忙しいほうがいい。でも本当は・・・

時間が止まってしまうと、いろんなことを
考えてしまいます。
だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

「命」の価値を考える~のんきの東京旅行1日目~

2013-01-14 12:15:51 | こころの問題
久しぶりに、カテゴリーは「こころの問題」

のんきは、昨日、一昨日と東京の方に旅行に行ってまいりました。
「旅行」と銘打ちましたが、1日目の趣旨は、実はのんきが参加しているボランティアグループの関連で、全国のグループが集まって行う、「勉強会」がその参加の主目的でした。

活動の趣旨から、色々とぼやかす部分はありますが、参加してみてのんきが感じたことを記してみたいと思います。

昨年度から、のんきたちが参加している、「自殺防止」のセクションと、「生活困窮者支援」のセクションのグループが統合して、包括的に国民のありとあらゆる生活に関する困難な問題に対応するための事業がスタートしました。

のんきたちは、「自殺防止」という立場から、主に電話相談という方法を利用してその対応に従来当たってきたのですが、そういった活動の中で、やはり「電話相談」の限界。それだけでは対応しきれない問題に直面する機会が往々にしてあります。

つまり、本当に「心の問題」のみがが最大の原因であるのならば、それに対して電話相談活動は、大切な役割を担うこともできると思うのです。ですが、もちろんそれだけではありません。

人間は、生きていく中で、様々な困難や障害に直面し、自らの力でこれを乗り越えることが困難になったときに精神的に追い込まれ、最終的に自らで選ぶ「死」を考えるほどに追い詰められていくのです。

「こういう場所に力を借りることが出来れば・・・」
「このお医者さんに診断を受けることが出来れば・・・」
「もう少し発言の内容を変えることが出来れば・・・」

もちろん、のんきたちからも提案はします。ですが、それを選ぶのは本人たちです。そして、のんきたちだけの情報量だけでは、当然力不足に及ぶ場合もあります。

そして、実際に自らが生きる道を選ぼうとしても、その歩み方がわからない人が、本当にたくさんいらっしゃるのです。

そんな時、のんきたちのように間接的ではなく、直接手を差し伸べることが出来る、そんな「実動部隊」があればなぁ・・・と、いつも考えていました。

ご紹介させていただいた、事業は、そんなのんきたちが考える「実動部隊」。これを実現させる上で、非常に心強い事業です。

もちろん、「自殺防止」と「生活困窮者支援」のグループだけでは、対処しきれない問題もたくさんあります。今回の事業は、たとえばDVの問題であったり、精神科医療の問題であったり、セクシャルマイノリティの問題であったり、色々とある問題をそれぞれの専門分野のグループにも事業に参加していただく形で、「包括的」に問題に取り組んでいこうと、そのような事業です。

実際に稼働していて、この活動によって、実際に直面していた「死」というリスクから、少し距離を保ち、その他の選択肢を想像できるレベルにまで回復することが出来た人も多くいらっしゃいます。

また、このまま放っておけばいずれ「死」に直面せざるをえない、そのようなリスクを事前に食い止めることが出来たケースもあります。

のんきたちが「このような活動があれば」と、考えていた活動が、実際に活動し、それなりに有効性を示しているのです。

・・・と。

のんきがこんなに持ち上げることばかりするわけがない・・・そう思っていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんね。

とはいえ。ずっと述べている通り、本当に、のんきたちが「必要だ」と考えていた事業です。もしこの事業が、何らかの事由で頓挫すれば、おそらく同じ事業が再び指導することはもうないでしょう。

この考えは、中央の自殺防止グループのセクションとしても同じ考え方で、

「もしこの事業が頓挫すれば、私の感覚では、10年単位で同じ事業が行われることはないでしょう」

と、そのようにおっしゃっていました。
だからこそ、絶対にとだえさせるわけにはいかない事業です。


ここからはのんきの本音です。もちろん、ここまでの記述が本音ではない、とは言いません。ですが、その本音を実現させるためにも、絶対に必要なことがあるのです。

のんきの感覚では、今回の事業は、おそらく「生活困窮者支援」のグループが主導して発足した事業なのではないか、と考えています。

「自殺防止」の活動は、のんきがずっと活動を続けてきて、その期間はおよそ7年にもなります。その感覚として、その活動は常にど真ん中だと思います。

「右」でも「左」でもない。各団体、各個人ごとの考え方はいろいろあるかもしれません。ですが、それでも、その個々の考え方は脇に置いておいて、常にど真ん中で居続けることができる。

これこそ自殺防止活動の意義、存在価値ではないかと思っています。そして、またのんきが活動を続けている理由の一つでもあります。

それは自殺問題の対象とする部分が、「雇用者」にも、「被雇用者」にも、「無職者」に対しても、当事者の側面と、もう一つ、「サポートする側」の側面からしても、どのセクションも欠かせないものを常に持ち続けているからです。

ところが、「生活困窮者支援」の立場は、少し違うように感じます。もちろん団体にもよるでしょうし、地域にもよるのではないかと思います。

ですが、これを全体から見た場合、どうしても「支援される側」。立場の弱い人たちに偏ったものの見方をしてしまうのではないか、と感じているのです。

それが悪い、というわけではありません。ですが、最も感じるのは、

「指導する立場」なのか、それとも「ともに寄り添う立場」なのかとういう部分です。

会合に参加して、のんきは感じました。「自殺防止」という立場で活動している全国の民間団体の皆さんは、本当に強い志を持っている、と。経験の浅い人ももちろんいます。ですが、その人たちなりに、直面した問題に対して、しっかりと考え、悩み、どのように改善してゆけばよいかと、真剣に皆さん考えていらっしゃいます。

これは、皆さんが「ともに寄り添う立場」が大切であると感じ、「事柄」ではなく、「気持ち」に耳を傾けることの重要性を感じているからです。

ところが、「自殺防止」という立場をいったん離れ、事業全体の活動の立場として事業に参加したとき、強く感じているのは、「指導する立場」としての感覚を強く感じる場面が往々にしてある、ということです。


事業そのものがスタートする時点から、余りにもすべてが性急でありすぎたと感じていますし、どんなに「実動部隊」が素晴らしい取り組みを行っていた(もちろんそこに限界があることを前提として)としても、その実動部隊の役割につなげるのは「窓口」です。

まずは窓口に連絡を寄せた相談者が、「相談したい」と感じる状況を作り出すことが、とても大切なのです。

事業そのもののスタートがあまりにも「性急である」と感じたことをのんきは記しました。もし、「自殺防止」のグループが主導であったのなら。もしくは主導するグループにそういった自殺防止のグループの意見に耳を傾けるゆとりがあったのなら。おそらくここまで性急に事業展開を行うことの危険性は指摘されていたはずです。

のんきは、ここに一つ疑問を覚えるわけです。

ただ、とはいえ。前記しましたように、既にスタートした事業です。
そして、絶対に中断するわけにはいかない。そんな事業なのです。

だからこそ、のんきは思います。もう一度、窓口の「資質の向上」に対してきちんと取り組んでいくことが、何よりも大切なのではないか、と。



・・・
ですが、うれしかったのはですね。 勉強会の後開催された懇親会で、「自殺防止のグループ」の代表として事業に関わってくださっている方が、向こうから、のんきに約束をしてくれたことです。

「自殺防止のグループ」と「生活困窮者のグループ」の価値観のすり合わせを、積極的に取り組みます、と。任せてください・・・といったかどうか、お酒の場であったこともあり、はっきりとは覚えていませんが、それくらい心強い言葉でしたね。


予算を付けるのは「政府」ですから。そこは本当に願うばかりです。
安倍さんにその志が正しく伝わることを・・・。




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自殺予防週間(2014年)

