えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:【読書感】『三國志』宮城谷昌光 文春文庫 全十二巻

2023年01月14日 | コラム
 物語は「四知」から始まる。「四知」とは、どんな物事でも天の神・地の神・自分、そして子(なんじ)の四つが知っている、というものの見方だ。楊震という当時の政界の中核にあった人が贈賄に訪れた人へそう返したところから飛んで百五十年後、「四知」に司馬昭が思いを馳せて物語は終わる。その間約百五十年、連載期間は実に十二年、宮城谷昌光のある到達点として『三國志』は完成を見た。

 長年宮城谷昌光は春秋戦国時代の特定の個人、たとえば管仲や晏嬰、子産を取り上げて彼ら一人ひとりを綿密に書いていった。それに対して『三國志』の主人公は時代そのものである。これまでの作品の原点であった史書の形式に対して個々人の短い伝記のみを記した歴史書『三國志』とは対照的に、宮城谷昌光の『三國志』は後漢末から三國時代へ移り変わる時代の姿そのものを活写するのだ。登場する場面の数だけを取れば曹操が最も多いが、それは霊帝が崩御した一八九年以後から曹丕への禅譲により後漢王朝が滅びる二二一年までの短く濃厚な時間の中心にいた人間が彼であったためである。

 二〇〇一年はまだまだ小説『三國志演義』に依った印象が根深く、劉備と彼の蜀王朝の陣営は善であり曹操は悪であるという見方が一般的だった。それだけに宮城谷昌光の史書や史料を積み上げた考察に基づいた人物像は挑戦的なものであったろうと文庫版十二冊を通読して思う。曹操の人情深く「こくのある」人間らしい心豊かな振る舞いには演義や講談や劇で語られる冷酷で狡猾なやられ役の影はなく、むしろ劉備のほうがその感情が捉えづらく掴みどころの無い不気味さを時に気味が悪くなるほど強調されている。だがどちらの姿も三國志関連の歴史的な発見や新しい見方の書物が増えた現在では納得して受け入れられるものだと思う。特に劉備の、身を寄せた先々の勢力で受けた恩を悉く仇にして各地を逃げ回り、妻子や忠実な配下の関羽すら棄てるという生き方が劉邦をなぞっているという指摘は、どうしても関羽や張飛や諸葛亮に焦点をわざと移されがちな彼の姿の理解を深めるのに的確だった。何もかも棄てて遁走することにためらいのない彼が、諸葛亮の進言により荊州と益州を得て初めて人と土地に縛られた後の変化が見事だった。

『三國志外伝』の末尾の年表を見ると毎年のように戦争ばかりが起きており、だからこそスポットライトを浴びる人を変えることで歴史を表しやすい時代だったのかもしれない。けれども根本を流れるのは人間が死を迎えるまでの生き様への問いかけであり、十二冊の中でもがく人々の運命に奪われるような生や自らも全うしたと満足するような生が小説という創作活動を通して互いに交わることで、大きな物語を歴史に生んでいく。今現在も『諸葛亮』が連載中なのは、歴史の流れからこぼれ落とさざるを得なかった物語を書き直すための作業なのかもしれない。

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