えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

棟方志功「板極道」読了

2009年04月03日 | 読書
あっという間でした。
(0404:少々書き換えました)

:『板極道』(はんごくどう)中公文庫 棟方志功著 昭和51年初出

「その強靭とあの底ぬけの善意と愛と感謝、 ユーモアと爆発を
伴ったそれらの混淆体が棟方志功そのものであった。
そしてその混淆体は常に満々と充溢していた。」―解説より(草野心平)

まるで手塚治虫のように、だんご鼻に黒縁メガネ、帽子から額の出た
自画像どおりのおじいちゃんです。
晩年の写真、分厚いメガネの裏でいっぱいに目を細め、
広がった鼻の下になんともあどけなく口が開いています。
とにかく可愛ゆい。
ことばも、文章も、湧き出る情愛も、笑顔も、
なにもかもすべてが可愛ゆい人です。
ずっと最初から、棟方志功というヒトは棟方志功のままで
育ってきたのだな、と思います。

『板極道』は、棟方の自書伝です。青森の寒村の光景から始まって、
「絵キチ」と半分からかい、半分愛称のように筆を滑らせる
棟方の原風景は、出雲にはぐくまれた河井寛次郎の、素直な民芸の
感じ方とよく似ていると思います。
棟方の父親は腕のよい鍛冶屋で、父の刃物が重用されるのを幼い頃から
見てきた棟方の絵筆は、誰からも学ぶことなく自分の目だけを頼りに、
心のままに描かれたものでした。

お父さんが鍛冶屋で、しかも棟方もそれを手伝っていた。
それは、手を使うという作業が実に自然に、棟方に染み付いていたことでは
ないでしょうか。手をもっと立体的に、直接的に使う表現として、木版に
辿りついてよかったなあと思います。
溢れるばかりの線と、勢いと、空気の動く版画は、当時の誰よりも
どくどく脈打っていて、初めて棟方志功はいいなあ、と思いました。

でも、のっけから前書きをねだる棟方の可愛ゆさはたまりません。
苦笑しながら目だけニコニコの谷崎潤一郎と一緒にノックアウトです。
前書きは読んでいただきたい、他を引用します。

「わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。
プルシャンブルーで描かれたゴッホのひまわり、
グルグルして目の廻るような、輝きつづく、あんなひまわりの
絵が描きたかったのです。」――本文より

もうここだけで可愛ゆさ爆発です。

「なんとしても ごっほになりたいと おもいました。」

鏡花に次いで萌え萌えです。
こんなこと書いても、ここまで読んだ読者は、このセリフに
にやつくことはあっても、眉をしかめることはありません。
ほんとに可愛ゆいヒト、うらやましい!!

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