2012-09-10 23:31:23 | こころの問題
本日より1週間、「自殺予防週間」がスタートします。

WHOにより、9月10日が「世界自殺予防デー」と制定されたことにちなんで、日本でもこの日から1週間を「自殺予防週間」と定めています。

んで、のんきたちも松山市保健所の呼びかけで今年もいよてつ高島屋前で自殺予防週間の広報を行うため、ティッシュ配りを行いました。



ところが・・・。

そう。昨年は中村時広知事によって邪魔されたこの自殺予防週間の広報活動ですが、今年は・・・

「自殺予防週間のキャンペーンを行っております」

と、清らかな女性の声が響き渡りました。
・・・ キャンペーンって・・・

確かに、キャンペーンの意味は、

『ある目的のもとに組織的に人々に働きかける活動。宣伝・啓蒙活動。「自然環境保全の―を張る」「プレス―」(goo辞書より)』

という意味で、確かに今回のような啓発活動にも適した言葉ではあるのでしょうが、どちらかというと何か特定の小売店やスーパーなどで開催されている大安売りセールのようなイメージを強く持つ人の方が多くいると思います。

「言葉狩り」だと言われてしまえばそこまでですが・・・やはりセンスの問題です。
人の命を取り扱う問題であり、また自殺を考えるほど苦しんでいる人たちって、どちらかというと自分がそういう気持ちを持っていることに「気づいてほしくない」というような感覚を持っている人も多く、本当にセンシティブな問題なんです。

それをああも高らかな大声で・・・。常識感を疑います。
のんきは少し離れた場所でティッシュ配りを行っていたので、誰があんなことを言っていたのかはわかりませんが・・・何とも・・・。


そういえば、昨年はこんな人もいました。
とある団体の方なのですが、ティッシュ配りの時間に20分ほど遅れてきて、おもむろに放送局のカメラマンたちがいる場所の近くでティッシュ配りを始めます。で、

「お父さん眠れていますか? 眠れていないはうつ病のサインです」

と、言葉にしながら、これ見よがしにティッシュ配りをスタートしました。これ、明らかにカメラマンたちに対するPRなんですよね。

で、案の定TVカメラはその女性を撮影し、インタビューまでします。

そして、カメラが撮影を終えると、いつの間にか彼女は姿をけし、その場から立ち去っているのです。

どこの団体の誰とは言いませんが、そりゃないんじゃないですか、おばちゃん!と思いましたよ。
自分たちの団体を宣伝するために広報活動に参加し、これ見よがしにTVに姿だけ映して、インタビューを受けて、さっさといなくなる・・・。

あ、一応前記した清らかな声の女性とは別人です。

それにしても、自殺問題がスポットを浴びてきて、このところこれをお金のために利用しようとするグループが現れてきて、のんきたちとしては、実はいい迷惑。


松山市では、どうやら「自殺防止対策基本条例」なるものが制定されるようです。
公明党と松山維新の会の女性議員が中心となり、この内容を考えたらしいです。

ですが、のんきにはどうも腑に落ちません。
上記した政党のグループは、松山市内の各所を回り、この自殺防止対策基本条例の説明会を行っています。もう終わったのでしょうか。

のんきが文句があるのは、この説明会に、前記したTVのインタビューを受けてさっさといなくなった団体の代表が「専門家」として呼ばれ、講演を行っているということ。
のんきは、内容を確認するため、ある場所で行われた説明会に参加しました。
案の定、その団体の代表者が講演を行っています。

のんきが参加しているのを見て、その女性はのんきがこの説明会に参加していることをプッシュします。後ろめたさでもあったのでしょうか。

公明党の議員は前で説明を行う時、「大変失礼ではあるのですが、条例を考えるとき、『のんきの所属する団体名』のホームページの資料を参考にさせていただきました」とはっきり言いました。

だったら、そんなうつ病を専門にやっている団体に声をかける前に、のんきたちの団体に声をかけるのが筋じゃありませんか?

別にのんきたちがその説明会を行いたい、って言っているわけじゃないですよ。だけど、松山市内10か所近くでこの説明会が行われているわけです。


合点がいかないのは、松山市内にはいくつか自殺問題に対して取り組んでいる団体があります。各専門的な見地から、自殺問題のパーシャルな部分を取り扱っているグループだってあります。

なのに、なぜこの団体にしか声掛けが行われていないのか?
ものすごく疑問です。

しかも、その説明会が開催される、という情報は、のんきたちが所属する団体のメンバーが、偶然女性の市議会議員と出会うことがあったため、「どのようになっているのか説明がほしい」という声掛けを行って初めてのんきたちの団体にこの説明会の案内がFAXされてきたのです。


一体どうしてこんなことになっているのか。ぜひ説明がほしいものです。




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第6回 のんきのメンタルクリニック

2012-05-27 08:56:05 | こころの問題
「のんきのメンタルクリニック」。

前回の記事で、「のんきが学んだこと」を、体系化する、という風にお伝えしましたね。

また、同じ記事の中で、

「自己啓発系」のお話を考えるとき、なるべく感情や事柄的な要素が侵入する余裕を削って、より多くの人が、自分自身の問題としてとらえることが出来ることが大事なんじゃないか、って思っています。

ですので、このとき「誰々がこのように言っていた」とか、「誰々の考え方によると」という表現が、ものすごく邪魔になるのです。


というようにお伝えしています。ですが、やはり人間って、何かを学ぶとき、必ず誰かから学んだこと、もしくはそこから発展させたことが発想の源流になっています。
大事なのは、他者の考え方を、「他者の考え方」のまま放置しておくことをせず、きちんと検証して、自分自身の意見として取り入れてしまうこと。

源流は誰かから教わったことだとしても、裏付けを行って、きちんと自分自身の言葉として言葉に出して伝えられる状態にまで加工しておくこと。

さて。 のんきの考え方も、やはりその源流となっているのは、「誰かから教わったこと」です。時系列的には前後するのですが、つまり、「教わった順番」としては「一番最初に教わったこと」ではないのですが、物事を考える順番として、その源流にある考え方。これは、「原始脳」のお話。

っていうと難しいよね。

誰から教わったか、っていうと、のんきの記事でも過去に記したことがあるのですが、「かっこちゃん(山元加津子さん)」です。
最近ですと、血液型のお話で話題にしています。

記事中にも記していますが、詳しくは→こちらをご覧ください。

さて、話を戻します。「原始脳」のお話。
山元加津子さん。石川県で、児童養護施設の先生をなされている人なのですが、その児童養護施設では、たとえば「ダウン症」であったり、「自閉症」であったり、先天的に、脳に何らかの障害がある子供たちを受け入れている施設です。

リンク先の記事に登場しているお名前は、その施設にいた子供たちのお名前です。

こういった、「先天的に脳に障害を持っている子供たち」。遺伝子に何らかの傷があることが原因で、血液型のお話に登場する、「鎌状赤血球」のお話も、そんな障害の一つです。

ところが、こういった「先天的に脳に障害を持っている子供たち」って、まあまあすごいんです。
「サヴァン症候群」っていうんですけど、そのすごさ、って、どちらかというと、「超能力」に近い能力・・・。

Wikiから引っ張ってくると、

特定の日の曜日を言える(カレンダー計算)。ただし通常の計算は、1桁の掛け算でも出来ない場合がある。
航空写真を少し見ただけで、細部にわたるまで描き起すことができる(映像記憶)。
書籍や電話帳、円周率、周期律表などを暗唱できる。内容の理解を伴わないまま暗唱できる例もある。
並外れた暗算をすることができる。

この他にも様々な能力(特に記憶に関するもの)がみられるが、対象物が変わると全く出来なくなってしまうケースがある(航空写真なら描き起こすことができるが、風景だとできない、など)。


という風に記されています。たとえば、電車の中の時刻表を一瞬見ただけで、「映像」としてすべてを記憶し、細かい時間まですべて言えたり、池の畔からみた光景を、あたかも空の上から撮影したように書き起こしたり・・・。

