忙しいほうがいい。でも本当は・・・

時間が止まってしまうと、いろんなことを
考えてしまいます。
だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

のんきの聖書物語 番外編~聖人の起こす奇跡~

2011-01-06 22:17:57 | のんきの聖書物語
さてさて。高橋是清の記事で、なかなか盛況な反応があったことは、のんきにとって光栄です。

んで、次回の記事に託す、って書いてますから、やっぱり続きを、と思うのですが、その前に。 ちょっと番外編をば。

のんきの聖書物語」の名にふさわしい記事だと思います。


ってことで、「のんきの聖書物語 番外編~聖人の起こす奇跡~」。始まり始まり~。

のんきがこの記事を記そうと思ったのは、最近であった、ある人物が原因です。

のんきの中では、「4番目の人」です。一人目は、これからの政治観などでご紹介した、F氏。二人目は、暗殺者・・・などでご紹介した、師匠。

この二人との出会いが、のんきを政治に関心を持たせるに至った、最大の原因であったことは、昔お伝えしたことがありますね。

三人目は、のんきはまだブログの中でご紹介していません。のんきの中では、まだご紹介できる段階に至っていない人物です。
ただ、ひょっとするとのんきを、「真実」の中枢に導いてくれる可能性のある人物ではあります。

で、本日ご紹介する人物が四人目。名前は、「4番目の人」。なぜ4番目と呼ぶのか。実はこの人、「真実の中枢」か、もしくはそこにかなり近い位置にいた人物なのでは
ないか、と思えるからです。

っていっても、意味わかんねぇ~って感じですよね。まあ、のんき的には、「それでいい」んですが。

さて。この人物との出会い。なぜのんきにこの「番外編」を記そうと思わせるに至ったのか。
実はこの人物、キリスト教を信仰しているのだそうです。うん。それだとよくある話ですよね。

って思わせぶりだけど、別に「4番目の人」がすごい話をしていた、ということをテーマにしたい記事じゃないんです。
この人物とした話の中で、のんきの目からうろこが落ちた、もしくは落ちそうになった話、というのはどちらかというと東洋の話。まあ、「のんきの聖書物語」に加えても
構わないような話ではあるんですが、それはまた別の機会に。

「4番目の人」の話は、後半は主に宗教の話となりました。

「宗教」の経典に書かれている話って、何か特別なことが記されているわけじゃなく、意外と今の時代だと、「それって当たり前じゃん」っていうような内容が記されている
場合が多いです。「4番目の人」も同意見でした。

んで、「4番目の人」が言ったことばの中に、「良くキリストが祈りをささげると、立てない人が立ち上がれるようになったり、目が見えない人が見えるようになったり、と
いう奇跡が語られますが、キリストは『奇跡』を起こすことを重視されるのが嫌だったんです」っていうような趣旨の表現が登場しました。

彼の話の中で、その「奇跡」をキリストが起こしていたことが、あたかも「当然のこと」であるかのようにして話が進められていたのですが、のんきはここにビビッと来たんです。

んで、サブタイトルが、「聖人の起こす奇跡」となっているのです。


というのも、のんきの中に、その「聖人が起こす奇跡」として、論理的に説明が可能な「症状名」が思い浮かんだのです。


その名前は、「身体表現性障害」。

人間の感覚神経を通じて脳まで届けられた情報は、脳から電気信号として身体にフィードバックされ、さまざまな反応として身体に表現させます。

って書くと難しいけど、たとえば臭いにおいを嗅いだら鼻をつまんだり、おいしいものを見るとよだれが出たり、そんな話です。


脳からの命令が、身体にフィードバックされる際、脳からの命令は、「視床下部」という部位を通過して全身に届けられます。
ところが、人間はストレスを受けすぎると、この「視床下部」が誤作動を起こし、脳からの命令を身体に対して正確に伝えようとしなくなります。

で、身体は本来作動しなければならない動作を行うことができなくなり、たとえば、「立てなくなる」「歩けなくなる」「物が見えなくなる」「音が聞こえなくなる」「全身が
痙攣する」「声が出せなくなる」・・・etc、さまざまな「身体的障害」が発生します。

