goo blog サービス終了のお知らせ 

犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

中国と韓国>尖閣と竹島、国内向けのプロパガンダ

2013年01月18日 | 雑談など
尖閣、竹島もだれがどうみても明らかに日本の領土(琉球の一部)である。尖閣は、日本が領有を宣言してから75年間も異議もなく、共産党作成の地図にも日本領として記載されていた。地下資源があることが判明してまもなくの1970年から突然、主張してきたものだ。竹島は、人が住める土地ではなく、日本人が寄港地として利用していたところで、韓国が実行支配した形跡はなく、戦後のサンフランシスコ条約においても、アメリカは日本の領土との判断を示したが、これに反発した当時の李承晩が戦後のどさくさに紛れて強引に韓国領土としたものだ。日本の弱腰につけ込んで、盗ったことがわかっているから、韓国は、「独島とわが領土だ」と世界中で言い訳をしなければならなくなったのだ。本当に根拠ある領土だと思っているのなら、領土紛争の国際処理機関の国際司法裁判所で決着をつければいいはずである。全く、関係ないところで大騒ぎして世界中が迷惑をしている。

尖閣は資源問題に加えて、人民軍が戦略的な要衝(第一列島線?)と考えるようになったらしい。ベトナムやフィリピンと違って、すぐには力で奪い取ることは無理なことはわかっているので、長期的に圧力をかけて奪い取るつもりらしい。中国の公式地図には中国領土になっているというから、呆れるというか、中国らしい。ここで留意しなければならない点は、これは中国国内向けのプロパガンダだということだ。外の国が少々、反発しようが、お構いなしということだ。外の国の反発など問題にしないというのは、日本にはとてもまねのできない芸当だ。大国?というべきか。そういえば、アメリカもそんな態度が時々あらわれる。

独島も国内向けのプロパガンダだろう。尖閣も独島も結局は、それぞれの国の国内問題のようだ。国内をまとめるための梃子だ。いずれも権力闘争の激しい国で足を引っ張られても、領土問題などの外交カードを持ち出せば支持を一気に回復できる。極論になればなるほど国益が大きいので効果も大きくなる。日本の国益の逆で、日本から見れば、まったく嘘というのは当たり前だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国と韓国>謝罪

2013年01月17日 | 雑談など
戦後世代の当方も含めてだが、大半の日本人は中国や韓国に対して申し訳ないと考えてきたのではないだろうか。
「植民地支配と侵略戦争で周辺諸国に対して多大な迷惑をかけた、たいへん悪いことをした、謝罪しないといけない。」
だから、1993年の河野談話、1995年の村山談話、2010年の菅談話と謝罪を重ねてきた。

ところが、中国も韓国も、南京大虐殺だ、靖国参拝だ、歴史教科書の捏造だ、従軍慰安婦だと言いたい放題で、心からの謝罪がないと責める声は拡大する一方である。尖閣、竹島の領土問題にも火がついて、とどまるところを知らない状態だ。

いい加減に謝罪するのも、ほどほどにしたいと、昨年当たりから、多くの日本人の考えが変わってきたようである。当方は、今年の年賀状でつぎのように書いた。

謹賀新年
パナソニックやシャープが衰退して韓国のサムスンが大躍進。中国もGDPで日本を抜いた。国力の源は、経済だ。日本の経済は停滞する一方、中国と韓国は元気で強気が目立つ。象徴が、尖閣や竹島だ。百年も昔のことに「領土を盗られた」とか、力で取り戻そうとしているわけでもないのに「韓国の領土だ」と騒々しい。国力が落ちると、さらにつけこまれそうだ。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」して、軍隊も交戦権も放棄することにしたが、世界の非常識で通用しそうもない。自国を守る力の無い者が友好や友愛を唱えても属国にされるのがオチだ。
我慢も限界で、安部自民の歴史的大勝を後押ししたのはまちがいなく中国と韓国。それに民主党だ。やるといったことをやらないで、やらないといった増税のお膳立てまでした。破綻寸前の国を作ったのは自民党政治。代わりに責任をとった民主のリーダー達は間抜けなお人好しだが、捨て石にはなった。再登板の安部に国力回復を。
そのつぎの元気なリーダーに期待。橋下とiPS山中と孫に。孫はドギモをぬいた?いや、ドコモを抜いた(^_^) 本年もよろしく。
平成二十五年元旦 
(安部でなくて安倍さんでした(^_^;))
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑談ではない雑談>領土問題について

