新しいシリーズに手をつけたトコなのに、筆が遅々として進まず(…文豪か!?(笑))
もう新春初のセイヤングのオンエアーがあり…
と焦るばかりですが、取り急ぎの第2弾です(汗)
まずは去年、甲斐さんの記事が掲載された「週刊現代」が
お目当ての記事だけ切り抜いて放置してあったので、年末に処分しようとパラパラとめくったら
「あの日を旅するサウダージ」の第469回が「1975年9月12日~9月20日」の回で
「あのヒット作、あの感動」の「音楽」編に「この週のベスト10」が載っていて
1位は、ジュリーの「時の過ぎゆくままに」で
「先の見えない不安定な時代に響く、鋭くどこか危ういジュリーの歌声」とのキャプションに続き
「歌声とギターの音色が絡みあい、70年代の沈んだ雰囲気を醸し出している名曲
沢田研二主演のドラマ『悪魔のようなあいつ』の主題歌で
沢田が演じた余命わずかな歌手のイメージとも重なった」と書かれてます
2位以下には「ロマンス」「想い出まくら」「北へ帰ろう」「いちご白書をもう一度」
「天使のくちびる」「至上の愛」「面影」「お前に惚れた」といった
歌手名を出さなくても、自然にメロディーが思い浮かぶような名曲がズラリ…
そして、10位には、甲斐バンドの「裏切りの街角」がランクインしていて
甲斐さんがおっしゃっていた通り「ライバルは阿久悠みたいな感じ(笑)」ですよね?(笑)
「本」の1位は、司馬遼太郎の「播磨灘物語」
…って、黒田官兵衛の生涯を描いた超大作は、この年だったんだ!?…と思えば
3位が「欽ドン いってみよう やってみよう」
5位に、北公次さんの「256ページの絶叫」が入っていて、振り幅広くね?(笑)
「映画」は「トラック野郎 御意見無用」だし
「あのテレビ、あの場面」では、当時「教育テレビ局の顔を持つ東京12チャンネル」
…現在のテレビ東京の、山城新伍さん司会のお色気番組「独占!男の時間」が取り上げられ
山城さんが女性の胸を鷲掴みになさったり、おっぱいを揉まれたり
あき竹城さんがストリップを披露なさったりで
深夜のオンエアーにも関わらず、視聴率は10%超え(笑)
さすがに「ポルノ番組追放運動のヤリ玉に挙げられ、あえなく打ち切り」になったものの
「この路線は『独占!おとなの時間』へと引き継がれ
東京12チャンネルは、お色気路線を曲げることはなかった
こうした時代を経て今やテレビ東京は低予算で良質な番組を創り上げる『企画力』を身につけ
ドラマやバラエティーでも優れた番組を生み出す放送局となった」…と記されていて
「ここぞ!」という時にブレない姿勢は、当時から変わらないんだなあと…(笑)
それはさておき…前回の記事でご紹介した「フェンダーの調査」と同じ冊子には
海外のロックレジェンドたちの写真とその名言(迷言?)が掲載されていて
例えば、ジミ・ヘンドリックスは「音楽を政治と結びつけるなんて時代遅れだ
政治には嘘がつきものだが音楽は違う」と語り
セックス・ピストルズのジョニー・ロットンは
「イギリスは…紅茶だけは美味い」と意味深な言葉を発してます
そして、若き日のミック・ジャガーの写真の下には
「世の中はロックによって革命が起こるほど単純ではない」との言葉が記されていて
「音楽で世の中を変えられるとは思っていないだけど変わるヤツはいると思っている。自分がそうだったから」とか
「音楽で何かを作り替えることはできない
でも価値観っていうのを吹き飛ばすことはできる」という甲斐さんの言葉を思い浮かべていたら
でも価値観っていうのを吹き飛ばすことはできる」という甲斐さんの言葉を思い浮かべていたら
その隣に載っていたスティングへのインタビュー記事の中に…「一晩で世界は変わらない
でも、将来に実を結ぶかも知れない種はまける
若い聴衆を前に私が関心を寄せる問題について歌うことは出来る」…という発言を見つけて
長い間、音楽で何かを伝えようとなさって来た方々の思いは同じなんだなあと…
更に、スティングは「中には将来、政治家や社会のリーダーになる人がいて
歌のアイデアが彼らのプラスになるかも知れない」と話し
東西冷戦時代に発表した「Russians(ロシア人たち)」が
「ウクライナの戦争以来、悲しいことに、この歌詞は再び大きな意味を持つようになった」と
甲斐さんが去年のツアーで「カオス」や「レッドスター」を歌われたことに通じる
感慨を洩らしていて、普遍的な曲が持つ重みみたいなものを感じさせられました
ちなみに…スティングは「私は音楽の歴史家ではない。私は私の音楽を作っているだけ
だから、どんな動きがあるのか?よく判らない
自分がロックンロールの歌手なのか、ただのミュージシャンなのかさえ判らない
ただ、私は音楽が好きなんだ」と言いつつ、ストリーミングの普及に関しては…
「アーティストとして、自分の曲がどう受け入れられているか?どの曲が人気があるか?