んで、彼ら、彼女らになぜそのような能力があるのか、というときにベースとなる考え方が、「原始脳」のお話なのです。

のんきたち人間は、基本的に「大脳新皮質」というところで物事を考えています。
Wikiによりますと、

大脳新皮質とは、大脳の部位のうち、表面を占める皮質構造のうち進化的に新しい部分である。合理的で分析的な思考や、言語機能をつかさどる。いわゆる下等生物では小さく、高等生物は大きい傾向がある。

と記されています。つまり、人間が合理的で分析的に物事を考えられたり、言葉をうまく操れたりするのは、この「大脳新皮質」のおかげ。
そして、さらにこの大脳新皮質の内側に、「大脳辺縁系」と呼ばれる脳があります。ここでは、主に感情が生まれたり、記憶が生まれたり、また自律神経などに影響しているのもこの「大脳辺縁系」。

大脳新皮質を「人間の脳」と呼ぶなら、「大脳辺縁系」とは、さしづめ「哺乳類の脳」というところでしょうか。

つまり感情の起伏が激しく、よく怒っていたりする人は、大脳新皮質の働きで大脳辺縁系の働きをうまくコントロールできない人・・・ということになるのでしょうか。
偏見が生まれそうなのでこのあたりでやめます。

さて。この「大脳新皮質」と「大脳辺縁系」を総称して、「大脳皮質」と呼びます。

で、Wikiでこの「大脳皮質」のことを調べると・・・
大脳皮質とは、「知覚、随意運動、思考、推理、記憶など、脳の高次機能を司る。」と記されています。

たとえば、お年寄りが老化が原因でこの大脳皮質の機能が退化したり、また脳出血や脳に対する衝撃が原因でこれらの機能が欠落することを「高次脳機能障害」と呼びますね。

ですが、確かにこれらの機能が退化したり、欠落したりすることで歩くことがままならなくなったり、ものを食べようとしなくなったり、認知能力が大幅に欠落したりしますが、だからと言ってこの障害を持つにいたった人が、生命活動を停止するわけではありませんね。

思考しているのかどうかはまた別問題として、ご飯を口の中に入れればきちんと咀嚼し、トイレに行けば排泄をし、目を閉じれば眠って、朝はきちんと目を覚ますのです。

前記した「サヴァン症候群」の人たちは、こういった脳の高次機能の一部に対して、先天的に何らかの障害を持って生まれてくるのです。
彼ら、彼女らは「大脳皮質」の発達が大幅に遅れるため、必然的に、「大脳」ではなく、「原始脳」で物事を考えることになります。

「原始脳」とは、すなわち「脳幹」のこと。「間脳(視床+視床下部)」、「中脳」、「橋」、「延髄」の4つの部分から構成されているんだそうですよ。

原始脳って、別名「爬虫類の脳」と呼ばれてるんだそうです。つまり、人間が生命活動を行っていくうえで欠かせない、その根幹的な働きをしているのがこの「原始脳」なのです。

爬虫類にはこの原始脳しか存在しないらしいので、その役割は主に生命活動の維持に集約されるわけですが、哺乳類の場合は、さらに脊髄とその他の脳との連絡役、という役割もあるようです。つまり、大脳と連携すること、人間の「意識」を無意識のうちに制御したり、コントロールしたりする役割。

ですが、人間は、大脳皮質を発達させることで、却って「原始脳」の持つ、本来の能力を退化させているんじゃないか、っていうのが「原始脳」の考え方です。
大脳の働きが十分でなく、障害を持っていない人たちに比べて、原始脳の働きに頼る部分が大きいサヴァン症候群の人たちは、そうでない人たちとはまた違った能力を有しています。その能力こそが、「原始脳」の役割なんじゃないか、って。

さて。どうしてのんきがこんなお話をするのかというと・・・。

>物事を考える順番として、その源流にある考え方。これは、「原始脳」のお話

とお伝えしましたね。「何の?」って、それは次回記事でのお楽しみ。




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第5回 のんきのメンタルクリニック

2012-05-20 09:41:21 | こころの問題
さて。 新しいネタを考えていたのですが、「そういえば・・・」とふと思い出したことがあります。たまには内面的な問題を記事にするのもよいかな、と。

「知っている事」と「できること」は違うとは思うんです。つまり、のんきがここに記すことをのんき自身ができるかどうかは別問題として・・・という内容でございます。

よくお酒を飲みに行ったときに、「自己啓発」系のお話がテーマになることがあります。

だけど、こういった自己啓発系のお話って、意外と何か一つの同じ考え方を、やり方や手法、表現方法を変えて体系化しているパターンも多くって、何より、「あなたにはできるかもしれないけど、それが私に役に立つ方法なの?」っていう考え方が生まれてくる。結局「自己啓発」ってそういうものじゃないか、って思うんです。

のんきは、この「自己啓発系」のお話を考えるとき、なるべく感情や事柄的な要素が侵入する余裕を削って、より多くの人が、自分自身の問題としてとらえることが出来ることが大事なんじゃないか、って思っています。

ですので、このとき「誰々がこのように言っていた」とか、「誰々の考え方によると」という表現が、ものすごく邪魔になるのです。

もちろん、思いや考え方を伝えるとき、その人が一番信頼している人、もしくはその人により近い考え方をしている人の名を出して、相手に受け入れやすい状況を作ることは大切なことだと思います。

「価値観」を構成する要件として、最もわかりやすいものが「宗教」ではないでしょうか。ですので、イスラム教を信仰している人にキリスト教的な立場から話をしても、その人はその考え方を受け入れられないでしょう。

だとしたら、イスラム教の人でも受け入れやすい考え方に加工してその考え方を伝えなければ、その人はその考え方を伝えることすらできません。

だけどそのためには、どのような立場からも受け入れやすいようなベースとなる理論が必要だと思うのです。

のんき自身、いろんなところで、いわゆる「自己啓発セミナー」というものを受けたことがあります。時にはまあまあ高いお金を支払ったりして・・・

必要な期間だったのかな、と今では思っています。その時に学んだこと、教わったことの中で、私の考え方のベースとなっているものはたくさんあるからです。

主に2つのパターンがあって、一つが情熱的に語りかけることで相手の精神的キャパを押し広げさせ、また大勢の人数が同じ空間で同じ時間や雰囲気を共有することで一種のトランス状態を生み出し、中には時間を深夜にまで拡大し、脳が疲れている状態で考え方を変えさせるやり方。

そしてもう一つは、もっと理論的に考え方の構造を解説し、また体験や体感を以て実際に学ばせるやり方。

人によって適性はあると思うんですが、のんきとしては圧倒的に後者ですね・・・。もちろん、前者のやり方にも、後者と同じ素養は取り入れられているので、学ぶべきところもたくさんあるのですが、それはやはり後者的な部分。

そんな中で、一番大切だと感じたのは、「イメージのしやすさ」。たとえそれが抽象的なことであったとしても、それを具体的にイメージすることが出来れば、多くの人がその考え方を受け入れることが可能になるのです。

ま、だからと言ってそれが「できる」わけじゃないんですけどね。
だけど、「知らない」よりは「知っておいた方が良いこと」も一杯あります。

ってことで、次回からはそんな、のんきが学んだこと。 いろんな考え方をまとめて、のんきなりに体系化したものをお示ししてみたいと思います。



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自殺予防週間

2011-09-10 21:42:59 | こころの問題
ちょいと、ど真ん中なタイトルから入ってみました。

「自殺予防週間」。皆さん、ご存知でしたか?

