沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩564 琉球沖縄はこの国の手によって何をされているか

2014年09月22日 10時40分36秒 | 政治論

 申すまでもなく、現在高江、辺野古に展開する米軍基地の新設行為は、彼ら日米政府(とりわけて日本国政府)がその薄汚い口づから出す「負担軽減」という、根も葉もなく真逆の文言で覆い隠しても到底適わない正反対の現状を晒しているのである。そして仲井真承認から程なく開始した彼らの、官憲不法行為を駆使した武断的な工事準備海底調査は、間違いなく、11月16日投開票の沖縄県知事選の結果が自分らに益しないことを知り尽くした「既成事実」積み上げ行為であることは、だれの目にも明らかなことだ。我々はこうした気分的な囲い込み運動に呑み込まれるであろう選挙直前環境に否応なく放り込まれている。

 彼らに正当性はない。80%以上の民意を無視した軍拡行為が各国現代国際戦略上でさえまともな理屈を有しているなどと誰も思わない。しかし日本国政府は、沖縄に特化してこれら理不尽にして不条理なことができると、多寡をくくっているのである。だからこそ、「オール沖縄」共闘体制にあった沖縄民主制代議員の中から自民党県連、自民党国会議員、そして仲井真知事と彼に追従する一部首長たちがあのようなえげつない懐柔籠絡恫喝によって果敢なくも醜く押さえつけられたのだ。彼ら代議員たちのメデアでの醜態を、醜悪な歪んだ表情を我々は忘れてはならない。あれがこの国の、沖縄に対してしていることを逆の意味で証明しているのである。この、沖縄に特化した不当にして不法な国策というものを、我々は琉球処分以来歴史的に不変なものとして認識しておかなければならない(沖縄が差別されている証拠として)。

 一方「普天間返還」「辺野古移設」という、事実上の一地域的な問題が、少しづつ世界に向かって市民的人権や自由、あるいは民族自決権という問題に昇華されようとしている。折しも英国北部地域の独立問題が世間の耳目を集めたが、米国風全体主義の退潮とともに世界はごまかしのきかない民意の「草の根」的な呼吸を漸く現実に身近に感じさせるようになってきた。「チルダイ」することはないのだ。(つづく)