どこに住んでいる人が聴いていて、性別、年齢まで判る。このようなデータはとても興味深い
新しいツアーでは、人々が私のどの曲を聴きたいか?という調査に基づいて選曲した
ストリーミングは誰もがあらゆる音楽の歴史を手に入れられる。それは良いことだ
問題は、ミュージシャンに適切な報酬が支払われていないこと
若いアーティストにとっては、とても厳しい状況だ。彼らにはもっとサポートが必要だ」
…とも語っていて、やはり現役で活動しているからこその現状把握の仕方なんじゃないかと…?
そのストリーミングが普及したおかげで、早々にスキップされないように
イントロが短く、キャッチーなメロディーの曲が増えたという話がありましたけど
作編曲家・ギタリストの塩塚博さんは、電車の発車や接近を知らせる
いわゆる「駅メロ」をお作りになる際に「心がけたのは、10秒ほどの長さでも
音楽作品として起承転結やストーリーを持ち、完結すること。これは職業作曲家の矜持です
『爽やかなメロディー』が特徴と言われますが
曲の途中で転調するなど、一種の『緊張感』を持った作品が多いのも特徴です
また、何回も聞くことになるので、飽きが来ないように、キンキンと耳に障る音ではなく
ハープやピアノの奥行きのあるサウンドを選んでいます
同時に鳴る音の数も少なくし、最大でも4音までとシンプルさを意識しました」と明かされていて
音楽というのは、ニーズに応える形で変化して行くものなんだと改めて実感した次第です
ピアノと言えば…先日、甲斐さんが推していらした「街角ピアノ・神戸編」の再放送があり
「ナンで、こんな時間に…?」と思ったら
登場なさった皆さんのエピソードに、阪神淡路大震災にまつわるものが多く「ああ…」と納得
京都生まれの女性は、内定していた神戸の会社が被災したのをお知りになり
「就職するのはとても無理だろう」と諦めかけておられたところへ
当の会社から「予定通り来て下さい」と連絡があったそうで
今では、生まれ育った京都よりも長く、神戸にお住まいになっているとか
中学の音楽教師をなさっている男性は、被災された当時(子供の頃)にお聴きになった曲を
「生徒たちに歌って貰いたい」と登校前に練習なさっている…といった話に
我が家もまた、当時の記憶を新たにして、1月17日を迎えたんですが
昨年12月、コロナ禍で3年間中止になっていた「ルミナリエ」の代替イベントが開催され
「次回ルミナリエ開催へのステップ」との意図が滲み出ていて「ナンだかなあ…」と…(苦笑)
イヤ、本来の「鎮魂」の意を前面に押し出したものなら大歓迎なんだけど
相変わらず、プレクリスマス気分の「冬の風物詩」なら「意味ある?」って感じなので…
まあ、奥さんは、この代替えイベントに関して
「ルミナリエ」の時期みたいに、大型観光バスが軒並みやって来ることも
車両通行規制や警察による歩行者への迂回路誘導などもなく
いつも通りの道順で駅まで向かい、駅のホームでもいつもの場所から乗車できたことで
「これくらいならいいんじゃない?」と申しておりました(苦笑)
そうそう!年末に、甲斐友さんのお宅近辺で停電があったそうで
冷蔵庫の中の食材を気にしながらも「夜だったら『ランタン』の出番があったのに…」と
甲斐さんのソロツアーのVIP特典に触れたLINEが来たらしく(笑)