って、少し情報的には遅い感じですが・・・ 9月10日は、WHO(世界保健機構)によって、「自殺予防デ―」として定められています。
これにちなんで、日本では、9月10日より1週間を、「自殺予防デ―」として定めています。

平成19年6月8日、政府によってまとめられた、「自殺総合対策大綱」に定められています。

んで、のんきが所属する自殺予防のための団体では、9月10日、「傾聴ボランティア体験講座」なるものを実施いたしました。
「傾聴」が自殺予防の為にはとっても大切なんだよ、っていうことを、参加して下さった皆さんに、身を持って体験していただきました。

今回が三度目にはなるんですが、開催後のご意見としても、比較的好印象の意見が多く、過去の体験が生きて来ているかな、などと思ったりしています。


んで、今日は松山市保健所の呼びかけで、松山市内で自殺防止に関連する活動をしている人たちが集まって、この自殺予防週間にちなんで、電話相談の番号などを
挟み込んだ自殺予防を啓発する為のティッシュ配りが行われました。場所は伊予鉄高島屋前バスの待合場所付近。


↑このあたりです。

のんきも朝早くから眠い目をこすって参加してきましたよ。


で・・・なのです。ちょっとばかし不快な事がございましたので、それを記事にしてみよう、と思ったわけ。

「只今自殺予防週間です。よろしくお願いします」と、のんきたちは笑顔で早朝の通勤者の皆さんたちにティッシュ配りをいたしました。
と、視線を横断歩道の向こうに向けると、何やら旗を立てる準備をしている人がいます。そこには、こう書かれていました。

「中村ときひろ」

ご存知ですか? 愛媛県の人はご存知ですね。県外の人も耳にしたことくらいはありますでしょうか。この間当選した、愛媛県の知事さんの
名前です。

「なんかイベントするんやろか~」と、その時は特に気にする事もなく、再びティッシュを配り始めました。
のんきがそのティッシュを、ふと一人の男性に渡そうとした時・・・。

「もらったよ」と明るめの声でその男性はのんきに答えました。のんきも笑顔で軽く一礼。ふと見ると、その男性の方には拡声器がかけられています。
「・・・ときひろさんやろか?」

ピンときましたね。顔を見ると案の定。中村ときひろその人です。拡声器を持っている時点で、「ああ、街頭演説をやるんやな」と。

7時を回った辺りでしょうか。

のんきたちがティッシュ配りをする中、知事は拡声器を手に、街頭演説を開始しました。
そう。当然のことながら、のんきたちの「只今自殺予防週間です」の声はかき消されてしまいました。

カチンときましたね。中村知事は、ちゃんと「自殺予防週間」と書かれたティッシュペーパーを受け取っているはずなんです。そこで、何をしているのか
気付かなかったのでしょうか。ティッシュをもらったはいいけど、目にも通していない、ということでしょうか。それとも、自殺問題など、関心すらない、
ということでしょうか。

ふと、保健所の人に、「ときひろさん、空気読んでほしいですよね」と声をかけました。一瞬、のんきが知事を下の名前で呼んだので誰か判らず戸惑った
ようでしたが、理解して帰ってきた言葉は、

「私たちが何しよるかなんて何にも知らんのよね」
「知事になったら松山市の事なんてどうでもえ~んよ」
「市長の頃からそうやったんやない?」

という言葉でした。

あまりにもね~・・・。どこぞの議員さんじゃなく、愛媛県を代表する知事さんですよ。
知らなかったにしても、ティッシュを配られて、目にしたらそこで何をしているかぐらい、気づくでしょ? 普通。

多分、中村知事は自殺予防週間の事なんて全然知らないんですよ、きっと。ティッシュを目にして、「へぇ~」位にしか思わなかったんでしょ。

保健所の呼びかけで、NPOや社会福祉法人など、民間の団体が集合して行った活動です。テレビカメラまで撮影に来ていたんですよ。

それなのに・・・あんまりじゃないですか、ときひろさん。街頭演説するな、とか言うわけじゃない。少しくらい時間をずらすとか、せめて拡声器で
私たちに励ましの言葉一つくらいかけてくれても良かったんじゃないですか?

自分の考えさえ人が聞いてくれ、実行されるのなら、本当はそれに関係のない愛媛県民のことなんてどうでもいいんでしょ?

まあ、知事がこのブログを見ているとは思いませんが。もし見ているのなら、一言詫びの言葉くらいほしいですよ。


そういえば、知事の話から少し逸れるんですけどね。


この間、のんきが所属している別の団体の、まあまあ大きな行事(辞令交付式)があったんですよ。
県議会議員さんや市議会・町議会議員さんなんかも一部その辞令を受ける人たちがいたんですけど、その中に、実は国会議員も交じっていました。


名は明かしませんが、愛媛県の衆議院選挙で、塩崎さんに小選挙区で負けて比例区で当選した、民主党の女性議員です。

まあまあ厳かな式典でした。議員さんたちはもとより、その他辞令を受ける面々は、緊張し、顔を引き締め、辞令を渡す役割の人と相対し、背を向けぬ
よう、気をつけて辞令を受け取るのです。

特に議員と肩書のつく人たちは、辞令を受け取った後、きちんと国旗と会旗に対して一礼し、その後で壇を降りていました。

ところが、たった一人。この国会議員だけは違っていました。辞令を受け取る時から、真剣な顔をして辞令状を読み上げる人の顔を満面の笑みで覗き込み、
そして辞令状を受け取ると会場へ向けて辞令状を掲げ(この、辞令状を掲げるという行為は皆さんなさっていましたが)、そして振り返る事もなく、国旗
と会旗に背を向け、そのまま壇上から立ち去ったのです。

この行為を見た時、改めて民主党と言う政党の本性というものを見せつけられた思いがいたしました。
たとえ1年生議員だったとしても、それくらいの教育はするでしょう、普通。会場にいた人たちのうち、どれくらいの人がこの事に気付いたのでしょうか。

中村知事にしても、この女性議員にしても、なんか・・・常識ないですよね。知事や国会議員をする資格、この人たちにあるんでしょうか。


皆さんはどう思いますでしょうか。


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「パンドラの箱」

2010-10-30 14:32:19 | こころの問題
漢字で書くと余計に「鬱陶しい」なんて言葉にも使われる、「鬱(うつ)」。

ここからはひらがなで表記しますね。

シリーズ、「のんきのメンタルクリニック」
第1回 のんきのメンタルクリニック (*´∀`*)
第2回 のんきのメンタルクリニック (*´∀`*)
第3回 のんきのメンタルクリニック(*´∀`*)
第4回 のんきのメンタルクリニック (*´∀`*)


を記しましたので、その番外編として。

のんきは、「うつ」という病は、二つに分けて考えることが出来る、といつも考えています。

ひとつは、脳内のホルモンバランスの変化など、具体的に数値として分析できる、「身体的症状」とし
ての「うつ」。

そして、もうひとつは、自分を否定的に捉えたり、さまざまなことを悲観的に考えたり、やる気をなく
したり・・・。そういった、精神的症状としての「うつ」。

このところ、うつ病には遺伝的なものもある、なんて情報が出てきたりしますが、おそらく、仮に遺伝
されるとしても、それは「うつ病」そのものではなく、一つ目の「身体的症状」なのではないでしょう
か。

つまり、生まれついてのうつ病の人などおそらく存在しないと思うのです。

「自殺問題」を分析していると、実際、自殺を考える人の7割はうつ病を発症していた、というデータ
なども登場します。

しかし、のんきは思います。おそらく、自殺を考える人の、九分九厘の人は「うつ病」を発症している
のではないか、と。

診断を受けていないと、「うつ病」であることを客観的に証明することは出来ません。データとして拾
うことの出来る「7割」は、「うつ病と診断を受けたことのある人の数」なのだと思います。

つまり、よほどの快楽主義者でもない限りは、自殺へいたるまでの段階として、必ずといっていいほど
の確立で、「うつ病」を発祥するのだと思うのです。

このことから、つい最近まで、いや、最近に至っても尚、自殺対策として、「うつ病患者」に対する
対策が大切だ、という考え方が世間では一般的でした。

ですが、のんきは思います。「うつ病」を発症するには発症するまでのプロセスがあるはずだ、と。
であれば、そもそも「うつ病」を発症しないようにするにはどうすればよいのか、と考えることがまず
は大切なのではないか、と。

自殺対策の分野でも、この考え方は大分主流となってきており、さまざまな複合的な原因がひとつに重
なって、初めて死に至るのだ、と考えられるようになりました。

うつ病もまた然りで、そのプロセスのどの段階でうつ病を発症するのかというだけの問題であり、やは
り複合的な、さまざまな原因の中のひとつとして捉えられるようになりました。

であれば、「自殺問題」を考えるとき、一番肝心なのは、「うつ病患者」にどのように対応していくの
かというよりも、そもそも、「うつ病を発症しないためにはどのようにすればよいのか」。もしくは、
うつに差し掛かったときに、「問題をより深刻にしないためにはどのようにすればよいのか」。

この二つの考え方が一番大切だと思います。

では、「うつ病」を発症した後はどうなのか。
その場合も、対応方法は同じだとのんきは考えています。うつ病患者が抱える問題にしても、「うつ
病」という身体的な症状のみに目を奪われるのではなく、もっと大切な、「その人がなぜうつ病を発症
したのか」。
ここを見誤ると、その人は、問題の本質を改善させることが出来ず、ずっとその病と付き合い続けなければならないのではないか、と思います。

「原因」がどの時点で発生したのか。どのくらいの期間その問題を「誰にも話せずに」抱え続けてきた
のか。どのくらいの年齢で発症したのか。時期や期間、タイミングによると、その体験そのものが「パ
ンドラの箱」となる場合があります。

「フラッシュバック」として、類似した体験をしたときに、その体験が、脳裏に、鮮明によみがえり、
パニックを起こすこともあります。

ですが、その体験がどんなに強烈なものであったとしても、現在の自分自身の状況から抜け出したいの
であれば、その人はいつかその問題に対して正面から向かい合い、受け入れることが大切です。
※ご注意ください。前もって表現しましたが、体験はその人にとって受け入れられるだけの精神的な土
壌が出来ていなければ、「パンドラの箱」となってしまいます。「受け入れたい」と本人が思っている
かどうかがとても大切なことになります


「のんきのメンタルクリニック」。ここでは「怒り」の感情に焦点をあわせて記事を作ってみました。
ですが、このことは、「怒り」だけでなく、さまざまな感情に対してこの記事内容のことは応用できま
す。

「過去」の問題は「過去」の問題として、「現在」の自分とは切り分け、正面から向かい合う方法でも
あります。

のんきは専門家ではありませんから、「身体的症状」に関して言及することはしません。
ですが、「問題」と向かい合う「体力」をつけるためにも、お医者さんの診断を受けることも大切だと
思いますよ。


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第4回 のんきのメンタルクリニック (*´∀`*)

2010-10-28 23:27:22 | こころの問題
戯れに初めて見た、のんきのメンタルクリニック。とりあえず、この第4回が最終回です。

よければ、第1回から順番に見てみてくださいね。

第1回 のんきのメンタルクリニック (*´∀`*)
第2回 のんきのメンタルクリニック (*´∀`*)
第3回 のんきのメンタルクリニック(*´∀`*)

第1回が、「こころの問題と経済問題の類似点」
第2回が、「感情のブレイクダウン」と「『対象』からみる腹を立てない方法」
第3回が、「『感情』からみる腹を立てない方法」
となっています。

最終回となる今回は、「思考」から見る「腹を立てない方法」がテーマです。

「対象」からみると、この対象そのものを「ブレイクダウン」すること。問題を分析することで腹を立てずに済むことができるとお伝えしました。
「感情」からみると、「無意識」を意識的に行うこと。このことによって、無意識に沸き起こってくる怒りの感情に気づくことができる、とお伝えしました。

それでは、最後。「思考」からみると、一体どのような方法を用いれば腹を立てずに済むことができるのでしょう。

では、少しさかのぼって、そもそも「腹を立てる」ことは悪いことなのかどうか。
第2回でお伝えしましたね。「この選択肢は自分にとってメリットがないばかりか、却って双方の感情を傷つけあってしまい、逆にデメリットしかない、そんな選択肢と言える」と。

ですが、第3回でこのようにもお伝えしました。

「実は、『感情』って、人間の根源から沸き起こる、意識的にとめることができない、無意識の感覚のことを言うのです。
つまり、人間が『腹を立てる』という感覚を持つことをとめることは、すなわち『不可能』だということになります。」

と。そして、「感情が、『無意識』のうちに沸き起こらないようにすればよい」と。だけど、本当はそこまでできる人って、「悟り」のレベルまで達した人だとのんきは思うのです。
そう。「沸き起こってくる」ことは仕方がないのです。本当に大切なのは、自分の中に起こる「怒り」の感情に、より早い段階で気づくこと。

そして、本当に問題なのは、怒りの感情が沸き起こっていることに気づかず、これを継続していることにあるのです。
中には、怒りの感情が沸き起こっていることに気づいていながら、腹を立て続けている人もいます。

そう。「思考」の側面からみる「腹を立てない方法」とは、怒りの感情に気づいた時点で、「自らの意思」で腹を立てるのをやめることなのです。

実は、よくも悪くも、また無意識であるか意識的であるかは兎も角として、「腹が立つ」ということは、結局自ら「腹を立てる」ということを決めていることになるのです。

人はパニックになると、自分の考え方を整理して判断することができなくなり、ごちゃごちゃになって、冷静な判断を行うことができなくなってしまいます。

パニックから自らを解き放つもっとも楽な方法は、これを言葉に出して誰かに伝えること。言葉にしている段階で、自らその音を聞いていますから、言葉にすることで、自ら気づいて
いない、意外な事実に気づくこともよくあります。

何より、「言葉にする」ということは、自らの考え方を整理している、ということに他なりません。とくに、これを自分以外の第三者(第二者=腹を立てる対象ではありません)に伝える
ということは、おのずと「わかりやすく」伝えようとしますから、問題ごとを、きちんと自分の頭で考えて整理しようとします。


さて。この、「思考」からみる「腹を立てない方法」。
実は段階が3段階あります。

第1段階は、怒りの感情に気づいた時点で腹を立てることを、「自らの意思」でやめる。
ですが、どんな冷静な人間でも、100%これを行うことは実際不可能でしょう。

そこで、第2段階として自分の考え方を第三者に伝えることで、「自ら考え方を整理する」。
「対象」は客観的にみることができますから、自らの意思で「ブレイクダウン」することはそれほど難しいことではありません。ところが、我が事となると、そう簡単にはいきません。
だからこそ、「言葉に出す」ことが必要なのです。

ですが、言葉にしたからと言って、これが簡単に整理できるか、というと、これにもやはり限界があるのです。
そこで、第3段階として、「第三者に自らの考えを整理してもらう」。

この、第3段階の役割を担う人がいわゆる「カウンセラー」に相当します。必ずしもカウンセラーである必要はないのですが、のんきも、この第3段階に相当する活動を行っています。
この、「第三者」の役割を行える人間の資質は、「のんきのメンタルクリニック」で登場した、「感情のブレイクダウン」「対象のブレイクダウン」「無意識の意識化」を、自らに対して
ある程度のレベルまで行えることが条件だとのんきは思います。

この資質を持った人が、「第三者」の役割を担うと、自らが有していない「無意識」や「対象」、「感情」に頻繁に向き合うこととなります。第三者役を頻繁に担っていると、やがて
「自ら」を「対象」としたブレイクダウンが、自らに対して行えるようになります。

つまり、自分の考え方を自分自身で整理整頓することができるようになるのです。
いわゆる「自己洞察」というやつですね。


とはいえ。やはり「第三者」にいてもらうことは、そうはいってもとても楽になれます。やっぱり第三者に対いて自分自身の問題を開示すると、不意に忘れていたことを思い出したり、
自ら気づいていないことに気づくことができたり・・・。感情の整理をするうえでは、本当に役にたちます。

今回は、「怒り」の感情についてお話をしてみましたが、これらのことは、「怒り」だけでなく、「悲しみ」や「苦しみ」など、さまざまなネガティブな感情に対して応用できるはずです。
ぜひ、感情が迷路に迷い込んだときは、この方法をおためしあれ。

































