どこ吹く風

旅のことを主に書く。

翠崋山

2010年10月12日 08時48分39秒 | 西安・敦煌遊学
 西安の南30Kmにある翠火山へも行った。城壁南門のバスターミナルから翠崋山行きのバスに乗るということしか分からない。事前の下調べをしてけどこの程度の情報しか得られなかった。

 それでバスターミナルの所在地を確認しようと出かけた。南門付近の店で尋ねたけど語学不足で説明が理解出来ない。どうも遠いようだ、交通整理をしている公安に聞いても市内線のバス停を指差すだけ。私もバスターミナルの名称さえ知らないのだから仕方が無い、とにかく南の方へ歩く。
道路脇に市内の案内地図がある、それを見ようとしたら先客が何やら私に問うてきた。私は「分からない(ting bu tong)」と答え逆にバスターミナルの場所を聞いたら探してくれた。城壁の西南にあるターミナルを指したので違うと答えると又地図を見て城壁南側に城南客運場というのを探してくれた。
謝謝と言いタクシーに乗った。彼は自分の目的地を探せただろうか。辛苦了!

 南門からはけっこう離れている、タクシーの運転手は何か話してくるけどサッパリ分からない。訛りが酷くて分からないという事にしておこう。(笑)
城南客運場は朱雀大街と青松路が交差するところにあります。

 日曜日に同室の75歳の方、学生の三人で翠崋山へ出かけた。バスターミナルは先日調べてあったのでタクシーにメモを見せて連れて行ってもらった。あちらの長距離バスは飛行機並みに荷物検査がある。リュックを検査機を通して案内係に翠崋山行きのバスは何処から出るかと聞くと、指を指して何か言う。大勢の人が切符を買うために並んでいるので並ぼうとすると大声で何か言うている。

 並ばずに何処かへ行けという風にみえる。”チヨリンウー・・・。” ? ?・・
学生さんが905ではないかと気づき、「905号のバス(翠崋山行き)は切符は外に出てバスで買え」と指示していると分かった。数字さえ聞き取れない我が身の不甲斐なさに笑うのみ。バスを探し乗り込むと直ぐ出発した。

 街を抜けるまでに大入り満員となった、ハイカーのグループも乗ってきた。30Kmも乗るので20元くらいかなと思っていると、バス料金はたったの4元という。乗り合いの一般バスなのでこの料金なのか。郊外はなんとなく埃っぽい、トウモロコシ畑が見渡す限り続いていて、ある間隔で集落が出てくる。田舎とはいえ中国のこと人口が多いのだろう戸数も多く、町もある。

 遠くに山が見えてきたが未だ遠い。高速道路かと思うほどの広い道路との交差点で左折すると”○○自然公園”と書かれた大きな看板があり停留所がある。車掌はここで降りろと言う。「翠崋山へ行くのだが・・・」と言うと”ここだ”とまた言う。辺りを見回しても山の麓という感じはしない。それで「降りない」と言い乗り続けた。
ハイカー達が”翠崋山へ行くならあそこで降りるべきだ。”と言うので次の停留所で降りた。道路は広いが回りは畑で家一軒も無い。さてどうしよう、バスを待って引き返そうと道路を反対側に横断した。一停留所だが随分走ったので歩く気はしない。

 すると三輪車が通りかかり停まった、翠崋山へ行きたいと言うと一人5元と言うのでOKし乗り込む。荷台に客用の板のベンチが設えてあるので三輪タクシーなのだろう、無理すると8名乗れるかな。一応値切ったがダメだった、押しが足りなかったか、でもあの人気も無い場所でこの三輪車をやり過ごせる勇気は無かった。

 三輪車は広い道路から畑道に入った、コンクリート舗装されている立派な道で途中の集落も新しい家が多い。道路拡張に引っかかって新築したのかな。大きなエンジン音を響かせて山道を上った。

 家屋が多くなり食堂の看板が目に付いたら三輪タクシーは停まった。駐車場とトイレがある、周りはいかにも観光地という風情でけばけばしく大きな文字が見える。上のほうを指差すので入口はあちらにあるのだろう。どうせなら入口まで乗せればいいのに。みんな歩いているので何か車両の制限があるのかもしれない。しかし乗用車はどんどん上がっていく。