2012年10月01日 | 雑談など
 最近、領土問題で騒々しい。
 少し、調べて自分の考えを整理してみた。
 以下のとおり。


日本の領土問題は、戦後日本の負の遺産

(領土問題で緊張と対立)
 竹島、尖閣諸島、北方領土と周辺の国々と領土をめぐって緊張と対立が目立つようになってきた。領土問題はお互いに利害が180度異なり、経済、軍事、外交の圧倒する力で取り上げることでもなければ、原理的には解決できない問題ともいえるので、ほとんど棚上げか領土紛争はないというような事なかれの対応になりがちである。戦後の日本はまさにそのような対応だった。アメリカ依存で弱体化した外交と軍事は戦後の日本の負の遺産であり、そのツケがまわってきている。

(戦後の負の遺産)
 憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあって、第九条で「戦力を保持しない」、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とある。まわりの人たちはいい人ばかりで信じてもめ事がおきても力づくではしません、その証に手足を縛りますよといっているようなものだから、共産主義の理想社会をつくると同じことで非現実的である。
 現実に、北方領土はソ連に占領され、竹島は韓国に不法占拠され、尖閣諸島は中国に盗みとられようとしている。それでも盗みとられて悲惨なことにならないのは、アメリカ軍が駐留して、武力には武力で対抗するぞとにらみを効かせているからである。
 連合国総司令部GHQ(ほとんどアメリカ)は、戦後の日本に対して、徹底的な外交の属国化と軍事の弱体化をはかった。平和憲法もその一つの手段だったろうが、日本もその船にのった。外交と軍事は捨てて、経済に注力した。まもなく、アメリカは朝鮮戦争でその誤算に気づいて日本に軍隊を持つように要請したが吉田茂は朝鮮戦争に動員させられる意図を察して拒否したらしい。外交も軍事もアメリカに依存していく道を選択したのである。逃げて避けて来たが、目前の領土問題では、アメリカは当事者同士で解決してくれと言う態度だから、いよいよ、自分で対応を考え、外交と軍事の両面で自立する時代に突入したようである。

(北方領土)
 北方領土の発端は、日本の降伏が確実となった1945年のはじめに、ルーズベルトとチャーチルとスターリンがソ連のヤルタで戦後の陣取りの会談を行ったことである。この筋書きに沿って、ソ連はドイツが降伏して日本が降伏する直前に参戦して南樺太、千島列島ならびに北方領土を占領した。
 1951年、アメリカを含む48カ国の連合国と日本と間の戦争状態を終えるための平和条約であるサンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島を放棄した。サンフランシスコ講和条約を調印していないソ連とは、1956年、平和条約を結ぼうとしたが、北方領土問題で妥協がならず、日ソ共同宣言にとどまった。日本は四島返還、ソ連は二島返還を主張した。結局、共同宣言では平和条約締結後に歯舞(群島)、色丹(一つの島)を日本に返還すると記載された。ソ連との間で平和条約が結ばれていないので北方領土は占領されたままである。
 1951年サンフランシスコ講和条約締結当時は、日本政府はヤルタ協定で放棄すると決められた千島列島の範囲に国後島・択捉島が含まれると説明していたので、日本は当初、歯舞と色丹の二島だけで手を打とうとしていたらしい。その後、国後と択捉も千島列島に含まれないという主張に変わっている。戦後、ソ連や中国の共産産主義陣営とアメリカ合衆国を盟主とした資本主義陣営の対立が明らかとなり、日本へのソ連の浸透を恐れた米国大統領の強い反対でソ連が呑みにくい四島返還に変更したらしい。というようなわけで、戦後67年もたつが解決の目処がたっていない。

(竹島)
 韓国は、1951年サンフランシスコ講和条約の締結の際、日本が竹島(独島)を放棄するという主張を草案に書き加えるように連合国側に意見書を出したが、「朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。」(ラスク書簡)として、意見は否定されて条文には入れられなかった。竹島の領有を国際的に認められなかった韓国は翌年1952年1月、竹島を取り込む「李承晩ライン」を一方的に設定した。これによって日本漁民が数千名も拿捕され、銃撃による漁民の死者もでたうえに、海上保安庁の巡視船が銃撃され、竹島は不法占拠された。日本は抗議しても実力で反撃することはなく、竹島問題は「解決せざるをもって、解決したとみなす」という密約のもと、1965年、日韓基本条約が締結された。なしくずしに、韓国の警察の詰め所やヘリポート、漁業基地などが造られている。抗議をするがそれだけである。