それで奥さんが思い出したのが「ルミナリエ」と同様に、震災後から始まった
神戸・南京町のイベント「ランターンフェア」
もっとも、こちらの「ランターン」は、中国風ちょうちんで
中国では「祝い事や祭の際に飾る」ものみたいなんですが
この南京町の皆さんは、ご自身も被災なさったにも関わらず
震災直後から、商品を無償で配られたり、炊き出しをなさったりと復興に尽力されていて
このイベントも「町中に柔らかなオレンジの光が灯る雰囲気を楽しんで欲しい」との思いで
毎年続けていらっしゃるんだとか…
…と「ちょっとイイ話」になったトコで(笑)
以前に甲斐さんが絶賛なさっていた「鴨川ホルモー」の原作者・万城目学さんの寄稿文です
「ちょうど、10年前のこと。ある俳優の方が
『俳優は狭い世界でばかり付き合う。もっと視野を広げろ!色んな職業の人と触れ合え』
というコンセプトのもと飲み会を開いた
そこに場違いながらも参加したのは『小説家』という職業代表で来て欲しいと人づてに誘われたからである
やんやと場は盛り上がり、日付も変わって深夜1時を超えたあたりに吉田麻也選手が現れた
『サッカー選手』枠で参加していた元代表選手が、後輩の吉田選手を呼んだのだ
吉田選手はただ先輩に呼ばれ、この場に顔を出しただけで、状況をよく理解してない様子だった
所在なげに座る彼の隣に席を移動し『明日、練習はないんですか?』と訊ねたら
『朝7時からトレーニングです』と小さな声で答えた
『いいんですか?帰らなくて…』すでに時計の針は2時を過ぎている
吉田選手は困ったように笑った。彼はこの場にいる最年少の人間だった
自分から帰るとは言えない、という人のしがらみが垣間見えた
『行きましょう』私は吉田選手の腕を掴み立ち上がった
『帰りまーす、ありがとうございました!』
ほら、ついでに出ちゃえ、と吉田選手を急き立て店をあとにした
店の外で(信号待ちの間)横を見上げると、ずいと高い影がそびえていた
でも、その表情はというと、実直な23歳の若者なのだった
大卒の会社勤めならば、入社してまだ2年目
それが試合で大きなミスをしたら、国中から罵声を浴びせられる
えげつない世界に住んでいるなと思った
タクシーを呼び止め『どうぞ』と勧めても、吉田選手は頑なに乗ろうとしなかった
『早く宿に帰らないといけないのは吉田さんでしょう』と言っても、決して譲らない
仕方ないので、先にタクシーに乗った
『おやすみなさい』暗闇で大きな影が律儀に頭を下げていた。素敵な人だなと思った
あれから10年、吉田選手は戦い続けた
今回のW杯では、ドイツを撃破した。スペインを蹴散らした。
この偉大な日本代表のキャプテンには『ありがとう』でも『お疲れ様でした』でもなく
『あの日からずっと尊敬しています』とお伝えしたい」…と綴られていて
ボクは、一気にこのちょっと気弱なトコもおありの(失礼!)吉田選手が大好きになったんだけど
奥さんは「だって、長崎県出身でしょ?
甲斐さんも『九州では、目上の人には逆らえない』って言ってたし…」と一言(苦笑)
ただ、走り出したタクシーに向かって、万城目さんがお気づきになるかどうかは関係なく
頭を下げて見送っていらしたという件には「出来た人だね」と申しておりました