忙しいほうがいい。でも本当は・・・

時間が止まってしまうと、いろんなことを
考えてしまいます。
だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

思い出の中で・・・

2010-03-10 10:14:41 | あんときののんき
学生時代・・・変な意味でまじめだったんでしょうね。のんきは社会の流行とか、
そういったものに抗う傾向がありました。

「友達をあだ名で呼んではいけません。○○くん、○○さんと呼びなさい」
「シャツはきちんとズボンの中に入れなさい」

そして、「現代曲は不良が聞く音楽です。小学生が聴いてよい音楽ではありません」

中学生に入っても、そういった考え方の堅さは抜けることがなく、ある意味でそ
ういった流行に関心を持つ人たちのことをバカにしていたような面もありました。

中1のときだったでしょうか。クラス対抗で出し物をする、という行事がありま
した。このとき、クラスでリーダーシップを発揮できる級友が、「歌を唄おう」
と決めました。

そのときに唄うことに決まったのはハウウドドッグのff(フォルテッシモ)。


練習のとき、のんきは教室の隅っこでバカにしたようにして座っていた記憶があ
ります。

級友は、のんきを叱り飛ばしました。みんなが一生懸命にやろうとしているの
に、なぜお前は歌おうとしないのだ、と。

のんきが初めて唄った「流行曲」だったかもしれません。
***********************************************************************
大学に入っても、のんきはやはり流行曲に抵抗がありました。
ですが、カラオケに行くと勧められるんですよね。最初は、アニメの曲とかに逃
げてたんですが、意を決して唄うことにした初めての曲が、この曲だったと思い
ます。

J-WALK - 何も言えなくて・・・夏


この曲の全盛期よりは、何年も経過した、その当事であったと思います。
今耳にしても、ものすごく透き通った、透明な彼の歌声は、とてつもなくのんき
の心を癒してくれます。

「JAYWALK」ボーカル逮捕 覚せい剤所持容疑(共同通信) - goo ニュース

まさか・・・ですね。
奥さんを失って、家では孤独でいることが多かった、という報道もなされていま
した。

それほどの苦しみであったんですね・・・。

今はまだ、事件の経過を見守るしかありませんが、またもう一度、のんきたちに
あの歌声を聞かせてもらえるそのときを、こころより願っています。


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あんときののんき―完結編―

2009-02-23 22:06:16 | あんときののんき
さて。これまでのシリーズもののうち、最長ではないかと思しきこのあんときのの
んきシリーズ。いよいよ今回で完結いたします。

前回の日記でご紹介したとおり、最後の店舗で、のんきは3人の店長に仕えること
となったんですが…。

実は2人目の店長は、のんきが高知時代に仕えた店長だったのです。

2人目の係長の頃はまだ良かったんです。少なくとも当時の係長は、店長の指示
をブロックしてくれていましたから。

問題は3人目の係長となってから。
そして、この係長は、実はのんきが始めて仕えることとなる、年下の上司でもあり
ました。たった1歳ではあったのですが。とは言え、大卒ののんきと比べて、高卒
のこの係長は、当然この会社での経験年数はのんきより長いわけです。

中々上のクラスに上がれないのんき自身の負い目もあり、複雑ではありましたが、
あくまで係長は上司。のんきは部下。その形を崩すことはありませんでした。

で、その係長がやってきた直後ころのこと。のんきは、催事場の売り場を作ると
き、当然その店長が指摘するであろうところは、指摘を受けにくいような売り場作
りを行っていました。しかし、それは係長の思う売り場とは間逆だったんですね。

しかし、のんきは店長から指摘を受けるとわかっている売り場を、係長からの指示
とは言え、わざわざ店長からの指摘を受けやすいような形に作り変えるような馬鹿
なことはできません。しかし、新しい係長はそこを直すよう、のんきに指示を与え
るのです。

「店長の考え方はそういう考え方だから」

そういって否定するのは簡単なことです。ですが、それは逆に「お前の考え方はな
いのか」と指摘を受けそうなので、そういう主張の仕方はしません。必死に店長の
考え方を受け売りで係長に対して主張しました。

ですが折り合いは付かず、結局係長はのんきの売り場を、自らの手で、自らが思う
ように作り変えてしまいます。

結果は想像通り。しかも店長はそれを係長に対してではなく、のんきに対して主張
してきたのです。ですが、のんきは係長に作り変えられてしまった売り場を作り変
える気などさらさらありません。店長の指示を受けながら、あえて売り場を現状の
まま放置してしまいます。

案の定、店長はのんきに対してではなく、係長に対してその指示を行いました。係
長はのんきに対して行ったのと同じように、自分の主張を店長に対して行うのです
が、通るわけがありません。

そして、係長は店長に言われたことを、のんきに言ってきます。しかし、のんきは
絶対に首は縦に振りませんでした。そもそものんきの主張を呑まずに係長が行った
ことの結果だったんですから。

