思いつくまま、気のむくまま

日々の出来事を日記代わりにつづります。

老いるということ

2010-04-26 10:07:47 | 日記
今日は曇り。

昨日は暑かったのに、今朝は冷え込みカーディガンをはおる。

母が冬布団は重たいというので薄い布団2枚にしたら、寒いと・・・。

また左ひざが痛いという。

昨日、母が私に「夫婦で自分を馬鹿にしている」と抗議する。

ディに行かない日に用意して迎えを待っている母に

「どこに行くの?」と尋ねることがいやなのだそうだ。

「わかった。じゃあ言わないね、どうすればいいの?」

「何もいわんでよか」


ディにはもう行かないと言ったり、行かなくてよい日に用意をしたり

今日も帽子をかぶり出かける準備。

母 「今日は早く起しに来んだったね」

小さい声で耳元で

私 「今日は行くの?月曜日だよ」

母 「あ、行かんとたいね、そんなら寝る」

私 「お茶飲んで朝ごはん食べてから休んで」


1時間以上かけて朝食。


月に1度帰ってくる孫に愚痴を言っている。

「婆ちゃんは、うつ病たい」

「今はみんなうつ病ばかりだよ。婆ちゃんこの本ば読みなっせ」

長男が(ブッダの教え1日1話)という本を渡していた。


昔は貧しいながらも夢や希望があった。大家族で生命の営みも

自然な形で行われていた。

しかし、姥捨て山という話もあったなあ・・。

自分も世の中で役に立たなくなったら捨てられる立場なのだなあと・・

みんな一度自分に問うてみたらよい。








体調不良

2010-04-21 09:52:35 | 日記
妹が帰京してから体調悪し。

とうとう昨日は仕事中に病院へ駆け込む。

天候不順に身体がついていけないのか?昨年も同じようにこの時期体調を

壊している。季節の変わり目は要注意だ。

母もディを休むという。

二人分の山のような薬を前にため息・・・。

こんなに飲んだらそれだけで気分が悪くなりそうだ。

明るい話題を提供したいのに、なんだかなあ・・・。

肥後狂句なり詠んでみようか・・・

   のさんねえ 病人ばかりの 老人世帯
   


妹滞在記

2010-04-20 06:24:27 | 日記
東京郊外に住む妹が10日間ほど滞在した。
年老いた母を少しでも世話できればと来てくれた。

こちらに着くそうそう、母が熱発。おまけに妹も体中が痒いと・・。
土曜日の夜から具合悪く、翌日は日曜日。
当番医に連れて行くべきか、
救急に依頼するか悩む。
幸い、熱だけで嘔吐もなし。一晩中冷やして様子を見た。

そして月曜日かかりつけのお医者様へ妹も行く。
母も大したことなくよかった。

そんなこんなで前半は病人の看護、後半はずっと母と一緒で
いろんな行動を起す母を「ここまでとは・・・」と驚く。
精神的にかなり参った様子。

私は妹が来てくれて大いに助かった。
母のことや家のことを心配しないで働けることがいかにありがたいか、
つくづく思った。

お年寄りが尊厳を持って最後まで生きられる道はないものか、
もう長生きしたくないと思わせる現実をどう考えたらよいのか、
もっとやさしくしたいと思っても声を荒げてしまう自分に嫌悪感を抱く。
自分の行く末を母に重ねると年をとるのが怖くなる。

この国の政策の貧しさ、とてつもない老人社会になっていくのに・・。

いろいろ考えさせられる。





悲しい別れ

2010-04-04 20:21:28 | 日記
とうとうこの日が来てしまいました。
必死に死と闘っていたナナがお昼過ぎに13年の命を全うしました。
人間の年でいえば80歳ころ、いつどうなってもおかしくないとお医者様。

えさを自力で食べなくなって10日、何回にも分けてフードポンプで薬入り流動食を
口に運びました。でも、見る見るうちに体重が減りごつごつした骨が浮き出てきました。
長い毛で覆われているので見た目にはわかりませんが抱き上げてみると本当に軽くて
力も入らず、便さえ出せないのです。

こんなに弱っていく様を身近で見たのは初めてです。
昨夜は一晩中つきっきりで、身体をそっと撫ぜて上げるしかできないのですが・・
時折、哀しく長~く鳴くのです。
心身ともに疲れはてた私は朝方から睡魔に襲われ少し休みました。

夫が昼間ナナを看てくれたのですが、苦しそうな鳴き声と激しい息遣いをするナナを
私はどうしても近くで見ていることができませんでした。
でも今夜は私がまた一人で面倒を見なければならないのだと覚悟し、
仮眠を取っていました。

その時大きな声で二言三言ナナの吠えるような鳴き声を聞きました。
息を引き取ったと夫が冷静に知らせに来たとき、私は苦しさから開放されて
よかったねとまず思いました。

そして涙が次から次に溢れ号泣です。
ペット葬祭業者への連絡も嗚咽で住所もいえないのです。
洗面所に行っても風呂場に行っても、ベランダ、押入れ、全てにナナとの思い出が
つまっていて悲しくてなりません。

このブログも涙が頬を伝い気持ちの思うまま殴り書きです。
ナナの最後の顔は眠っているような穏やかな表情だったのが救いです。

ナナちゃん、ありがとうね。あなたが居て私たちみんな幸せだったよ。
いつも側に居てくれて悲しいことや苦しいことがあっても、あなたに励まされたわ。

本当にありがとう。                    合掌


































命の重さ

2010-04-02 09:52:34 | 日記
昨日朝からナナの薬とえさをもらいに動物病院へ。
薬を混ぜて少しずつ与える。

フードポンプでしか食べない。お父さんの役目なので、夫の姿を見ると
か細い声で鳴く。以前は声も出せなかったので快復しつつあるのだろうか。

夫も私たちにはおよそかけてくれないようなやさしい声で
「はいはい、ナナごはん食べようね」と・・・。

少し認知気味の母が焼きもちやく。
「みんなナナのことばかりで私は余計もん」
「あのねぇ・・・ふぅ~」

定位置から動かなかったナナが、昨夜ゆっくりと私の布団に寄ってきて横になった。
じっと顔を見る。何を思っているのだろうか・・・。
自分の身を犠牲にしてまで私たちに癒しを与えてくれているのか・・、
私を慰め励ましてくれてるつもり?か、しばらくしたらまたいつもの場所へ。

こんな小さな動物でも死と闘っている。
なのに、世間ではまるで虫けら同然に人の命が失われていく。
毎日のように忌まわしい事件が報道されても麻痺してしまい私たちは命の重さ
というものを深く考えようとしない。

与えられた命、日々を感謝して生きよう。