(尖閣諸島)
 この様子を隣で見ているのは中国である。尖閣問題は、トウ小平の「我々の世代には知恵がない。次の世代がよい知恵を出して解決してくれるだろう」という棚上げ論にのせられて、日本が実直に約束を守っている間に、中国は領海法で尖閣諸島(釣魚島)を自国の領土とし、ガス田の調査・試掘も着々と進めている。これに対して日本は形ばかりの抗議しかしていない。
 尖閣諸島の問題については日本共産党の提案がわかりやすい。
「領土問題は存在しない」という立場は、一見「強い」ように見えても、そのことによって、日本の立場の主張もできず、中国側の主張への反論もできないという点で、日本の立場を弱いものとしていること、日本の主張を述べることができないという自縄自縛に陥っているという。
 日本の領有が正当であるという見解では3つの理由をあげている。
――日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった。
――中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないということである。
――尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだというところにある。しかし、尖閣諸島は、日本が戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たない。
 全文は、以下のホームページで。
 
「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」2012年9月20日 日本共産党幹部会委員長 志位 和夫 URLは以下の通り。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-09-21/2012092103_01_1.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その他>「エネルギー・環境に関する選択肢」に対するパブリックコメントについて

2012年08月01日 | 雑談など
原発について一言、発言しようと思い、(-_-;)
政府の「エネルギー・環境会議」へパブリックコメントを出すことにした。
いいたいことを書き連ねたので長文になったが、2500字までということで、
後半のところは省いて、投稿した。
 (1)HP入力の場合 内閣府共通意見等登録システムへ
       → https://form.cao.go.jp/aec/opinion-0027.html
主張の骨子は、
国民の視点で考えると、原発のリスクを取ることは考えられないので、「原発依存から再生可能エネルギーに転換するが、一気に転換することが困難であるので暫定的に化石燃料に依存することになり、10年後あるいは2030年時点を目処に、化石燃料依存を現時点よりも小さくする。」である。

内容は、以下のとおり。(省略前の全文)
(3つのシナリオについて)
 原発の依存度に関して「3つのシナリオ」が示されている。
2030年時点での原発依存度を基準にした3つの選択肢として、①ゼロシナリオ、②15シナリオ、③20~25シナリオ である。そして、(原発依存度を下げ、化石燃料依存度を下げ、CO2を削減できるシナリオ)という説明がある。
2030年としているところが一つのポイントである。日本の原発の稼働年数の平均が20年を超えているから、最大稼働年数を40年とすれば、稼働できるのは20年弱である。約20年後の2030年とすれば現在現役の原発を最後まで動かすことを意味していることになる。原発の是非をゼロから検討しようとするなら、このような設定は不適当である。
もう一つのポイントは、括弧内の説明である。この説明を素直に読めば、答えは一つしかない。原発依存度をゼロにすると化石燃料依存度が上がり、CO2が削減できないので「ゼロシナリオ」は無理、「20~25シナリオ」は原発依存度が下がらないので選択できない、原発依存度を下げ、化石依存度を下げてCO2を削減できるシナリオは、「②15シナリオ」しかないということになる。高校受験の問題のようであり、答えは一つしかなく、「②15シナリオ」が正解である。政府は国民の声を聴くためにパブリックコメントを求めるとしているが、最初から結論が決まっているのではないか。

(エネルギーの選択肢について)
 エネルギーの選択にあたって、エネルギーと環境を対比させることは適当ではない。環境影響を考慮するのは必須の条件である。原発は、熱(電気)と死の灰を生み出す、火力発電は、熱(電気)と温暖化ガスを生み出す、それぞれが生み出す廃棄物を如何に環境への影響を小さくするかが問題で、原発が温暖化ガスを生み出さないからといって環境にやさしいわけではない。
 また、原発依存と化石燃料依存はもともと関係がないはずである。化石燃料による火力発電を原子力発電に移行させてきた背景があってこのような関係ができあがってきたのであり、化石燃料による火力発電を再生可能エネルギー源で代替する方向に移行しておれば、原発依存をやめても化石燃料依存にならない。
フクシマのような原発事故のリスクを取ってでも、日本でエネルギーの選択肢として原発を採用するか否かである。経験を糧に発生確率を低減することはできても、発生した時の被害の大きさは縮減することはほとんどできない。首都圏に死の灰がまき散らされればこの国がつぶれるのである。このようなリスクを取ってまで原発をエネルギーの選択肢とすることはできないことは明らかである。電気を得るための代替案がいくらでもあるからである。