「のんきが自分で言いよったろが、そうやって」(ちなみに「のんき」のところに
は当時係長がのんきの名前を呼ぶ時に使っていたニックネームが入ります。)

はい、言ってました。で、のんきにどうしろと言うんですか、ってことですよね。

まあ、そんな感じで、係長に対しても、店長に対しても、のんきは対立感をグレー
ドアップしていきます。徐々に強気だった係長の主張が、まるで店長の主張を代弁
するかのように変化していきます。まるでのんきに対する八つ当たりですね。

その係長から受ける、初めての人事評価の際、のんきはとんでもないことを聞かさ
れます。前回の人事評価の際、実はのんきは上のクラスに上がることのできる評価
を受けていたようなのです。たとえ最終決定者が店長であったとしても、判断をよ
り普遍的にするため、ある一定の基準があったのです。のんきはその基準を満たし
ていたんですね。

にもかかわらず、店長の独断で、のんきの昇格は見送られていたんです。完全な不
正を行われていたんです。のんきの知らないところで。

まあ、それは既に当時ののんきに取って、大きなダメージを与える要素ではありま
せんでした。何度も係長クラスの苦しい様子を目の当たりにし、のんきの中にはこ
の会社の中で昇格することに対する魅力が、完全に色あせてしまっていたんです。

ただ、のんきの中にあるのは将来に対する不安。この会社の中にいて、のんきは一
体どうすればいいんだろう、と。自分の将来は既に閉ざされたようなものだった
し、今のままでは何の為に生きているのかわからない、と。一生このままなんだろ
うか、と。

そんな中、職場の同僚の一人から、のんきにあるお誘いがかかります。

サイドビジネスをやってみないか、と。

そして、のんきはそれをサイドビジネスだとは思わずに了承したのです。どす黒
い、それこそ伏魔殿のような今の会社に比べ、のんきが声を掛けられたビジネスの
概要は、精神を病んだ当時ののんきにとって、とても魅力的に映ったんですね。

実際、現職の職場と、そのビジネスとを比較した時、今でものんきは後者の方が優
れていたと考えています。要はのんきに実力があるかないかが問題であっただけ
で。そして、のんきは自らの力量をわきまえず、様々な職場の仲間達に対して、同
じような声かけをしていきます。のんきのこの行為は、完全にのんきの職場での人
間関係をぶち壊してしまったんですね。

前回の日記でのんきに言葉を送ってくれた男性こそ、既に転勤で他店に移った後
でしたが、その他の仲間達には、完全に背を向けられるような形で、のんきはその
会社を後にしたのです。

まあ、今思うことは、結局世の中どんな商売をするときでも、本人に実力がなけれ
ばうまくいく話など存在しない、ということですね。厳しさを教えられるには余り
に長い時間が、人生を生きていくすべを教わる上では余りに大きな金額が、のんき
の元から吸い取られてしまいましたが、今はその時代があったことはプラスであっ
たと感じています。

そして、2つの時代を経て、のんきの時代は自動車の営業マンへと移ります。
まあ、こうやってカミングアウトできるようになっただけ、ましってことかな


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あんときののんき―とんでも戦士編―

2009-02-22 21:03:12 | あんときののんき
当時のんきが勤務していた会社には、昇格試験というものがありました。

一番最初のクラスから上のクラスに上がる為には、ペーパーテストで合格すること
と、上司からの評価である一定上の評価を受けること、の2点が必要でした。
ちなみにペーパーテストで、のんきは2度も不合格をいただきました

で、3度目で漸く合格するのですが、それでも上司の評価が悪く、上のクラスにはあ
げてもらうことができませんでした。

少し話が逸れますが、3つ目の店舗で、のんきは3人の係長と、3人の店長に従う
ことになります。2人目の係長は、実は家庭用品出身で、店舗の誰よりも家庭用品
売場に詳しかったので、その人はやはり店長からの指示をブロックしてくれるタイ
プの人でした。

その人の噂は、のんきも以前から耳にしていたので、実際にその人の下に付くこと
が出来るようになったとき、のんきはとても嬉しく感じました。最終的にその人に
のんきのことが信頼してもらえたかどうか、というと決して良い評価はもらえな
かったのですが、それでも以前のように無茶苦茶な売り場変更をさせられるような
こともなくなり、のんきが作った売り場に勝手に手を加えられることもなくなりま
した。

休みの日はのんきに代わって係長がきちんと売り場の管理をしてくれましたし、そ
の分私生活的なところは、大分充実していたように感じます。そうなんです。その
時にのんきと行動を共にした人たちが前回の日記でご紹介したとんでも戦士たち
だったんですね。

皆で口裏を合わせてそろって休む理由を作って皆で旅行に行ったり、仕事が終わっ
た後、夜中に無茶苦茶遠くまで出掛けて、朝方帰ってきて、その足で出勤してみた
り…。とても楽しかったですね。

