えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・甲斐性云々

2020年06月13日 | コラム
 YouTubeを流しっぱなしにしていると突然言い争いが始まった。ラジオドラマか何かと思いきや、画面を見るとLINEの画面そっくりに作られた吹き出しの中身が交互に表示され、それを女性が声の高さを使い分けて喋り続けていた。話の内容は不倫を問いただす妻と逃げおおせようとする夫のやり取りで、出張だと言い張り妻を責める夫の罵声が聞くに堪えず音を消した。それでも普段使っているLINEの画面と似ているおかげで却って違和感はなくなった。返信の早い友人と雑談しているようなペースで次々に吹き出しが入れ替わる。妻の問い詰める姿勢は終始冷静で、夫の言い分を少しずつやり込めてゆく。しばらく眺めていると、とうとう妻が会社からの連絡という切り札を持ち出し、夫の言い分は破綻して会社へ、上司へ、妻へと言い訳をなすりつけることしかしなくなった。妻は淡々と離婚を言い渡し、弁護士を通すよう言い渡してLINEをブロックしたところで会話は終わり、続いて文章で後日談が語られて動画も終わった。
 LINEは機能の関係で一対多、多対多という表現の仕方が出来ないため、どの動画も表示される会話は一対一だ。話の構造も日常生活で起こりうるトラブルの隠された原因が、LINEのやり取りを通じて判明し、悪さをした側が成敗されるという懲罰的な展開が殆どだ。緑の吹き出しで表現される語り部(女性と男性の比率は半々)は、主に姑や不倫相手や配偶者から既に被害を受けており、その状態を解決する最初の一歩やとどめの一撃がLINEの会話となる。たとえば幼い子供を公園に放置して不倫相手の家へしけこんだ旦那は文字で「子供は自分の傍にいる」という内容を妻に納得させようとし、妻は一人で戻ってきた子供が傍にいると伝えて旦那を論破する。最終的には数百万もの大金という具体的な痛打が与えられる悪事は多種多様で飽きないが、時々身に迫る痛々しいものもある。
 どちらかといえば勧善懲悪よりも中世ヨーロッパや江戸時代によく行われていた「処刑の見物」で溜飲が下がるという娯楽に近いものだと思う。平たく言えば言葉で作られたサンドバッグだ。多少過激な感想でも悪人ならば問題はないという感覚は、動画を見ているこちら側の心にゆっくりと積もってその先は分からない。

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