本年の第一回目の記事のテーマは、このテーマにしようと思います。
まあ、例によってちょいと難しい記事にはなるのですが、最近、この高橋是清氏について、ちょいと関心をのんきはもつようになりました。
初めて名前を出したのか、とのんき自身も思っていたのですが、実は
↓こちらの記事
日露戦争物語
で一度名前を出していたことにのんきは気づきました。っていうより、今回のテーマを記すにあたって調べていて、初めて気づいた、と言った方が正しいかも。
自分で書いた記事なのにねぇ。
年末、第2部が放送された坂の上の雲ですが、我が松山の英雄、日露戦争に日本が勝利することができた理由は、秋山兄弟の活躍だけではなかったのです。
高橋是清氏が戦費を獲得するためにイギリスやアメリカを、彼が東奔西走したおかげで、日本はロシアに勝利することができたのです。
しかも正岡子規や秋山真之に英語を教えたのも彼だったんですね・・・。とっても意外です。
ではでは、のんきがなぜこの高橋是清氏に関心を持ち、一度調べてみたい、と思うようになったのか。
理由は、この日露戦争云々は全く無関係で、関心を持った、というよりもむしろ、「この高橋是清という人物はだれだろう」と、心に引っかかるような感覚を覚えさせたのは、この法律。
財政法第5条:
すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。
但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。
日銀のホームページからも参照できます。
この法律のことを知ったのは、やはり三橋貴明さんの本。
んで、この法律が制定されるきっかけを作ったのが、この高橋是清氏であったわけです。
財政法が制定されたのが1947年3月31日。日本が敗戦し、GHQの管理下に置かれたのが1945年。GHQから撤退したのが1952年ですから、ちょうどGHQの支配下で制定された法律、
ということになります。
この項目が作られた理由は、当時大蔵大臣であった高橋是清が日銀に当時大日本帝国の国債を大量に引き受けさせ、その政策が、「高いインフレ率」を引き起こしたから、という情報が、
ネットで検索をかけると出てきます。
実際の物価上昇率は年率で10%を記録したのだとか・・・。つまり、1月に1000円で購入できたものが、年末には10000円支払わなければ購入できないほどになった、ということ・・・。
訂正。済みません。年率10%では、1000円で買えていたものが1100円になる計算でしたね。 お詫びして訂正いたします。
ketaさん、ご指摘、ありがとうございました。しかしなぜこのような露骨なガセネタを掲載してしまったんだろう・・・。お恥ずかしい限りです。
で、どちらかというとのんきはこの高橋是清氏に対して、ネガティブなイメージを抱いていたのです。
ところが、経済のことを調べ、学べば学ぶほど、のんきの中にさまざまな疑問がわいてきました。なぜならば、のんきが考えている、現在の日本の景気を回復させるための財政政策こそ、
高橋是清が執り行ってきた財政政策そのものだったからです。そこで、カテゴリー「のんきの聖書物語」の中で、この「高橋是清」氏のことを記事にしてみようと思ったわけ。
ってことで、「高橋是清」。
「世界恐慌」の続きです。
第一次世界大戦中、当時世界経済の中心であったヨーロッパ諸国は、ヨーロッパ内の戦争に必死で、アジア地域は「ヨーロッパ不在」の状態になっていました。
事実上、アジア地域は日本が独占する状態になっていたので、大戦中の日本は好景気に沸いていました。
一方で戦争のための物資を供給するため、日本では船舶・海運業が発達し、「成金」という言葉が生まれたのもこのころなのだそうです。それまで債務国であった日本が、一気に債権国として
転換を図ることに成功した時期でもありました。
ところが、大戦終了後、戦争特需が終息し、ヨーロッパが生産活動を回復し、アジアに戻ってくると、一転して不景気に見舞われます。景気が落ち込む中で日本を襲ったのが「関東大震災
(1923年9月)」。震災により、返済が不能となった手形(震災手形と呼ぶのだそうです)が「不良債権」と化します。
第一次世界大戦に少し話を戻します。大戦中は、どの国も「金本位制」を取っていましたから、国力の指標となる「金」が海外へ流出することを防ぐため、「金輸出の禁止」をどの国も
政策として行っていました。ところが、戦直後、アメリカは早々にこの金輸出を解禁し、1922年、ジェノア会議で世界各国に対しても金輸出の解禁を迫る議決がなされます。
高橋是清氏は、日銀副総裁として振るった日露戦争の折の手腕が評価され、1913年、第一次山本權兵衞内閣大蔵大臣として就任します。
