うん。「時事問題」としてもよかったんですが、カテゴリーは「のんきの日記」としてみます。
「総論」と「各論」。この言葉に、のんきが最初に出会ったのは、大学の時。のんきは曲がりなりにも法学部に所属していました。この言葉は法律用語として習った記憶があります。
ネットで調べると、
「総論」・・・内容を全体的にとらえて述べたもの。また、その文章。
「各論」・・・全体をいくつかの項目・部門に分け、その一つ一つについての意見・論議。
と記されてあります。「『総論』には賛成できるけど、『各論』としてはちょっとなぁ~~~」のような。
もっとも巨大な「総論」は、「一般相対性理論」。もっとも小さな各論は「量子力学」もしくは「素粒子物理学」の世界でしょうか。
ちなみに、のんきは→こちらの記事でそんなお話をたくさんしていたりします。
原子よりも小さな世界での物質の振る舞いのことを「量子」っていうんですけど、量子の世界での振る舞いは、計算式上でも、一般相対性理論と全く相いれない世界です。
我々が生きている、同じ世界での出来事なのに、量子物理学の世界(ミクロの世界)で起きていることを、そっくりそのまま我々が普通に生きている世界(マクロの世界)に当てはめようとすると、ものすごい矛盾が起きてきます。
「強い力(核力)」「電磁力」「弱い力」「重力」。この4つの力を同じ計算式の中であらわすことが難しくて、結びつく力が強くなればなるほど、その力が働く距離はものすごく限定されます。
イメージでいうと、強い力の影響が薄くなれば電磁力が、電磁力の影響が薄くなれば弱い力が、弱い力の影響が薄くなれば重力が、初めてその影響力を及ぼすことが可能になる・・・と、そんなイメージでしょうか。
実は、経済のことや政治のことを勉強していると、この物理学の世界ととてもよく似ているな、と感じることが本当によくあります。
「マクロ経済学」や「ミクロ経済学」なんて言葉をよく耳にしますが、「ミクロ経済学」はやはりイレギュラーを埋め合わせるための経済学で、ミクロの世界で考えている上においては適切で的を得た学問だと思うのですが、たとえば刑法の分野を商法に適用しようとしても、全く適用できるわけがないことと同じように、ある特定のミクロの分野を他のミクロの分野に適合させようとしても全くうまくいきません。
ミクロ経済学の考え方は、マクロ経済学では通用しないのです。
政治や行政についての問題も同じ。まるで鳥が空から全体を見渡すような「鳥視的」な視点がとても大切で、まずは全体のイメージ図を作ることから始めることが大切だと思います。
物理学ではミクロからマクロ世界へのアプローチですが、経済や政治の世界ではマクロ側からミクロ側へのアプローチが大切、ってことでしょうか。
「ミクロ」=「各論」、「マクロ」=「総論」のことです。
各論ばかりを主張すると、総論に対して整合性が取れなくなり、どこかでむりが言って、何かを犠牲にしなくては目的を達成できなくなってしまいます。
・・・たとえに使うのはちょっと適切ではないのかもしれません。
いじめ「先生は知っていた」 大津・中2自殺
さて。このニュースの見方・・・。
教師がいじめを知っていながら、止めようとしなかった。一緒に見て笑っていた。そんなことばかりがニュースでは話題になっていますね。
のんき、それはそれで確かに問題だと思います。
だけど、本当の問題は、
「なぜ教師たちは見て見ぬふりをしていたのか」
ということではないでしょうか。
ニュースを見た人たちはこう思っているはずです。
「いじめの事実を知っていながら、見殺しにするなんて、なんてひどい教師たちなんだ」
と。だけど、この事件がのんきたち国民に与えている命題は、本当にそんなところにあるのでしょうか。
もっと大切なことがこの問題の根底には隠されているように思えてなりません。
国民がそれに気付けない限り、このような事件がなくなる時は、永遠に訪れないように思います。

日本の未来は明るい!!
は日本を明るくする!!










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ネットで調べると、
「総論」・・・内容を全体的にとらえて述べたもの。また、その文章。
「各論」・・・全体をいくつかの項目・部門に分け、その一つ一つについての意見・論議。
と記されてあります。「『総論』には賛成できるけど、『各論』としてはちょっとなぁ~~~」のような。
もっとも巨大な「総論」は、「一般相対性理論」。もっとも小さな各論は「量子力学」もしくは「素粒子物理学」の世界でしょうか。

ちなみに、のんきは→こちらの記事でそんなお話をたくさんしていたりします。

原子よりも小さな世界での物質の振る舞いのことを「量子」っていうんですけど、量子の世界での振る舞いは、計算式上でも、一般相対性理論と全く相いれない世界です。
我々が生きている、同じ世界での出来事なのに、量子物理学の世界(ミクロの世界)で起きていることを、そっくりそのまま我々が普通に生きている世界(マクロの世界)に当てはめようとすると、ものすごい矛盾が起きてきます。
「強い力(核力)」「電磁力」「弱い力」「重力」。この4つの力を同じ計算式の中であらわすことが難しくて、結びつく力が強くなればなるほど、その力が働く距離はものすごく限定されます。
イメージでいうと、強い力の影響が薄くなれば電磁力が、電磁力の影響が薄くなれば弱い力が、弱い力の影響が薄くなれば重力が、初めてその影響力を及ぼすことが可能になる・・・と、そんなイメージでしょうか。
実は、経済のことや政治のことを勉強していると、この物理学の世界ととてもよく似ているな、と感じることが本当によくあります。
「マクロ経済学」や「ミクロ経済学」なんて言葉をよく耳にしますが、「ミクロ経済学」はやはりイレギュラーを埋め合わせるための経済学で、ミクロの世界で考えている上においては適切で的を得た学問だと思うのですが、たとえば刑法の分野を商法に適用しようとしても、全く適用できるわけがないことと同じように、ある特定のミクロの分野を他のミクロの分野に適合させようとしても全くうまくいきません。
ミクロ経済学の考え方は、マクロ経済学では通用しないのです。
政治や行政についての問題も同じ。まるで鳥が空から全体を見渡すような「鳥視的」な視点がとても大切で、まずは全体のイメージ図を作ることから始めることが大切だと思います。
物理学ではミクロからマクロ世界へのアプローチですが、経済や政治の世界ではマクロ側からミクロ側へのアプローチが大切、ってことでしょうか。
「ミクロ」=「各論」、「マクロ」=「総論」のことです。
各論ばかりを主張すると、総論に対して整合性が取れなくなり、どこかでむりが言って、何かを犠牲にしなくては目的を達成できなくなってしまいます。
・・・たとえに使うのはちょっと適切ではないのかもしれません。
いじめ「先生は知っていた」 大津・中2自殺
さて。このニュースの見方・・・。
教師がいじめを知っていながら、止めようとしなかった。一緒に見て笑っていた。そんなことばかりがニュースでは話題になっていますね。
のんき、それはそれで確かに問題だと思います。
だけど、本当の問題は、
「なぜ教師たちは見て見ぬふりをしていたのか」
ということではないでしょうか。
ニュースを見た人たちはこう思っているはずです。
「いじめの事実を知っていながら、見殺しにするなんて、なんてひどい教師たちなんだ」
と。だけど、この事件がのんきたち国民に与えている命題は、本当にそんなところにあるのでしょうか。
もっと大切なことがこの問題の根底には隠されているように思えてなりません。
国民がそれに気付けない限り、このような事件がなくなる時は、永遠に訪れないように思います。

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