「リフレーション政策」というタイトルで記事を起こそうとしていたのですが、その間にもう一つ記事を挟みます。
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是清の行った、「リフレーション政策」をテーマにしたかったのですが、是清が表舞台から姿を消している間に登場した「井上準之助」という人物。
この人物の執り行った財政政策が、とくに是清と比較する上で、また現在の民主党政治と比較する上でもサンプル的にとても興味深い内容なので、今回はこの人物に
スポットを当ててみたいと思います。
高橋是清の財政政策の続きです。
「で、でさぁ~あ、『リフレーション』って、なんなの?
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」
現れましたな、ひよこさん。
「リフレーション政策」。これ、世界恐慌の影響を受け、一気に経済状況が冷え込んだ日本の経済を救い、世界で最も早くデフレ経済から脱却させた、高橋是清の
財政政策なんだよ。
「世界で最も早く!?
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」
そう。 すごいでしょ。
っていうより、「意外だ」って感じる人の方が多いんじゃないか、と思うんです。
世界恐慌が発生したのが1929年。この世界恐慌が原因で、世界は第二次世界大戦に突入する・・・。「
世界恐慌」の記事で、のんきはそんなことを
お伝えしましたね。
第二次世界大戦で、日本はドイツ・イタリアと組み、連合国軍を相手に戦い、アジアを侵略しようとした悪事がたたって、日本はぼろ負け。やっぱ正義には
勝てないんだよね・・・っていうようなイメージをお持ちの方はきっとこの国には多くいらっしゃるはず。
きっと日本は、世界恐慌の後、不景気に見舞われて戦争を起こすしかなくなったに違いない、なんて思っていませんか?
だけど、世界恐慌の後、高橋是清のおかげで、日本は、「世界一速くデフレから脱却した」。
「・・・
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よくわかんない」
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「デフレ」ってよく耳にしますよね。のんきもブログの中でよく話題にします。
今の日本の景気は「需要」と「供給」のバランスのギャップが問題で、供給の量に対して需要の量が圧倒的に不足しているため、物価が極端に値下がりしている、と。
そう。当時の世界恐慌下でも、日本は同じような状況にあったんですね。では、なんで当時の日本はそんな状況になったんでしょう。
是清が大蔵大臣を務めた田中義一内閣。昭和金融恐慌から見事に脱却し、是清が去った後、田中義一内閣は暴走。昭和天皇の逆鱗に触れ、義一内閣は総辞職。
政党は立憲政友党から立憲民政党に交代。財政政策はこれまでの積極財政政策がら緊縮財政政策に転換されます。
この、濱口内閣が執った財政政策が、「金解禁」、「緊縮政策」、「産業合理化」の3政策。そう。濱口首相は、ついに金輸出解禁をやっちゃったんです
濱口首相から命を受け、この一連の流れの中、財政政策を断行したのが「井上準之助」。「
高橋是清の財政政策」の中で登場しましたね。
是清の後を受けて日銀総裁となり、昭和金融恐慌の折、片面の日銀券を大量に刷って、不景気の脱却の一翼を担った、あの井上準之助です。
う~ん。しかし、彼の財政政策を見るに、ホント日本が体験した「バブル崩壊」のデジャブを見ているようです。
ちょっと難しいのですが、負けずについてきてくださいね。
まず、この当時の政治状況として、
・
金輸出解禁に反対であった「田中義一」内閣は是清退陣後の首相の暴走により、田中義一内閣は総辞職した。
・
金輸出解禁に反対であった田中義一内閣と、その当時の政権与党である「立憲政友会」が
否定されたわけだから、
当然続いて政権に就く政権与党は、
「立憲政友会」と「イデオロギー的に対立する立場にある」政党である。
この理屈、わかるでしょうか。
思い出してくださいね。麻生内閣は、「自民党」を象徴していましたから、麻生内閣がどんなに良い政策を行ったかどうかは一切関係なく、麻生内閣が「自民党政権で
ある」という理由だけで麻生内閣は退陣に追い込まれ、結果的に誕生した政党は、「自民党のイデオロギー」を否定する政党である「民主党」でしたね。
民主党は、野党時代から麻生内閣のすべてを内容の如何は一切関係なく、「自民党の政策であるから」という理由だけで否定し(批判じゃないですよ)、その実現性は
一切考慮せず、理想論のみで全く対立する政策を主張し、国内の社会情勢や国際情勢と整合性を一切とることなく、野党時代に主張していた政策をそのまんま断行しよ
うとしましたね。
バカとしか言いようがありませんが。
井上準之助が行った財政政策とは、まさしくこの民主党政策を彷彿とさせるようなものであったのです。
しかも、民主党政権では衆参二院制の長所が生かされて、決してその愚かしい政策がすべて素通りするような結果にはなりませんでしたが(衆議院で2/3を確保している
間は別でしたけど)、井上準之助の財政政策は、ものの見事に断行され続けたのです。
少し時代を過去に戻します。
当時の日本国通貨は、第一次世界大戦の勃発に伴い、「金輸出」が禁止され、外貨のやり取りによって相場が変動する「為替相場制」となっていました。
第二次世界大戦後、アジア市場にヨーロッパが戻ってきたことにより日本の好景気は頭打ちとなり、戦後、貿易収支は赤字続きで、日本の為替相場は、戦前の「金本位制」