1918年、原敬内閣でも大蔵大臣を務め、1921年、原敬が暗殺された後、彼の政権を引き継いで、第20代内閣総理大臣の座に就任します。
この時彼が執っていた政策が、「積極財政策」。裏付けとなる「金」が必要であったため、彼はこのジェノア会議に従わず、金輸出解禁を先送りすることになります。
結果、大幅な貿易赤字を記録し、是清は国外で日本が保有している「金」を売却し、その是正に充てようとしましたが、追いつかず、彼は半年で政権の座を追われることとなります。
ただし。「世界恐慌」でもお伝えした通り、後の世界が大恐慌の渦へ巻き込まれていく原因を作ったのは、世界各国が金輸出解禁を行い、結果、一国だけ景気の良かったアメリカに
「金」が集中してしまったから。結果、欧米各国は再び金輸出を禁止し、ブロック経済という超保護主義政策を執り行うに至りました。
そのことを考えると、是清はひょっとして経済の先を見通す目があったのでは、と、そのような想像をのんきは思い浮かべてしまいます。
是清に代わって首相の座に就いた加藤友三郎は、是清の政策を否定して結成された内閣ですから、「金輸出解禁」を謳います。
開催された帝国会議で是清率いる立憲政友会は時期尚早として金輸出解禁に反対し、また政権第2党の憲政会は逆に解禁を主張。金輸出解禁は先送りされたまま、1923年8月24日、加藤友三郎
はガンのため逝去。時期首相が選定されない状況の中、日本を関東大震災が襲います。
震災に伴う金融措置の配慮から金輸出解禁はさらに先延ばしにされます。
震災手形が不良債権化する中、誕生したのが「第一次若槻禮次」内閣。前加藤高明内閣のスタンスを受け継ぎ、「金輸出解禁」を公約として、若槻内閣において、大蔵大臣を務めた
片岡直温という人物が、ある失言を口にします。
「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」
実際には破綻していませんでした。にも拘わらず、この発言を行ってしまったせいで、第一次世界大戦後、鬱積していた日本国内の金融不安が表面化し、一気に顕在以下してしまったのです。
まるでどこかの民主党政権みたいですね。
奇しくも大正天皇が崩御し、昭和天皇が誕生した、その翌年の議会における失態であったようです。
ただし、片岡氏は不良債権を処理するため、当時の野党総裁と根回しを行い、震災手形を処理するための法案の提出にこぎつけるなど、意欲的に政策に取り組んでいた
ということは事実であるようです。その点は民主党さんとは大違いですね。
しかし、恐慌を引き起こした責任はおいそれとまぬかれるものではありません。
若槻内閣は総辞職し、立憲政友会の田中義一が総理大臣として元老院より大命を下されることとなるのです。
この時、是清は田中義一氏に政友会総裁の座を譲り、すでに政界から引退していたのですが、田中氏の要請を受け、彼は再び大蔵大臣として政権の座に復帰するのです。
ここからですよ、高橋是清のすごさをまざまざと見せつけられるのは。
ってことで、今回の記事はここでおしまい。
続きは次回記事へと託すことにいたします。
帰りしにクリックを・・・
あなたの1票が、のんきのブログを沢山の方に知っていただく力になります^^
まあ、例によってちょいと難しい記事にはなるのですが、最近、この高橋是清氏について、ちょいと関心をのんきはもつようになりました。
初めて名前を出したのか、とのんき自身も思っていたのですが、実は
↓こちらの記事
日露戦争物語
で一度名前を出していたことにのんきは気づきました。っていうより、今回のテーマを記すにあたって調べていて、初めて気づいた、と言った方が正しいかも。
自分で書いた記事なのにねぇ。
年末、第2部が放送された坂の上の雲ですが、我が松山の英雄、日露戦争に日本が勝利することができた理由は、秋山兄弟の活躍だけではなかったのです。
高橋是清氏が戦費を獲得するためにイギリスやアメリカを、彼が東奔西走したおかげで、日本はロシアに勝利することができたのです。
しかも正岡子規や秋山真之に英語を教えたのも彼だったんですね・・・。とっても意外です。
ではでは、のんきがなぜこの高橋是清氏に関心を持ち、一度調べてみたい、と思うようになったのか。
理由は、この日露戦争云々は全く無関係で、関心を持った、というよりもむしろ、「この高橋是清という人物はだれだろう」と、心に引っかかるような感覚を覚えさせたのは、この法律。
財政法第5条:
すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。
