和尚さまのメダカたち。(こちらの和尚さまがお世話なさっていると伺った)
生まれたてほやほやの糸のように小さい赤ちゃんから、
お誕生から数日は経っているかなと思えるけれど、まだまだちっちゃい子たちまで!
1つの鉢の中にいっぱい一緒に泳いでいたのだ!
親メダカと一緒に生きてる!
うちでは絶対にありえない光景。
孵ったばかりのメダカはどうにも親たちが食してしまうのか、こちらの鉢より大きい鉢の中であっても、逃げられないと思われ、これまで数年来、こんなにちっちゃい子たちが一緒に居るところは、一度も目にした事がなかった。
産卵が始まり、メダカになれるまでが、だいたい2週間。
気付き始める私は、やっぱり生まれ来てくれるなら育って欲しい。せめて、生まれてすぐに食べられないようにと、隔離の世話だけを、毎年せっせと始めてみるのだった。
いくつも並んだ水鉢はそれぞれ満面にお水が溜まっていて・・・
ひと雨来れば、うっかりしていそうな赤ちゃんメダカたち・・・流されそうに思えたのだけど・・・
そちらも、、、
雨が来ると潜り込むようですよ・・でした。
流されることはないらしいのです。
ほんまに~~~!!大丈夫か!
流されない・・・食べられない・・・
円覚寺を訪れて一番感動したことが!まさにこちらの世界!
思いがけずの素晴らしい光景を目にできた!
銀色に光りかがやく青いメダカは丸々と太り。白いメダカは家の子たちと同じく美しくいのだけど、どの子もびっくりするくらい大きくて!
環境いいのやね・・・
和尚さまが与える「餌」がいいの?
何食べてるのか聞いてみたかったけど、この日、和尚さまはおいでにならずでした。
マツモが鉢の中にぐんぐん育っていた・・・これこそが、赤ちゃんメダカたちの格好の隠れ場所になっているのかな?
兎にも角にも、こんなに佳き居場所で元気な親メダカたちは、たくさんの卵を産んで、いっぱいの赤ちゃんが上手く孵化し、餌の不自由ない親たち(多分!)から、子供たちの命は奪われていなかった。
うちのメダカたちも、和尚さまのメダカたちにあやかりたいな。
先ずは!目の前のメダカの鉢に群生している「マツモ」を帰ったら、一番に探すことにしよう!
この水草だ!笑
家の子たち・・・今頃どうしてるかなあ・・・と思い出した。
※マツモはメダカの生育には最適な水草のようです。
円覚寺の洪鐘(おおがね) 国宝 1301年国家安泰を祈願し北条貞時が寄進。鎌倉(関東地方)で最大の梵鐘。
貞時が鐘の鋳造を鋳造師に命じたところ二度の失敗。上手くゆかず貞時公が、江の島の弁天様に七日間参詣したところ、ある夜、夢の中で円覚寺の白鷺池の底を掘ってみよとのお告げを受ける。その通りにしてみると池の底より龍頭形の塊を発見。それを鋳造して、この洪鐘の鋳造が成功したのだという。
この霊験に感激された貞時公は江の島の弁天様を洪鐘のご神体として弁天堂を建立したとのこと。
円覚寺は「えんがくじ」と読む。
ちひろ美術館 練馬
タイトル おめでとう 1956年
戦時中から子どもの本の仕事を手掛けてきた茂田井武氏は、終戦後創刊された児童雑誌や絵本などにたくさんの絵を描いた。日本が混乱していた時期、印刷も紙も粗末なものが多かったが、子どもたちを喜ばせたいと、夢とユーモアのある絵を贈り続けた。 1908~1956年 1956年48歳で生涯を閉じる
新宿西口。通路行く人には、ここに在って当たり前なんだろうな・・・
みんな東京になれた東京の人たちなんだろうな・・・
この目になれた人たちがここを通ってるのだろうな・・・
こんなに渦巻いて蠢いている大きな目が、まるで目に入って来ていないかのように・・・
普通に行く手だけを見て人々が通り過ぎていってる。
日々、ここにあるから特別でもなんでもなくなって目を向けることなくが出来るのだろうな・・・
そんなもんなんだろうな・・・
ちょっと前にRちゃんにこの目の事を教えてもらって、見てみたいと思ってやってきたのだ私。
スバルビル 新宿の目と右上に書かれている。新宿駅西口。
1969年。宮下芳子さんの制作。昔から在るんだよとRちゃん。50年にならないけど50年近く在ったのだ。なるほど。
初めて知った時、新しいオブジェかと思ったけど、近くに寄れば寄るほどに・・・たしかに時代は見えた。
摩訶不思議な蠢きがやけに面白い。
行きかう人をも観察することになってしまったけど・・・
結果、ほぼ私一人。「新宿の目」をみて心がはしゃいでいたの。ほぼ私一人だけ。数分の間とはいえ。
それにしても・・・物凄い目。リアルだ。チカラ強い!ぐるぐる蠢いている!
東京タワーの真下に来たぞ~~~~~~~~~~!暑い夜!!暑い~~~~!!