思いつくまま、気のむくまま

日々の出来事を日記代わりにつづります。

生徒面談

2011-03-29 08:36:46 | 日記
年度末で多忙な日々が続いている。
東北の震災以来、不自由な暮らしを強いられている人々に思いを寄せ
自分にできることを行動している。

4月の教室便りは例年なら明るく希望に満ちた記事を掲載し、
年度初めのスタートとするのだけど、この悲しい未曽有の出来事に
触れないわけにいかず、1、2面を通し、自分の思いを載せた。

今までの価値が根本から覆されるような出来事であり、
もちろんいつまでもその悲しみに浸っているわけにもいかないが、
遠くの地で起きている惨事は関係ないと知らぬふりもできない。

おりしもこの時期生徒面談をする。
これまでの学習の振り返りと新しい年に向けての計画。見通し作成などなど。
子どもたちと思いを共有しながら勉強する意味を考える。
親や先生にやらされるのではなく、自分の意志で、自分の夢のために、なりたい自分になるために、
中学、高校へ行っても困らない学力をつけるなどのことばが子どもたちから出てくるのが嬉しい。
いつも子どもたちにかけている言葉であり少しは浸透しているようだ。

被災地にいる子どもたちに1日も早く平常の暮らしが訪れるように望む。
こういう時だから一心不乱に取り組めるものが必要なのだ。
人間の生きる力、知恵、知識などの蓄積は考える力がなければならない。
その考える力をつけるのが勉強だ。受験のためだけの勉強ではむなしい。

加齢と共に体調に不安を抱えながらの仕事だ。
教室にいるときは子どもたちからパワーをもらうが、帰宅した途端に張りつめた緊張が緩み
力が抜ける。あと何年続けられるか体力との勝負である。

私たちにできること

2011-03-20 11:25:55 | 日記
地震、津波災害から1週間以上経った。
今なお、救援を待つ人々、避難所でのストレスのある生活、
生活物資すべてが足りないと・・、届ける手段が限られている・・、
連日テレビでニュースを見るたびにやきもきするだけ、自分に何かできることは?
いても立っても居られない。

私たちの多くの仲間も被災している。
会社も総力を挙げて先生方や子どもたちの安否を確認しているようだ。
幸いに無事を確認された方が多いが、まだ連絡がつかない先生もおられる。
午後2時台というと、幼児さんがちらほらくる時間帯。
無事に逃げ遂せただろうか・・。お年を召した先生はおられなかったのか・・・、
この地震と津波のニュースを知った時、一番にこのことが気がかりだった。

遠くの安全な場所にいる者の心得というものがあった。

  「寛容」…今はオールジャパンで被災者の救援と被災地の復興に当たるべき時
           であり、他責的な言葉遣いで行政や当局者の責任を問い詰めたり
           無能力をなじったりすることは控えるべき。
           彼らは公的立場上救援活動などに不眠不休で激務にあたっている。

    「臨機応変」…平時のルールと非常時のルールは変わって当然。地震の直後から
           各地で個別的判断で様々な施設やサービスが被災者に無料で提供
           され今も次々と申し出が続いている。
           ルールの「弾力的運用」ということに配慮したい。

 「専門家への委託」…災害への対応は何よりも専門家に委託すべきで専門家の
           指示に従い整然とふるまうべきだろう。



安全圏にいる私たちへの自戒の意味も込めたことばであった。
冷静に私たちがすぐできることから始めよう。
これだけの災害、被害総額はだれも語らない。
怖ろしいくらいの天文学的数字だろう。


被害に遭ってない地域で経済を活性化させよう。
義援金を送ろう。

いのちの詩コンサート

2011-03-16 08:24:29 | 日記
3月15日濱野裕生、命の詩コンサート「母に命を返す時」に行った。
92歳になる母、弟、介護施設で働く従妹を連れて。

冒頭でこのたびの震災で亡くなられた方へ黙とうし、収益金の一部を寄付させて
いただくという話があった。

10数曲を歌われたが、1曲1曲がストーリー性を持った長い曲で
レコード化の話もあるようだが商業ペース的にはなかなか難しいだろうと思う。
特に今はお笑いも落語以外はじっくり聞かせる漫才もないような時代だから。

しかし、介護という特殊なそれも地味でどちらかというと忘れ去られた感がある分野での
介護する側の応援歌という意味では聞くものの心を揺さぶるものがある。
ずっと涙が出て止まらなかった。
母の言動そのもの、今の弟の心境そのもの、会場はもちろんお年寄り、介護者などが多かったが、
みな同じ気持ちを抱いたに違いない。

2時間という長時間母がじっと座っていられるか心配だった。
開演前にトイレは済ませていたが、1時間後くらいには外へ連れ出ししばし休憩をさせた。
従妹がその役目を買って出てくれた。
濱野氏の作品の98歳になられるお母様もいらしていて、やはり途中で休憩のためにロビーに
おられたとか、母とも少しお話ができたらしい。