 谷川沿いに歩くと入口のチケット販売所があった。入場券を買おうといつものように学生証を見せると誰かと相談して山門横の販売所へ行けと言われた。そこで学割45元でチケットを買った。割引率は2割引きだったのか5割引だったのか覚えていない。
入山すると電気自動車やマイクロバスの駐車場があった。

 天池に行きたいと言うと、其処へは行かないが回っても良いというので乗り込む。片道11元だった、往復15元(?)ということではなかったかな・・・
たぶん回り道するので片道11元ということでしょう。

 観覧車(電気自動車)が谷沿いを上がるにつれて崋山ほどではないが景色が良くなる。気のせいか空気も綺麗に感じてきた。


驚きの陸送車

2010年10月11日 06時50分00秒 | 西安・敦煌遊学
 漢中へ行った時のことです。西安から漢中まで汽車で行くと今でも12時間掛かるという。近年秦嶺山脈を貫く高速道路が開通したので車では4時間に短縮された。250Kmしか離れていないのに4時間は掛かりすぎだが安全運転しているということか。それとも山登りのルートなのでスピードが出ないという事なのか理解に苦しむ。実際4時間掛かった。

 山道なのでトンネルが多い、長いのは20分以上短いのは出口がみえるほどの隧道を4~50ヶ所抜けた。そのような山奥にも人里がひっそりあり、でこぼこ道がありバスが走っていた。高速道路の上から対比して妙な気分になった。

 高速を走っている車両は圧倒的に産業用車両が多く、コンテナや機械部品を運ぶ大型車両が多い。世界でも有数の自動車大国になりつつある中国とはいえ、自家用車は都市地区を渋滞させても高速道路で列を成すほどには至っていない。

 乗用車を運ぶ陸送車が見えた、普段我々が目にするのは上武に3台下に2台の計5台運搬する陸送車である。しかしさすが何でも大きい中国、上に7台乗っている、下は壁で覆われていて数えられないがトレーラーの構造上多くても6台でしょう。
それにしても一度に13台運搬している、口々に”さすが中国やることが大きい”とビックリするやら感心するやら摘まれた車を数える人やらでバスは賑わった。

 これだけの車を積み坂道を上るのでスピードが出ない、それで小型バスとは私たちの車両が追いつくことになる。何台かの大型車両を抜きながら進んでいると前方に異様な光景が出てきた。陸送車だがなんと上部の車が2列になっている。これには呆れた、数えてみると7台並んでいる。つまり上部だけで14台で下に6台とすると20台の車を一度に運んでいるのだ。効率が良いというか無茶をしていると言うべきか。

 上部の荷台は勝手に手を加えて広げたようで仕上げは悪い、あれは改造車だろう公安は取り締まらないのだろうか。高速の入口では積載オーバー車両の検問所があるのに。
いやいや中国人のやることはスケールがでっかい。13台でもビックリしたのに20台とは呆れてしまった。

 ところがである、帰りに見た陸送車は驚くなかれ下も2列積んでいた。サイドはオープンではないので何台摘まれているのか分からない。後ろから見える4台の車が印象的だった。中国はいろいろ驚かされるものを見聞きするけど、2列の二段を積み込んだ陸送車は新たな驚きだった。

 なんでもありの中国、陸送車は笑いよりもオドロキでした。
写真機が壊れて写せなかったのが残念です、高速道路を走るとき気をつけて見つけてください。何遍か高速を通ったけど、あのような陸送スタイルは初めてでした。

中国旅行はいらいらする

2010年10月10日 06時50分03秒 | 西安・敦煌遊学
 中国を旅行していていらいすることが多い。中国人の風習風俗民度とかそういうものではなく自分自身の問題である。
この年になるまで意識するし無いに関わらず中国は自分の中に入っているものが多い。小学生の頃月刊誌で読んだ西遊記、高学年になると水滸伝や三国志などの他に冒険ものとして張騫の話など、誰に教わるという事ではなく自然に入ってきた。

 またオヤジの戦争の話を聞いたことがある、姉はヒロコというが当時広東にいたので広の字をつけたと言うていた。あの虐殺については子供だったので聞かなかったけど、今思えば聞いておけばよかった。ただし父は兵隊ではなく郵便関係の仕事で広東へ行ったということだった。

 高校で漢文という科目があり故事や詩の勉強をしたり、小説を読んだり新聞を読んだりであれやこれやで中国に関してはけっこうな知識が詰まっている。それで中国へ出かけると聞き覚えがある地名が多々ある。ところが其処が歴史上どのような場所であったかが思い出せない。

