キルトの時間 猫の時間 green+

☆いつもそばにももがいた☆
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本屋さんと可愛いご飯やさん  由岐神社帰りに

2011-04-28 23:58:48 | おでかけ

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ご飯屋さん(カフェです)は「つばめ」さん。恵文社直ぐ近く。

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本屋さんは恵文社 一乗寺店 叡山電鉄「一乗寺」下車 直ぐ。

叡山電鉄に乗るからには絶対外せない本屋さん。

一歩足を踏み込んだその瞬間から・・・うろうろどきどきしちゃいます。素敵な本屋さん増えてますけど・・・こちらの本のディスプレイ、本から雑貨のセレクション、ギャラリー展示、企画展と・・・もう!ぎゅぎゅ~~~っと!でも!さりげなく詰め込まれた魅力がやっぱり他とは何かが違うのです・・・格段に魅力ありなんだなあ・・

Imgp6285 書籍ゾーンのみ写真可。

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つばめさんの、この日の「ランチ」 アツアツ春巻き。箸やすめの「春キャベツと湯葉、わけぎの和えもの」がとても美味しかった。

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シュガーポットにツバメ飛ぶ!

そういえば・・・一昨日、燕が電線に止まっていた!初つばめ!じっと見上げて、つばめのお口の下が赤いことに気づく!

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いつも同じコースです。こういうところに性格表る。どの街も大抵同じ道歩いています。

同じ町に出かけたい。町がお店がいつまでもうつり変わらなくて「そこにある」ことを願いたいです。

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つばめさんで、手にした冊子に倉敷硝子の小谷真三さんの記事がありました。

確かに布切れひとつでも大好きが見つかれば気持ち穏やかに過ごせます。そうなのですね・・・穏やかにいられれば・・・優しくなれて・・・そうありたい気持ちでいっぱいになりました。なかなか難しいのですけど・・・苦笑

自分の心の内に向きあうことが大切なのですね。

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猫と蛙とクジラと金魚

2011-04-28 13:12:39 | 

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Imgp6455 歌川国芳没後150年 国芳展 大阪市立美術館で開催中。6月5日まで。(天王寺)

没後150年を記念して行われる同展。作品はイタリアで発見されて初公開される「きん魚づくし ぼんぼん」、猫のことわざを題材にした「たとゑ尽の内」(三枚組は一点ずつ所蔵されているが、完全にそろった状態で初公開)など、代表的な作品、これまで未紹介の作品、新発見の商品を含む400点超を展示。ジャンルは武者絵、役者絵、美人画、風景画、戯画、時事報道画、子ども絵と幅広い。(あべの経済新聞より)

大阪市立美術館で「没後150年 歌川国芳展」-400点超展示こちらが「きん魚づくし ぼんぼん」後期展示 

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三毛猫が怪しく微笑んでいますね~~!おいでおいで・・・なんといっても国芳は無類の猫好き!

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「おぼろ月猫の盛」

江戸末期の暮らしぶりも戯画の世界となり・・・風刺いっぱい!猫いっぱい!

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蛙も?いますか?おわしますわなあ・・・はい!ユーモアたっぷりの戯画の世界で!

あなた・・・もしかすると・・・その時代から?

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由岐神社

2011-04-19 22:53:18 | おでかけ

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大地を踏みしめ天を仰ぎ、一歩一歩。

目指すは由岐神社(実のところ・・・鞍馬の仁王門から直ぐ・・・)

途中、可憐に咲く山野草に一輪「菫」を見つけた。

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由岐神社の石段脇にもまた・・・菫(すみれ)を見つける。

一昨年、娘が赤ちゃんを授かったと聞いて直ぐに訪れた場所がこちらの由岐神社だった。

そして、この由岐神社に奉納されていたあまりにも可愛らしい狛犬さんたちが安産の守護神だと知り、こちらの愛らしい狛犬さんたちに、「娘の無事の出産をどうぞ宜しくお願い申し上げます。」とお願いしておりました。

遅ればせながら・・・この14日、ようやくの「お礼まいり」をさせて頂きました。

菫は元気に一歳になりました。

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狛犬さんのように「ほんまに愛らしい女の子」です~~!と!ちょっと(かなり?!)バババカぶりを発揮したお礼を申し上げましたのです。

この日も狛犬さんたち、やっぱり愛らしい!そして、この愛らしさが(娘に叱られるかも!)なんだか可愛い菫に似ている!私にはそう見えて、それが又嬉しく思えたのです。

いつの日か・・・よちよち歩く菫を連れて、御対面を・・・果たしたい・・・

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月のように美しく、太陽のように暖かく、大地のように力強くと祈り、全ては尊天にてましますと・・・お唱えするのが鞍馬山の信仰だそうです。

