昨今、いつでもどこでもかしこでも人口減が話題となる。
先日も集まりで、
「わが集落では、昨年一年間に8人もなくなった」
と区長さんが話しておられた。
赤ん坊が誕生したという話は滅多にない。
当村の中学校は、
一学年一クラス、全校生徒が100人程度である。
団塊の世代では四、五百人ほどもいて、教室もたくさんの机と椅子で窮屈だったという。
村人口が2800人になったという。
過去の人口を調べてみると、
昭和30年(1955)8,207
昭和35年(1960)8,036
昭和40年(1965)6,882
昭和45年(1970)6,302
80年ほどの間に
8000→2800
と約3分の1に減少した。
人口減が問題とも思うが、
考えようによっては、つぎのようにも(当方は、社会インフラのうちの上下水道に従事した)。
村中に舗装道路、上下水道、電気通信設備、保健衛生福祉施設完備。
福祉施設と称して温泉もあるし、いつも混雑とは無縁。
集落ごとに集会場があっていつでも誰でも利用可能。
8千人のために社会インフラを80年かけて整備したものを現在の人たち3千人弱が利用。
通常の3倍の行政サービスを受けるていることになりはしないか?
都会よりも田舎はいいぞ~^_^;
先日も集まりで、
「わが集落では、昨年一年間に8人もなくなった」
と区長さんが話しておられた。
赤ん坊が誕生したという話は滅多にない。
当村の中学校は、
一学年一クラス、全校生徒が100人程度である。
団塊の世代では四、五百人ほどもいて、教室もたくさんの机と椅子で窮屈だったという。
村人口が2800人になったという。
過去の人口を調べてみると、
昭和30年(1955)8,207
昭和35年(1960)8,036
昭和40年(1965)6,882
昭和45年(1970)6,302
80年ほどの間に
8000→2800
と約3分の1に減少した。
人口減が問題とも思うが、
考えようによっては、つぎのようにも(当方は、社会インフラのうちの上下水道に従事した)。
村中に舗装道路、上下水道、電気通信設備、保健衛生福祉施設完備。
福祉施設と称して温泉もあるし、いつも混雑とは無縁。
集落ごとに集会場があっていつでも誰でも利用可能。
8千人のために社会インフラを80年かけて整備したものを現在の人たち3千人弱が利用。
通常の3倍の行政サービスを受けるていることになりはしないか?
都会よりも田舎はいいぞ~^_^;