で、その内、新入社員として入ってきた男性のうち一人は、実は以前同業の他の流
通会社で係長と同じクラスまで経験していた人で、しかも超優秀な売り上げを立て
ていた人だったんです。

のんきが、自分の不満をその人に打ち明けた時、その人はこんなことをのんきに
言ってくれました。

自分は、どんな上司の下に付いた時でも、自分の売り場のことは、
必ず最初は自分がやりたいようにやる。だが、上司というものは、必
ず自分の作った売り場に対して指摘をしてくる。その時、自分は一切
文句を言わず、必ず上司の言われた通りにする。そして、売り上げ
が立たなかった時、必ず上司はこういってくる。

「お前はなんでこんな売り場をつくったんだ」と。
それに対して、自分はこう答える。

「いや、あなたがこうするように指示したんでしょう?」と。
そうすると、上司はこう返してくる。

「お前は自分の考え方はないんか」。
そして、
「いや、自分は、こうこう、こういう風に考えています」
と答える。

「じゃあなんでそうしないんだ」
「いや、あなたがそうしろといったんでしょう?」
そして、上司は何も言えなくなって、その場を去る。

その後、自分は、上司から指示のない部分に対して自分でやりたい
ようにやる。そして、やはり上司は同じようにそのやり方に対して
支持を出してくる。

そうすると、自分はやはり上司から言われた通りに全てを行う。そ
して、売り上げが立たなかった時、上司はやはりこう聞いてくる。
「お前はなんでこんな売り場にしたんだ」と。

「いや、あなたがそうしろと言ったんでしょう?」
「お前の考え方はないのか」
「自分はこのように考えています」
「じゃあ、何故そうしないんだ」
「いや、あなたがそうしろと言ったんでしょう?」

やがて、上司は何もいえなくなり、やがて自分に売り場の全てを任せる
ようになる。


ふう。5話もかけてしまいましたが、実はのんきがこのシリーズでお伝えしたかっ
たのは、彼から教えてもらった、この考え方なんです。いや~、長かった。

この考え方は、今でものんきのこころの支えとなっている考え方の一つです。この
会社にいた間は、結局のんきはこのことを実践することはできませんでしたが、退
社後、休職期間中に学んだ考え方とミックスさせて、次の職場でこのことを実践し
ました。勿論、実績が上がるまでは非常に辛く、胃に穴が開くような思いをしまし
たが、実績が上がった瞬間に、のんきの社内での立場はそれまでと一気に変化しま
した。まあ、その話もいずれお伝えすることとしましょう。また長くなりすぎてし
まいましたからね。

さてさて。次はいよいよあんときののんきシリーズ完結編。

二人目の店長がのんきに対して行っていた不正。精神的に追い詰められたのんき
が、ついにこの会社を去ることとなった理由。いい意味でも悪い意味でも、現在の
のんきの礎となったこの会社での体験。…シリーズ完結編をこう、ご期待!!


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あんときののんき―最後の売り場編―

2009-02-21 23:31:21 | あんときののんき
あんときののんきシリーズも今日で第4回目ですが…
その前に。本日ののんきをねっこの日記からご覧下さいませ。本日はねっこの
会ののんきでございます。

さて。それでは。あんときののんきシリーズ第4話。始まり始まり~。

次にのんきが転属されたのは、広島のとある小さな町の家庭用品売り場です。
この店には、とんでも戦士がのんき以外に4名、集まることになりました。
のんきと、他男性の新入社員が2名、女性の従業員が1名、そして女性の新入社員
が1名。のんきはこの4名のメンバーと行動を共にするようになります。

この店に来たとき、一番びっくりしたのは、略すべての社員が、「夜中遅くまで」
仕事をすることに誇りを持っていたことでした。閉店時間が夜中の9時。社員はな
んとこの9時に閉店した後に仕事を始める人たちばかりだったんです。

当然のようにして、退社時間は平気で夜中の12時を回ります。彼らは皆、当然の
ようにして休日も出勤してきます。
のんきは当然、それはおかしい、と感じていたので、なるべく営業時間中に仕事を
終えようとするのですが…。

この店は明らかに異常でした。最初はのんきが思うように売り場作りを行うのです
が、途中で係長から要望が入ります。その要望、というのは、実は係長の要望では
なく、店長の要望なのです。この係長は、店長からの支持を、全く加工することな
く、ダイレクトにのんきに伝える人だったんです。

勿論のんきにとってはその全てを飲めるような要望ではなかったのですが、その指
示の中において、のんきなりに精一杯工夫して売り場作りを行います。売り場作
りって、2時間から、長ければ半日くらいかかることもあるわけです。

で、初めて売り場作りを行った次の日は休みだったので、のんきは休んで、次の日
に出勤したのですが、そこには目を疑うばかりの光景が広がっていました。のんき
が必死に考えて、こしらえた売り場が、そこにないんです。

