思いつくまま、気のむくまま

日々の出来事を日記代わりにつづります。

大切な尊い命なのに

2014-07-30 18:09:07 | 日記
佐世保でまたもや凄惨な事件が起きた。
高1女子の同級生殺害事件。
15歳の少女による犯罪。

動機は
「人を殺してみたかった」
「解剖してみたかった」など
淡々と語っているらしい。

嫌でも10年前の事件を思い出す。
あのときは小学生による犯行だった。

残忍で猟奇的な事件が起こると私たちはその背景を探ろうとする。
憎しみ、怨恨などと言ったものではなく、ただ、殺したい…。
そんなものが理由になる?
何なんだろう。
被害者はたまったものではない。
奪われた命は戻ってこないということが、
わからないのか?

10年前の事件以来、佐世保では「命の教育」として学校、地域、家庭で
様々な取り組みがなされてきたそうだ。
それでも再び事件は起きてしまった。
これは氷山の一角であって、どこにでも水面下では似たような事件を
起こしそうな予備軍がいるのではと懸念する。


これから本人に対する様々な取り調べと同時に心の闇に対しても
調査や精神鑑定が行われるだろう。
まだ反省の弁もないということは、自分のやった行為の重大さが
理解できていないのか、計画性もあったと聞くと、本当に背筋が
凍る思いである。


地震、雷、火事、親父

2014-07-20 11:31:03 | 日記
夏休みに入りました。
一昨日の学習日は、終業式で、学校帰りに寄った子どもたちで
早い時間帯からいっぱいになりました。

幼児さん、驚き!
いつもはそんなにいないお兄ちゃん、お姉ちゃんたちがあちこちに。
みんなに交じり、頑張ってプリントを仕上げておりました。

梅雨は明けたのでしょうかね。
まだ、雷はなりませんけど…。
昔から雷が鳴らないと梅雨は明けないと思い込んでいて…。
怖いものの代表として
地震、雷、火事、親父でしたか?
そういわれてましたよね。
親父?怖い?いまは父親の権威、失墜してますよね。
優しいお父さんが多いです。

「ママは怖いけど、パパはぜ~んぜん!」
お父さん、がんばりましょう!

私たちは父が怖かったですよ。
母を通して物を言ってた記憶があります。
父の言うことは絶対聞かなければなりませんでした。
そんな時代でしたから。
厳しく育てられてよかったと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お父さんは外出してモモちゃんと二人だけの休日。
今は猫ちゃんたちの恋の季節かしら?
マンションのすぐそばですごい大きな声がしました。
「なになに?」って感じでモモ様、すっ飛んで来られました。
ベランダ越しに見えるのは、2匹のニャンコちゃんたちの恋の駆け引き。
モモ様、「あたしには関係ないわ」とばかりに
自室(どこよ?)に引っ込まれました。


ついこの前7月に入ったと思っていたら、もう20日。
夏休みですもんね。
この分じゃ8月も矢のように過ぎ去りますよ。

お盆休みの1日、母をまた病院から連れ帰ります。
この前、行った時は目をしっかり開けてましてね、
「お盆には家に帰るよ」って伝えたら、わかったんじゃないかなと
思います。

シリーズ・モモ日記79

2014-07-19 08:48:52 | ペット
和室の上敷きはボロボロ 
はい、モモさまの爪とぎ場と化しておりまする 

ねこの爪とぎはあります。
全然見向きもしないんです 
麻生地なのが嫌なのかと思って、
つい先日段ボール製の爪とぎを買って来ました。
「さあ、これで研ぐのよ」



マタタビの粉末がついていまして、
お父さんが全部ふりかけてしまったのですね 


くんくん





床に落ちた粉をなめていました。


もう興奮してこの通り 



こわっ 



なんなん?



すりすり


あいたた、よっぱらっちゃった


どてん


ついでに
ガブッ


いたっ 

物言わぬ動物たちのことを考える

2014-07-13 08:37:51 | 日記
鬱々した気分ってありますね。
でも仕事に出ればそんなこと忘れてしまいます。
だからいつまでも社会に関わっていることが必要なんです。

毎日そんな状態で過ごしていたら、病気になってしまうでしょう。
まさに病は気から。
この年になっても働けること、素直にありがたいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日はペットについて考えてみたいと思います。
今や高額な値段で血統書つきの犬や猫が売買されています。
私にはペットショップで犬、猫を買うなどという発想はありません。

子どもの頃から、犬や猫は身近におりました。
全て貰い受けたもの。
近所の犬が子犬を生んだのをもらったり、
(その犬はしょっちゅう実家に帰っていた。)

昔は犬や猫もおおらかに暮らしていましたからね。
夜になれば放し飼い。
と言っても自由に家の近くにいるだけで、例えば私たちが夜道を歩いていると
足音でわかるのでしょう、近回りして出迎えてくれました。
今は必ずつないでおかないといけませんが、昔は、特に田舎は
夜になったら放していました。半世紀も前の話です。
車も少なく事故の心配などありませんし、夜は皆静まり返り、
本当に見回りパトロールみたいなものでした。まさに番犬。
ちゃんと朝にはマイホーム(犬小屋)に帰ってきてました。