母に「歌はどうだった?内容はわかった?」と聞くと
「よかったねえ」
一番前の席で騒ぐでなし、じっと聞いていた母。

会場はあまり人は入っていなかったが、それでも彼は唄いながら草の根運動で介護生活を
伝え続けていく、自分の歌を聞いて少しでも誰かの力になれれば嬉しいと、さらに今回の災害に
対しても日本中が介護5の状態だと、一人一人が何ができるか考えてほしいと結ばれた。

本当に日の当たらない場で苦労して生きている人の多さよ。
少しの不便や悩みも取るに足らないこと。毎日生きていられることに感謝をして生きよう。
今回の災害は国民一人一人に大きな課題を投げかけた。
あいだみつを氏の詩に「奪い合えば足りぬ、分け合えば余る」というような言葉があった。
まさに今それが問われているのだ。

災害復興に何かせずにいられない。まず自分にできることから始めよう!
教室の子どもたちも自分たちのお小遣いを義援金として送ったという。
その気持ちが嬉しい。

首都圏に住む身内のSOSに応えたり、会社も大規模な義援金活動をするらしい。
自分にできることはまず義援金を送ること。できうる限りの援助を惜しまないことだ。

みんなでがんばろう!



東北・関東地震

2011-03-12 09:02:15 | 日記
何ということだろう。
東北、関東地方に震度7という大きな地震がおきた。
10数年前の神戸地震が頭をよぎる。

日本列島は4つのプレートが入り組んだ上に乗っかってる状態、
いつ地震がおきても不思議ではないと言われているが、
こればかりはその日がいつなのか明言できるわけではない。
考えてみると私たちは本当に何が起きるかわからない日々を生きているわけだ。

将来のことを気に病み、不安で心が押しつぶされることより、
今生きていることに感謝をし、毎日悔いのない生活をすることが一番大事。

今回被害に遭われた方々も、地震直前まで普通の生活をしていたはず。
お昼にご飯を食べて午後のひとときをゆっくり休んでいた人もいるだろう。
ショッピングを楽しんだり、子どもたちはまだ学校にいたかもしれない時間帯だ。
それが一瞬のうちに破壊されるなんて誰が想像しただろう。

津波の怖ろしさに顔もひきつる。
車が、家が流れていくさまは恐怖だ。
病気で寝ていた人はいないのか。
ひとり暮らしのお年寄りはいなかったのか。
みな逃げおおせたのだろうか。

自分が年をとってくると、非常時に立ち向かう行動ができない。
機敏に動けない、走れない、みんなの足手まといになるだけ…。
そんな人もきっといただろうなあ。
夜が明けて、テレビで映される惨状に顔がこわばったまま…。
被害に遭われた方にかける言葉も見つからない。

それでも気持ちを強く持って生きて!

寝られない

2011-03-10 10:22:25 | 日記
昨日は母の夜の介護で弟の家に泊まり。
先週は私の体調不良で行けなかったので、2週間ぶり。

いやあ、参った参った・・・。

仕事を終え母のもとへ行くもどういうわけか眠くてたまらぬ。
リビングでとにかく「1時間だけ寝させて」とソファに横になる。
その姿を見て母が「早く家に帰れ」という。
「今日はお世話に来ているから泊まります」と。

やはり眠気には勝てず9時前に母の部屋へ。
友人からちょうど電話がかかってきたので話をしているうちに少し眠気が飛んだ。
母のトイレも済ませ、ベッドに入れテレビを見ていると、部屋が明るいのか母が寝ない。
もう10時を過ぎているので私も寝ようと布団に入り就寝の準備をする。

さあ、それから寝付かせるまでの闘い。
睡眠導入剤は飲ませてある。
部屋を暗くしてまどろんでいるとベッドで布団をはぐ気配。

「トイレ?」

「トイレじゃないよ、◎☆◎▼△※~」

「どうするの?何」

「もう朝だから起きなきゃ・・」(夜中の0時です)

「あのね、まだ夜中、だから寝るのよ」

「夜中じゃないよ。朝だよ。」

「お願いだから寝て!」

しばらく静か、眠りに入ろうかと思う矢先にまたもや動き出す。

「どれ、車いすにすわろうかね」
「向こうの部屋に行こうかね」

「わかった。じゃトイレ行こうか?」トイレに連れ出す。その時窓の外を見せる。
「ね、まだ暗いでしょ。今は夜中!」

「おかしいね、朝なのに、みんな寝たろうだねぇ・・」(これが1時半です)。

それから3、4時間後

「おしっこ」

「はいはい、行こうかね」
「婆ちゃん、まだ5時だからもう少し寝ようかね」

「もう少し寝る・・・」

私もそれから8時過ぎまでの数時間やっと熟睡できた。
こちらも疲れているときは優しく介護なんてできない。
弟夫婦にも疲労の影が・・・・。

母の顔色はすこぶる良い。
今朝起きて弟に「昨夜はよく眠れた」と報告していた。

「・・・・・・」