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12月1日の九度山 慈尊院

2015-12-22 13:42:48 | おでかけ

 

 

 

 

 

 

高野山への参詣道のひとつに、

九度山慈尊院より丹生官省符神社から高野へと向かう道がある。

参詣道というにはあまりの距離で、高野山奥の院まで、こちらの参詣道スタート地点より24キロに及ぶ。

こちらの慈尊院、空海が高野山で必要な物資を調達するための政所としてつくられた。

(「慈尊」とは遠い未来に人々を救うために現れた弥勒菩薩でこの寺の御本尊)

又、慈尊院は空海が母親のために建立したともいわれる寺院で、女人禁制であった高野山より、

月に九度、慈尊院まで24キロに及ぶ道を80歳を過ぎた母上(余生を慈尊院で過ごされる)に逢いに訪れたことが、この地「九度山」の由来だと言う。

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高野山までの道を歩いてみたい。

この日、一緒に慈尊院を訪れた友人は二度、高野山までこの道を歩いたのでいつか連れて行ってと頼んだ。

これまで友人から話を聞いていただけだったけど、初めて九度山から高野山への参詣道に立ち、様子がわかる。

↑の卒塔婆が一本目。20キロ余の道程に一町(いっちょう、109メートル)ごとに町石(ちょういし)と呼ばれている卒塔婆石が216基ある。迷わないための心強い目印だ。

歴代天皇から一般庶民にまで踏みしめてこられた高野山への真の信仰の道だと思われる。

直ぐ近くを南海高野線が走り抜け、高野線沿線に住む私にとって高野山は、これまで、そう遠い地の印象ではないのだけれど・・・

自分の足で「この道」こそを、歩いてみたいと・・・この日、本当に強く思ったのでした。

 この日、慈尊院にて、三人目を授かったうちの娘に安産お守りを求める。

 

九度山。

真田信繁(幸村)、昌幸親子。関ヶ原の戦いで敗れ、家康の命により、その命は助けられるが高野へと流される。

当初は高野山に入ったものの、家族と共に(高野山は女人禁制)と望んだのだとか・・・

家臣があまりに多かったからだとか、諸説あり九度山の地で蟄居生活が許される。

信繁、生涯で一番長い時間を過ごしたといわれる地でもある。

昌幸は九度山で生涯を終え、信繁(幸村)は大坂冬の陣、夏の陣へは、こちらから出立、活躍後、戦死した。400年前のこと。

 

九度山の今。

わかやま~~~~~!!い・な・か~~~~~~~!!

柿の名産地~~~~~!!

のんびり空気がながれていた。

 

 


用の美

2015-12-22 13:42:48 | 手仕事

竹かご屋さんの竹かごに編みかけのセーターを・・・

綺麗だなあ・・・

なんて美しいラインなのでしょう・・・ 

美しい手仕事の道具を手に出来ました。

竹かご屋の辰巳さん作です。

辰巳さんの仕事に惚れ込んでいます。

竹バッグも・・・こそっとオーダーかけました・・・

2016年のお愉しみです・・・笑

竹ひごは2枚重ね。竹ひごを重ねることで生まれるそのしなやかこそが、編み込まれるときに強度を増し、美しい造りになるのだそうです。


鳥になれたら 太陽の塔

2015-12-19 20:53:42 | アート・文化

 

 

 

 

 


雨宿り

2015-12-17 21:08:48 | おでかけ

 

 

今年の最後のお墓参りに嵐山へ出かけてきた。のんびりとお寺に向かっていると・・・

あら?気持ちいいくらいの青空が一変・・・ぽつりぽつりと・・雨粒が・・・

え~~~今日?雨降る~~~~!?空の色が一気にどんよりグレーに・・・

足早にお寺に向かい・・・

父にお願いするだけお願いをして(苦笑)そこそこにお墓参りをすませ・・・

帰宅するその前に・・・

鹿王院にお参りしようと思いつく。

 

ぽつりぽつりの雨をうけながら・・・山門をくぐりました・・・

この景色が好き。大好き。

庫裡に続く参道を囲む木々の美しさ・・・

いつの時にも・・・いつの季節にも・・・参道に佇むやいなや身も心も・・・

日常から非日常へと誘われる・・・

縁に座って・・・しばしの雨やどり。無心には・・・なれず。

 

舎利殿には源実朝が宋の国から招来した「仏牙舎利」が安置せられて祀られている。

※仏牙舎利(ぶつげしゃり)とは・・・お釈迦様を火葬した後に残った歯の事で、仏牙舎利が 祀られているのは京都では泉涌寺、八坂神社、鹿王院の三カ所。

この仏牙舎利が博多に無事着船したのが10月15日であったことから、鹿王院では昔からその日を「舎利会」と定め「仏牙舎利」を御開帳しているとのこと。開帳しているのは鹿王院だけのようですが・・・

お釈迦様の「歯」を拝見できるとは・・・凄い事です。

「歯」は普段は見えませんが・・安置されている「多宝塔」は舎利殿で真直に見られます。

運慶作の義満像も見られます(優しそうなお顔立ちです)

運慶作のお釈迦様と十大弟子像も見られます(暗くてよく見えませんが(苦笑)目を凝らせば・・・いまにも動き出しそうな弟子たちの像を見ることが出来るのです。)

 

本堂には応永鈞命絵図(おうえいきんめいえず)が掲げられてありました。

絵地図にあったのは、足利尊氏・直義兄弟が、後醍醐天皇の鎮魂のため1339年天龍寺を創建したことにより出現した一大禅林・・・

15世紀前半に五山天龍寺と十刹の第二臨川寺・第五宝幢寺(鹿王院)の禅刹3ケ寺が核となり、約150ケ寺に及ぶ塔頭(たっちゅう)からなる嵯峨門派と呼ばれた当時の禅林の地図でした。

しかしながら1468年の応仁・文明の乱の戦火ですべて焼失、塔頭再建はほぼ実現せず衰退の道を辿ることに。当時のままの位置に現在、残るのは、天龍寺、臨川寺、鹿王院、金剛院のみとありました。鹿王院の山門は義満の筆「覚雄山」の扁額と共に600余年の星霜を経ているのだそうです。

 

庫裡前のお庭もとても愛らしい。

雨あがる・・・

先ほどまでの雨はいったいどこへ・・・・青空が再び広がりました・・・

このあと・・・寺町のボタン屋さん。「エクラン」さんへ。

街のボタン屋さんですが物凄い品ぞろえで目がくらみそうでした!笑

コレクションアイテムから実用ボタンまで・・・ずら~~~~~~り♪ドキドキなラインナップ♪

頼もしいお店が見つかりました。

チェコのボタンを一つ買う。

地下鉄東西線 京都市役所前 下車 11番出口より直ぐ。

エクラン 京都市中京区寺町二条下る榎本町98 ℡075-254-5208