福岡公演2日目の「聖地巡り」は、甲斐さんのご実家と「学歴(笑)」を辿ったあと
御用達のもつ鍋屋さんでランチ…というコース(笑)
甲斐友さんから「聖地巡り」のアテンドを頼まれた当初は、2日目の1stステージの開演時間を鑑み
福岡2DAYSが終了した翌日に、もつ鍋ランチを予定していたものの
その月曜日は定休日ということで「大橋界隈」散策を3日目にスライドすることにしたところ
アテンドのサポートをお願いしていた福岡の甲斐友さんが、車を出してくれることになり
ボリュームたっぷりな欲張りツアーが実現♪(笑)
当日の朝、福岡の甲斐友さんは、奥さん達それぞれのホテルへ迎えに行くと言ってくれたそうだけど
以前にご紹介した通り、甲斐さんのアマチュア時代の曲「昔話」の歌詞に因み、西鉄電車で大橋駅へ向かうことに…(笑)
歌詞を逆向きに辿るための乗車なので(笑)当然、急行ではなく普通電車を選択
下車すると、待ち合わせの場所に向かい、無事5年ぶりの再会を果たして、まずは「ヘアサロン甲斐」へ…
そのあとは、三宅中学に行き、正門前で写真を撮りながら
「ここに、イチローさんや小林よしのりさんも通ってたんだなあ」としみじみ(笑)
三宅小学校では、徳永英明さんが後輩でいらっしゃることよりも
かつての雑誌の取材で、甲斐さんが「小学校の門の前でタバコを吸いたい」と申し出られたという
その写真が頭の中に思い浮かび、今更ながら「ナンでタバコ?(笑)」とクスクス(笑)
甲斐さんが通われた福岡商業高校は、数年前に「福翔高校」に変わっているので
ずいぶんと様子が違っているだろうと思いきや、甲斐さんがよく話されていた
春には満開の桜が両脇を彩る校門までの坂道は、以前と全く変わっておらず…って
もちろん、坂道の入口の傍らに掲げられた「校名」や、バス停の名称は変更になっていたようですが…
ただ、地下鉄&徒歩や西鉄バス利用だと、片道1時間くらいかかるという
もつ鍋屋さんに到着したのは、予約した開店時間の約1時間前だったらしいんだけど(苦笑)
福岡の甲斐友さんが参加するのは、この2日目の1stステージのみなので
奥さんは、甲斐さんが「この日はリハなしだな(笑)」とおっしゃっていた(笑)
3時開演のステージに、万が一にも遅れるようなことがあっては「申し訳なさ過ぎる~!」との思いから
早め早めのスケジュールで、時間に余裕が出来たことにホッとしていたんだとか…
車内で時間つぶしをする間、奥さんが持参したお土産と共に
ビルボードライブVIP特典グッズのカトラリーセットを差し出すと
「えっ!?くれるの?」と思いの外、喜んでくれたそうで(笑)
「ナンなら我が家に眠っているグッズも送ろうかと思った」と、他の甲斐友さん達にLINEしたら
「ランタン、4つまでなら、いつでも協力します」との返信が…(笑)
やがて、開店時間になり、久しぶりに訪れたもつ鍋屋さんは
かつて、開店前から、大行列が出来ていた駐車場の入口に、他の車は見当たらず
店内も座敷スペースがなくなり、全てテーブル席に変わっていたりと
おそらく?コロナ禍を挟んだ5年の間に、ずいぶん様変わりしていたみたいで
「甲斐さんも、最近は、打ち上げで使っているもつ鍋屋さんに行ってるのかも…?」
…などと思っていた時、福岡の甲斐友さんは「もつが苦手」ということが判明(苦笑)
更に…実は長崎出身で、長岡さんと同じく、大学入学時から福岡に住んでいる…とか
山笠の「飾り山」「見せ山」「追い山」の違いをハッキリと認識したのは、つい1週間前(笑)…って
「大学からでも、もうン十年、福岡県民なのに、1週間前って!?(笑)」と奥さん大笑い(笑)
でも「山笠があるけん博多ったい!」という、ご当地CMがあったし
甲斐さんが「『博多出身』と言っていいのは、山笠担いだことがあるヤツだけだから!」と
事あるごとにおっしゃっていたし、山笠は、ホントに限られた区域でのお祭りなのかなあと…?