ない、とは読んで字のごとく、全く別の商品の売り場に変わっていたんですよ。
商品部からの指示もあり、出しておかなければならない商品でもあったのですが、
それらは全て別の場所に移動され、全く関係がない商品が並んでいたりするんで
す。

担当であるのんきに、何の連絡もなく、ですよ。最初に作った売り場の効果を測定
することも出来ぬまま…。それから、似たようなことが頻繁に起こることになりま
す。売り場を担当する人員も限られている、当然発注業務もしなければなりません
し、何より売り場の担当者でさえ、自分達が作った売り場においてある商品がどこ
にあるかわからなくなってしまう、なんて致命的なことが頻繁に起こるようになる
んです。

もう、腹が立つどころの話ではありませんでしたね。自分が一生懸命作った売り場
が、勝手に作り変えられ、場所も、構成も勝手に変えられてしまう。思いっきりや
る気を削がれていました。人が勝手に作った売り場で、売り上げが立たないのは何
事だ、って言われても…ねぇ。

そんな中、のんきが心を持たすことが出来ていたのは、前記したとんでも戦士たち
がいたからなんです。

ではでは、次回はそのとんでも戦士たちのことをご紹介するとしましょう。


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あんときののんき―初めての告白編―

2009-02-20 23:56:59 | あんときののんき
高知にいたとき、実は、それでものんきの弊害となる人は他にもいました。

高知時代、のんきの上司となる係長は2度転勤し、合計3名の係長に仕えました。
弊害となっていたのは、最初の係長と、店長でした。

ですが、色々文句は言われるものの、基本的に売り場作りとか、売り場計画とか
は、のんきに任せてもらっていました。というのも、「家庭用品売り場」を体験し
た係長は、一人もいなかったことが原因です。

ただ、そうはいっても、店長だけは少し違っていました。この人は家庭用品売り場
に対する知識もあったんです。ですが、のんきのところに、ダイレクトでこの店長
から指示が下されることはありませんでした。実は、係長は3名とも、店長からの
んきの売り場への指示を、略ブロックしてくれていたんです。

今考えると、とてもありがたかったですね。しかも、食料品のない売り場は、時間
的な負担が随分と軽かったですし、何よりのんき以外にもう一人正社員が担当とし
て配属されていた、ということ。おかげさまでタイムシフトどおりの行動が出来ま
したし、サービス残業や休日出勤をすることもほとんどありませんでした。

ですが、それでもちゃちゃが入ります。すべて原因は店長。休日出勤をしないのん
きに対して、ひそかにジャブを入れてくるんです。ですが、のんきはすべて係長に
了解をもらって行動していましたし、略店長の支持は無視っていました。

とは言え。売り場作りは略すべて管理させてもらってましたし、勿論シフト時間内
ではとても売り場作りが間に合わないこともあります。こっそりと休日出勤をして
売り場を作ることも良く有りました。だけど、それはのんきなりに、とても楽し
かったんです。

ところが…です。恐らく、労働基準監督署が何処かの店舗に入ったんでしょうね。
あるときから勤務時間帯に対する指導が厳しくなってきます。以前はあれほどのん
きの休日の取りかたに文句を付けていた店長の態度ががらりと一変。次はこっそり
と休日出勤をして売り場作りをしているのんきに対して文句を付け始めたんです。

「休みの日に出勤をするな」と。

しかーし。高層階の売り場。店長が上に上がってきていないときを見計らって、
こっそりと売り場作りやってましたねぇ。
そうです。実は、この頃になると、のんきには実は、出勤する理由が「売り場作り
をすること」以外にもう一つあったんです。

タイトル名から想像できるでしょうか。実は、このとき同じ売り場の担当だった
人は女性だったんです。のんきは、実は同じ売り場で仕事をするうちに、その人に
ほのかに思いを寄せるようになっていたんです。

のんきがこの売り場で仕事をしたのは、たったの1年間でした。他の売り場の担当
の人たちともそれなりに仲良くさせてもらったし…いい一年間だったと思います。

そして、次の店に転勤することが言い渡された日。のんきはある決断をしました。
のんきが転勤する、という情報が流れた時、のんきが思いを寄せていた女性は、こ
らえきれずに涙を流してくれたんです。それが決断した最大の理由でしたね。

初めてのんきの側からその女性を食事に誘い、そこで初めてのんきの気持ちを伝え
たんです。今考えてみると、とても不器用な告白だったと思います。

結果は…。そうですね、最終的には良い結果ではありませんでした。一旦は受けて
もらえたんですが、何より告白した時期がよろしくなかったですよね。転勤する、
1週間前だったんですから。数日後、お断りの言葉をいただきました。