もちろん、本当に身体のどこかに障害があるわけではありませんから、お医者さんにかかって、どこを調査したところで、体に異常が見つかることはありません。
異常が見つかりませんから、時に「誤診」をされることがあります。

「詐病」なのではないか、と。つまり、本当は歩けるし、聞こえるし、見えるのに、「歩けないふり」「聞こえないふり」「見ないふり」など、「演技」をしてるのではないか、
と疑われてしまうのです。

原因は、身体的な障害ではなく、視床下部に対して「ストレス」が与えるダメージが原因です。
「摂食障害」などは、実際に動物で実験が行われ、視床下部の一部を破壊すると動物は食事をしなくなり、過剰な刺激を与えると、過剰に食事をとりすぎる、という異常が実際に
確認されているのだそうです。


実際に異常があるわけではありませんから、いわゆる「対症療法」を行うことは、まったくと言っていいほど意味をなしません。歩けるようにする治療、見えるようにする治療、
聞こえるようにする治療は効果が無いのです。

では、どのようにすればこれらの症状は回復するのか。これは、「視床下部」にかかるストレスを軽減させてやることがとても大切になります。


「身体表現性障害」。

つまり、脳や身体に与えられた過度のストレスが視床下部にダメージを与え、実際のストレスとは一見関係なさそうに見える、「身体的症状」として表現されてしまう障害です。

過度のストレスが原因ですから、この症状を発症する人の中には、うつ病を発症している人が多く、つまりうつ病に対する対処方法は、そのまま身体表現性障害の対処方法につな
がる可能性がある、ということが言えます。

もちろん、ストレスもさまざまで、実際にうつ病に至っていない人も多くいるわけですから、そういう人にうつ病の薬を処方することは、誤った投薬方法だと言えます。
薬が原因で、別の身体的症状を発症する可能性すらありますから。


この障害から回復させる方法とは、まず第一に本人に現在起こっている症状は実際に身体的な異常があって発症しているものではない、ということを認識させること。
つまり、脳に体が脳からの命令を勘違いして作動しているんだ、ということに気づかせることが大切になるようです。

その上で、視床下部がストレスにさらされ、誤作動していることが原因であるわけですから、そのストレスの原因となる要素を取り除いてやることが大切です。
原因を取り除かずとも、中には本人が「脳の命令を体が誤って受信しているんだ」と気づくだけで回復する人もいるようです。


そこで、思い返して欲しいのが、「聖人の起こす奇跡」。
たとえば、その聖人が、とても「聞き上手」な人だったとしましょう。周りの人は自分に支持や命令ばかりして、自分の話をちっとも聞いてくれなかった。
そのことがストレスとなり、身体表現性障害を発症していた。ところが、その聖人に話をよく聞いてもらい、とてもすっきりして、それ以来障害は発症しなくなった。

また、「プラシボー効果」というものもあります。
これは、身体表現性障害の全く逆。障害として出ていたものが、思い込みによって治った、というパターン。

たとえば、世間から「神である」「奇跡を起こす」と話題の人物が、突然自分の前に現れて、患部に手をかざした。話をとことん聞いてくれた後、一言、「さあ、目を
あけてごらん」。目を開くと、今まで見えなかったはずなのに、急に視界が開けた・・・。

あり得ない話でもない、と思います。伝説のようなものですから、たとえば10人に同じことを試して、たった一人しか結果が出なかったとしても、そこが誇張されて
伝承されるケースもあるでしょう。

「聖人の起こす奇跡」。ひょっとして、そんなものだったんじゃないのかな。
のんきは「4番目の人」と話をしていて、ふとそんなことを思いました。


まあ、のんきはお医者さんではありませんから、今日、断定的に表現しているものの中にも、ひょっとすると誤っているものもあるかも知れません。

ですが、もしこの記事をご覧の方の中に、「立って歩けないのに全く検査に引っかからない」とか、「急に耳が聞こえなくなったのに原因がわからない」とか。
思い当たる節のある方、一度この名前をお医者さんに問いかけてみると、意外とあっさりと問題は解決したりするかもしれませんよ。


