えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・朝方の歩調

2021年01月09日 | コラム
 掃き残された欅の落ち葉一枚を霜が縁どっている。自然と避けながら通る公園の芝生には霜柱が溶けかけて残っていた。雪こそないが冬らしい朝で、近くの中学に通う学生が部活の道具や教科書の詰まった袋を下げて行違う。緊急事態宣言は出たが仕事に差し障りのある用事なので後ろめたく駅に向かう。まだ八時を過ぎたばかりの駅前には平日よりも気持ち少ない人が駅へ降りたり駅からバス停へと忙しく歩いたりと、既に一昨年のものとなりつつある「普段」の人出が戻っていた。誰もが服のようにマスクを身に着けている。自分の身なりを振り返るとマスクに加えてニット帽で髪を隠し、手袋も嵌めているので、あとは手提げに包丁でも隠していれば強盗が似合うだろうか。ろくに棚へ手の届かない体たらくの身長では格好がつかないが。
 駅のホームには少なくない人が快速の電車を待っていた。ここにいる学生服の大半は参考書やノートを丸めて睨みつけるように読んでいる。あとはスマートフォンへ稲穂のように頭を下げて、時々ポケットへ手を突っ込みながら電車を待ちわびていた。電車が窓を開けながら走るようになってからあと数か月で一年経つが、暖房のきつさに辟易していた身としてはこれはありがたい変化だった。特急電車と待ち合わせるとき、座っているとふくらはぎから下が氷水に浸されたように寒くなる時間が気持ち早くなる程度で、電車の扉が閉じると暖かい風が天井から勢いよく吹き付けてほっとする。席は埋まっていた。
 土曜日なので背広姿はない。向かいの席では灰色のパーカーの男が問題集を抱えてしきりと書き込みを加えていた。電車が止まるごとに人はどんどん増えて、それでも吊革一つ分は間隔のとれる人数の距離感が「らしい」と思った。目まぐるしく移ろう現実への適応は意外に誰でも早いのかもしれない。外に出ない判断も、出るという判断も、それをする人数が釣り合っているように、少なくとも電車を一本乗ってみると感じる。
 電車を降りてエスカレーターの左へ寄り立ち止まって地階に降り、ふと後ろを見ると、段を空けることなく人が静かに一列を詰めていた。ただ足音だけが反響してざわめく構内を抜けてICカードを通すと、期限の切れた定期券への注意が残高と共に表示されていた。

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