※福島ズボラーヌ:福島区の夏祭(2014年)
日中の雨のため、巡行スケジュールが大幅に遅れ、
宮入の時間も後ろにずれてしまいました。
(ちなみに雨天の時、地車は専用のビニールカバーをかぶるそうです)
鯛鉾の宮入を見た後、神社の外を歩いていたら、地車がようやく到着しました。
宮入の時間調整のため、しばらく路肩で地車を止めることに。
もう薄暗くなりましたが、良い機会なのでじっくり拝見。
びっしりと施された彫刻。
野田恵美須神社のHPによると、
昔は氏子地域に4台の地車があったそうですが、老朽化のため大正時代に廃絶。
現在のものは昭和6年に製作されたもの。
「昔の四台のかわりに、一台の大きな地車を作ろうということになり」とのことですが
昔は小さいだんじりだったのでしょうか。
鯛を釣るえべっさんの像。
釣竿の先には糸が張られていました。芸が細かい!
古地図を見ると、昔の野田は農村で道がくねくねと細かった。
水路の多い地域でしたから、
巡行の際は橋をたくさん渡る必要があったと思います。
だから小さいだんじりだったのではないでしょうか?
一体一体は小さいのですが、実に表情豊かです。
誰もいない真夜中になったら、動き出しそうなくらい。
彫刻に描かれた情景は「大阪夏の陣・冬の陣など豊臣一代記」のものだそうです。
よーく見ると、タイトルが書かれていました。
「後藤又兵衛基次」
・wikipedia:後藤基次…黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人。
「道明寺付近 奥山出羽ノ勇戦」
道明寺村は現在の大阪府藤井寺市。
・wikipedia:道明寺の戦い…慶長20年(1615年)に発生した大坂夏の陣における戦いのひとつ。
「薄田隼人兼相(ノ勇戦?)」
wikipedia:薄田兼相…仇討ちや狒々退治の伝説で知られる武芸者岩見重太郎と同一視される。
他にもタイトルを書いている所があると思いますが、
見つけられたのは上記の3箇所でした。
私が不勉強なだけかもしれませんが、「大阪の陣」と言われても
「あー、日本史の授業で出てきたなぁ」くらいの浅い知識しかありません。
(大河ドラマを見ないもので…)
豊臣秀頼、淀殿、真田幸村といったメジャーな名前は思い浮かびますが
後藤基次とか薄田兼相の名前は、このだんじりを見なかったら一生知らなかったかも。
講談が大衆演芸として大人気な頃は、世の中の人(特に大阪人)はみんな
『道明寺の戦い』の物語を知っていたのだろうなぁ。
だんじりの製作者については、神社のHPによると、
・昭和6年着工、昭和7年7月3日完成。
・地車大工=泉州の絹井楠次郎氏
・彫刻師=富山県井波出身の川原啓秀氏
とにかく、ものすごい地車でした。鼻血出そう…。
だんじり鑑賞が終わった後、神社に立ち寄ると「雀踊り」の最中でした。
海老江のお祭りも「すごいなぁ」と感激したのですが、
野田には野田の魅力がありました。
また来年も地車を見たいなぁ(ぜひとも明るい時間帯に!)。
日中の雨のため、巡行スケジュールが大幅に遅れ、
宮入の時間も後ろにずれてしまいました。
(ちなみに雨天の時、地車は専用のビニールカバーをかぶるそうです)
鯛鉾の宮入を見た後、神社の外を歩いていたら、地車がようやく到着しました。
宮入の時間調整のため、しばらく路肩で地車を止めることに。
もう薄暗くなりましたが、良い機会なのでじっくり拝見。
びっしりと施された彫刻。
野田恵美須神社のHPによると、
昔は氏子地域に4台の地車があったそうですが、老朽化のため大正時代に廃絶。
現在のものは昭和6年に製作されたもの。
「昔の四台のかわりに、一台の大きな地車を作ろうということになり」とのことですが
昔は小さいだんじりだったのでしょうか。
鯛を釣るえべっさんの像。
釣竿の先には糸が張られていました。芸が細かい!
古地図を見ると、昔の野田は農村で道がくねくねと細かった。
水路の多い地域でしたから、
巡行の際は橋をたくさん渡る必要があったと思います。
だから小さいだんじりだったのではないでしょうか?
一体一体は小さいのですが、実に表情豊かです。
誰もいない真夜中になったら、動き出しそうなくらい。
彫刻に描かれた情景は「大阪夏の陣・冬の陣など豊臣一代記」のものだそうです。
よーく見ると、タイトルが書かれていました。
「後藤又兵衛基次」
・wikipedia:後藤基次…黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人。
「道明寺付近 奥山出羽ノ勇戦」
道明寺村は現在の大阪府藤井寺市。
・wikipedia:道明寺の戦い…慶長20年(1615年)に発生した大坂夏の陣における戦いのひとつ。
「薄田隼人兼相(ノ勇戦?)」
wikipedia:薄田兼相…仇討ちや狒々退治の伝説で知られる武芸者岩見重太郎と同一視される。
他にもタイトルを書いている所があると思いますが、
見つけられたのは上記の3箇所でした。
私が不勉強なだけかもしれませんが、「大阪の陣」と言われても
「あー、日本史の授業で出てきたなぁ」くらいの浅い知識しかありません。
(大河ドラマを見ないもので…)
豊臣秀頼、淀殿、真田幸村といったメジャーな名前は思い浮かびますが
後藤基次とか薄田兼相の名前は、このだんじりを見なかったら一生知らなかったかも。
講談が大衆演芸として大人気な頃は、世の中の人(特に大阪人)はみんな
『道明寺の戦い』の物語を知っていたのだろうなぁ。
だんじりの製作者については、神社のHPによると、
・昭和6年着工、昭和7年7月3日完成。
・地車大工=泉州の絹井楠次郎氏
・彫刻師=富山県井波出身の川原啓秀氏
とにかく、ものすごい地車でした。鼻血出そう…。
だんじり鑑賞が終わった後、神社に立ち寄ると「雀踊り」の最中でした。
海老江のお祭りも「すごいなぁ」と感激したのですが、
野田には野田の魅力がありました。
また来年も地車を見たいなぁ(ぜひとも明るい時間帯に!)。
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