のんきにとって、「告白」したことも、「失恋」したことも、実は初めての体験で
した。初めての感覚でしたね。ですが、転勤する直前であったことは、そんな中で
も幸いであったと言えたかもしれません。そうです。もう二度と、会うことはない
わけですから…。

さてさて。次はのんき最後の売り場へと場所が移ります。さてさて。いかがあいな
りますことやら。ニンニン


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あんときののんき―それから編―

2009-02-19 23:22:30 | あんときののんき
のんきは最初の店舗に3年間配属されました。

お菓子売り場-乾物-日販もの-生活用品売り場と、図らずも、のんきはいわゆる「グ
ロサリー」と呼ばれる売り場はすべて経験することになります。ポジティブに捉え
ると、将来へ向けて、様々な売り場を経験することが出来た、とも捉えられるので
しょうが、ぶっちゃけた話、「職場適性がない」と判断されていたのでしょう。

のんきが転勤する直前頃に係長から聞かされた話なんですが、係長は、実はのんき
のことをやめさせよう、と思っていたそうなのです。だけど、会社の側から解雇す
ることは出来なかったんでしょうね。特にのんきは障害者で、「障害者採用枠」を
使って採用してもらっていたので、解雇してしまうと会社側にペナルティが来るこ
とになるわけです。

だけど、どんなに辞めるように仕向けていっても、のんきは耐えてしまうわけで
す。だから係長にはどうしようもなかった、と打ち明けてくれました。もっと他に
適職があるんじゃないか、とそのとき言われましたね…。

だけど、のんきには何より裏づけとなる自信がありませんでした。他の職場に行っ
たとして、うまくやっていく自信がなかったし、何より「何をすれば良いのか」が
わからなかったんです。

だから、辞めることができなかったんですね。
で、その数ヵ月後にのんきには転勤の辞令が降りました。
「家庭用品担当」としてのんきは高知へ配属されます。

考えてみると、のんきにとって、このときが一番恵まれていたのかもしれません。
初めて仕事を「任せてもらえた」んですね。

そうそう。少し話は逸れますが、このときに初めて松山の人の閉鎖性を実感するこ
とになります。

それは、同じ売り場の、一人のパートの女性が原因だったんです。
今考えてみると、高知県の人って、言うことは結構きついことを言う人もいます
が、すごくさっぱりしてて、そのことを後に引きずるようなことがないんです。実
際、のんきの売り場には、積極的にのんきの言葉を聴いてくれて、のんきが思うよ
うに売り場作りや仕事を実践してくれる人ばかりでした。ただ一人を除いては…。

その、ただ一人の女性は、のんきと考え方が違っていて、すべてをビシッ!!とス
ケジュールどおりに管理しようとします。実際、能力はある人だったんでしょう
が、余りに他の人との人間関係を軽視しすぎる傾向があったんです。勿論、本人に
はそんなつもりはないのでしょうが、「何故この人が今この仕事ができないのか」
とか、何故売り場が乱雑なままに放置されてしまうのか…。用は、「人手が足りな
い」からそうなるということに注意がいかないんですね。
その人がここにいてくれれば、色々とうまく回るのに…って感じでした。そのくせ
性格は無茶苦茶きつかったし…。そう。ご想像の通り、その人は松山出身のおば
ちゃんだったんですねぇ。

話が逸れました。焦点をのんき自身に戻そうと思うのですが、またまた長くなって
しまいました。ではでは。また次の機会に、ということで・・・


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あんときののんき―新入社員編―

2009-02-18 22:47:29 | あんときののんき
過去の日記で何度かお伝えしたこともあると思うんですが、今ののんきの職場は3番
目の職場です。

大体の人って、大学に行ったら、大体バイトするでしょう?
そろそろ親のすねかじるわけにもいかなくなる次期ですもんね。

だけど、のんきはバイトらしいバイトの体験をせず、そのまま最初の職場に就職し
ました。

大学時代は、障害者年金と奨学金で充分な生活費があったので、あえてバイトをす
る必要がなかったんですよね。サークル活動に一生懸命でしたから。

だけど、今考えるとその時期に社会人経験、ってやつをしておくべきだったかな、
とも思います。社会って、厳しい側面があるのは勿論なんですが、それ以上に
「汚い」世界だとも思います。

のんきはその覚悟なきまま、最初の職場へ就職しました。
もろに表現しますが、のんきは左足を膝上より切断しています。義足で支えられる
とは言うものの、長時間立ったままの状態っていうのは、結構きついんですよね。

だけど、のんきが配属された職場は、そんな職場でした。
建前では休憩1時間を含む8時間拘束で、休日も週休2.5日。夏と冬にそれぞれ
10日ごとの長期休暇を取得でき、誕生日にはメモリアル休暇を取得できる。

…ってことだったんですが。実態は散々たるものでしたね。
大きな会社でしたから、当然タイムカードってやつが存在します。ですが、あって
なきが如しでしたね。だって皆タイムカードを通してから残業してるんですもん
ん。

