思いつくまま、気のむくまま

日々の出来事を日記代わりにつづります。

島原・雲仙旅行 その1

2011-06-30 20:14:47 | 旅行
仲良し3人組で島原・雲仙旅行(1泊2日)に行った。
年齢は40代、50代、60代の面々である。
一番若手のHさんが、全て手配し段取りを決めコースも計画してくれた。


雲仙島原の観光協会と温泉地のタイアップで様々なサービスを受けられるのが
今日までの期限だったのでそれらを利用しての旅だった。
まず、温泉地の観光バスが送迎無料のサービス。
島原城と普賢岳の大噴火の様子を大迫力の大型スクリーンで疑似体験できる
「平成大噴火シアター」のある、がまだすドーム見学が盛り込まれていた。

でもこれは会場に入ることを躊躇した。

ジェットコースター並みの条件、心臓の悪い人、身長100以下の人は入れませんなど
いろいろ書いてあったので閉所恐怖症の友人と共に、「遠慮しておこう」と


そして普賢岳を見ながら目的地の雲仙へ



小さな街だが、建物の規制がいろいろあるようだ。
屋根は赤レンガ色、高層建築物は建てられない。
警察署も消防署も洒落た建物。

ここでは運動靴に履き替えガイドさんを頼み雲仙地獄めぐりを楽しんだ。


ここはあの名作「きみの名は」の撮影が行われた場所とか、記念碑が立っていた。
悲しいかな、その話が分かるのは私だけ。古っ!


私たちが泊まったホテルは昭和天皇、皇后様がお泊りになり日本でも3本の指に数えられるほどの
歴史と由緒あるホテルだそうな。
昔、欧米人たちが避暑の目的で長期に滞在していたらしい。
避暑地としては軽井沢が有名だが、本当はこちらのほうが本来の避暑地であったとか。
ヘレンケラーも訪れている。それ以来温泉が大好きになったそうだ。

日記代わりのブログ

2011-06-27 21:08:03 | 日記
日記代わりにこのブログを書き始めて1年と3か月が過ぎた。
誰にも知らせず自分の記録として残しておこうという算段だったが、
遠くに住む妹に母の様子を知らせるための手段として利用し始めた。

コメントしてくれるのは妹だけ。
こちらに帰っている姉にも教えたので時々コメントを入れてくれる。

しかし、どういうわけか、アクセスカウントが結構ある。
果て、どなたが読んでくださっているのかわからない。
私の友人たちが「ブログのアドレスを教えて」というけれど、
自分の身内のことを語ったり、プライベートなことが多いので
とても人様に紹介できるようなものではない。

日記は人には見せないものだし、身内だけにとどめている。
もっともっと、このブログが進化して面白いものになったら、
人様にも見てもらうけれど、まだまだ自分の記録として書いている間は、
見せられない。

時々前のほうを読み返すとやはり記録として残しておいてよかったと
思うのでこれからも書き続けよう。

もし読んでくださっている方がおられましたら、お礼を申し上げます。
拙いブログでお恥ずかしいのですが、よろしくお願いします。

猛暑に思う

2011-06-25 09:36:48 | 日記
雨がやむと猛暑。
今年も昨年のように暑いのかしら。
熊谷では39度を超えたとか、40度近い暑さなんてどんなもの?

そこへもってきて今年は節電。電力が足りない。
今から需要が増える夏を迎えるというのに。
毎年、自宅のエアコンは来客があるとき以外はつけない主義だが、
というのも、教室でほぼ毎日のようにエアコンづけなので、
体に悪いと思い、汗をたくさん流そうと、自宅ではもっぱら扇風機。
窓を開け風を通せば何とかしのげる。

しかし、東北の被災地の人たちへ思いを寄せると、
放射能問題はまだまだ進行中。
窓は開けられない、冷房もない体育館で蒸しぶろ状態、この暑さでハエが大発生中とか、
行方不明者もまだまだ数千人、動物たちの死骸やがれきも片付けられないところもあり、
想像を絶する暮らしなのだ。

いくら粘り強いといわれる東北の人たちも我慢の限界だろう。
被災地の子どもたちが必死に我慢をしている様子にこちらの子どもたちを重ねてしまう。

昨日も小3の女の子が疲れているという理由でごちゃごちゃ言い出した。
今年度から学習指導要領が変わり、授業時間数の増加、教科書の内容もむずかしくなった。
だからこそ家庭での学習が大切になるわけで、基礎学力を育てておかねばならない。
お母さんも働きに出はじめ、歩いて教室に来なければならないことが嫌なのだそうだ。
子どもの足で徒歩6,7分の距離なのに…。
そんなに近くても車での送迎なのだ。

