思いつくまま、気のむくまま

日々の出来事を日記代わりにつづります。

親戚の法事に行きました。

2016-01-05 08:54:21 | 日記
仕事始めが多かった1月4日、
親戚の法事に出かけました。

お寺の名前を聞きそびれてしまいましたが、
山鹿方面の歴史を感じさせる由緒ある浄土真宗のお寺でした。
過去のひどい台風で外観、内部もかなり傷み修復されたとか、
建て直しの方が費用も掛らなかったかもしれないというお話でした。
しかし、400年の歴史があるお寺、貴重な文化遺産として後世に
残していかねばならないのでとは住職のお言葉。






天井に書かれた絵画も古く、当時のままだそうです。
今、時代小説を読んでいるので感慨深いものがありました。
内部の写真を撮りたかったのですが、何か神聖な感じがして
許可を得る勇気もありませんでした。



法要が終わりご住職さんの法話がありました。
時代の波とはいえ、檀家さんも減り、
寺の経営も大変なことだろうと
推察されます。
年末年始には檀家さんや門徒さんの家を回られるということですが、
そこでの話です。

今までお寺にもお参りに来ておられた方々が、
年をとり、外出もままならない状態になってこられたので、
家を訪ねて行くことが多くなったそうです。
ひとり暮らしのお年寄りが多く、
みなさん、「早くお迎えに来てほしい」といわれるそうな。

その中に102歳のおばあさんのお話がありました。
その方もひとり暮らしだそうです。
近くに娘さんがおられるとのことですが、
102歳の娘さんと言えばその方も当然高齢でしょう。
訪ねていかれてお話を伺うと、
同じ寂しさでも、考え方がポジティブなのだそうです。

鬱々とその日を待っているのではなく、
もう向こうの世界の方が多くの知り合いがいる。
夫も息子も知人も縁者も…、
行先が楽しみなのだと。
だから精一杯今を生きると。


そのことに関して次のようなお話もありました。
人生訓は数多くありますが、
外国のことばに

 「人生は航海のようなものだ」
つまり嵐の日もあれば凪の日もある。
しかし、行先、目的が明確ならば希望を持てる。


行先もわからなければ不安や恐れがありますよねと。
それを漂流と言います。

この102歳のおばあさんはきちんと自分の行先を
腑に落としておられるのです。

お正月に改めてこのようなお話を聞くことができ、
心が洗われる思いでした。

その後、別会場にて法事の宴席が用意されていました。


Y子おばちゃんのホッとした顔が印象的でした。
私たちも大好きな、やさしいおばちゃんです。
84歳。
おばちゃんも一人暮らし。
まだまだ元気でいてね。