ブログランキング・にほんブログ村へ相互リンクとランキングプラス
TREview地域ネット日記@BlogRanking


帰りしにクリックを・・・

あなたの1票が、のんきのブログを沢山の方に知っていただく力になります^^


最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そうだと思います (ぎりす)
2011-01-07 02:56:39
ただ、安定剤だけ出して
抗鬱剤をださないお医者は
患者を飼おうとしているので
ご注意を
返信する
(*^▽^*)/ (eiko)
2011-01-07 16:46:49
あけましておめでとうございますー☆
お久しぶりです(*^_^*)ゞ
いつも遊びに来て下さりありがとうございます!
昨年は色々見守って頂き心配おかけしたりすいません!
今年もマイペースでブログ楽しみますので
よろしくお願いします(*^_^*)ゞ
ストレスて怖いですねっ!私もストレスたまりますが
まだ発散出来てるので大丈夫かと思いますが
限界が来ない事願います(*^_^*)ゞ
返信する
こんばんはです。^±^ノ (てくっぺ)
2011-01-07 23:08:38
政治史ってなかなか面白いですね。^±^
明治の頃の政治史は、実はうちが以前勤めてた出版社(今はつぶれましたが)でマイクロフィルムや関係文書を出してたんですよ。
それがきっかけで、明治の頃の歴史が好きになりました。
高橋是清氏も、うちの社の資料にはありませんでしたが興味がありました。
書を出してたのは坂本竜馬、岩倉具視などです。

あと、郵便の祖ともいえます前島密氏にも興味があります。^±^
前島氏は1円切手の肖像画になってたんですよ。^±^
返信する
ぎりすさま (のんき)
2011-01-08 23:53:19
まあ、この記事のテーマはうつ病じゃなく、身体
表現性障害なので

分けて考えないと、「体が動かないだけなのに、
なんでうつ病の薬を処方されるんだ~」

って怒っている人もいっぱいいますから。
返信する
eikoさま (のんき)
2011-01-08 23:54:55
ずっとブログ休んじゃうのかな~って思ってたん
ですが、記事が更新されているのをみてほっとし
ましたよ。^^

無理をなされずに、ご自分のペースで続けてくだ
さいね。
返信する
てくっぺさま (のんき)
2011-01-09 00:01:39
てくっぺさんは何気に近代史フリークなんです
ね。

是清の記事、続きを楽しみにしていてくださいね。
返信する
鬱病の薬は必要です。 (ぎりす )
2011-01-11 01:14:26
http://www.oak.dti.ne.jp/~xkana/psycho/clinical/clinical_21/index.html

患者の強い治療欲求による問題を軽くするためには、患者に対応する医師を1人に集約し、検査などの患者の欲求に部分的に応じながら、信頼関係を結び、身体の症状に精神科的な理由があることを患者が気づくようにし、患者が進んで精神科を受診するようにしていく。
身体症状の原因はすべて心理社会的なものであると患者に説明するのことは効果がない。
うつ病性障害や物質関連障害、反社会性人格障害などを合併することが多く、合併する精神疾患に対しては抗うつ薬などの精神科的治療が有効である。
返信する
否定はしないけど・・・ (のんき)
2011-01-11 02:11:30
のんきが言いたいのは、身体表現性障害を引き起
こすストレスが、必ずしも精神的なストレスに限
らない、ってことです。

フラットな目で見ることができないと、精神科医
としては失格だと思います。

実際にうつ病ではないのにうつ病の薬を処方し、
立ち直るための気力をそぎ落とした例がありま
すから。(医師に薬の処方をストップさせたこ
とにより、再び気力を取り戻し、数週間で完全
回復しました)

うつ薬はうつ病を治すための薬であって、身体
表現性障害を治すための薬ではない、とのんき
は思います。
返信する

コメントを投稿