まあ、黙ってじっと話を聞いてくれる人がいることが条件になるんだけどね。


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第3回 のんきのメンタルクリニック(*´∀`*)

2010-10-22 23:59:08 | こころの問題
さて。前回は、「対象」の側面から見る「腹を立てない方法」を考えてみました。

今自分が直面している問題は、「自分の問題」なのか、「相手の問題」なのか。
「相手の問題」を、「自分の問題」だと錯覚して、「相手の問題」を「自分」が解決しようとしていないか。

では、自分が直面している問題の、どこまでが「相手の問題」で、どこからが「自分の問題」なのか。

「対象」とする問題が、「相手の問題」であったとき、必要なのは、「腹を立てること」ではなく、「相手の問題」を「分析すること」である。

これが、「対象」の側面から見る「腹を立てない方法」の鉄則です。
腹を立てずに分析する。必死に分析することで、「自分」がとりうるべき「手段」もおのずと見えてくるようになるのです。そして、「怒り」は必ずしも物事を解決すべき手段とはなりえないことも。

では、次に。「対象」が「相手(もしくは自分以外の何か)」ではなく、「自分」にあった場合はどのように考えるべきなのでしょうか。

前回の記事の中で、示した「腹を立てる」プロセスとして示した事例の中で、一連の流れの中には、「相手の問題」と「自分の問題」があることをお示ししました。

おさらいしてみましょう。


些細なことで、つい切れてしまって、思わず感情をぶつけてしまう。

未熟な方ですと、「些細なこと切れている」ということにすら気づいていない人もいます。

ですが、ある程度精神的に成熟してきますと、「つい腹を立てて感情相手ぶつけてしまった」ことを「後悔」するようになります。

そして、後悔することが解っているのに、同じようなシチュエーション出くわすと、我慢できずに、また同じように相手感情ぶつけてしまう・・・。

そういった方の多くは、「自分」が腹を立てることを後悔しているはずなのに、なぜか自分腹を立てる対象となっている「相手」のことを悪く言おうとする

たとえば、その方にそのことを問いかけると、きっとこう答えるでしょう。

「だって相手が悪いんだから」と。

赤字が「相手(もしくは自分以外の何か)の問題」であり、青色が「自分の問題」です。では、赤字と青字の「明確な違い」とは、一体なんでしょう。もちろん、「相手の問題」だとか「自分の問題」だとかいう項目は抜き
にしてですよ。

ではでは。ちょっと考えてみましょう。


































はい。わかりましたか? 

赤字と、青字を、ちょっとピックアップして見てみましょう。


赤字・・・「些細なこと」「人(相手)」「同じようなシチュエーション」「対象」「相手が悪い」
青字・・・「自分」「(つい)切れる」「感情」「気づく(気づいていない)」「感情をぶつける」「後悔」「腹を立てる」「悪く言う」

わかったでしょうか。赤字は「客観的・具体的に説明することが可能」である。青地は、(「自分」という言葉以外)「抽象的で、具体的に説明することが難しい」ということ。
唯一、例外的に、赤字の中に「相手が悪い」という言葉が含まれていますが、基本的に「相手が悪い」と考えているのは「自分」なので、これは自分自身の問題である、ということもできます。

そう。つまり、「相手(もしくは自分以外の何か)の問題」とは、「事柄」に相当するものであり、「自分の問題」とは、内面的な問題。つまり、「感情の問題」であるということができるのです。

それでは、「感情」の側面から見る「腹を立てない方法」を考えて見ましょう。

では、そもそも「感情」って何でしょう。いろんな表現があります。「怒り」「喜び」「悲しみ」。
よく、こんな表現をしますね。「感情を持つ生き物は人間だけだ」と。しかし、本当にそうでしょうか。

よくよく考えてみてください。例えば、犬が食べようとしている食べ物を取り上げたとき、犬はどんな風になりますか?
例えば、牙をむいてほえて怒ったり、悲しそうに鳴いてみたり・・・。

では、取り上げたえさを、再び犬に与えるとどうでしょう。尻尾を振って大喜びです。とてもうれしそうにえさを食べます。

さあ。どうでしょう。こうしてみると、犬や猫にも「感情」があることがわかります。

実は、「感情」って、人間の根源から沸き起こる、意識的にとめることができない、無意識の感覚のことを言うのです。(※参照:阿頼耶識

つまり、人間が「腹を立てる」という感覚を持つことをとめることは、すなわち「不可能」だということになります。だって仕方がないです。「無意識」のうちに沸き起こって、「意識的」にとめることができないのです
から。

だけど、それでも「感情」の側面から見て、「腹を立てない」ことは可能なのです。

どんな方法でしょう。
まあ、ヒントはかなり記してるんですけどね。

人間の感情は、「無意識」に起こって、「意識的」にとめることはできません。であれば、感情が、「無意識」のうちに沸き起こらないようにすればよいのです。「無意識」を「意識」の支配下に置くのです。

よく「氷山の一角」っていう表現をしますよね。
人間の意識(顕在意識」の割合は一割程度で、残る9割は「無意識」である、と。

腹を立てないための第一の方法は、「無意識」に行っている行為を、「意識的」に行うことなのです。
人間が一日に行っている行為って、考えてみると、随分たくさんあります。朝目を覚まして、身体を起こして、あくびをして、右手を上げて、左手の指を動かして、立ち上がって、着替えて、ドアを開いて、階段を下りて、
ご飯を食べて・・・。

では、人間のこういった行為のうち、どの行為が「無意識」に行われ、どの行為が「意識的」に行われているでしょう。
皆さんは把握されていますか?

さて。では、「無意識」に行っている行為を、「意識的」に行うとはどういうことでしょう。
「無意識」に行っていること。これは、言い換えれば「癖」や「習慣」のことなのです。

つまり、「無意識」を「意識的」に行うことととは、自分自身の「癖」や「習慣」を知ることに他ならないのです。
気づかされるものです。ああ、自分はこの行為をするときに、こんな癖があったのか、と。これは、「自分自身」を「客観的」に見るということでもあります。

「怒り」も感情である以上、「無意識」に腹を立てていることになります。「無意識」に腹を立てている状態を、「意識的に行う」とどのような状態を指すのか。

それは、つまり「自分自身」が、一体どのような時に腹を立てているのか、ということに「気づく」ことを意味しています。

自分自身が腹を立てるケースを把握する、ということはつまり、事前に腹を立てそうなケースが生じることを察知し、腹を立てる「準備」を行うことができます。
また、場合によっては腹が立ちそうなケースが生じることを察知して、その状態を「避ける」。もしくは「逃げる」ことも可能になります。

瞬間湯沸かし器のように腹を立てる人を見ていると、その人は、わざわざ自分が腹を立てそうなケースに自ら突っ込んでいって、案の定腹を立てているような、そんな状態をよく目にします。
「わざわざそんなところに行かなきゃいいのに・・・」と。


さて。ご理解いただけましたでしょうか。
「感情」の側面からみた「腹を立てない方法」。その答えは、「腹を立てている自分に気づくこと」なのです。

もちろん、すでに腹を立てているわけですから、厳密にいえば「腹を立てない方法」と言えないかもしれません。ですが、腹を立てていることに気づいていることで、腹を立てている自分を
コントロールし、やがては腹を立てる前に腹を立てることをやめたり、また避けたり、逃げたりすることが可能になるのです。


いかがだったでしょう。
「感情」の側面からみた「腹を立てない方法」。「無意識」を「意識的」に行う習慣。ぜひ、身につけてみてくださいね。


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第2回 のんきのメンタルクリニック (*´∀`*)

2010-10-17 10:25:08 | こころの問題
昨日は突如招集された飲み会に参加していたので、今日はちょっと二日酔い気味です。
酔いよりも、実は胃の違和感の方に悩まされていたのですが、大分回復しました。