 思い出したとしてもその出来事があやふやにしか出ないのでイライラしてくるのである。今更5千年といわれる中国の歴史を紐解く気は起らないし、吉川英二全集を開く元気も無い。ただ知っているようで知らないという状況が面白くない。

 そこで中国も歴史からはなれて風景を楽しむだけにした。ミニヤコンガの大氷河を見に行ったのも、青蔵鉄道に乗ったのも歴史から逃れる、離れるという理由もあった。しかし土地と歴史を切り離すのはむつかしい。それでも車窓から眺める雄大な自然は歴史から目を逸らせるものがある。

 今回は旅行計画を立てた人が三国志とシルクロードをテーマにしたようで、歴史と絡んだ旅となっていた。丸っきり知らなければガイドの話だけで済ますことができるけど、三国志となるとマニアがいる。シルクロードも歴史を知っていると見る目も違ってくる。我が身の不明を外には出さずその方の話を聞いた。
やはり三国志を読み返えしてから来るべきだったか。

 中国でのイライラは自分に対するイライラなのでよけいにシャクだ。(笑)

写真は、諸葛孔明の墓

また行きたい崋山

2010年10月09日 07時46分07秒 | 西安・敦煌遊学
 行く気も無く下調べもしていなかったけど、崋山へ行ってみると素晴らしい景色とルートにに圧倒された。もう一度行きたい場所だ。
行くとなるとどのような交通手段がいいのか考えた。バスは手軽だけどある程度客が集まるまで出発しない。帰りはのバスは(往路と違う会社)補助シートが必要になるほど客集めをし、さらに1時間も一般道路を走って高速に入らない。乗務員は歩合制なのかと思わざるを得ない、気分的におもしろくない。

 ツアーに参加するという手もあるが時間の制限がありそう。どなたかの手記を読むと崋山への道すがらおみやげ品屋に連れ込まれたとあった、これも考えものだ。費用の面では個人で行くのとツアーに参加するのとでは殆んど差が無いでしょう、400元はかかる。

 そこで汽車はどうだろうか。近距離なので予約も要らないと書いてあった。それに汽車は道路事情に左右されない。高速で渋滞に巻き込まれたらどうしようもない、私たちはたまたま小型バスで運転手の機転で中央分離帯の切れ目から反対車線へ脱出できた。大型バスなら難しかっただろう。この次崋山へ行くチャンスがあれば汽車を第一に考えよう。時間が有効に使える。

 また崋山を一日で回るには下調べをしてルートを予め決めて登ったほうがいい。そうすれば全山(東西南北に中峰)回れると思う。
しかし私は山の上の宿泊所に泊まりたい、スイスと違い山のホテルは割高になるようだが夕日と朝日を眺められるので泊まってみたい。切り立った山は岩肌を露出し、縁に松の木がへばり付くように生えているところに、朝夕の柔らかく色づいた光が当たるのを想像するだけでワクワクしてくる。

 ご来光を拝めば果てしなく続く階段を登った疲れも吹き飛ぶだろう。あのルートが今の姿になるまでどのくらいの時間がかかったのだろうか。数百年は要したであろう。一段一段削りあるいは固めて頂上に達し、さらに山門や寺を建てるのは想像を絶する時間と労力を費やしたことだろう。

 このエネルギーは宗教心からなのか。
西安へ旅するときは崋山も加えることをお薦めします。

 旅行も3日目にカメラのシャッターが落ちないというトラブルが発生した。そのため写真を撮れなかった。丸っきり写真無しで旅するのは初めてだ。せっかくの景色も目に焼き付けるだけになった。
しかし同行した人に写してもらったり、風景写真を手に入れる事が出来たので、これから写真を載せることができます。

崋山 下棋亭

2010年10月08日 09時19分40秒 | 西安・敦煌遊学
 北峰→ (1分位歩いて)→擦耳石→(10分位歩いて)→御道蒼龍嶺→(25分位歩いて)→金鎖関→(28分位歩いて)→東峰(標高2100M)→(35分位歩いて)→最頂上の南峰(標高2160M)→(1時間歩いて)→西峰(標高2083M)→(12分位歩いて)→中峰(標高2024M)→(18分位歩いて)→蒼龍嶺→(30分位歩いて)→北峰
               ”西安金橋国際旅行社”のブログから転載
http://blogs.yahoo.co.jp/niwang2009/32192182.html