尊天とは・・・

宇宙の大霊であり、大光明、大活動体であり、私たち人間をはじめ万物を生かし共存させてくださる宇宙生命、宇宙エネルギーである。尊天を信じ、ひとりひとりが尊天の世界に近づき、尊天と合一するために自分に与えられた生命を輝かせながら、正しく生きてゆくこと。宗教にも、人権にも、国境にもこだわることなく、ひとりひとりの真のめざめと、ともに生かされている万物の調和を祈ること。縁あって、鞍馬山を訪れた方々が、尊天の活力に包まれて、すがすがしく心洗われるひと時を過ごされるよう希っているとありました。


弘川寺の桜

2011-04-16 23:42:26 | おでかけ

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花桃

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大阪府河南町 

昨年3月1日・・・白梅の美しい弘川寺を訪ねていた(うちから車を走らせることほんの20分くらい)。その時の絵がこちら!↓

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弘川寺、生命を深く見つめ花を月をこよなく愛した平安末期の大歌人、西行法師の終焉の地なのです。

祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、幼い頃に亡くなった父の後を継ぎ17歳で皇室の警護兵となる。西行は御所の名誉ある精鋭部隊「北面の武士」(一般の武士と違って官位があった)に選ばれ、同僚に彼と同い年の平清盛がいた。北面生活では歌会が頻繁に催され、そこで西行の歌は高く評価される。武士としての実力も一流で、疾走する馬上から的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」の達人であり、公家&武士社会を代表するスポーツ「蹴鞠(けまり)」の名手でもあった。「北面」の採用には容姿も重視され、西行は容姿端麗だったと伝えられている。文武両道で美形、華やかな未来が約束されていたにも関わらず、22歳の若さで出家。阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから法号を「西行」とした。

出家直後、小倉山(嵯峨)や鞍馬山、奈良・吉野山に移り、長く煩悩に苦しみ、出家後の迷いや心の弱さを素直に歌に込めていった。どの宗派にも属さず地位や名声も求めず、ただ山里の庵で自己と向き合い、和歌を通して悟りに至ろうとしたのは通常と異なっていたという。その後、高野山、伊勢と移り・・・源平の動乱時には戦乱の世を嘆いた歌も詠んでいる。
71歳、西行自身がたどり着いた集大成ともいえる和歌観を語っている。「歌は即ち如来(仏)の真の姿なり、されば一首詠んでは一体の仏像を彫り上げる思い、秘密の真言を唱える思いだ」。1189年、西行は大阪河内の山里にある、役(えんの)行者が開き、行基や空海も修行した弘川寺の裏山に庵を結び、ここが終焉の地となった。1190年2月16日没

西行が亡くなる十数年前に詠んでいた歌。
『願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃』
(願わくば2月15日ごろ、満開の桜の下で春逝きたい)2月15日はお釈迦様の命日。
西行が来世へ旅立ったのは陰暦の2月16日。(陽暦では3月下旬から4月の頃)
西行の思いは叶う。きっと満開の桜の下で永遠の眠りにつかれたことでしょう。合わせて釈迦の後ろを一日遅れでついていくことも叶ったのです。

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3月、じっと咲開く時を待ちわびているかのように見えた桜のつぼみも・・・

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この13日、愛らしい花びらは艶やかで美しく、陽光の下、晴れやかに咲き誇っていた。

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『ゆくへなく月に心のすみすみて 果てはいかにかならんとすらん』
(どこまでも月に心が澄んでいき、この果てに私の心はどうなってしまうのだろう)

『松風の音あはれなる山里に さびしさ添ふる蜩(ひぐらし)の声』
(松風の音が情緒のある山里に、寂しさを添えるヒグラシの声が聞こえるよ)

『荒れ渡る草の庵に洩る月を 袖にうつしてながめつるかな』
(荒れ果てたこの草庵に差し込む月光を、袖に映して眺めているよ)

『さびしさに堪へたる人のまたもあれな 庵ならべむ冬の山里』
(冬の山里で私と同じく寂しさに堪えている人がいれば、庵を並べて冬を乗り切るのに)

『霜冴ゆる庭の木の葉を踏み分けて 月は見るやと訪ふ人もがな』
(霜がはった庭の葉を踏み分け名月を見ていると、誰かと一緒に見たいなぁと思うのさ)

『谷の間にひとりぞ松も立てりける われのみ友はなきかと思へば』
(この地に友は誰もいないと思っていたら、谷間にひとり松も立っていた)

