行方不明者の行方に関する新たな手がかりになりうるだけに、当時の光州市の機関などを対象に、行方不明者の遺体を火葬した可能性などについて綿密な再調査が必要だと指摘されている。

2024-05-18 11:52:56 | 歴史に照らして整合性を!
 

[独自]光州民衆抗争「火葬」メモを初めて発見…

行方不明者を探す手がかりになるか

登録:2024-05-18 06:54 修正:2024-05-18 09:06
 
調査委「民間人3人、家族の同意で火葬」 
死亡事実は認められたが「行方不明」 
 
 
1980年5月の「光州市土葬関係記録」には、行方不明の疑惑が最も多い池元洞と刑務所(光州刑務所)という文字の横に「火葬」と書かれたメモがある//ハンギョレ新聞社

 1980年の光州5・18民主化運動の頃に作成されたとみられる光州市(クァンジュシ)の遺体処理関連の記録から「火葬」と書かれたメモが発見された。行方不明者の行方に関する新たな手がかりになりうるだけに、当時の光州市の機関などを対象に、行方不明者の遺体を火葬した可能性などについて綿密な再調査が必要だと指摘されている。

 「火葬」メモは、検察などに提出された光州民主化運動当時の光州市記録を元5・18遺族会長のチョン・スマン氏がスキャンしたファイルの形で保管していたことを、最近ハンギョレが確認したものだ。16枚の更紙に水性ペンで作成されたこのメモには、「池元洞、刑務所、火葬-葬儀士協会連絡」という文字と共に「自主的に引き渡し」「公園墓地」など、遺体の処理に関すると思われる内容がある。「5体」「6体」「28体」など遺体の数を表すような表現、時間と推定される「12:15」、「11:00」という数字も登場する。

 5・18団体がメモに注目するのは、当時死亡した事実は認められたが、遺体が見つからず「行方不明」扱いだった犠牲者73人の「行方」を探す手がかりになるかもしれないというかすかな希望のためだ。このメモに「火葬」とともに書かれた「池元洞(チウォンドン)」と「刑務所」(角化洞の旧光州刑務所)が、民主化運動当時に犠牲者の遺体を目撃したという供述が多く出た場所である点も注目される。特に光州刑務所は遺体を見たという供述は多いが、その遺体がその後どこに行ったのかは依然として霧に包まれている。

 光州刑務所で遺体を目撃した人は多い。第3空輸旅団の下士だったキム・スンシクさん(69)は7日、全羅南道海南(ヘナム)でハンギョレの取材に応じ、「5月21日午後、光州刑務所に到着した軍用トラックで13体の遺体を下ろした」と証言した。第3空輸旅団の下士だったYさんは5・18民主化運動真相究明調査委員会(5・18調査委)に「5月21日夜、ある上官の指示で、夜に土を掘って(遺体)9体を埋めた」と証言した。

 当時光州刑務所に勤務していた小説家のホン・インピョさん(78)は、2020年にハンギョレの取材で「5月21日午後、日暮れ頃に第3空輸旅団の部隊員が3人の市民を土に埋めるのを見た」とし、「2~3日後、遺体3~4体をヘリコプターで運んだのを見た」と語った。

 
 
1980年5月、第3空輸旅団の下士だったキム・スンシクさん=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 光州刑務所から消えた遺体は少なくとも17体。1980年5月31日、戒厳司令部は「光州事件真相調査」の結果で、光州刑務所周辺で28人が死亡したと発表したが、光州刑務所構内(8体)と光州刑務所前の野山(3体)で11体だけが発見された。単純計算でも、キム・スンシク元下士が見た死亡者13人のうち10人の遺体が見つかっていないわけだ。

 
 
1980年5月、光州刑務所の刑務官だった作家のホン・インピョさん=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 光州から和順(ファスン)に向かうところに位置した池元洞も、民主化運動の期間に戒厳軍による銃撃で死傷者が多く発生したところだ。5・18調査委は1980年5月23日午前11時に発生した周南(チュナム)村マイクロバス事件と関連し、ヤン・ミンソク、チェ・スギル、キム・ジェヒョン、キム・ヒョンギュ、ソン・オクレ、コ・ヨンジャ、キム・ナムソク、キム・ユンス、キム・チュンレ、パク・ヒョンスク、ペク・テファン、ファン・ホゴルの13人が死亡し、ホン・クムスクだけが生存したと明らかにした。5・18調査委のホ・ヨンシク調査4課長は「軍人の証言と軍資料などを通じてマイクロバスには17人が乗っていたという事実を確認したが、発見されら遺体は13体のみ」と明らかにした。

 しかし、別のマイクロバス銃撃事件があったという主張も絶えない。当時、池元洞で花屋を営んでいたキム・ジョンファさん(77)は2021年5月のハンギョレのインタビューで、「5月23日午前8時30分から9時15分頃、軍人たちがマイクロバスを銃撃し、10体の遺体を目撃した」と証言した。当時キムさんが目撃したマイクロバスは銃撃を受けて道に横転した状態だったが、ホン・クムスクさんなどが乗っていたマイクロバスは横転しなかったという供述から、別の事件である可能性が高い。

 
 
                                     光州市東区役所の状況日誌のメモ//ハンギョレ新聞社

 5・18民主化運動以後、政府から5・18犠牲者として認められたにもかかわらず遺体が見つからなかった人は、73人に達する。5・18記念財団は2020年、犠牲者たちが光州刑務所で秘密裏に埋められたという疑惑を解くために発掘調査を行ったが、遺体は見つけられなかった。当時、ホ・ヨンシク調査委課長は「海に遺体を投棄したという『水葬説』が一部で持ち上がったが、事実ではないことが確認された」と述べた。

 
 
           2020年に光州刑務所で行われた遺体探しの現場=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 残っているのは火葬疑惑だ。これと関連して5・18調査委は「全羅北道全州市(チョンジュシ)の昇華園で戒厳軍2人を火葬し、光州の日谷火葬場では5月28日に家族の同意で犠牲者3人を火葬した事実はあるが、多くの遺体を密かに火葬したという疑惑は明らかになっていない」と明らかにした。ところが、日谷火葬場で火葬した民間人犠牲者のキム・ミョンスク、オ・セヒョン、ハム・グァンスの3人の死亡場所は、池元洞や光州刑務所とは何の関係もない。2カ所で目撃された多くの遺体は、一体どこに行ったのだろうか。

 チョン・スマン元5・18遺族会長は「1980年の光州市の埋葬関係の記録で『火葬』という言葉が出たことは、『遺体火葬説』を暴く手がかりになりうる。当時の市立墓地の委託管理業者である無等墓園と葬儀社協会の関係者などを対象に綿密に調査する必要がある」と語った。

チョン・デハ、キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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