我が家のサフィニア、今年も深くて明るい紫の花を咲かしている。一年草とばかり思っていたのにもう3年目である。冬の間には枯れてしまったと思わせる姿を見せていたのに、また復活、すごい生命力に頭がさがる。おりしも時を同じくして、儚く落ちる沙羅双樹の花、京都の妙心寺東林院の苔の庭に落ちた白い花を愛しむ会が催されているという。あの平家物語の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)あり」の花である。朝に咲いて夕刻には散ってしまう儚いけれど美しい椿の花だ。ご存じ朝顔の花、散りはしないけれど朝に咲いて昼ごろには閉じる。我が家の裏庭の月見草も黄色い小さな花を夕方から開いて朝には閉じてしまうのだ。
花の命が短くて…は林芙美子の残した言葉、ところがこの話には前後があって、内容は単に儚いことを悲しんでいるだけではないという。“生きている幸せは、あなたも知っている、私も知っている、花の命は短くて苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり、雲も光るなり”と前後にあって、人生いろいろあるけれど、いろんな花が咲くこの世の中に「生」を受けたことはやはり幸せなことなのだ、という彼女の本意が隠されているらしい。植物は、そして花というものは人間のように生まれて一生を終えて死を迎えるというのではなく、枯れて死に絶えても個体全体としては生き続けるのである。僕のサフィニアを見ていてそう思う。そう言えば人の死も周りの人の心の中に生き続ける、そんな生き方をしたいものだとふと思った。