えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・天は高く人の手は

2023年01月01日 | コラム
 昨年に続いて鈴緖は拝殿の左右の柱に結び付けられ、柏手だけが夜空に響く。昨年の納め札を焼く炎は消えて蛇のように人は列を成し、氏子の半纏は開いた本殿の中にあった。縦長のストーブが置かれて長い間神主と共に昨年の礼と新年の祝を捧げているらしい。列のおしゃべりの間を縫って女性の神主の低い祝詞が途切れ途切れに聞こえた。家族全員でこの列に最後に並んだのはいつのことだったろうかと思い返して、家族とは何かを考える。今一緒に暮らしている人間だけが家族だろうか。子供は親から離れて家族を作る。親の下にはいない家族を子供は作る。新しい家族ができる。それは古い家族の中から離れた違う家族だ。その二つの家族は分離したものではない。子供が伴侶を得て自分の子供を得て親になるという当たり前の円環のもと、役割が変わっただけともいえるが、遠くに住むことが当たり前になった現在はまるで家族から消えてしまったようにも思えなくはない。そんなことを考えながら列を進む。後ろから急かされるように新年の祈りを捧げる。人間である限り体も社会も生活も全てが新陳代謝する。一年がまた訪れた。去らせるのは簡単だ。とどまり自分でいることが難しい。穏やかな寒さのせいか空は寝ぼけ眼をこするように星の光が優しく、このところ緩くなった涙腺が空を見上げているとさらに緩むような心地がした。

 本年は比較的穏やかな寒さから始まりました。昔の暦で言えば春までもう少しです。ですが今の気候においては冬の本番はここから始まります。早速コンビニに恵方巻きの並び出す気忙しい毎日はカレンダーに支配されるのか、それとも人間が己で支配するのか。そうしたことを考えていると己の今いる季節が夏なのか秋の始まりなのか、わからなくなります。わからないのかわかりたくないのか、ここにも人の性に対する問いかけがありますが、まずは今年一年の始まりのご挨拶を差し上げたいと存じます。今年一年、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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