但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。
日銀のホームページからも参照できます。
この法律のことを知ったのは、やはり三橋貴明さんの本。
ジパング再来 大恐慌に一人勝ちする日本 | |
三橋 貴明 | |
講談社 |
んで、この法律が制定されるきっかけを作ったのが、この高橋是清氏であったわけです。
財政法が制定されたのが1947年3月31日。日本が敗戦し、GHQの管理下に置かれたのが1945年。GHQから撤退したのが1952年ですから、ちょうどGHQの支配下で制定された法律、
ということになります。
この項目が作られた理由は、当時大蔵大臣であった高橋是清が日銀に当時大日本帝国の国債を大量に引き受けさせ、その政策が、「高いインフレ率」を引き起こしたから、という情報が、
ネットで検索をかけると出てきます。
訂正。済みません。年率10%では、1000円で買えていたものが1100円になる計算でしたね。 お詫びして訂正いたします。
ketaさん、ご指摘、ありがとうございました。しかしなぜこのような露骨なガセネタを掲載してしまったんだろう・・・。お恥ずかしい限りです。
で、どちらかというとのんきはこの高橋是清氏に対して、ネガティブなイメージを抱いていたのです。
ところが、経済のことを調べ、学べば学ぶほど、のんきの中にさまざまな疑問がわいてきました。なぜならば、のんきが考えている、現在の日本の景気を回復させるための財政政策こそ、
高橋是清が執り行ってきた財政政策そのものだったからです。そこで、カテゴリー「のんきの聖書物語」の中で、この「高橋是清」氏のことを記事にしてみようと思ったわけ。
ってことで、「高橋是清」。
「世界恐慌」の続きです。
第一次世界大戦中、当時世界経済の中心であったヨーロッパ諸国は、ヨーロッパ内の戦争に必死で、アジア地域は「ヨーロッパ不在」の状態になっていました。
事実上、アジア地域は日本が独占する状態になっていたので、大戦中の日本は好景気に沸いていました。
一方で戦争のための物資を供給するため、日本では船舶・海運業が発達し、「成金」という言葉が生まれたのもこのころなのだそうです。それまで債務国であった日本が、一気に債権国として
転換を図ることに成功した時期でもありました。
ところが、大戦終了後、戦争特需が終息し、ヨーロッパが生産活動を回復し、アジアに戻ってくると、一転して不景気に見舞われます。景気が落ち込む中で日本を襲ったのが「関東大震災
(1923年9月)」。震災により、返済が不能となった手形(震災手形と呼ぶのだそうです)が「不良債権」と化します。
第一次世界大戦に少し話を戻します。大戦中は、どの国も「金本位制」を取っていましたから、国力の指標となる「金」が海外へ流出することを防ぐため、「金輸出の禁止」をどの国も
政策として行っていました。ところが、戦直後、アメリカは早々にこの金輸出を解禁し、1922年、ジェノア会議で世界各国に対しても金輸出の解禁を迫る議決がなされます。
高橋是清氏は、日銀副総裁として振るった日露戦争の折の手腕が評価され、1913年、第一次山本權兵衞内閣大蔵大臣として就任します。
1918年、原敬内閣でも大蔵大臣を務め、1921年、原敬が暗殺された後、彼の政権を引き継いで、第20代内閣総理大臣の座に就任します。
この時彼が執っていた政策が、「積極財政策」。裏付けとなる「金」が必要であったため、彼はこのジェノア会議に従わず、金輸出解禁を先送りすることになります。
結果、大幅な貿易赤字を記録し、是清は国外で日本が保有している「金」を売却し、その是正に充てようとしましたが、追いつかず、彼は半年で政権の座を追われることとなります。
ただし。「世界恐慌」でもお伝えした通り、後の世界が大恐慌の渦へ巻き込まれていく原因を作ったのは、世界各国が金輸出解禁を行い、結果、一国だけ景気の良かったアメリカに
「金」が集中してしまったから。結果、欧米各国は再び金輸出を禁止し、ブロック経済という超保護主義政策を執り行うに至りました。
そのことを考えると、是清はひょっとして経済の先を見通す目があったのでは、と、そのような想像をのんきは思い浮かべてしまいます。
是清に代わって首相の座に就いた加藤友三郎は、是清の政策を否定して結成された内閣ですから、「金輸出解禁」を謳います。
開催された帝国会議で是清率いる立憲政友会は時期尚早として金輸出解禁に反対し、また政権第2党の憲政会は逆に解禁を主張。金輸出解禁は先送りされたまま、1923年8月24日、加藤友三郎
はガンのため逝去。時期首相が選定されない状況の中、日本を関東大震災が襲います。
震災に伴う金融措置の配慮から金輸出解禁はさらに先延ばしにされます。
