えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・遊びの仕方(『真・三國無双8』)

2018年02月10日 | コラム
 弟がシリーズを一応は買い続けていたことは知っていたものの、PS2版『真・三國無双5』で、それまで愛用していた勢力のストーリーが苦痛で止め、しばらくはその勢力の話を振ることもためらわれる様子に付き合った身としては奇妙な感覚を覚えた。本作は「オープンワールド」を謳い、過去作ではメニュー画面から選択していた目的地へ馬や拠点を活用しながらフィールドを動き回ることで移動できるようになったことが眼目らしい。彼のプレイ画面には薄い栗毛の馬にまたがった、怒髪したまま手入れを忘れたらしい逆立った髪のキャラクターが映っていた。馬から降りて武器をふりまわす、過去作とあまり差異の分からない遊びの部分では長柄の武器を取りまわし、ろうそくの火を吹き消すように兵士がSF映画のような光のエフェクトと共に倒れて行った。カメラは若干引き気味で、ラジコン操作のようにも見えた。

 一通り楽しんでいる様子なので、少し訊ねてみると、「張角に方天画戟を持たせて暴れている」と、ケロっとした表情で彼は話した。シリーズ6でお目見えして「全員コンパチシステム」と揶揄された武器の持ち替えは健在らしい。後漢後期の象徴的な人物である張角は、もともと序盤のボス敵のような扱いで、倒すために多少癖はあるがプレイヤーが攻撃できるように隙も多分に用意された動きのキャラクターだった。そのためプレイヤーが操作すると三国時代の有名な武将どころか兵士たちにまで、的確にモーションの隙を衝かれて一方的に攻撃されやすいため、武器が固定されたシリーズでは使いづらさの目立つキャラクターだった。新興宗教の教祖という立場をユニークに誇張された性格は「面白い」ともとれるので、武器が変更できるならばそれで遊べる方がよいだろう。

『無双オンライン』のようにキャラクターエディットでも良いのではという疑問は、シリーズ6発売当初に議論された話題なので脇へそっと下げた。フィールドを移動して地方の広さを楽しめる馬の移動はよく出来ていると彼が行った後、恐る恐る訊ねた。
「話は大丈夫だったの」
「ああ、見ていないからどうでもいい」
 今のところはかつて彼にトラウマを植え付けた勢力も、まあまあ大丈夫そうだと手を付ける気になっているそうだが、三國時代の地理を体感的に楽しむことを中心とする腹積もりはかなり固く決まっていることは、言葉の端々から読み取れた。

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