いわゆるサービス残業ってやつです。休日に休もうとする人はいませんし、のんき
が休日に休んでたら、会社から電話がかかってくるんです。「○○はどうなってる
んや~」って。結局出勤せざるをえなくなります。

当時の職場には、「総括マネージャー」「店長」「係長」という3人の上司がのん
きにはいました。のんきが休んでいる時のフォローをするのが係長の役割なんです
が…。

何より、のんきはほとんど仕事のノウハウを教わることなく最初の職場に配属され
ました。何よりわからないから質問してるのに、質問すると怒られるんです。だか
ら段々質問できなくなるんですよねぇ。しかも怒られ方が半端じゃない。1時間ぐ
らいずっと説教されるんです。販売接客業ですから、当然その間もお客さんは存在
しますし、何より売り場を維持するために必要な時間がどんどんどんどんなくなっ
ていくんです。

時には売り場で、お客さんがいるところで説教されてましたからね…。

で、のんきが今でも記憶に残っている、最悪の出来事があったんです。

のんきは店長に言われて、言われたとおり、店長の目の前で商品整理をしていたん
です。いわゆるOJTってやつですね。ところが。ふと現れた総括マネージャーが
その売り場に文句を言います。「だれがこんなことしたんぞ」と。

そして、その時の店長の言葉に、のんきは非常にショックを受けました。

「そうやぞ、のんき」

と。もちろん「のんき」、のところにはのんきの本名が入ります。
そうなんですねぇ。店長は自分の失敗をのんきの失敗にすり替えちゃったんです。

それまでののんきは、「人間に悪いやつはいない」「みんな本当はいいやつばかり
なんだ」と考えていたんです。ですが、のんきはそれ以来人を信用することが出来
なくなってしまいました。人間不信に陥ってしまったんです。

まあ、今考えると、のんきは余りに未熟だったんだと思います。能力的にも、そし
て精神的にも。

休日出勤をして、サービス残業をしなければ売り場が回らない、ってことは、明ら
かに人員が不足しているんですよね。それはのんきが未熟だったってことを差し引
いてもまだ余りあるほどだと思います。

しかもそんな状態でありながら、退勤時間のタイムカードを通し忘れていたら、も
のすごく怒られていました。通しわすれるのは、まだ働いているからなんですけど
ね。しかも1分とか2分通す時間が遅れただけで叱られていました。働いているのに…

いかん…。無茶苦茶長くなってますね。ではでは、続きはまた今度、ってことで


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その結末は・・・

2009-01-06 00:48:20 | あんときののんき
一通の手紙、一通のメールの続きです。

と・・・その前に。勇み足でしたね。F氏とは、暗闇の中で息を潜めていた人物の仮の名前です。

彼(F氏)を見たとき、のんきはふと、M氏の言葉を思い出しました。

M氏は、ある政党に所属していた経歴があり、その関係で、その政党からある一人の
人物を2ヶ月ほど前から自分の部屋に住まわせている、というようなことを言ってい
ました。F氏こそその人物ではないか、と思ったからです。

のんきは、やや軽い感じで聞きました。

「Mさんが少し前から一緒に住まわせている、っていう人?」

答えはYesでした。少し後で解ったことなのですが、F氏は武術の心得もあり、そう
いった意味で、余りに奇妙な事件の連発するM氏にとって、F氏の存在は非常に心強
かったと思います。

そして、このころののんきはI氏、M氏、ほかMS氏、S氏という4名でよく行動してい
たのですが、この中にF氏が入るようになりました。MS氏は軽い鬱を患った過去があ
る人でしたし、S氏はI氏と同じてんかん持ち。今考えるとスゴイ人たちと行動を共
にしていたな、と思いますね。(すみません、差別的な表現になってしまって。た
だ、外から見ると、多分「スゴイ」と感じられると思ったので)

MS氏は当時は既に鬱からは脱しており、またF氏は事情があってM氏の住居に居候し
てはいるものの精神的な状態はごく普通でしたから、まあそこまでではないかもし
れませんが。

ただ、奇妙なのはこのF氏。年齢はのんきより随分若い20歳ですが、時々独り言を話
すのです。しかも誰かと会話しているような。

不思議に思って聞いてみたところ、何と彼は左耳の中に無線のスピーカーを、左の
奥歯に無線のマイクをそれぞれ埋め込んでいるというのです。で、このマイクとス
ピーカーを使って、受信エリアにいる仲間と会話していたのです。

今でこそ、携帯をハンズフリーで使う人も増え、街中を歩いていて突然話し出した
としても、「ああ、ハンズフリーか」で済むと思うのですが、当時は携帯があると
はいえ、ハンズフリーなどまだほとんど使用する人はおらず、彼の姿はとても奇妙
に映っていました。しかも耳の中と奥歯ですから、ハンズフリーどころではありま
せん。