ってことで、第2回 のんきのメンタルクリニック。開院で~す。

第1回では、「こころ」をとらえるためには、「感情のブレイクダウン」を行うことが必要だ、とお伝えしましたね。

元々、経済を勉強しているときに出会ったのがこの、「ブレイクダウン」という言葉だったのですが、日本語で考えると、「分類」とか、「詳細に分析する」
という意味合いになるでしょうか。

些細なことで、つい切れてしまって、思わず感情をぶつけてしまう。

未熟な方ですと、「些細なこと切れている」ということにすら気づいていない人もいます。

ですが、ある程度精神的に成熟してきますと、「つい腹を立てて感情相手ぶつけてしまった」ことを「後悔」するようになります。

そして、後悔することが解っているのに、同じようなシチュエーション出くわすと、我慢できずに、また同じように相手感情ぶつけてしまう・・・。

そういった方の多くは、「自分」が腹を立てることを後悔しているはずなのに、なぜか自分腹を立てる対象となっている「相手」のことを悪く言おうとする

たとえば、その方にそのことを問いかけると、きっとこう答えるでしょう。

「だって相手が悪いんだから」と。


さて。一連のこの流れを見て、どのように感じるでしょう。その方は、なぜこのような発言を行ってしまうのでしょう。
のんきは、この項目を「赤」と「青」で分類してみました。

実は、一連の感情のやり取りには、「自分の問題(青)」と「相手(もしくは自分以外の)問題(赤)」が含められているのです。

「なぜ腹を立てるのか?」と問われると、結局「相手の問題」を「自分の問題」であると錯覚し、「相手の問題」なのに「自分が解決しよう」と考えているから腹を立ててしまうのだ、と、
そう答えるのが相当かと思います。

自分には自分の問題が存在するのですから、本来解決しなければならない問題は、実はほかにあるはずなのです。ですが、つい誰か自分以外の第三者が関わってしまうと、つい自分の問題
を相手に押しつけようとしてしまい、さらに相手の問題を自分が解決しようとしてしまう。

実は、腹を立てるまでのプロセスとして、こんな過程を、人間は無意識のうちに、しかも一瞬で判断して行っているのです。いや・・・「無意識」だから、「判断」はしてないか・・・

「腹を立てないためにはどうすればよいのか」。
まずは「問題」を「自分の問題」と「相手(もしくは自分以外の対象)の問題」に分類することがその第一歩になります。

そして、さらにそれらの問題を、「対象」「感情」「思考」の3つに振り分けます。

では、次にこれらの3つに分けられた問題を、腹を立てないためには、どのように処理していけばよいのでしょうか。
では、これをまずは「対象」の側面から見てみましょう。

「対象」とされた問題は、「自分の問題」なのか、それとも「相手の問題」なのか。
もしもこれが自分の問題ではなく、「相手の問題」なのであれば、きちんと「相手の問題である」と認識する必要があります。

つまり、問題に直面した時に、まず行うことは、「腹を立てること」なのではなく、「相手の問題を分析すること」ということになります。
そう。この記事でのんきが行ったように、相手が抱える問題をブレイクダウンして、項目ごとに振り分けることが、「最優先事項」なのです。

たとえば、こんな例で見てみましょう。

ある日、自分が夕方に食べようと思って買ってきた大好きなおやつを、今すぐは食べないので、気軽にテーブルの上に置いておいた。夕方、食べようと思ってテーブルの前に来た
時、自分の兄がそのおやつを食べてしまった直後だった。


さあ。こんな事態に直面した時、あなたならどうするでしょう。
カチンときて、お兄さんに怒鳴り上げるでしょうか。「なんで私が買ってきたおやつを勝手に食べるんよ!!」って。

はい。ここで、少し待ってみましょう。「カチン」とくることは仕方がないと思います。なんてったって、自分が楽しみにしていたおやつを、お兄さんが勝手に食べてしまっているんですから。

だけど、お兄さんに怒鳴り上げる前に、ちょっとだけ待ってみてください。

自分は、一体なぜお兄さんに対して腹を立てているんでしょうか。
そこで、まずは「対象」をブレイクダウンしてみましょう。この場合、「対象」は二つありますね。一つは「おやつ」。そして、もう一つは「兄」です。

では、自分はどうして腹を立てているのか。では、今度は「感情」のブレイクダウンを行ってみます。
まずは、「おやつ」に対して。自分は、そのおやつが大好きだった。夕方に食べたいと思っていた。その対象が現在食べることができない状態になっている。
つまり、自分が腹を立てているのは、「おやつが食べられない」ことに対して腹を立てているわけです。

ここで、自分が取りうる選択肢は主に3つ。

①「自分の中に起こった怒りの感情を兄にぶつけること」。
②「おやつを食べられないという状況を受け入れること」。
③「食べられないおやつを、食べられる状態にすること」。

さあ。あなたならどの行為を選択しますか?



































はい。それでは、それぞれの選択肢を分析してみましょう。
まずは①番。

「自分の中に起こった怒りの感情を兄にぶつける」

そもそも、自分が腹を立てているのは、「おやつが食べられないから」です。つまり、自分が一番望んでいるのは、「おやつを食べること」です。
では、自分の中に起こった感情を兄にぶつければ、自分はおやつを食べられるようになるのでしょうか。答えはNo.です。だって、対象はもう既にこの場にないのです。
であれば、兄に感情をぶつけてみたところで、現状が回復することはありません。往々にして、感情を相手にぶつけると、これはヒートアップして、どんどん自分の中で巨大化してしまいます。
おまけに相手の感情も傷つけてしまうことになりますから、場合よれば大喧嘩になってしまったりもするわけです。

おやつが食べられなかった上に、兄弟げんかをして、疲れるし腹は立つし、ろくなことはありません。つまり、この選択肢は自分にとってメリットがないばかりか、却って双方の感情を傷つけ
あってしまい、逆にデメリットしかない、そんな選択肢と言えるのです。


では、続きまして、②番。
「おやつを食べられないという状況を受け入れる」

おやつを食べようと思っても、もうそこには自分の大好きなおやつはありません。どんな選択肢を取ったとしても、結局その状況は受け入れざるを得ないわけです。
①の選択を行った場合でも、最終的にはその状況は受け入れるしかありません。ですので、わざわざ腹を立立てることをせず、一瞬でその状況を受け入れる、という選択を行うのです。
実は、「腹を立てない」ための、最大の解決策は、これを一瞬で行える習慣を身につけることに他ならないのです。
自分にとってプラスにはなりませんが、後々のことを考えた場合、「次にとりうるべき行動に素早く移ることができる」また、「後々に禍根を残さない」など、自分自身にとって、将来的な
メリットを生み出す選択ともなります。

では、最後に③番。

「食べられないおやつを、食べられる状態にする」


「え~、そんなこと、できるわけないよ~
お。出ましたな、ひよこさん。 本当に、「できない」と思いますか?