 3時10分になっても未だ東峰を踏んでいない。さて引き返すべきか進むべきかを暫し考えた。ポケットの持ち金を調べると予想外の18元しか残っていない。帰りのバス賃にさえ足りない、マイッタ。
戻って皆と一緒に帰ろうか、モウ1度チャレンジするとなると又400元掛かる、それに日程を考えると時間が取れるかどうか分からない。あれこれ考えるも踏ん切りがつかない。手持ちの金が無いのが致命的だ。思案ムヌカンガエーしたのは走長い時間ではない、ウミーヤミーしていてふとタクシーで西安まで帰れるのどうだろう、200元あれば帰れるのではなかろうかと考えた。

 そうだタクシーという手がある。そうしようと決めてしまえば気が楽になり下棋亭を目指して上りはじめた。お寺の山門をくぐり上へ歩いていると名前を呼ばれて振り向くと学生さんがいる。最初の壁で立ち往生した人たちの処遇を済ませてから追ってきたとのこと。私はこれでお金の問題が解決できるので内心ホッとした。

 連れができたので元気も出て下棋亭と思われる道を標識を頼りに又登山客に尋ねながら進んだ。また10mほどの絶壁が出てきた、ここも足場は切られているし鎖も取り付けられているので問題は無い。しかし前を行く若者がモタモタしている、隣にある下り専用の梯子を使うように勧めてルートを空けた。学生には岩壁から身体を離して力は鉛直方向に踏ん張るようにするとか三点確保とかを教えてまず私が壁に取っ付く。かつて剱岳や穂高岳でロッククライミングをしたことがあるのでこの程度はどうって事は無い。

 学生は若さと身体の柔軟性でこれまたさっさと登り、写真を撮るように要求する余裕があった。東峰はなだらかな斜面の延長上にあり少々も物足りなさを感じる。下棋亭へのルートを探すのに手間取り南峰へのコルまで下ってしまい間違いに気づいて戻った。

 下棋亭へはお寺の裏手から垂直に降りるルートがあるが鍵が掛かっている、管理する公安職員が来て、安全帯の使用料金として30元必要だろ言われた。その安全帯から出ているロープの先にカラビナが付いている。ロープは2本なので確実に確保できる。まずセルフビレのワイヤーカラビナを掛けて太い鉄鎖を握る、初っ端からハングしているが足場が岩に刻まれているので難しい事は無い。
久々の味わう岩との対話、ガスも次第に晴れてきて天然の山水画の深みが増している、将に絶景だ。壁の下に降り立ちトラバース気味に下り安全帯無しで歩ける場所まできた。その後も慎重に足を運び下棋亭に到着した。
二人で握手をする、達成感があった。

 この下棋亭は石で組まれているが石材は何処からどのようにして運んだのだろうと不思議に思った。辺りを見回すと岩が削られている箇所がある、石材はきっとここから切り出されのだろうと納得する。
目的が果たせたのであとは下るだけ。しかし階段だけのルートを歩いたので足がガクガクしてきた。雨上がりなので滑る箇所も多々ある。山門前の広場で滑って尻餅をついてしまった。疲れを感じたので万が一のために手摺を握りながら下りた。それでも3回よろめいてしまった、今日は3000段ほど階段を上がった計算になる。足がふらふらするのも無理は無い。ロープウェイ乗場では皆が待っていた。

 半分以上は意地で登ったが疲れた。今回は東峰と下棋亭しか行っていない、南峰へのルートも面白そうなのでいつの日かもう一度行きたい。

崋山 登山

2010年10月07日 09時29分00秒 | 西安・敦煌遊学
 崋山に対する予備知識も無いし言葉も通じない状況の中でも登山口のターミナルまで着いた。まず腹ごしらえとターミナル内のレストランで食事を取る。
崋山観光に参加したのは6名で男子学生以外は年配者である。発案者の私は険しい登りがあることだけは知っていたので「私は上まで行きたい、足手纏いになったらその場に置いて行く、手助けする気は無い。」と誘った時から宣言していた。

 レストランに崋山の大きな写真が飾ってある、険しく細い尾根道や断崖絶壁に取り付けられた桟道がある。写真を見ただけで怖気ついた人もいた。朝食もロクに食べていないので腹ごしらえしてからの出発はよかった。