当時に比べて、円の価値は大幅に落ち込みました。
戦前の相場が100円=49.875ドル(1ドル=2円5厘)という金額だったのだそうですが、その価値を大幅に下回ったのです。
この、100円=49.875ドル(1ドル=2円5厘)という値は、当時の「金の価値」に由来するものです。
たとえば、金貨に「一円」と記しているとします。ですが、この「一円」の価値は、戦前の一円の価値であり、井上準之助が財政政策を担当するようになった当時、その
一円金貨には、昭和金融恐慌の影響も受けて、すでに戦前の「一円」の価値はなくなっていました。
ですが、濱口内閣当時、金輸出は禁止されていましたね。
たとえば、今の日本で、「一円玉」とか、「十円玉」とか、「百円玉」なんてのがありますよね。だけど、たとえば一円を構成しているのはアルミニウム。一円玉の重さは
1gですが、では一グラムのアルミニウムの価値が1円か、というと決してそんなことはありませんよね。
けれども、一円玉は「一円」として日本国内では流通しています。
これは濱口内閣当時も一緒。一円玉の実質的な価値が一円であろうが無かろうが、一円玉は「一円」として国内では流通していたのです。
だけど、仮に「金輸出」を解禁してしまうと・・・。
この「一円玉」の価値はどうなってしまうんでしょう。
1. 当然、国内で「一円」で流通しているんだから、一円は一円。もう一度金の価値を戦前の価値に合わせて輸出を解禁すればいいじゃん。
2. 円の価値は戦前に比べれば大幅に低下しているんだから、いくら硬化に「一円玉」って書かれてたって、一円の価値はないんだよ。国際的な金の価値に合わせて、一円玉
の価値を見直すべきだよ
さて。皆さんならどちらの選択肢を選ぶでしょうか。
考えたかな?
普通だと「2」を選びそうだけど、これ、実はそれぞれにデメリットがあるんです。
「1」だと、今まで外国に1円で販売できたものが、戦前の「正貨」価格のまま金輸出を解禁してしまうことで、輸出製品の金額が大幅に跳ね上がり、輸出産業が大ダメージを
受けます。代わりに輸入品の金額が大幅に値下がりし、国内製品でさえ国産の物が売れなくなり、日本国経済が大幅な「デフレ」社会へとシフトしてしまうこと。
「2」だと、そもそも「金本位制」とは、国内に有する金の総額に国内の通貨価値が裏付けされるわけですから、保有する金の価値を低下させることは、日本の通貨価値を低下
させることにつながります。当然、輸入品の金額は上昇し、国内経済は「インフレ」経済へと突入することになるのです。
濱口内閣が選んだのは・・・。
ご想像通り、「1」。旧平価=戦前の価値で金輸出を解禁したのです。
もちろん、何の策略もなく、ただ無節操に解禁したわけではありません。
井上準之助の取った財政政策。
1.前内閣が定めた昭和4年度当初予算の5%にあたる9,000万円のカット(16億8千万円)を行って続いて昭和5年度予算も緊縮型予算(16億1千万円)とした。(Wikiより)
どっかで聞いたような話ですね。前内閣の予算をすべてストップし、財政支出をカット。さらに翌年の予算も緊縮型予算を・・・。
まあ、どっかの
民主党とかいう政党は、緊縮予算を組むと言いながら、その翌年も根拠のない豊満財政予算を組んだのですが。
2.公務員給与の1割カットを提唱した(ただし、実行されず)。(Wikiより)
いゃーん。
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口だけ、ってところがどっかの
民主党とかいう政権にそっくり~。
3.津島寿一を再度アメリカ・イギリスに派遣してアメリカ・イギリスの銀行からの1億円相当のクレジットの約束を取り付け、更に日本銀行には公定歩合の引き上げを、
横浜正金銀行には円為替への介入と外貨集積を指示した。
この辺りは・・・どっかの
民主党とかいう政権にはまねのできない芸当ですね。
どちらかというと、彷彿とさせるのは「橋本龍太郎」。前記しましたね。『日本が体験した「バブル崩壊」のデジャブを見ているよう』だと。
そして、『これによって保有外貨が3億ドルに増加し、また為替相場が48ドルまで戻ったのを見た濱口内閣は11月21日に来年(1930年)1月11日をもって旧平価による
金解禁を実施することを発表した。』(Wikiより)のです。
また、Wikiにはこうも書かれていますね。
『濱口や井上は、金解禁や財政再建とともに重要視していたのは、産業の構造改革であった。
明治以来の政府(官僚・軍部)と政商・財閥のもたれ合いの上に発達を遂げた日本の産業の国際競争力は決して強いものとは言えなかった。
特に第1次世界大戦後の不況の長期化はこうした日本経済の悪い体質にあると考えた濱口や井上は金解禁によるデフレと財政緊縮によって一時的に経済が悪化しても問題
企業の整理と経営合理化による国際競争力の向上と金本位制が持つ通貨価値と為替相場の安定機能や国際収支の均衡機能によって景気は確実に回復するはずであると考え
たのである。』
井上が金輸出を解禁したのは「1930年1月11日」。そう。「世界恐慌」発生の直後だったのです。
まるで東西冷戦構造が崩壊し、国内の資金が流れだそうとしているそのさなかに不動産融資の「総量規制」を行い、バブル崩壊へのトリガーを引いた橋本龍太郎大蔵大臣を
彷彿とさせるのです。
さて。ずいぶん記事も長くなりました。この続きは、いよいよ次回記事、「リフレーション政策」へと託すこととしましょう。
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