えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

ふみ読むこと

2010年05月11日 | 雑記
いったい、読書とは一体どういう趣味なのでしょうか。果たして趣味と読んでもよいものなのでしょうか。

よくわからなくなったのは、配属されてすぐのことでした。とどのつまり、読書とは何らかの情報を得るツールに過ぎず、パソコンや新聞を読むことと同等の何か、情報をただ文から得るための手段ゆえにそれ自体を趣味とはみなさない、そう言われたのだと受け取りました。疑念はまだまだ続いています。

本とICTとが公然と、読書と言うことをめぐって見事な対立関係を作り上げ、「お金になる」との嗅覚に鋭い人が、本を読むことと関係なしに本の傍へともみ手をして擦り寄ってくる。読書が好きだというひとも、よくよくと話を聴いてみれば、それは書を読むことが好きなのではなく、話を辿りストーリーの転変で楽しむことが目当てであって、つまるところツールは何でもよいのだと、そんな風に見えるのです。

本が紙の本でなければ困る人はたくさんいます。便利と言われているものがなくたって楽しく暮らしている人は、今のところ、まだまだ大勢です。ふみ読む人はパソコンを開けば、膨大な文章や文字量が現れては消え、うたかたの文字をつづり続けている只中にさまようことは簡単になりました。さまようけれど、泡沫の文字は手にふれてもはじけて消えて行くばかりで、手をすりぬけて行き場の無いことばばかりが心に沈んでゆきます。

読書が趣味だと言うこと―それは本に触れること、紙のにおいを嗅ぎ新刊の鋭利なページの端で親指に血をにじませ、つるつるのカバーが少しずつ手の油と汗で反り返り、栞を捜しているうちにページを見失い、文字を辿り、本を閉じ、文字をさらに空中におう、一連の動き自体がなくてはならないものになっていることなのでしょうか。ただ文章の一言一句を噛んで味わい、つづる思想がたとえ情に転げすぎていても、舌先で弾むことばの美味さを味わうことでしょうか。

料理の机と皿が語る如く、読書もまたうつわをもってものを味わう、空を掴むような趣味ではないかと思います。

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