前記事:如意山了徳院(福島聖天)(1)
境内の中はそんなに広くありません。
昔はたくさんの参拝客でにぎわったと言いますが、
その頃は広かったのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/f5/227b2bef638fdcfe97e540d405e97782.jpg)
鐘楼。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/86/076ab05f0bb6b62b3616f9fb4f697039.jpg)
池には竜の彫刻が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/37/b936cfcd1644185580acd2d01b78d2da.jpg)
芭蕉の句碑もあります。
実際に芭蕉が聖天さんを参拝したのかどうかは疑問視されているらしいですが…
松尾芭蕉は「句聖」と呼ばれていますが、数多くの句碑が日本中に建てられています。
(2500基以上あるらしい)
芭蕉は「俳聖」と呼ばれ、弟子や崇拝、神格化され
俳句(蕉風俳諧)は大衆娯楽として広く人気を博しました。
句碑の中には、俳諧愛好者が芭蕉をしのんで建てたものも多い。
「芭蕉がこの地を訪れて句を詠んだ」という証ではなく
「この辺には俳諧を愛好する人たちがたくさんいました」という印でもあるようです。
了徳院の句碑にも
「俳人三津人が建立した」と書かれています。
「杜若語るも旅のひとつ哉」
句に「杜若」が入っているように、昔はカキツバタの名所だったそうです。
江戸時代の錦絵『浪花百景』には「うらえ杜若」というタイトルの絵があり
大阪の観光名所のひとつになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/15/3403e32921af3a52aebc0ecf9c122579.jpg)
手前にシュッと伸びた杜若の花、燕が飛んでいるかっこいい絵です。
お寺の池というよりは、周囲の井路川(聖天川)に杜若が咲いていたんですかね?
赤い提灯は茶屋かなぁ。
建物の向こうは田んぼなのかな、のどかな風景です。
杜若だけでなく、藤の名所でもありました。
近くの妙寿寺の蓮も有名だったそうで、
蓮飯の美味しいお店(富竹という料亭)があったらしい。
杜若も蓮も水辺の植物なので、浦江はやはり水郷の街だったのですね。
聖天川は周囲が市街地化・工業化するにつれ水質が悪化し
埋め立てられてしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/64/b00a5b842309727c182263d86359d11c.jpg)
帰る前に、手水鉢の写真を撮りました。
すると「え?!」な光景が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3b/79b4242d0173410ec1061c5fff8ed330.jpg)
お参りした日は8月、ものすごい暑い日でした。
気持ちは分かる、気持ちは分かるんやで。
しかし、これ、鳩じゃなくて人間だったら
確実に今大流行している「不適切写真」でしょう。
ネットで調べてみたところ、鳩は水浴びが大好きで
お寺の手水鉢に入っている姿は決して珍しいことではないそうです。
参拝前の礼儀として口を漱ぐものらしいですが、
こういう下から水がわき出るタイプの鉢の場合は
ちょっと考えた方が良いかも知れません。
蛇口から流れ出るタイプなら、心配いらないのですが。
(私は手は必ず洗いますが、口は漱いだり漱がなかったりです。
こちらでは漱ぎませんでした。大聖歓喜天様、申し訳ありません)
追記:産経新聞のHPに聖天通商店街ならびに聖天さんこと了徳院の記事が掲載されています。
「msn産経:大正期の大阪都…吸収した名市長が詠んだ街 鷺洲」
「如意山了徳院(福島聖天)」
住所:大阪市福島区鷺洲2-14-1
電話:06-6451-7193
※「福島区の風景・街並み」
境内の中はそんなに広くありません。
昔はたくさんの参拝客でにぎわったと言いますが、
その頃は広かったのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/f5/227b2bef638fdcfe97e540d405e97782.jpg)
鐘楼。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/86/076ab05f0bb6b62b3616f9fb4f697039.jpg)
池には竜の彫刻が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/37/b936cfcd1644185580acd2d01b78d2da.jpg)
芭蕉の句碑もあります。
実際に芭蕉が聖天さんを参拝したのかどうかは疑問視されているらしいですが…
松尾芭蕉は「句聖」と呼ばれていますが、数多くの句碑が日本中に建てられています。
(2500基以上あるらしい)
芭蕉は「俳聖」と呼ばれ、弟子や崇拝、神格化され
俳句(蕉風俳諧)は大衆娯楽として広く人気を博しました。
句碑の中には、俳諧愛好者が芭蕉をしのんで建てたものも多い。
「芭蕉がこの地を訪れて句を詠んだ」という証ではなく
「この辺には俳諧を愛好する人たちがたくさんいました」という印でもあるようです。
了徳院の句碑にも
「俳人三津人が建立した」と書かれています。
「杜若語るも旅のひとつ哉」
句に「杜若」が入っているように、昔はカキツバタの名所だったそうです。
江戸時代の錦絵『浪花百景』には「うらえ杜若」というタイトルの絵があり
大阪の観光名所のひとつになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/15/3403e32921af3a52aebc0ecf9c122579.jpg)
手前にシュッと伸びた杜若の花、燕が飛んでいるかっこいい絵です。
お寺の池というよりは、周囲の井路川(聖天川)に杜若が咲いていたんですかね?
赤い提灯は茶屋かなぁ。
建物の向こうは田んぼなのかな、のどかな風景です。
杜若だけでなく、藤の名所でもありました。
近くの妙寿寺の蓮も有名だったそうで、
蓮飯の美味しいお店(富竹という料亭)があったらしい。
杜若も蓮も水辺の植物なので、浦江はやはり水郷の街だったのですね。
聖天川は周囲が市街地化・工業化するにつれ水質が悪化し
埋め立てられてしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/64/b00a5b842309727c182263d86359d11c.jpg)
帰る前に、手水鉢の写真を撮りました。
すると「え?!」な光景が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3b/79b4242d0173410ec1061c5fff8ed330.jpg)
お参りした日は8月、ものすごい暑い日でした。
気持ちは分かる、気持ちは分かるんやで。
しかし、これ、鳩じゃなくて人間だったら
確実に今大流行している「不適切写真」でしょう。
ネットで調べてみたところ、鳩は水浴びが大好きで
お寺の手水鉢に入っている姿は決して珍しいことではないそうです。
参拝前の礼儀として口を漱ぐものらしいですが、
こういう下から水がわき出るタイプの鉢の場合は
ちょっと考えた方が良いかも知れません。
蛇口から流れ出るタイプなら、心配いらないのですが。
(私は手は必ず洗いますが、口は漱いだり漱がなかったりです。
こちらでは漱ぎませんでした。大聖歓喜天様、申し訳ありません)
追記:産経新聞のHPに聖天通商店街ならびに聖天さんこと了徳院の記事が掲載されています。
「msn産経:大正期の大阪都…吸収した名市長が詠んだ街 鷺洲」
「如意山了徳院(福島聖天)」
住所:大阪市福島区鷺洲2-14-1
電話:06-6451-7193
※「福島区の風景・街並み」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます