どこ吹く風

旅のことを主に書く。

莫高屈

2010年10月22日 11時43分17秒 | 西安・敦煌遊学
 莫高屈は敦煌の代名詞みたいなところである。洞窟に鎮座した大仏像とともに井上靖の「敦煌」を思い出す人も多いでしょう。教典を隠す場面は記憶に残っている。

 莫高屈は数年前NHKが大掛かりに放送したことがある、生中継を交えながら大仏の上から下からのアングルで放映し専門家の解説があった。規模彩りが素晴らしかった。
その実物を目にしたときイメージしたものとの違いに少々ガックリした。
アブシンベルでラムセスや神々の像を見た時のほうが凄いと感じたからです。何故だろうと考え、その違いに気づいた。
  それは素材の石に違いがある、莫高屈は堆積岩でできている、砂岩は礫が圧縮されているだけなので表面が粗い、表面を磨けない。石そのものの像を作れない、それで表面に漆喰のようなものを塗って彩色してある。莫高屈の像は石像というより骨・基礎は石だけど表面は土である。フレスコ画いやフレスコ像と呼ぶべきか。
 それと石屈を造営する目的は有力者の寄進である、エジプトの権力者による造営とは規模が違う。その違いつまり金の掛け方の違いもあるだろう。

旅行へ行くと勝手な妄想が湧き上がってくる、考証すること無しにそのような妄想を楽しみながら見て廻った。エジプトの石像とは違うけど莫高屈は色彩においてエジプトを凌ぐものが見られた。朝日に輝いたアブシンベル神殿は赤の印象だったが、莫高屈は群青色がすばらしい。色の数も多く描かれた天上界や極楽世界は色鮮やかである。紫外線で変色している色があるが、光が届かない箇所は当時の色がそのまま残っていて、特に群青色はすばらしかった。

 石屈へは広いところでも3グループ、その他は殆んどグループごとに入場した。欧米人も多い、多くの教典が発見された石屈では、持ち去られた教典を盗まれたとガイドは表現していた。”大英博物館に何万点、大谷探検隊に数百点盗まれ・・・”という言い方は聞いていて気持ちいいものではない。

 先ごろ朝鮮の歴史的文物を宮内庁から返還するというニュースがあった。先進国の博物館の収蔵品は当時は合法的な取引があったにせよ今では問題含みとなっている。全てに応じたら大英博物館をはじめ大きな博物館はある部屋の展示物が空っぽになることも考えられる。(笑)
今後どのような展開に発展するのか、しないのか分からないが国の宝物から人類全体の宝という視点で考えられるいくと思われる。

 敦煌まで行ったら足を伸ばすべき場所であることは間違いない。