竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

鹿をめぐるお話「十三鐘の石子詰め」

2010年05月08日 | 日記
前回予告したとおり
鹿をめぐるお話をひとつ語ります。

「十三鐘の石子詰め」という話です。

 昔から、奈良の鹿は、神様のお使いやいうて、大切にされてきてんで。
 ずっと昔に、春日神社の神さんが奈良に来るとき、鹿に乗ってきたんやて。
 そんな尊い鹿を、もし殺しでもしたら、「石子詰めの刑」というて、
 死んだ鹿と一緒に生きたまま穴に埋められたそうや。

 さて、興福寺の南側の石垣に沿うて三条通をずっと上がっていくと、
 右側へだらだらと下ったところに、菩提院大御堂というお堂があるねん。
 俗に十三鐘と呼ばれてるねん。



 むかし、このお堂の横に寺子屋があってん。
 あるときのことや。
 三作という子どもが、この寺小屋で、「いーろは、いーろは」て声あげながら習字をしてるとな、
 そこへ鹿が上がってきて、廊下に置いたあった大事なお手本を食べ始めてん。
 三作はびっくりして、「こらっ」いうて、思わず、手元にあった文鎮を鹿に投げつけたんや。
 そうしたら、当たり所が悪かったんか、鹿はその場に倒れて死んでしもうてんて。

 鹿を殺した科で、三作は石子詰めにされることになってん。
 大御堂の前の庭の東の方に穴が掘られ、三作は、鹿と一緒に生き埋めにされてしもうたんや。
 三作の母親は、三作が埋められたところにモミジの木を植えて供養してん。



 その時から、「鹿にモミジ」という取り合わせが始まったそうや。
 そうして、三作が石子詰めになった時刻が、夕方の六つと七つの間やったので、
 六つと七つを足して、ここを十三鐘というようになったんやて。

    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁

このお話には、その証拠になる「三作のお墓」が
上の写真にあるように今日まで伝えられている!

母親は三作が秋に亡くなったので、
モミジを植えて、葉が色づくと、三作を思い出したそうだ。
また、三作が今度生まれてきたときは
亀のように長生きして欲しいと、母親はお墓に亀石と供養塔を建てた。
写真をよく見て、確認してくださいね。
紅葉したモミジも亀石も見えますでしょ。

このように三作の墓が今日まで伝えられている。
それって、すごいことですね!

奈良の先祖の人たちがこの話を未来に向けて伝えて欲しいとの
強烈なメッセージなんですよ。

鹿を大切にする心と子を想う母の深い愛!!


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