『心をば深き紅葉の色にそめて別れゆくや散るになるらむ』
(私の心を深紅の紅葉の色に染めて別れましょう。散るとはそういうことです)

『水の音はさびしき庵の友なれや 峰の嵐の絶え間絶え間に』
(峰から吹き付ける強風の中に、時々聞こえる川の音は寂しい庵の友なのだ)

『ひとり住む庵に月のさしこずは なにか山辺の友にならまし』
(独り寂しく住む庵に差す月の光は、まるで山里の友のようだ)

『花見ればそのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける』
(桜の花を見ると、訳もなく胸の奥が苦しくなるのです)

『春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける』
(思えば60年余り、春ごとに桜に心を慰められてきたんだなぁ)

『吉野山花の散りにし木の下に とめし心はわれを待つらむ』
(吉野山の散った桜の下に私の心は奪われたまま。あの桜は今年も私を待っているのだろう)

『いつの間に長き眠りの夢さめて 驚くことのあらんとすらむ』
(いつになれば長い迷いから覚めて、万事に不動の心を持つことができるのだろう)

『鈴鹿山浮き世をよそに振り捨てて いかになりゆくわが身なるらむ』
(浮き世を振り捨てこうして鈴鹿山を越えているが、これから私はどうなっていくのだろう)

『世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ我が身なりけり』
(世の中を捨てたはずなのに、都の思い出が煩悩となり私から離れない)

『花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思ふわが身に』
(この世への執着を全て捨てたはずなのに、なぜこんなにも桜の花に心奪われるのだろう)

西行が眠るこの地・・・西行が生きた時代と現在では・・・里の景色の移りはどうだろう・・・あまり変わっていないかもしれないな・・・このあたり・・・

江戸中期、西行を深く慕い弘川寺に移り住んだ広島の歌僧・似雲法師が、西行の墳墓を発見。似雲法師は西行が愛した桜の木を、墓を囲むように千本も植えて、心からの弔いとしたという。

悟りの世界に強く憧れつつ、現世への執着を捨てきれず悶々とする中で、自然や人生を真っ直ぐに見つめ、内面の孤独や寂しさを飾らずに詠んだ西行の和歌は、ゆえにどこまでも自然体なのですね。

この春、初鶯の声を聞いたのが奇しくも3月11日。

西行の眠る弘川寺に・・・今日も「鶯」が、春の訪れを知らせている・・・

次回は深緑の頃に・・・訪れるといたしましょう・・・


石川河岸

2011-04-14 07:45:14 | 分類なし

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3月のある日

2011-04-08 22:37:43 | 日記・つぶやき

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3月19日 震災後も毎日姿を見せてくれていためじろたち・・・

この日からぱたりと来なくなる・・・

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めじろさんたちに伝言

元気にしていますか・・・きょうもたっくさんのおはながさいていますよ・・・いっぱいいっぱいさいています。待っています・・・

今年のローズマリー・・・驚くほどの数に小さなお花をつけてます・・・

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3月23日 小さな子供たちの「食の安全 安心」「お水の安全」ほんとうに気がかりです・・・

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季節は違えずやってきています。小さな小さな花びらも間違いなくお陽さまの下で開きます。

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私の姿を見つけてメダカたちは嬉しそうです。なんといっても私はメダカのご飯係りなものですから・・・苦笑

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3月29日 30回目の結婚記念日。

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3月30日 ももの日向ぼっこ始まる・・・

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光が降り注いでいます。明るい光です。

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種をまけば・・・必ず芽が出てくるのですね・・・

ももの命の草です。

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今日はお釈迦様のお誕生日 花まつりです。


無題

2011-04-05 12:07:03 | 分類なし

このたびの東日本大震災により亡くなられました方々のご冥福を心よりお祈りいたしますとともに、被災されました多くの方々にはこころよりお見舞い申し上げます。

無残に暮らしを奪われた被災の地域に、人々が、われわれが・・・きちんとまもりつづけてきたはずの「日常」を取り戻せる日がやってくるまで、国が、そして日本各地の国民が出来ることを積み重ね、長期化するであろう復興事業が、なにとぞ公平に被災地に向けられるよう、そして希望ある復興につながるよう、願い続けたいと強く思っています。義援金・・節約・・・譲り合い・・・支えあい・・・祈り・・・可能な地域に生きる人々の冷静な消費行動・・・私たちが出来ることを・・・出来る限りに続けること・・・決して緩められることなく復興が全うできうるまでずっとずっと続くと良いなと・・願ってやみません。