猫もそう。自由に外に出ておりました。
共に暮らすことが当たり前で、遊ぶ時も一緒。
そういうのどかな子ども時代を過ごしてきました。

現代ではいろいろなペットが売り買いされ、商品扱い。
賞味期限(?)(売れ残り、大きくなりすぎなど)過ぎれば廃棄。
というような人間の勝手な商業主義の犠牲になっている事実を
知りました。
そんな犬や猫を保護し里親探し、広報活動をしている団体や
個人でやっておられる方が全国には少なからずいらっしゃいます。

そのうちのおひとりにK先生と言う方がおられます。
関東在住で進学塾の先生です。お年は40代後半。
お一人で中3だけを対象に多くの生徒を指導しておられます。
その方の風貌と言いますと、まず坊主頭、作務衣姿、それだけで
「うっ…」となりませんか?(笑)
職務質問は毎度のことと笑っておっしゃいます。

次々に問題提起をして下さり、それらの解決に少しでも役立つような
行動を起こされています。
ブログも書いておられます。
涙あり、笑いあり、真剣な問題には考えさせられ、様々な意見が飛び交う
とても中身のあるブログです。

みなさんのコメントもいいんですよ。
今は山梨に置き去りにされた犬たちの老犬たちの問題に取り組まれ、
そこから2頭の犬を引き取り、里親探しではなくご自分で
生涯お世話をなさる決心で引き取られました。
環境に慣れず、引きこもりの犬、決して無理に慣れさせることなく
ゆっくりと時間をかけて接しておられる姿が感動的です。

他に飼い犬のミニダックスが2匹います。
この子たちも保護犬でした。この2匹の活躍がその後次々にやって来る
保護犬たちにいろんな影響を与えます。
これまでにも数頭の預かりをされ里親探しに奔走されました。

先生はおっしゃいます。
「自分はこの子たちに多くのことを学び、あらゆる面で救われている」
そして決して強制されません。自分のできることをできる範囲でやろう、
出来ないことは無理することないのだからと。


今は保護犬活動の記事が多いですが、本職はもちろん塾の先生ですから生徒指導。
入試が近づく時期になると一人5本の鉛筆を全て手で削りプレゼントされます。
それが圧巻です。写真を見て目を丸くしました。
100名近くいますからね。2月頃から削りはじめられます。
入試に失敗した子にも最後までそばについて励まし面倒をみられます。


もし、興味をもたれたらこの先生のブログをご覧になってください。
「トトの間へようこそ」で検索されたら出てきます。















最近読んだ本

2014-07-10 15:58:54 | 日記
「アルジャーノンに花束を」を読んだ。
著者のダニエル氏は6月に亡くなった。
ダニエル・キイスという名は聞いたことがあるような無いような…。
ニュースで彼の著書「アルジャーノンに花束を」の紹介をしていた。
何度でも読みたくなる本らしい。名作らしい。
私は残念ながら読んだことがなかった。
それで取り寄せてみた。

あらすじや映画化、テレビ化されたという件に、
おぼろげながら遠い記憶がよみがえる。
その話の筋は知っている。
確かテレビ映画で見たことがあるような…。

ネットで調べていくと映画化されている。でも俳優が違う。
顔ははっきり出てくるのに名前が思い出せない。
ずっとそのことを今日まで引きずっていた。
もう我慢ならない。
ネットでハリウッド男優で検索をかけてみる。
記憶に出てくる顔はジャックニコルソンであった。

次に彼の作品をみる。「アルジャーノン…」は、ない!ない!
似たような作品は?「カッコーの巣の上で?」ちがう!

「レナードの朝」という映画も似たようなストーリーだ。
眠り病という病気で薬物によって著しい変化が現れてくるのだが、
効果が切れると元に戻ってしまうという話でこれは実話らしい。

私は本の感想というより、何故、ダニエル氏がそのような作品を
書いたかに興味を持った。
その背景について書いた記事があった。
ダニエル・キイスがこの本を執筆した1950年より少し以前から
アメリカでは知的障害者に対して有効性が期待されていた
脳外科手術が行われていたそうだ。
ロボトミー手術である。そういえば聞いたがことある。
その手術は現代も行われているのだろうか?

主人公のチャーリーは数か月の間に知的障害~天才へと
変貌して行くのだが、知的機能は日に日に崩壊していき
やがて最後にはまた元に戻ってしまう話。
その間経験するすべてのことが経過報告という形で記され、
私たち読者を一気にストーリーの中へ誘う。

読後感はやはり繰り返し読みたい本の一つだ。
考えてみよう。
私たちは大なり小なり行く行くは障害者になる。
身体的にも、知能的にも…、
チャーリーは哀しいくらいそのことを私たちに意識させてくれた。

人は他人との比較に敏感で、優劣をつけたがる。
知能だけ優秀でも人としての優しさや思いやりがなければ
何の価値もない。

「アルジャーノンに花束を」も
「レナードの朝」も人体実験に違いない…。


キイスは、社会的弱者の存在を認め、共に生きていける社会を
この作品を通して訴えたかったのだろう。