前回予告したとおり
鹿をめぐるお話をひとつ語ります。
「十三鐘の石子詰め」という話です。
昔から、奈良の鹿は、神様のお使いやいうて、大切にされてきてんで。
ずっと昔に、春日神社の神さんが奈良に来るとき、鹿に乗ってきたんやて。
そんな尊い鹿を、もし殺しでもしたら、「石子詰めの刑」というて、
死んだ鹿と一緒に生きたまま穴に埋められたそうや。
さて、興福寺の南側の石垣に沿うて三条通をずっと上がっていくと、
右側へだらだらと下ったところに、菩提院大御堂というお堂があるねん。
俗に十三鐘と呼ばれてるねん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/6e/f2cc13ad4f7fc5fadf4e2f91bf1cab4c.jpg)
むかし、このお堂の横に寺子屋があってん。
あるときのことや。
三作という子どもが、この寺小屋で、「いーろは、いーろは」て声あげながら習字をしてるとな、
そこへ鹿が上がってきて、廊下に置いたあった大事なお手本を食べ始めてん。
三作はびっくりして、「こらっ」いうて、思わず、手元にあった文鎮を鹿に投げつけたんや。
そうしたら、当たり所が悪かったんか、鹿はその場に倒れて死んでしもうてんて。
鹿を殺した科で、三作は石子詰めにされることになってん。
大御堂の前の庭の東の方に穴が掘られ、三作は、鹿と一緒に生き埋めにされてしもうたんや。
三作の母親は、三作が埋められたところにモミジの木を植えて供養してん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c7/e6fbac7b0661ef9fc864273937ac2d77.jpg)
その時から、「鹿にモミジ」という取り合わせが始まったそうや。
そうして、三作が石子詰めになった時刻が、夕方の六つと七つの間やったので、
六つと七つを足して、ここを十三鐘というようになったんやて。
原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』
再話 : 村上 郁
このお話には、その証拠になる「三作のお墓」が
上の写真にあるように今日まで伝えられている!
母親は三作が秋に亡くなったので、
モミジを植えて、葉が色づくと、三作を思い出したそうだ。
また、三作が今度生まれてきたときは
亀のように長生きして欲しいと、母親はお墓に亀石と供養塔を建てた。
写真をよく見て、確認してくださいね。
紅葉したモミジも亀石も見えますでしょ。
このように三作の墓が今日まで伝えられている。
それって、すごいことですね!
奈良の先祖の人たちがこの話を未来に向けて伝えて欲しいとの
強烈なメッセージなんですよ。
鹿を大切にする心と子を想う母の深い愛!!
鹿をめぐるお話をひとつ語ります。
「十三鐘の石子詰め」という話です。
昔から、奈良の鹿は、神様のお使いやいうて、大切にされてきてんで。
ずっと昔に、春日神社の神さんが奈良に来るとき、鹿に乗ってきたんやて。
そんな尊い鹿を、もし殺しでもしたら、「石子詰めの刑」というて、
死んだ鹿と一緒に生きたまま穴に埋められたそうや。
さて、興福寺の南側の石垣に沿うて三条通をずっと上がっていくと、
右側へだらだらと下ったところに、菩提院大御堂というお堂があるねん。
俗に十三鐘と呼ばれてるねん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/6e/f2cc13ad4f7fc5fadf4e2f91bf1cab4c.jpg)
むかし、このお堂の横に寺子屋があってん。
あるときのことや。
三作という子どもが、この寺小屋で、「いーろは、いーろは」て声あげながら習字をしてるとな、
そこへ鹿が上がってきて、廊下に置いたあった大事なお手本を食べ始めてん。
三作はびっくりして、「こらっ」いうて、思わず、手元にあった文鎮を鹿に投げつけたんや。
そうしたら、当たり所が悪かったんか、鹿はその場に倒れて死んでしもうてんて。
鹿を殺した科で、三作は石子詰めにされることになってん。
大御堂の前の庭の東の方に穴が掘られ、三作は、鹿と一緒に生き埋めにされてしもうたんや。
三作の母親は、三作が埋められたところにモミジの木を植えて供養してん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c7/e6fbac7b0661ef9fc864273937ac2d77.jpg)
その時から、「鹿にモミジ」という取り合わせが始まったそうや。
そうして、三作が石子詰めになった時刻が、夕方の六つと七つの間やったので、
六つと七つを足して、ここを十三鐘というようになったんやて。
原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』
再話 : 村上 郁
このお話には、その証拠になる「三作のお墓」が
上の写真にあるように今日まで伝えられている!
母親は三作が秋に亡くなったので、
モミジを植えて、葉が色づくと、三作を思い出したそうだ。
また、三作が今度生まれてきたときは
亀のように長生きして欲しいと、母親はお墓に亀石と供養塔を建てた。
写真をよく見て、確認してくださいね。
紅葉したモミジも亀石も見えますでしょ。
このように三作の墓が今日まで伝えられている。
それって、すごいことですね!
奈良の先祖の人たちがこの話を未来に向けて伝えて欲しいとの
強烈なメッセージなんですよ。
鹿を大切にする心と子を想う母の深い愛!!
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