えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

遊び心のプログラム<コンピュータゲームを読む>

2013年12月14日 | コラム
 コントローラを握りしめることに楽しみをおぼえたのはいつごろからのことだろうか。ほんのわずか厚みをもたせたメガドライブのコントローラを握り、十字ボタンの左右を押せば登場人物が鮮やかなスピードで走り回る。けれど時折現れる障害物をよけきれずにぶつかってしまうとゲームオーバー、一からやり直しだ。それでもやり直す。落ち着いてステージを眺め、タイミングを決めてかわし、先へ進んでゆく。指が動いてキャラクターがすいすいと、思い描いた動きを見せてくれる。自分が走っているわけでもないのに風をうけているかのようなさわやかな味わいを未だに指が覚えている。

 今のところ、そうしたコンピュータを使ったゲームのあらゆる動きは電気信号の切り替えでできている。単にそれだけでは言い切れないほど膨大な要素が集まってそれらの物はできているのだけど、こと遊びの仕組みをずっと遡って行けば、電気信号のオンオフに依存すると考えてもよいと思う。それはゲームを遊ぶプレイヤーが下す決定の意味づけにつながるのだ。ボタンを押す、センサーに触れる、傾ける、画面へ直接触れる、信号を送ることのできる機能に意味づけを施すことで、ゲームの規則は作られる。

 そうして電気信号で遊ぶ道具を「読む」ことは、説明書を読んで使い方を学ぶことだけではなく、道具そのものはいったい何なのか、何のためにその道具は作られたのか、というようなことをふらふら考えてみる、ということにしておきたい。
しばらくディスプレイに表示される目に見える要素はもちろん、それらを構成するプログラム、ゲーム機器の動作をまとめてだらだらと散歩をしようと思う。傍らにゲームを置いて遊びながら、のんびりと歩くつもりだ。

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