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もったいない

2011-10-27 23:13:26 | おでかけ

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昨日、高麗美術館(展示は刺繍ポジャギとチョガッポ)そして寺町通りにあるギャラリー啓さんに出かけた。

ポジャギとは、日本の風呂敷のようなもので、四隅の角に紐がつけられ、ものを包んだり、覆ったりする四角い布のこと。チョガッポは端切れを縫いつなぎ、四角い布に仕上げたものでパッチワーク作品のようなもの。朝鮮時代(1392-1910)に多く創られたものが今回の展示。

ポジャギ(チョガッポ)・・・これまで、無地布で透け感のある素材(麻のようなもの)が美しくつなぎあわされているものを多く見てきたので、数年前に「ものを包む」という生活道具だと知った時、正直驚いた。一枚の布として、空間を仕切るためのもの?日よけ?のようなものだと思っていたの。昨日はっきりとわかったこと。「ポ」という文字が「褓」で、その文字は、「ポク」「福」に通じ、そして包むという意味があるということ。「褓子器」と書き「ポジャギ」と読む事を。文字通り、布であるけれど「器」なのですね。生活道具のひとつなのでした。そして素敵だなあと思っていた透け感ある麻の小さな布切れをつないだものは「チョガッポ」とよばれるものだと。特に手紡ぎ布が配されたチョガッポは、魅力的な布たちの美しい競演ぶりがそれは素晴らしいものでした。

小さな布切れを、無駄にならないよう布を最大限に活かせるように、細やかに細く細く縫われる「つなぎ目」を作り、美しく丈夫に、時に愛らしい形も配し、惜しみない労力を注ぎこんでつくり上げられたものならではのチカラ強さも見えました。

手紡ぎの麻、苧麻、大麻、人の労力をかけて作られた当時の布たち、時を経てますますの美しさです。大胆に自由な発想でつながれていたチョガッポのデザインも・・・間違いなく素晴らしいものでしたが。

チョガッポ・・・愛らしい数々の裁縫道具類、螺鈿細工の裁縫箱・・・手芸好きにはたまらない展示でした。

この日、寺町通りのギャラリー「啓」さんを訪ねたのです。日本に木綿が流通する以前、シナ、藤、紙、苧麻、大麻、と樹木の皮から作られた布が庶民の暮らしにあった時代の、現代では希少価値となってしまった布たちこそが、啓さんのコレクション(販売されています)となっているのだそうです。時代を経た木綿布も多くありましたが、高麗美術館で観たチョガッポに使われていた布と、啓さんがコレクトされている布たちの時代が近いのでは?と思いました。布を作ることが容易くなかった時代には、どんな小さな布きれもどの国の女性にも貴重なものだったのです。

啓さん。来月4日からオレゴン州ポートランドで「もったいない」「Mottainai: The Fabric of Life」生活に密着した手織物 昔の日本から学ぶ倹約の教訓 という展示をなさるそうです。

昨日、展示の図録がようやく出来上がってきたということで、記念すべき一冊目を手にさせていただくことに。日本人の暮らしに密接にあった衣文化を教わることが出来る一冊でした。布の歴史がとてもわかりやすく書かれています。写真もとても美しい。「もったいない・・・」その志で、小さなハギレさえ決して粗末に扱わず、何度も何度も姿を変え、つくり上げられた日本人の「もったいない」が活かされた道具(衣)がそこにありました。

もったい(勿体)は、もともと仏教用語で「物の本質」を指し、物質世界では、物体は孤立して存在せず、互いに本質的に繋がっているのということを「勿体」は暗示しているのだそうです。「ない」は否定を意味しますので、 それゆえ、もったいないとは、無駄にされる生物、無生物への礼儀の無さに対する悲しみの表現なのだそうです。

「もったいない」を世界に提唱くださったワンガリ・マータイさんが先月お亡くなりになりました。

「もったいない」は、どの言語にも言い代えられない言葉。そのまま「もったいない」が世界の言葉になったのでした。「Mottainai」。

もったいない いただきます ごちそうさまでした 日本の素晴らしい言葉なのです。文化なのです。心なのです。

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高いところから見送られた・・・この日の京都行き。このあとももはどこでどうしていたのでしょう・・・

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