震災手形が不良債権化する中、誕生したのが「第一次若槻禮次」内閣。前加藤高明内閣のスタンスを受け継ぎ、「金輸出解禁」を公約として、若槻内閣において、大蔵大臣を務めた
片岡直温という人物が、ある失言を口にします。
「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」
実際には破綻していませんでした。にも拘わらず、この発言を行ってしまったせいで、第一次世界大戦後、鬱積していた日本国内の金融不安が表面化し、一気に顕在以下してしまったのです。
まるでどこかの民主党政権みたいですね。
奇しくも大正天皇が崩御し、昭和天皇が誕生した、その翌年の議会における失態であったようです。
ただし、片岡氏は不良債権を処理するため、当時の野党総裁と根回しを行い、震災手形を処理するための法案の提出にこぎつけるなど、意欲的に政策に取り組んでいた
ということは事実であるようです。その点は民主党さんとは大違いですね。
しかし、恐慌を引き起こした責任はおいそれとまぬかれるものではありません。
若槻内閣は総辞職し、立憲政友会の田中義一が総理大臣として元老院より大命を下されることとなるのです。
この時、是清は田中義一氏に政友会総裁の座を譲り、すでに政界から引退していたのですが、田中氏の要請を受け、彼は再び大蔵大臣として政権の座に復帰するのです。
ここからですよ、高橋是清のすごさをまざまざと見せつけられるのは。
ってことで、今回の記事はここでおしまい。
続きは次回記事へと託すことにいたします。
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あなたの1票が、のんきのブログを沢山の方に知っていただく力になります^^
天才みたい。
日本は自分で借金を国民にして
国民が日本の借金をになっているので
世界銀行とは関係ないですね。
まぁ、国に貸すというよりは、指導者
が、まるまる使って、独裁化する
ツメがあま~い世界銀行ですが
(シティーバンクの救済には
かなり、優遇的に、再建を手伝った
世界銀行。アメリカの顔がチラチラ
と見えて、やっぱ。アメリカかぁ。
なんて思うんですけど)
世界銀行に借金がが無いだけでも
ちょっとはましかなぁって
思ったりもします。
勉強になりました。^±^
高橋是清氏は銀行のトップの魁だったのですね。^±^
高橋是清氏は50円札の肖像画にもなってましたよね。
1951年から1957年まで発行・流通してましたが、その後硬貨になりました。
それが穴の開いていない50円なんですがね(このコインは我が家にもあります)。今の500円玉くらい大きいものでした。
返事が今頃になってしまってすいません。
丁寧なお返事ありがとうございます。
ちゃんとした返事をしてくれる人はそれ程いないので感動でした。
自分の被害はまだ続いてます。
これからも何とかこの犯罪の被害を何とかするためにやってこうと思ってます。
大して参考にはならないと思いますが、よかったら自分のブログを見てみてください。
のんきさんは本当にいろいろ勉強されてるんですね。
自分もちょっとはやってますが全然はかどってません。
のんきとしては初めて耳にする言葉だったので、
ちょっと調べてみました。
なるほど~って感じですね。
FRBの株主たちのことを思い出しますね。
調べてみたら面白そうな項目ですね。
なるほど、是清氏はお札の肖像にもなった人なん
ですか。
なるほど~。勉強になります^^;
のんきが情報を調べるようになったきっかけは、
「日本には、一般の常識では説明できないような
事実がたくさんある」と気づかされたことが原因
ですからね。
電磁波の話は、先に騒音おばさんの真実動画を見
ていたことが、素直に受け入れることができた
理由です。
どうやら某学会が犯人らしい、と。
参考になるかどうかはわかりませんが、電磁波
も「波」である以上、同じ周波数の電波をぶつ
けると消滅させることも可能なんじゃないか、
と思ったりします。
って、そんな単純な問題でもないかもしれませ
んね。逆に共振させて波が大きくなる可能性も
あるでしょうし・・・。
何とかできるといいんですが。
これ、違ってませんか?10%上昇だと、1000円のものが1100円ですよね。1000円が1万円になるのは。900%の上昇です。
>と、1000円のものが1100円です
>よね。1000円が1万円になるのは。
>900%の上昇です。
た、確かに・・・
今まで気づいておりませんでした。
実際の是清の政策によるインフレ率は年
率で3~5%だったようですから、この
数字は明らかなミステイクですね。
ご指摘、ありがとうございました。