 ターミナルの床には崋山の概念図が描かれている、それを見て東峰および下棋亭へ行くことにした。ターミナルから小型バスが出ていてロープウェイ乗場までピストン運行している。またそこで入山料(120元 学割がきいて100元)とバス料金(40元)を払う。
天候は良くなくガスっている。峡谷の川筋を曲がりくねりながら進む、雰囲気はマチュピチュのような感じで、あの時も雨がちらついていた。

 河原の石も花崗岩で高度が上がるにつれて山肌の岩壁部分が広くなる。大きな壁の周りに松の木がへばり付いている様子は山水画の世界だ。傾斜も急で花崗岩の岩肌はロッククライミングをすると吸い付くような感触だろう。若い頃なら登りたくなっただろう。
登るにつれて山水画の世界は深くなってきた、上の景色を考えるとワクワクしてくる。

 バスの乗客にニッポン人がいた、友人の話を聞いて登りたくなったが、崋山ツアーは無いので個人で来たとのこと。二人づれの女性だったが中国人ガイドを同行していた。ガイドに下棋亭のことを尋ねたが行ったことは無いとのこと。

 ロープウェイ乗場に来る頃には雨がぽつぽつ落ちてきた。ロープウェイは往復150元とスイスアルプスと比べたくなるほど高い。高く上がる分高くなるのもしょうがないか。
乗客は列を成しているがゴンドラは次々来るので捌けるのも早い。
山はガスに包まれているが見通しはきくので景色も楽しめるだろうと淡い期待をしながら窓からガスに煙る岩肌を見た。

 降りると何処も彼処も人で一杯、気が焦るがまず雨合羽を着用して歩き始めた。ほんの少し歩くと5mほどの壁がある、足場はきちんと切られ鉄の太い鎖もあるので登るのに難しい事は無い。しかし同行した皆さんはモタモタしている。学生さんに後を任せて私は独りで先を急いだ。

 狭い階段道を上がる人下りて来る人で片道交互通行となる。道はほぼ全て階段状になっている、天然の岩を削って階段を作ってあるのを見ると先人の偉業と言うしかない。長い年月を要したであろう事は想像に難く無い。すれ違うのを待ち、又歩くのが遅い人を追い抜きながら高度を稼ぐ。休憩所を過ぎると写真にあった道幅の狭い尾根に差し掛かる。スリルがあるのかと思いきや、階段は等間隔ではなくマチマチなので足元に気をとられ景色を見ることができ無い。つまり足元に注意しているうちに通り過ぎてしまった。

 お寺までやってきた、道教寺院のようだ。赤い紐や錠を売っている、階段に取り付けられている手摺や鎖に赤い鉢巻や錠が神社のお御籤を結ぶように沢山結ばれたりロックされている。願い事をしっかりお願いしたという証なのか。神様がいう事を聞くまで解かないという風にも見える。

 お寺を過ぎてピークまでやってきた、東峰は未だ先のようだ。時間を見ると2時半を過ぎている。4時までにロープウェイ乗場に来ない場合は各自の判断で西安に戻るように話してあった。戻るか進むかはあと30分歩いて決めることにして上り続けた。

教師節と仲秋節

2010年10月06日 07時03分47秒 | 西安・敦煌遊学
 9月10日は教師の日です。前日街の花屋は大量の花が道路に並んでいるので何事だろうと思ったけど、まさか教師の日でこれほど大騒ぎするとは考えもしなかった。オキナワでこのような光景は卒業式の前日くらいである。

 当日毎日の通学路にある幼稚園の前も花束を持った子供と親が歩いていた。午後の歴史の時間に教授の携帯が時々鳴る、教え子からのメッセージが入るのだという。その時初めて教師の日であると説明を受けた。

 前回の研修のときもこの教師節のことは聞いた覚えがあるがすっかり忘れていた、私たちは教師に対して何もしなかったので印象に残らなかった。制定されて20年ほどしかならないと説明を受けたがすっかり定着しているようだった。

 教師に贈り物をするのは次第にエスカレートすることも考えられる、その辺りはどうなっているだろうか若干気になる。真心を籠めたメッセージや花一輪なら問題は無いだろうけど、贈り物文化がある国なので中には逸脱した人たちもいるだろうな。