実は、時間軸を取り除けば、これは決して不可能なことではありません。そう。「全く同じ物質」を「食べられる状態」にすることは不可能です。ですが、「同じ種類のおやつ」、または
「自分自身の不満を満たすことのできる、代替品」であれば、それを「食べられる状態」にする方法はないわけではありません。

そのためには、まずは「兄」と交渉する必要があるのです。
それでは、そこでもう一つの怒りの対象である、「兄」をブレイクダウンしてみましょう。

そう。ここで考えなければならないのは、「なぜ」兄は自分が楽しみにしたおやつを食べてしまったのか、ということです。

一番考えられることは、「兄はおやつが自分も食べてもかまわないものだと思っていた」というケース。

兄に、「なぜ私のおやつを食べたのよ!!」と聞くと、こんな答えが返ってくるかもしれません

「だったら食べられないようなところに置いとけよ!!」

そう。実はこのお兄さん、おやつが誰でも手にできるようなところに置いてあったので、親が買ってきたものだと思って、気にせずに食べてしまったのです。
だとすると、ここに原因が自分にあるんだということがわかります。次からの対策として、兄の食べられない状態にしておくか、そのおやつが自分のものだということを明示しておく必要が
ある、ということになります。

ですが、兄がこのように物分かりの良い人物ではないケースも考えられます。
自分の食べられる場所にあるんだから、食べても問題はない、と。「妹」が買ってきたものかどうかなど関係ない、と。

この場合、考えられる方法がまた、さらに2つに分けられます。

一つは、「自分が被害を受けた、ということを兄に理解させる」
一つは、「兄の考え方を変えさせ、たとえ兄弟であっても、人のものを勝手に食べてたりしてはいけない、と理解させる」

そう。そしてこの場合、一つの方法として、確かに「怒りを表現する」という方法が、確かに存在します。ですが、むやみやたらに怒りを表現するのではなく、きちんと「方法として怒り
を表現する」という方法を選択する習慣が必要になるのです。ですが、必ずしもその兄が、自分が怒りを表現したからと言って、考え方を変える、とは限りません。

そこで、さらに「兄」を細分化して分析する必要が生まれます。

そもそも、なぜ兄は「自分の食べられる場所にあるものを、自分が食べるのは問題がない」と考えるのか。
たとえば、一つの考え方として、「自分が妹だから」。

これは、「兄弟」という兄との関係性がもたらす弊害ですから、さらに兄の性格を細分化し、自分が妹であったとしても、兄が自分のおやつを食べないようにするにはどのようにすればよい
のか。この方法を別に考え直す必要があります。

そして、もう一つ。「兄の性格」として、あまり他人の事情を考慮しない性格である場合。
この場合、さらになぜ兄がこのような性格で成長してしまったのか、ということを分析する必要が生まれます。

「教育や環境」の問題なのか、それとも「生来」の個性(発達障害など)なのか。

それぞれのケースに応じて最も良い対応の仕方もまた変化してくるのです。


このように、文章としてつらつらと書きならべましたが、このような判断を、より短い時間帯で行えるようになれば、「腹を立てる」必要がなくなり、また怒りを表現する場合でも、それ
が一番最適な方法であり、一つの手段として怒りを表現することができるようになります。しかも、これは自分で判断して行っていますから、「怒りを表現する」必要がなくなった場合、
もしくは「怒りを表現する」という方法が適切な手段ではなかった、と判断できた場合、この手段を意識的に終わらせることもできるようになるのです。

若干「感情」や「思考」も交えながらお話してみましたが、「対象」から見る「腹を立てない」方法。いかがだったでしょうか。
だけど、実は「対象」を考える場合、本来なら腹を立てる「対象」と直面しなければならないような状況を生み出さないことが最も良い解決方法と言えます。

ときには「逃げる」ことも必要なのです。

さて。それでは次回は「感情」の側面からみる「腹を立てない方法」。あなたにとって、有益な方法となるでしょうか。

それではお楽しみに~









「・・・そんなこと、簡単にできりゃぁ苦労しないよ。
あ、まあまあ、ひよこさん。そうおっしゃらずに。 ひよこさんができそうなことからまず、チャレンジしてみてください。


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いのちを守る いのちを支える 全国フォーラム in 秋田

2010-09-21 22:06:42 | こころの問題


はい。ということで、のんきは去る9月18日、19日の二日間、秋田県まで旅立ってきていました。

理由は、「いのちを守る いのちを支える 全国フォーラム」という大会へ参加するためです。

どこかで聞いたようなフレーズですが・・・ 某前首相よりもこちらがこのフレーズの本家です。

秋田県は、一昨年まで、長い間全国でも自殺率(自殺志望者を10万人あたりに換算した値)が最も高く、「自殺問題」が非常に深刻な社会問題として位置付けられていました。
もちろん、今だってそうなのですが、昨年、秋田県は自殺率を減らすことができ、1位から4位へと全国での位置づけを変化させたのです。

秋田県では、NPO法人蜘蛛の糸という団体が、企業経営者を中心に、企業経営者とその家族が直面する自殺問題に対して実直に取り組んできました。

この「いのちを守る いのちを支える 全国フォーラム」を始めたのも、この蜘蛛の糸の代表である佐藤久男さんが中心です。
秋田県だけでなく、秋田・青森・岩手の3件、北東北地方の地域が、民間団体だけでなく、「官」「民」「学」が連携して、この「いのちを守る いのちを支える 全国フォーラム」
は開催されました。

すごかったのは、その主催が東奥日報社、秋田魁新報社、岩手日報社の3社。つまり、三県の基幹新聞社が自殺問題に対して、主催してこの大会を開催したということ。

のんきたちは愛媛県松山市から3名。このほか、大阪、東京、宮崎、宮城・・・などなど、全国各地からこの大会のために集まり、講演に耳を傾け、また参加者が思いのままに議論を
広げて、自殺という問題についての情報交換や、その共有を行ったのです。

「自殺問題」って一概に言うけど、これ、実は「大枠」に過ぎません。もっともっと細分化していくと、さまざまな社会問題が、複雑に絡み合って、この「自殺問題」という大枠を
形成しているのです。

その、詳細なさまざまな問題に対して、「行政」にすべてを託そうとしても、それは無理な話。では、大学を始めとする教育機関に任せればいいのか。それとも各地で活動する民間
のグループに任せればいいのか。

民間のグループだってたくさんあります。「多重債務」「自死遺族支援」「過疎の問題」「都市型の孤独」「鬱」「精神疾患」そしてその根源にある「感情の問題」。

実動部隊として動いているメンバーもいれば、顔の見えない関係で、心のはけ口としてその役目を担っている団体もあります。

上記は今回のフォーラムで中心となったテーマの抜粋ですが、たとえば「DV」の問題であったり、「摂食障害」の問題「同一性障害」の問題。「大人」と「子供」でその取り組みも
変化するでしょうし、本当にいろんな問題が絡み合った問題だと思います。

これらの問題に、じゃあ一つの民間の団体がすべてかかわれるのかというとそんなことはなく、やっぱり必要となってくるのが「連携」。

どのセクションでもこの「連携」もしくは「ネットワーク」という言葉はテーマとなりました。

秋田県が自殺率を減少させることに成功したのも、この「連携」が非常にうまくいったからでした。

そのことは、のんきたちが実際に秋田を訪れて、夜のお酒の場などで交流させていただいて、身をもって実感しました。「官」も「民」も「学」も、どこも孤立していないんです。
うまく絡み合っていて、官ができないことは民が、民ができないことは官が、そのアドバイザーとして学が、本当に、実に見事に連携し合っていました。

もちろん、北東北地方だけでなく、

・NPO法人東京自殺防止センター
・NPO法人白浜レスキューネットワーク(和歌山)
・宮城県栗原市市民生活部(行政の取り組み)
・社団法人日本産業カウンセラー協会東北支部宮城県運営部(産業の取り組み)
・NPO法人ほほえみの会(青森)

5団体をはじめ、そのほか、さまざまな地域、セクションの事例が紹介されました。

初日の後援会の後では、ホテルの一室で交流会も開催されました。



有名な秋田きりたんぽ鍋です。


各地で自殺問題対策へ取り組むチーム同士の交流は、本当に心強く、また力強さを感じました。


簡単に解決するような問題でもなければ、決してゴールが見えるような問題でもありません。
ですが、少しでも多くの方が、自殺を考えなければならないほどの悩みで苦しまなくてもかまわないような、そして生き続けることができるような世の中が形成されるとよいな、
と心から思います。

まあ、松山から参加したメンバーって3人しかいませんでしたから、ひょっとして参加した人がこのブログを見てくださっていたりしたら・・・簡単にのんきの正体を想像すること
ができるかもしれませんね・・・。


あ。ちなみに、来月11日、松山に前半でご紹介したNPO法人蜘蛛の糸の代表、佐藤久男さんをお招きして、講演会を開催します。
会場は女性総合センター(山越)、時間は午後13:30~を予定していますので、もしお時間が許す方がいらっしゃいましたら、ぜひお立ち寄りくださいね。


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