ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK番外編その3

2016-02-12 10:47:00 | 日記
1978年4月28日の放送も甲斐さん初のソロアルバム「翼あるもの」の特集で
B面の曲を順番に流しつつ、エピソードを語られたみたいですが

前回「サルビアの花」やジャックス、早川義夫さんについて
ずっと抱えておられた思いを話されて、スッキリなさったのか?
それとも(同日に2本録りで?)あえて意識されたのか?
「軽い感じでやりましょう」とおっしゃってたそうだ

「ユエの流れ」は、甲斐さんが高校生?の頃
「通りすがりに聞いた曲」らしいんだけど
何百曲もの候補の中で、最後まで残ったくらい
インパクトがあったというか、印象深かったんでしょうね?

この曲は「フォーク・クルセイダーズ」が
コンサートでよく歌われていたようですが
オリジナルは、マリオ清藤さんで
ベトナム歌謡をモチーフになさった曲なんだとか…
ちなみに…奥さんは、この曲もビルボード・ツアーの候補に挙げてます(笑)

「あばずれセブンティーン」は
浜田省吾さんとご一緒に飲んでいらした時に
浜田さんが歌われたのを「一発で気に入って」
「レコーディングしないなら俺にくれと言って貰った曲(笑)」

「愛した男はいたよ 憎んだ男の数だけいたよ」という
歌詞にシビレたと話されていたらしいんだけど
我が家にあるカセットテープには、
この曲名の横に「浅川マキ」という書き込みが…?

奥さんによると、浅川さんの曲の歌詞にも
甲斐さんのお好きなフレーズがあったみたいで
今にして思えば、あれはブギ繋がりで
「あたしのブギウギ」だったんじゃないか?と…(笑)

確かに、甲斐さんが上京後、
初めてご覧になったコンサートが浅川さんのコンサートだったとか

デビュー前に、レコード会社を東芝EMIに決められた理由として
「ジャンルを問わず幅広いアーティストを擁しているから」とお答えになる際に
必ずと言っていいほど、浅川さんのお名前を挙げられてたとか
甲斐さんが浅川さんのファンでいらしたのは間違いないと思われますが…(笑)

ともあれ、ご存知ザ・ピーナッツの名曲「恋のバカンス」を
「どうしてもマイナーなレゲエでやってみたかった」と甲斐さん

小学生の頃、お兄様方と新聞配達をなさった後
団地の出口にあった八百屋さんから
美味しそうな味噌汁の匂いとラジオの音が漂って来たそうで

そんな時にピーナッツの「ふりむかないで」や
槙みちるさんの「若いってすばらしい」を聴かれると
「一時、スーッと空腹を忘れるのだ
歌って素晴らしいなあと思ったものだ」とおっしゃってるんだけど

幼い子供が空腹を忘れるって、音楽の力がスゴイのか?
甲斐少年の感受性が豊かだったのか?
少なくともボクにはそんな経験はアリマセン(苦笑)

「マドモアゼル・ブルース」は「日本最高のポップスで
ハードボイルドタッチの歌詞がたまらなく好きだった
アレンジしたらどれほど変わるのか
この曲で示したつもり」と
ご自身でも手応えを感じておられたご様子♪

GS時代、超ヒットメーカーでいらした
橋本淳さん、筒美京平さんにも是非聴いて頂きたいですねぇ

ただ、奥さんによると…
甲斐さんはご自身で話されてる通り、本当にGSがお好きで
今も当時買えなかったレコードがリマスタリングされると
つい買い込んでしまわれるそうですが

デビュー当時、ある音楽評論に
「甲斐バンドはGSに劣る」と書かれた際
確かにGSは、歌謡曲とは違う場所を切り開いたけど
基本的に自分達でオリジナルを作ってない
ブームが去ったら、生き残ることが出来なかった…と話され

俺は自分の言葉で、自分の曲で
生身の自分をさらけ出した歌を歌いたい
それを100人が聴いたら、100通りの受けとめ方があっていいと思ってる

今の甲斐バンドは、女の子のファンが多いんだけど
女の子だけのために曲を作るようになったら、そのバンドはおしまいだよね
そういう難しい状況にいる訳です…とおっしゃってたみたいで

「女子供だけのバンド」じゃないことを証明したいという佐藤剛さんと
「誘惑」に向け、動き始めておられたのかも知れません

それはさておき…「薔薇色の人生」は
このアルバム唯一のオリジナル曲ですが
「裏切りの街角」のB面や「絵日記」のエンディングに収録されている
甲斐バンドとしての曲とはバージョンが違ってます

アルバムには収録されてませんが
シングル「グッドナイト・ベイビー」のB面になった「卒業」は
作詞・能吉利人さん、作曲・長谷川きよしさんという名コンビの作品で

甲斐さんは「この曲の歌詞がいい」と選曲なさったみたいだけど
「ボインの女の子」のインパクトが強過ぎて(笑)
ナカナカじっくり味わえません(苦笑)

ちなみに…能吉さんは「黒の舟唄」の作詞も手掛けておられ
前回のセイヤングで、野坂昭如さんの曲を流される際にも
「バージン・ブルース」は違うけど、能吉さんの詞がお好きだと話されてましたよね

それはさておき…ナッシュビルで
ミュージシャンやスタッフを手配され
かなりのハードスケジュールでアルバムを作らなければならず
「遊ぶヒマがなかった」と甲斐さん(笑)

観光会社にお勤めだった頃、添乗員として
「旗を持って、おばあちゃんの団体を日光まで案内した(笑)」
でも、やっぱり「旅行」は仕事じゃなく
遊びで行く方がいいとおっしゃってたそうだ(笑)

ちなみに、この渡米の際には
取材で?富澤一誠さんと吉見祐子さんが同行なさっていたらしく

富澤さんは「ネコも杓子も海外録音」という記事を書かれているんだけど
海外のレコーディング技術のノウハウを学びに行っていたはずが
「海外録音」を宣伝文句にするためにというのは本末転倒だと富澤さん

あっ、でも安心してください(笑)
甲斐さんの場合は、日本のスタジオ・ミュージシャンの数が少なく
どのミュージシャンの曲も同じ音になってしまうことを避けるため
必要に迫られてのことだとおっしゃってます(笑)

でも、甲斐さんによると…
富澤さんと現地のお寿司屋さんで食事をなさっていた時
富澤さんが「タコ」や「マグロ」など注文された寿司ネタを見るたびに

「女性の秘部を連想する」といった話ばかりされるので(汗)
「恐怖だった」とおっしゃったんだとか…(苦笑)

当時、自称「純情可憐な乙女(笑)」だった奥さんは
今の言葉で言えば正に「ドン引き」したようです(笑)


















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