講談社文庫
まず仇討総論とも言うべき著者の総括・主なあだ討ちリストから始まって、「膨大な数の仇討作品群のなかから選び抜いた21編は、艱難辛苦の物語の陰の真実をも鮮やかに浮き彫りにする」(カバー解説)
21話のはじめは鍵屋の辻。荒木又衛門。実録とか、山本周五郎的な人物裏話でもなく、検証するように、でも物語るように追って行く。ほとんどが講談・浄瑠璃・歌舞伎などでおなじみの話であり、それぞれの名場面を持っている。
その話の人物でなく、受けるほうの願望でどのように変わって行ったかも注目するところながら、侍というものが生きていた時代の日本人の心性というものをはたして今理解できるのか?というような疑問はこの種の本を読むたびについてまわる。要するに自分の名を惜しむ、とか命をもって恥を雪ぐ、というような意識ですね。
山本周五郎の「ひとごろし」でも、腕に覚えのある仇討されるほうは、遠くから「ひとごろし」と叫ぶ追っ手に対し、「卑怯未練」としか怒らない。ボキャブラリーの不足もあるだろうが、それだけの言葉があれば相手の武士としての非を責めるのに十分であったのだろうし、自身は卑怯未練なまねはしない、というタイプの侍なのだろう。明治以降の特に太平洋戦争後の意識変化は今とその時代への理解をかなり隔てているように思う。
まず仇討総論とも言うべき著者の総括・主なあだ討ちリストから始まって、「膨大な数の仇討作品群のなかから選び抜いた21編は、艱難辛苦の物語の陰の真実をも鮮やかに浮き彫りにする」(カバー解説)
21話のはじめは鍵屋の辻。荒木又衛門。実録とか、山本周五郎的な人物裏話でもなく、検証するように、でも物語るように追って行く。ほとんどが講談・浄瑠璃・歌舞伎などでおなじみの話であり、それぞれの名場面を持っている。
その話の人物でなく、受けるほうの願望でどのように変わって行ったかも注目するところながら、侍というものが生きていた時代の日本人の心性というものをはたして今理解できるのか?というような疑問はこの種の本を読むたびについてまわる。要するに自分の名を惜しむ、とか命をもって恥を雪ぐ、というような意識ですね。
山本周五郎の「ひとごろし」でも、腕に覚えのある仇討されるほうは、遠くから「ひとごろし」と叫ぶ追っ手に対し、「卑怯未練」としか怒らない。ボキャブラリーの不足もあるだろうが、それだけの言葉があれば相手の武士としての非を責めるのに十分であったのだろうし、自身は卑怯未練なまねはしない、というタイプの侍なのだろう。明治以降の特に太平洋戦争後の意識変化は今とその時代への理解をかなり隔てているように思う。