沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩349 沖縄と日本 13

2011年11月05日 23時35分50秒 | 政治論
 M9の巨大地震で送電鉄塔が倒壊し、電源喪失、原子炉冷却不能となり、以後引き続き予測不能な突発性リスクとともに、原発惨事は現在も拡大の一途をたどっているという実態にあることは、既に明白な事実である(チェルノブイリ爆発事故の現状、経過、統計、記録から類推するにアメリカが80キロ圏内退避指示を在日米人に対し即座に実行した理由がよくわかる。)。
 M9の地震は歴史的にも最大級なのだが、これ以上の地震も実際起こりうることは、東日本大震災のM9が史上4番目の規模であることからも当然言えることだ。想定外という、国家的言い訳を断然肯じないためには、人民はこの、「天」が目の当たりに示した「恐怖」の光景からしか学び得ないということを、肝に銘じる必要があろう。
 ひとつには地震後襲いかかった大津波こそ原発事故の張本人だ、という、はじめに示された見解の錯誤を認識すること。(従って再開した玄海原発は{ある程度妥当な!!検査結果によって}完全な最大リスクを見切り発進するこの国の国家的方向性を、人民的視点を無視し、地元民はおろか世界中の「無辜の民」を最大不幸のどん底に落として平然とする精神においてー従って狂気としかいいようがないがー実行していると言える。)
 あらゆる観点からその、国家的犯罪の性格を帯びた原子力平和利用という美名(欧米とりわけフランスはチェルノブイリ拡散放射能影響に関する全欧的統計資料を呈示してない。)に惑わされないためには、この国が議会制民主主義という美名?において、確定的に実現された国民主権の内実に添ってないという実態を、よくよく吟味しなければならない。
 「お上の事には間違いはございますまいから」は封建の世に極限されない一般的な、民衆の弱点となっている。この「最後の一句」(森鴎外)は民衆の公権力に対する最大の抗議にしろ決定的な人民救済の手立てにはならないのだ。「お上」である現今民主政権は間違っている、そのあらゆる「非民主的」施策において間違っていると言わなければならない。
 しかしその非理を正す手立てはなく、正義の味方「月光仮面」でない限り、おどろおどろしい政治の世界へ、蟻地獄のように無際限の不条理と共に引き摺り込まれ、絞め殺されるがオチだ。現に「普天間問題」では名護市民(と宜野湾市民及び沖縄県民)がかかる地獄へ突き落とされている。ここにある無力であるがゆえの絶望感を抱えながら。(中断)