこの河姆渡村にまでたどり着き、ここで再び栽培されるようになったのですね。
さて、この「河姆渡村」という地域。元々の熱帯ジャポニカの生息地域であるスンダランドに比べますと・・・ちょっと寒い
特に夏の暑さはそれほど差はないそうなのですが、春と秋。東南アジアと長江下流域とでは10~12度ほどの温度差があるのだそうです。
この「気温の差」というストレスにさらされて突然変異を起こし誕生したのが「温帯ジャポニカ」。
温帯ジャポニカへと変異を遂げたことで、ジャポニカ米は湿地帯でも実を付けるようになります。
また、尚且つこの地域では、「水によるストレスを受け、陸地で実らせる」というイネの特性を利用して、春から夏にかけて水を張って栽培し、夏から秋にかけて水を抜く・・・という方法=水稲栽培を確立したようです。
そう。日本にも伝えられた「水稲栽培」はこの長江下流域で誕生したわけです。
ってか、水稲栽培ってイネにストレスを与え続ける・・・っていう意味があったのね・・・ 初めて知った。
中々面白いですね。
さて。残された疑問はというと・・・
まずはうるち米であるはずの「温帯ジャポニカ」がなぜもち米に変化したのか。
またもう一つの米種、「インディカ米」の誕生。
そして、米はどうやって日本に伝来されたのか。
そんな3つのテーマを順を追って追求してみたいと思います。
どんな順番にするかは・・・まだ考えておりませぬ
日本の未来は明るい!!
は日本を元気にする!!
は日本を明るくする!!
帰りしにクリックを・・・
あなたの1票が、のんきのブログを沢山の方に知っていただく力になります^^
スンダランドで生まれた「熱帯ジャポニカ」。ここから一体どのようにして「温帯ジャポニカ」は生まれたのか。
今の日本と同じ「水稲栽培」と並行して深めてみます。
ってことで、本日のテーマ「熱帯ジャポニカの進化」。始まり始まり~~ ペンペン
熱帯ジャポニカが温帯ジャポニカに進化・・・というよりも環境に適応するに大切になる理屈は、前回お示ししたこの理屈であるようです。
佐藤氏の著書「イネの歴史」には、種子をつけないルフィポゴンの株をポットで育てた話があり、「予想だにしなかったことだが、その株は次のシーズンにはたくさんの穂をつけ、多量の種子をつけたのだった。私たちはこれに仰天したが、植物学の教科書には、植物たちは、乾燥、低温、養分不足などのストレスにあうと、とたんに花を咲かせて種子をつける「行動」にでると書かれてある」と述べている。
つまり、「ストレス」が植物の繁殖にはとても重要なキーワードとなる、ということです。
熱帯ジャポニカ米の前身である「ルフィポリゴン」。ルフィポリゴンはスンダランドンの水没というストレスにさらされ、元々種子をそれほど実らせないはずのルフィポリゴンが大量に趣旨を実らせるようになる。
ご紹介してあるブログをなぞる形になりますが、このルフィポリゴンは、たとえストレスにさらされたとしても湿地帯では実を付けることはなく、陸地で栽培したときに限り実をつけていたようです。
熱帯ジャポニカは、このルフィポリゴンを陸地で栽培する中で、やがて進化した・・・ということでしょうか。
今のところの情報としてはそこまで詳しいものは出てきません。
スンダランドの水没を免れ、メコン川を遡上した熱帯ジャポニカはラオスやタイで焼畑栽培をされるようになり、その環境に適応してもち米へと変異を遂げます。
また、さらにメコン川をさかのぼった熱帯ジャポニカは中国まで到達します。
丸がついているところ。2か所ありますね。
1か所が「メコン川」。もう一か所が「長江」です。
丸を付けているのはその名前が掲載されている場所ですが、流域をたどると上流でメコン川と長江はかなり近い位置までさかのぼることがわかると思います。
さてさて。中国にたどりついた熱帯ジャポニカ米。この熱帯ジャポニカ米がどのようにして中国に広がっていったのか・・・ということを探るのに、もちろん先にご紹介したブログでも記されてはいるのですが、もうちょっと解りやすく記されているサイトがあったので、そちらをご紹介してみたいと思います。
日本人の源流を探して-2
このブログを読みますと、メコン川をさかのぼって中国に到達した熱帯ジャポニカ米は長江を下降して、その下流域、加工部分。
中国「浙江省」というところにまで到達し、そこで初めて栽培されるようになるようです。
上図の赤く塗ったあたりの地域ですね。 河姆渡村というそうですよ。世界で最も古い稲作の痕跡がこの地域で見つかったのだそうです。
そう。熱帯ジャポニカはメコン川を遡上した後、メコン川を下ってこの河姆渡村にまでたどり着き、ここで再び栽培されるようになったのですね。
さて、この「河姆渡村」という地域。元々の熱帯ジャポニカの生息地域であるスンダランドに比べますと・・・ちょっと寒い
特に夏の暑さはそれほど差はないそうなのですが、春と秋。東南アジアと長江下流域とでは10~12度ほどの温度差があるのだそうです。
この「気温の差」というストレスにさらされて突然変異を起こし誕生したのが「温帯ジャポニカ」。
温帯ジャポニカへと変異を遂げたことで、ジャポニカ米は湿地帯でも実を付けるようになります。
また、尚且つこの地域では、「水によるストレスを受け、陸地で実らせる」というイネの特性を利用して、春から夏にかけて水を張って栽培し、夏から秋にかけて水を抜く・・・という方法=水稲栽培を確立したようです。
そう。日本にも伝えられた「水稲栽培」はこの長江下流域で誕生したわけです。
ってか、水稲栽培ってイネにストレスを与え続ける・・・っていう意味があったのね・・・ 初めて知った。
中々面白いですね。
さて。残された疑問はというと・・・
まずはうるち米であるはずの「温帯ジャポニカ」がなぜもち米に変化したのか。
またもう一つの米種、「インディカ米」の誕生。
そして、米はどうやって日本に伝来されたのか。
そんな3つのテーマを順を追って追求してみたいと思います。
どんな順番にするかは・・・まだ考えておりませぬ
日本の未来は明るい!!
は日本を元気にする!!
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おめでとうございます
愛媛大洲も寒い日が続いています
風邪はひいてませんか?
こうしんは病院で2度「元気なる注射」をして頂きました。
なかなか治りません(寝込むほどではないのですが・・・)
開設させて頂いてたブログサイトが1月末で閉鎖されます。
移転先へ移行しながら平行して書いています。
新しいブログ先転記します。
http://koushin.ashita-sanuki.jp/
お時間あるときには立ち寄って下さいね♬
また、あけましておめでとうございます。
風邪をひいているということで、大変ですね・・・。
早くよくなるといいですね。
いーよぶろぐ、登録だけはしていたのですが、閉鎖するという情報はのんきのところへも届きました。
それでも「四国」を大切にされているのが良くわかるブログサイトの選択ですね。
今年もよろしくお願いします。