 仲秋節、これは町中が大騒ぎしている。スーパーや百貨店では月餅の特設コーナーがあり販売に力を入れている様子が分かる。私たちが泊まっている賓館のロビーにも交大特製の月餅セットが並んでいた。交大のは一箱80とか120元だがデパートのそれは600元とか1000元もするのが並んでいた。月餅が入った容器もそれも詰めた箱もリッパとしか言いようが無い。容器の形も四角はもとより六角形や丸型など様々で表面を彩る装飾も見事な出来映えである。

高価な月餅を貰う職場のおエライさんたちはきっと家だけでは食べきれないだろうから、その上の役職へ回すのもあるだろう。最終的には誰の口に入るのか、贈り物の効果は如何ほどあるのか。
街には月餅の袋を抱えてタクシーに乗る人をよく見かけた、丸い月のように期待だけは大きく輝いているのだろう、想いが成就できますようにと祈りたくなる。

 三年前は少なくない餞別を下さった方への御土産に200元近い月餅を買った。今年はその方に黙って来たので御土産の月餅はバラ売りの箱入りにし、サークルには1斤40元のものを60個買った。デパートで買った品なのでスーパーのものより高い分美味しいだろう。
 ところで教師節は休みににならないけど仲秋節は休日となる。しかも3日間の休講となる。しかし二日間は土日に補講するというおまけ付き。ありがた迷惑の感じもする。補講があっても連休がいいのかな、議論のある事だろう。補講も平日の午後とかにやるならともかく土日との振り替えなら私としても不満がある。

 でも・・この仲秋節の連休や補講は私たちには関係なかったのです。仲秋節が来る前に研修期間が終わったからです。仲秋の満月は敦煌で砂漠の砂山に登った月を眺めました

崋山 (バス)

2010年10月05日 08時19分10秒 | 西安・敦煌遊学
 崋山は西安の東100Km離れたところにあり、バスで2時間以上もかかる。日帰りツアーが出ていて390元と1日間の観光としては高いと感じられた。
しかし西安ー崋山の麓までのバス賃、入山料、ターミナルとロープウェイ間のバス賃、ロープウェイ料金などで350元かかるので金額的には大差は無い。ツアーにするか個人で行くかは、どちらが気分的に良くて且つ現地でどの程度フリータイムを過ごせるかで判断すべきだろう。
結論から言うと私の個人的見解では、どっちもどっちだと思われる。

 まず崋山については下調べしていなかったのは拙かった、反省点です。賓館でツアー案内を見て行く気になりバスの発着場所を西安駅まで行って調べた。
研修旅行のメンバーにも声を掛けて日曜の朝6時半に賓館を出た。前日崋山行きのバス担当者から6時30分から19時30分まで運行しているとの説明があったので7時半頃出るバスに乗るつもりだった。
ところがバスは何時まで経っても出ない。「何時に出るのか」尋ねても曖昧な返事しかかえってこない、ある程度人数が揃うと出発するということなのだ。それは帰りのバスも同じ。無理して6時半に賓館を出る必要は無かった。朝っぱらか精神的によくない、ここは中国だ中国式に従う以外に無い。

 ツアーに参加した人のHPを読んでも、出発時間は指示された時間より40分遅れたとか、初っ端からミヤゲ品屋に連れ込まれたとか書いてあるので、どっちもどっちでしょう。
朝飯もちゃんととって8時前にターミナルに着くようにすれば良かったのだ。
(ツアーについては何社もあるようなので良心的(?)なところもあるかも・・・)

 駅前では”兵馬俑へ行くのか、崋山へ行くのか”と客引きが寄って来る。往復50元と金額は同じ。ただ崋山行きのバスは何社かありバスターミナルも駅から離れた場所にある、そこまで車で連れて行くのか、そのバスが駅を経由するのかは乗らなかったので分からない。どのバスに乗っても大差(料金は同じなので精神的なもの)は無いものと思われる。

 出発して暫らくすると車掌が切符を売りに回ってくる。往復50元片道33元と言うので片道にした。高くついても復路の選択肢が増える片道切符にすることをお勧めします。私たちは朝から待たされて不愉快な気分になっていたので、帰りは早いバスのほうがいいだろうと考えたのです。
崋山のロープウェイからターミナルまで戻るバスは往路とは違うバスのターミナルに寄りました。また往路のバスは終点から崋山へのターミナルまでタクシーを利用しなければなりません。10元かかるのでその分助かることになる。
しかしそのバスの終点は西安駅から離れた場所にあるので、地理の不案内の私たちは一旦市内バスで西安駅まで行き賓館に戻った。