その限られた区域の皆さんは「今年は○○役を務めることとなり、身の引き締まる思いです」などと年賀状にお書きになったり(笑)
甲斐さんがラジオ番組で話されていたように、7月開催の山笠の準備のために
1月から月に2回「寄り合い」という名の飲み会を催されてるんですよね?(笑)
ともあれ…お腹も気持ちも満たされて会場へ到着♪…ここから、前回の記事の続きになりますが…
福岡公演初日は、2曲歌い終えられたあとに「拍手が重い」と甲斐さん(苦笑)
初日2ndでは、観客からの「頑張れ!」の声に「うるさいよ!さっきから…
頑張りますから!…っていうか、頑張ってるじゃん!俺たち…すごい複雑なことやってるんで…」
…と、おっしゃったそうで、木村さん大爆笑(笑)
2日目の1stステージ…つまり、もつ鍋ランチ後の奥さんが「神席」にいた回には
「日曜日らしい雰囲気(笑)」とおっしゃいつつも
「昨日は、拍手が重かったけど、今日は大丈夫そうだね?(笑)」と
鈴木さんに声をかけていらしたみたいだけど
奥さんは、心の中で「あんまりプレッシャーかけないで欲しいなあ…」と口答え(笑)
イヤ、これは、前方の良席に着いたら、演者の方々に気持ちよく演奏して頂くために
拍手や手拍子で、他の観客の皆さんを先導してノセなければ…といった使命感にとらわれるみたいで
…って、実際に甲斐さんが「この席のヤツの務めだから」と話されたことがあったというし
そもそも、奥さんにとっての「良いライブ」は、席の良し悪しに関わらず
会場全体が熱気に包まれる中で、演者の皆さんが楽しそうにプレイなさっていて
ナンなら「これが人生最後のライブになってもいい」と思えるくらい
日常のあれこれを全て忘れて「没入できるライブ」らしいので…(笑)
それはさておき…ビルボードシリーズが10年目を迎えることが出来たのは
「皆さまのご愛顧の賜物(笑)」というMCのあと
「福岡でやりたいとずっと思ってたんですが
このシリーズを始める1年前に、ビルボード福岡がなくなって…まっ、潰れたんですけど…(笑)
それから、あれこれ探してたんだけど、小屋がなくて…やっとね、良い小屋が見つかって…
ホントに良い小屋が見つかって、福岡でやれることになりました!」と甲斐さん
奥さんは「良い小屋」を2回繰り返されたのは「来年以降もよろしく!」という
イベンターやホール側の関係者の皆さんへのアピールなのかな?とクスクス(笑)
でも、これまでのビルボードライブのMCからも
甲斐さんが福岡公演を楽しみになさっていることが窺えていたし
「一番、チケットの売れ行きが良かった」福岡のステージに実際に立たれて
いつも以上に、気持ちが弾んでいらっしゃるように、お見受けしたんだとか…(笑)
ともあれ…「最後まで目いっぱいやるんで、楽しんでって欲しい。やるよ!」で始まった「虜」
激熱の大阪公演から1週空いたあと、しかも初の福岡公演ということで
「ちょっとヤラカシちゃうかも?(笑)」という奥さんの心配(失礼!)をよそに
甲斐さんの歌詞間違いや「些細なミス」はなく…
って、若干、マイクがハウリングを起こしたり、甲斐さんがイヤモニを気にする仕草を見せられたり
ステージ上手側のPAの方をご覧になって、合図なさったり…といったことはあったみたいですが
福岡4ステージでは「やり直し」等の大きなハプニングは起こらなかったらしく
ツアーファイナルに向けて、仕上がって来た感が高まっていたようです♪
そして、当初は「福岡公演スペシャル」として用意されていたという「赤い靴のバレリーナ」
初日には、甲斐さんが、三好さんからアコギを手渡された際に、少し齟齬があったのか?
「三好、大丈夫!ストラップくらい自分で掛けれる(笑)」とおっしゃったそうで
奥さんは「イヤイヤ!そういうフツーのことが下手くそな人だから(失礼!)
三好さんが気を遣ってくれてるんでしょ?(笑)」とツッコミ(笑)
これまでのMCでも話されていたように、この曲を選ばれたのは
「福岡(公演初開催)に因んで」のことと明かされたものの、演奏後の拍手…
その反応の薄さ(苦笑)に「それくらいのもん?『福岡に因んで』って言いましたよね?」と甲斐さん
もちろん、その直後「これでもか」ってくらいの拍手が…(笑)
ちなみに…福岡の甲斐友さんに教えて貰った「信頼できる筋(笑)」からの情報によると
「福岡スペシャル」として用意なさっていた「赤い靴のバレリーナ」をセトリに加えられた際
「福岡スペシャル」には「吟遊詩人の唄」をお選びになったみたいで
福岡公演のセトリでは、アンコールの2曲目に据えられていたそうだけど
横浜公演のMCで…「最初は(『赤い靴のバレリーナ』を)福岡でだけやるつもりだったんだけど
もったいないんで(レギュラーにした)…
だから『吟遊詩人の唄』は、もうやらなくていいよね?(笑)
今回のセトリ、バッチリなんで…それ目当てで福岡に来ないように!(笑)」…と明かされた通り
福岡公演4ステージも、これまでのセトリと同じだったんだとか…
2日目には「初めて福岡で(ビルボードライブを)やるということで
何か福岡に因んだ曲でも…と考えて、まっ、同じ福岡出身の松田聖子…嬢…
『嬢』って年でもない…俺も人のこと言えないけど(笑)松田聖子に書いたナンバーをやりましょう」や
演奏後の「『♪前髪1ミリ切り過ぎた午後♪』…って、聖子の1ミリですから…(笑)
『三笘の1ミリ』っていうのも…スミマセン(笑)
『前髪クネ男』も…(笑)『あまちゃん』ね?(笑)」も復活した模様(笑)
更に…「博多に帰って来ると、子供の頃に通った神社とか、うどん屋とか屋台とか
全部に顔出して回らなきゃいけないような気になる(笑)」とか
「前乗りして『櫛田神社』『かろのうろん』『万十屋』に行ったんですけど、マーキングか!?(笑)」
…と話されたらしく、それら全てを訪れ…って
特に「もう甲斐さんは来店してないのかも?」と思っていた「万十屋」さん帰りの奥さんが
心の中でガッツポーズを取ったことは間違いないんじゃないかと…?(笑)
まあ、甲斐さんは、とても義理堅い方で「受けた恩は忘れない」と
かつて、アマチュア時代にお世話になった岸川さんを始め
当時、通われていた屋台にも必ず帰省の報告に訪れていらしたそうですし
打ち上げは、別のもつ鍋屋さんでなさるにしても
「万十屋」さんに、顔をお出しになったことは、全く不思議ではありませんよね?