えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・射線に捉えられない(PS2版『零』)

2019年08月10日 | コラム
 ささやかな金を自由にできる年齢になってから、十年以上前に「これが欲しい」と言えなかった高価なソフトウェアを二束三文で手に入れて遊ぶようになった。とはいえネットで動くものならたいてい発信されてしまう現在、テレビゲームも例外ではなく「実況」という動画投稿者の肉声コメント付きで放映される番組のようにゲームは扱われるようになった。テクモ(現コーエーテクモホールディングス)制作、2001年発売のPS2ソフト『零』はその代表格のようなものだ。

『零』は当時主流であった外国が舞台のホラーゲームに対し、「和風ホラー」を冠して日本人の感性にそぐった恐怖の演出と、銃やナイフといったわかりやすい抵抗手段を持たない主人公を据えて他のゲームと一線を画した世界観を打ち立てた。大いに人気を博し、現在最新版はWii Uで2014年に発売された『濡烏の巫女』まで四作が発売されている。PS2版の最初の作品『零』の時点で、勝手に主人公の背後で開くふすまやことり、と落ちる人形の首の静かな音が細い雨のように怖さを前進に広げてゆく。

 本作をはじめシリーズに共通しているのは、「ありえないもの」への唯一の対抗手段として与えられた「射影機」という蛇腹式のカメラを模した機械で「幽霊を写真撮影する」という操作だ。プレイヤーは自分に襲い掛かる怪異を払うため、逆説的にその怪異へファインダーを通して否応なしに対峙しなければならない。怖いものを見ないという選択肢はあり得ないのだ。遠くから撮影しても相手を片づけることはできない。そのため、おっかなびっくりプレイヤーはカメラを掲げて襲撃者のひずんだ姿へ立ち向かうこととなる。

 実況動画のプレイヤーたちは皆慣れた動きで雑談を挟みながら悠然と化け物を撮影してゆくが、実際コントローラを触ってみると案の定そうはいかなかった。長年使っていたコントローラは左スティックに力を入れすぎると、スティックが溝にはまって固定されてしまうクセが出来てしまっており、いざカメラを構えるとカメラの焦点がしっちゃかめっちゃかになった。ある意味「幽霊を撮影しようとするとカメラが異常をきたす」のは現実の怪奇譚にそぐった形かもしれないが、ゲームをクリアしたい人間にとってはただの故障である。まったくもってこちらの責任なのだが、操作ミスで何度も襲撃され地面をなめる羽目になるゲームの主人公にはたまったものではないだろう。お化けも最初こそ不気味だが、「あ」と何度もやられているうちにこちらが慣れてしまい、気のせいか「早く先へ行け」と苛ついているようにも見えてしまうのはどうしようもない。

 ただ、このゲームは撮影だけではなく舞台となる化け物屋敷を探索するという楽しみもあるので、幽霊との戦いは脇に置いておいて夏場らしくのんびり楽しもうと思っている。ようやく一章最後のボス戦までたどり着いたが、クリアの目算は定かではない。

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