 高速道路の標識に崋山100Km とある。バスは小型なのでスピードが遅いように感じられた。どんどん追い抜かれていく、それでも快調に走っている。窓から景色を眺めていると気分も晴れてきた、やはりここは中国だと実感する。道路沿いの木々や花が目を楽しませる。そろそろ崋山が近づいたかと思う頃スピードがガクッと落ちて終に停まってしまった。前方の見える範囲は車で埋まっている。小型バスなので割り込みを繰り返しながら少しずつ進むも限界となり停車状態が20分ほど続いた。中央分離帯の一部がブロックで仕切られた箇所があり乗用車はそこの隙間からUターンしていく。

 私たちのバスも何回もハンドルを切りなおして反対車線に移り、暫らく走りインターチェンジで高速道路からおりた。集落を抜けると石材加工所や広い保管場所が見える、この辺りは花崗岩の産地のようだ。道路中央に料金徴収所があるので又高速道路に入るのかと思いきや、似たような道しかない。有料道路ならもう少し整備されていてもいいのに。生活道路のような感じがするけど有料道路のようだ、この道以外にも迂回路があるのか。

 ようやく崋山がある町に着いた、崋山の入口付近に着くのかと思ったら其処はただの道端で食堂の前に停めてメシを食べて行けという感じ。店の従業員が出てきてシキリに勧めるのを振り切り登山道の入口を聞くとタクシーで行けと言う。歩こうとすると遠いような口ぶりなのでタクシーに乗る。また腹立たしい気分になる。タクシーは10元、たぶん初乗り料金で行ける距離だが観光地では運転手が談合しているのでどのタクシーも同じ10元と言う。中国に限らずこういう場所では仕方が無い。

 登山道の入口まで来た。

交大の様子と観光

2010年10月03日 06時46分50秒 | 西安・敦煌遊学
 交大の今年の新学期は9月6日からであった。私たちは1週間早めに着いたので最初の1週間は同行した12名全員が同じクラスで授業を受けた。各人のレベルは様々なので物足りないと感じた人もいたのではなかろうか。私は初級で充分だと思った。
週末の金曜日にクラス分け試験を受けた、試験内容は難しく解けなかった。しかし二班に配属された、二班に配置されたものの初級クラスに留まる者いて各人の希望に沿うクラス分けとなった。

 二班にはウチナー組5名を含め全員で30名、韓国からの留学生が一番多く10名を越えていた。次にウチナー、我々短期留学生のほかにもう一人オキナワの女の子を加えて6名。その外はスペイン、アイルランド、フランス、マレーシア、イギリス、アメリカ、モンゴル、マレーシアなどの学生だった。

 若い学生の中に老人が二人という組み合わせなのでやはり意識せざるを得ない。それで先生に当てられたら答えられるように予習・復習は欠かさなかった。また前に出て会話を演じる場合も努めて自主的に早めに出るよう頑張った。

 教科は読み書き(読写 週8時間)、会話(口語 週6時間)、聞き取り(聴力 週6時間)の三科目でそれぞれ別の先生が担当した。リーダーは読写の先生で欠席や遅刻を強く戒めていた。先生は8時からの授業なのに10分前には教室に来て学生を迎える。休み時間も教室にいて次の教科の先生が着てから退出するというニッポンでは考えられない勤務態度である。

 9月10日は”教師の日"として全国的な記念日が設けられている。国民の期待を態度で示しているのだろう。留学生は一般的に自由に振る舞っている、授業中の飲食や教室からの抜け出しなど私の感覚では理解出来ない事を平気でやっている。
授業中の抜け出しは若しかするとトイレの構造にあるかもしれない。いわゆるニーハオトイレなのだ。休み時間は大勢の学生が利用するので、人の少ない授業時間に行くのだろう。それにしてもビールを持ち込んだ学生にはビックリした。

 それも読写の先生の厳しい指導で遅刻・欠課が少なくなった。厳しい指導だけでなくHSKと呼ばれる漢語水平考試のテストに向けての補講が週3回の8週間という長期間あり無料のようだった。漢字圏以外の学生は助かるでしょう。それとは別に生活・学習面での相談日も設定されており学習環境の整備はできていた。