もしかしたら、東北の子どもたちも震災前はそういう状況の子がいたかもしれない。
しかし、天地が引っくり返るような出来事に遭遇し、考えも価値観も180度変わったことだろう。
いつどうなるか知れないのなら、好きなように生きたらいいじゃない、厭なことはしなくてさ、
なんてうそぶく輩も出てくる。

今のこの時代、そんな風に生きられますか?
厳しい時代を生き抜く力は好き勝手なことをしていて育ちますか?
誰かがやってくれるだろうは通用しません。
自分で考え行動できる人間にならなければなりません。

そんな子の育成に日々微力ながら子どもたちと真剣に向きあっています。
やがて社会に貢献できるような人間になってもらえたらこれ以上の幸せはありません。

大変だった懇談会

2011-06-18 09:22:50 | 日記
保護者個人懇談も今週で山を越す。
16日の木曜日は悲惨だった。
朝から夕方までぎっしり詰まっていたのだが、家を出るときから嫌な予感。

そう、久しぶりの鼻炎。
前日病院で診察を受けたときは何ともなかったのに、その夜からのどの痛み。
トローチをなめたり、うがいをしたりしたが、翌朝は鼻水ずるずる。

常備している鼻炎の薬を飲んでおけばよかったかもしれないが、
大丈夫だろうとタカをくくって懇談にのぞんだのだ。

一人目はどうやらクリア。
二人目あたりからやばい
マスクを着用。
マスクの中は鼻水でびちょびちょ。(ごめんなさい、汚い話で)

時々マスクを外して鼻をかむ。
保護者が長年の付き合いの人ばかりで助かる。

「ごめんね。今日は朝からぐしゅぐしゅで…」

「大丈夫ですか?」

なんだか気もそぞろで話していたように思う。
頭もぼぉ~としている。
大変な1日だった。
帰宅後すぐ鼻炎の薬を飲みその日は早めに床についた。

そして昨日の教室日。一番忙しい日に、スタッフがひとり休み。
鼻水は止まっていたが、軽い喘息で息苦しい。
子どもたちは学校の長時間の授業に耐えてまた教室にやってくる。
早く家に帰したいのだが、疲れ果てているのかなかなか集中しない。
真剣に学習する子、とりかかりが遅い子、わずか数枚のプリントにも時間がかかる子、
様々だ。それでも何とか無事に終わりほっとする。
子どもたちもよく頑張ってくれた。


老いても元気でいたい!

2011-06-15 16:55:59 | 日記
雨も小康状態の今日、母を見舞う。
明日も1日個人懇談。
明後日は教室日、土曜日も懇談と日程が詰まっている。

自分の病院にも合間を縫って行かねばならない。
今日は内科。明後日は整形外科。
腰の痛みはもうないが治療は続く。投薬と時々診察。

母のもとを訪れてみるとちょうど弟が来ていた。
ベッドが空だったので食堂に行ってみるとおやつを、、、
といってもヨーグルトのようなものをスプーンで食べさせていた。

相変わらずうつろな目をしている。
しかし、看護師さんたちには精一杯の笑顔を見せようとする。
特に若い男性の看護師さんに。
可笑しくて

母は人一倍気を使う人だったので、お愛想笑いなのだろうか。
あまり感情を表すでなく物静かなタイプの母は、趣味も多く老後の人生を楽しんでいたかに
思えたのだが。

米寿を過ぎたあたりから入退院を繰り返し、認知も入るようになると
これがあの気丈だった母なのかと戸惑ってしまう。

日々老後を考えさせられる。
あちこち体の不具合が出てきたり、物忘れや所作にも、もうすでに老後はしっかりと
立派に表れている

今日、病院で昔の保護者に会った。
「先生は全然お変わりありませんね」と。
「とんでもない!あちこちガタが来て、ほらこうして病院通いですよ」
表面上は健康に見えるらしい。

でも気持ちは若いと思う。気持ちだけね。
若い仲間や、子どもたちと常にふれあっているから同世代の人たちと比べると
そう思う。頭も使っているしね。

必要とされていることは幸せなのかな。
もう少し頑張るか!