何故彼がそんななりをしていたかというと、彼は当時ののんきはそんな存在がある
ことすら意識したことはなかったのですが、と、ある闇の組織に所属する人物だっ
たのです。

「ハッ?何それ。うさんくさい

のんきもそう思いましたよ。だけど、彼の行動やいでたちはものすごくとっぴで、
そのことを信じてもいいかな、と思わせるような人物だったんです。

彼とは、ある事情で福岡まで共に小旅行をしたりもしたのですが、そのときの行動
や、その無線機での会話の内容などを聞いていると、ますます信じてもいいかな、
と思っちゃうくらいでした。

この頃、松山市内にある、とある有名な神社では、その境内にある賽銭箱が破壊さ
れ、多額の賽銭が盗まれるという事件がたびたび起きていました。

結論から言うと、F氏は、この賽銭泥棒を捕まえるために僕たちの前に現れ、M氏の
住居に居候していたのです。

この文面から想像できるでしょうか。のんきたちはこのとき、既にその賽銭泥棒の
犯人と顔見知りだったのです。そう。M氏こそ、その犯人だったんです。

F氏は、20万もするファイバースコープを境内に仕掛け、ずっとその犯人を追ってい
たのですが、それも犯人に破壊され、次に彼はI氏と協力してその境内に張り込みを
し、カメラをもって犯人が現れるのを待ちました。そのカメラに映った人物こそ、
ほかならぬM氏。F氏は武術をもって、M氏を取り押さえました。

M氏は涙を流しながらM氏のことを殴り続け、警察へは訴えない代わりに、二度と同
様の事件を起こさないという誓約書をM氏に書かせました。

M氏は嘘が非常にうまく、今考えると、てんかんの症状を装って倒れ、病院へ担ぎ込
まれたのはおそらく演技。それに、彼は以前から同様なトラブルに頻繁に巻き込ま
れていたのでしょう。それゆえ、酷い嫌がらせを受けることも頻繁にあり、のんき
たちもM氏のために身銭を削ったこともありましたが、それもすべて生活資金をのん
きたちから引き出す為の演技。のんきたちは見事にそれに引っ掛かってしまったわ
けです。

現在ではF氏とは疎遠になり、連絡をとることもできません。当然M氏との連絡もも
う取ることは有りません。

のんきは、最後にI氏の生活スタイルを指導し、彼が生活保護と障害者年金だけで充
分に生きていけるような金銭面での管理を行い、彼が単独でその状態を維持できる
ようになったあと、のんきはI氏の下からも姿を消しました。

昨年の夏、偶然彼と出会い、話をする機会があったのですが、彼は今でものんきと
の約束を守り、立派に彼が自由になる金銭だけでの生活を続けていました。

「それもこれもぜーんぶ、のんきのおかげよ。大変なのはお金だけよ。それ以外は
なーんも不自由しとらん」

彼はのんきに依存し、すべての解決方法をのんきに決めてもらおうとばかりしてい
ました。のんきは既に次の仕事に就いていましたし、このままでは双方にとって良
いことはない、と思い、お互いに自立するため、のんきは彼と連絡を取ることを一
切やめたのです。

今年の正月。そんなI氏から年賀状が届いていました。のんきは返事を出し、のんき
の手紙が彼の元へ届いた日、彼からまた、一通のメールが届きました。

年賀上の文字や、メールの文面から、彼の内側の成長が見て取れたような気もしま
した。

これから先、もう彼らのような生活水準の人たちと、ここまで関わることはもうな
いでしょうが・・・。まあ、こっぱずかしいような、のんきが今以上に未熟だった時代
のお話です。


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一通の手紙、一通のメール

2009-01-03 22:13:24 | あんときののんき
正月の一日、のんきの元に一通の年賀状が届いていました。

毎年、正月にはきちんと送ってきてくれるのですが、去年は返信することをしません
でした。

ですが、今年は何となくその送り主に年賀状を返信してみよう、という気になりま
した。

昔の話ですが・・・の続きになります。

彼(I氏とします)の借入金をチャラにするときに活躍した一人の男性(M氏としま
す)がいます。
I氏の問題を解決した頃、そのM氏のアパートの住居に、たびたび妙なことが起こ
るようになります。

M氏が室内にいるとき(就寝中など)に、室外から、上図のように角材がはめられ
てドアが完全に開かないような状態にされたり、外出して室内に戻ってみると三階
なのに、ベランダにおいてある洗濯機がなくなっていたり・・・。

時に、ポストにその犯人から手紙(過去にM氏が巻き込まれたトラブルに対する
支払いの要求)があったので、犯人はすぐわかったのですが、証拠がないことか
ら、警察を動かすこともできません。そして、またその頃から、M氏に、I氏と
同じ疾患、「てんかん」の症状が現れるようになります。

彼の病状を見てもらうため、と、ある病院に彼を連れて行ったところ、実際に先生
の目の前でその症状が出たため、そく入院ということになり、入院施設のある病院
に彼を送ることになりました。

M氏にとって見れば、1ヶ月以上入院することとなり、そのことで嫌がらせをする人
物を遠ざけることもでき、退院した頃にはその嫌がらせもなくなったので、それが
結果的に良策となったわけです。

彼の着替えや日用品を取るために彼の自宅へ戻ったところ、何と掛けていたはずの
鍵が開いています。閉め忘れたのか、と思ったのですが、I氏と共に中へ入った
ところ、コタツの中に、見たこともない人物が座っていたのです!!

「おい、誰かおるぞ!!」
I氏の声に、のんきは急いで中へ入りました。ついにヤツ(犯人)が現れたのかと
思ったのです。

人がいるはずなのに、電気はまっくらだし、そいつは息を潜めるようにして身構え
ていました。

さて。物語はまたここから新しい展開を迎えます。F氏の正体は一体・・・。
そしてM氏もこの後、その正体を明らかにしていきます。事実は小説より奇なり。

のんきが某団体の存在を知るようになるきっかけとなった出来事です。続きをお楽
しみに・・・


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昔の話ですが・・・

2008-10-07 01:53:16 | あんときののんき
今日は・・・取り分けて変わったこともなかったので、こんな話をしてみましょう。

のんきの日記的には、少しダークな話題です。


昨日の日記年金担保融資のことを話題にしたのですが、日記を書きながら、
何となく、デジャヴに襲われていました。どこかで耳にしたことのある言葉
だな、と思っていたのです。

よくよく考えてみると、これはのんきの過去の人間関係の中にありました。

のんきが最初の就職先をやめてからしばらくの間、どちらかというと社会的
に批判的な目を向けられるような人たちと関わっている時期がありました。

それも、のんきが試みにやってみた派遣会社の派遣先のお仕事が原因です。
今は亡き、悪名高き某派遣会社です。のんきは身体障害者で、当然引越しの
お仕事を任せられても重い荷物はもてませんし、一日中立ちっぱなしのお仕
事ものんきには大変です。にもかかわらず、平気でこの会社はのんきにそん
なお仕事を振ってきました。多分、告発したら大変なことになると思います。

と・・・それはさておき。のんきはその派遣先で知り合った人と個人的に交流
することになりました。その人は、50代の男性で、てんかんという疾患が原因
でまともな就職先へ付くことが出来ず、生活保護を受けている人でした。

この人から最初に受けた相談は、携帯電話の名義貸しで、本人が使用してい
ない利用料金を、この人が支払わなければならないような事態に陥っていて、
某携帯電話会社から起こされた訴訟に関する相談でした。

結論から言うと、名義を貸している以上、その責任から逃れることは出来ず、
もしその料金を請求するのだとすれば、その名義を借りた本人に対して請求
することしかできません。携帯電話会社は完全な善意の第三者なのです。

ですが、この契約にいたるまでの経過が問題です。この人は一般的な知識が
欠落しており(おそらくは法律的に契約を結ぶことができないような状態の
認定が受けられるほどに)、だまされて契約をしています。また、契約をし
たショップの店員はその一部始終を目の当たりにしているはずで、その携帯
電話会社側にも落ち度はあるのです。

判決は、支払いを命じられる判決が下りたのですが、本人には返済能力がない
ということで、携帯電話会社側が泣きをみるよりほか仕方ないような判決が
下りました。

この人は生活資金がないにも関わらず、たばこは吸うし、パチンコはするし、
その上で「生活するお金がない」という話をしていました。そして、更に相談
を持ちかけられます。
彼はその相談を隣人にしたところ、その人にお金を借りるような契約を結ばさ
れていたようなのです。このときに担保として取り上げられていたのが障害者
年金の証書とその年金が振り込まれる通帳と印鑑でした。手数料として年金を
月割りにした約1割を毎月引かれて残りの年金の額を「融資」されていたよう
なのです。

金銭を管理する能力のない彼を、結果的に替わって金銭管理していたような
形にはなっていたのですが、相手の男は無認可で、金利も明らかに法定利息
をオーバーしています。

この事を彼に説明し、先にその月分の融資だけ受けさせて、その次の日に
当時もう一人いた知人の力を借りて、相手の自宅に乗り込み、手帳と通帳、
印鑑を返してもらいました。当然、この月に借りたお金は踏み倒させるよ
うにしました。

これこそが、「悪質な年金担保融資」の実例であるわけです。
彼は、これ以外にも様々な「重荷」を背負っており、また彼を取り巻く
人々からも色々な事件が登場します。

今ののんきにこんなことができるかというと、もうこれをする度胸も
体力もないかと思いますが。また気が向けば、そのほかの話も記事にして
みるとしましょうか。

今日はこの辺りで。

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