 学費などあちらので費用については、私たちは1週間の観光旅行や西安市内近郊の観光を含めて33万円支払ったので詳しい内訳は知らない。
インターネットで検索すると、学費と寮費は次の通りであるようだ。
学費 1ヵ月 3,000元 (45,000円)
    2ヶ月 4,500元 (67,500円)
3ヶ月 6,000元 (90,000円)
半年 7、250元 (108,750円)
1年 14,500元 (217,500円)

寮費 36~65元/日 (530~975円/日)

 私が払い込んだ金額は大きいけれど充分納得できるものである。短期研修とはいえ実際3週間毎日4時間の授業と3時間の予復習をしたのは何十年ぶりだろうか。学生時代でもこれほど勉強した覚えは無い。
 それに敦煌まで行き砂漠や莫高窟を身近に見た料金も含まれている、1泊だが関中へも行って諸葛孔明の墓を見れたのも三国志ファンとして良かった、それに蛇足として上海万博も1日だけだが入場してきた。あれは無くてもよかったけどそれらの観光も含めての料金なのでむしろ安いといえよう。
 西安市近辺例えば兵馬俑とか華清池などや市内の名所旧跡・博物館などを回る料金も含まれていることを付記しておきます。

西安遊学

2010年10月01日 10時26分16秒 | 西安・敦煌遊学
 西安交通大学(交大)における3週間の語学研修と1週間の旅遊をこなして帰ってきました。楽しいひと月間でした。旅の最後に旅行の日程が組まれたので勉強よりも旅の印象が強く焼きついてしまったのは考えてみると残念です。勉強で締め括れば帰ってからの生活態度が違っていただろう。

 交大での短期研修は2回目なので生活面では何ら不安がなかった。宿舎が学校敷地内の留学生寮ではなく、大学に隣接した教職員の居住地域にある交大の附属ホテル(賓館)になったため教室まで毎日25分ほど歩くハメになった。おかげで体重が3Kg減となり55Kg を切った。健康のためには良かったと言えよう。

 あちらの大学はニッポンのそれとは大きく違い大学が資金を稼ぐシステムがあるようだ。留学生を受け入れるのは国際交流・語学教育以外に資金獲得の面もあるかもしれない。交大は私が目にしただけでも3軒のホテルを所有している。四つ星クラスの大酒店、三ツ星の賓館、下の招待所と三クラスあった。今年は外国人留学生が多かったのか我々は寮に入れず中級の交大康橋賓館が宿舎となった。

 賓館のある地域は教職員の居住地区で中層アパートが林立し幼稚園から中学校もあり小さな市場もあった。学校の組織の大きさに驚ろくばかり、ホテルの各部屋に置かれる水も交大の名前が入っているし、バス停の名称に交大電脳とか交大商場というのがあるがそれらが入居している店の大家はおそらく交大でしょう。

 大学構内のメイン道路は桐の並木となっている。10mもの木々の葉が陽射しを遮っているので涼しく毎朝気持ちよく通学できた。日一日と秋が近づき落ち葉も増えてきたが朝は綺麗に掃除されている。学内の木々の剪定も常時行なわれている様子が窺える。
桜並木もあった。学ぶ環境は良い。

 敷地の南側が生活区で3万人に近い学生が全寮制で暮らしている。狭い部屋では勉強しづらいのか図書館やベンチの置かれている憩いの場で勉強している学生は多い。私も自分で名付けた”学びの杜”で予・復習をしてからホテルに戻るようにした。

 構内が広いのでよく歩かされた、授業終了とともに学生食堂へ向かうけど既に満席、300席と10数店舗がセットになった区画が同じ建物に4ヶ所あり、更に広い食堂が別棟にある。ランチタイムは1時に終わるので連れ立っていってもバラバラに座ってジョ籤をとるのが常だった。3年前と比べると5~8割メニュー単価がアップしていた。白米に菜3品で4.5元というのが私の昼食の標準でした。

 物価は高くなっていたけど、為替レートが前回は1万日円=650元だったのが、750元になっていたので幾分かはカバーされました。
私はひと月の滞在期間中に遊興飲食費としてチビチビ両替した金額は4万円です。食費や飲み代、個人的な観光や御土産を含めてです。3万円に押さえたかったのですが諸般の事情により膨れ上がりました。

これからメモと記憶を頼りに書きます。