(国民の視点から、原発のリスクは取れない)
国民の視点で考えると、原発のリスクを取ることは考えられないので、「原発依存から再生可能エネルギーに転換するが、一気に転換することが困難であるので暫定的に化石燃料に依存することになり、10年後あるいは2030年時点を目処に、化石燃料依存を現時点よりも小さくする。」である。
 電力会社の視点から見れば、原発を推進するのは当然である。原発はとても儲かり、その利益は電力会社と関わりがある人たちが享受できたからである。その一方で、事故が起きると民間の企業ではとても背負えるものではなく、国つまり国民が負担せざるを得ないことが判明した。利益は電力会社が、リスクは国民が取っていたのである。
 代替案がいくらでもあるので、電力を得るための手段として国民が原発を選択しなければならないという理由はない。原発が動かないと、電気料金が高くなるとか、輸入する代金の支払いで国費が消耗するとか、化石燃料を燃やせば大量の炭酸ガスを放出するので地球温暖化するなどいうことは、利害関係者にとっては大きな問題となる場合があるかもしれないが、国がつぶれるような次元のことではないので理由にならない。知恵をだして努力して改善するしかない。

(原発の技術上の懸念)
ところで、原発に関して致命的な技術的問題点が3つある。
一つは、燃焼のしくみである。燃料を少しずつ入れるのではなく、一遍に1年分の燃料を投入するのである。わずかなヤカンのお湯を沸かすためにいきなり満タンのドラム缶の油に火をつけるようなものである。
二つ目は、燃焼した後の危険なゴミを無害化する技術がないのである。年々蓄積されて、後世代へ負の遺産として残される。
三つ目には、危険なゴミを処分の技術がなくて処分する場所もないのである。

(いま、フクシマで)
 この3つの問題点(全燃料点火問題、危険ゴミ処理問題、危険ゴミ処分地問題)が現実化している。一旦、火をつけると一時的に弱火にできるが消すことができないので油断するとすぐに燃え出す。結局、フクシマではすべての炉でメルトダウンしてしまったのである。この燃えたゴミを無害化する技術がないので少しずつ取り出してコンクリートで固めるくらいしか方法がないと思われるがどれほどの時間と費用がかかるかわからない。建物、ガレキを含めた放射性の廃棄物は処分地がないので永久に敷地内に置いておくしかないだろう。

いずれにしても、
(「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる。」)
サンフランシスコ地震(1989,平成元年)やロサンゼルス地震(1994,平成6年)が発生して多くの高速道路が倒壊した時に、日本の関係者は「日本では耐震の備えが十分なので高速道路が倒壊することなどは考えられない。」と口を揃えた。ロサンゼルス地震からちょうど一年後の1995年(平成7年)1月17日、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生して高速道路が横倒しとなった。
スリーマイル島原子力発電所事故(1979年,昭和54年)、チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年,昭和61年)が発生した時に、日本の関係者は「ソ連だから起きたことで日本では過酷事故は起こらない。」と口を揃えた。2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を起因としてフクシマ第一原子力発電所事故が発生した。
あり得ないと思うことも起こるのである。

(フクシマの事故で死者はゼロ!)
ところで、死者数を事故の程度を判断する目安にすることがある。フクシマの事故が起きたが、放射線による死者はゼロであり、それほど危険な事故とはいえないというものである。放射線を浴びて死ぬ者はいないもののフクシマから300kmも離れた首都圏でもホットスポットが現れるほどであり、多かれ少なかれ数千万人の人たちが放射能を浴びることになり、わずかに汚染された野菜やお茶が大量に廃棄されるなど被害の裾野の広さは想像もつかないような規模である。死者の数で比較すれば、原発事故よりも夜間高速バス事故の方がはるかに危険で大事故である。ただ、夜間高速バス事故がもう2,3回起きたとしても運の悪い家族の人たちが何十人か落ち込む程度であるが、原発事故がもう一度起きて首都圏に死の灰がまき散らされればこの国がつぶれるのである。

最後に、
(原発は否定しても原子力の技術までは抹殺しない!)
 お隣の韓国や中国でどんどん原発を造って安価な電力を供給されると日本企業は競争できないとかいうことで財界は原発推進のようであるが、経済の問題は経済で解決するべきで、国民にリスクをとることを強要することはできない。ただ、国際的、対外的に逆のリスクが発生するかもしれないので、日本国内で原子力の技術まで抹殺してしまうことはできない。研究しているからといって、原発のように国民にリスクを強要しているわけでもない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑談など>金星太陽面通過を観察

2012年06月06日 | 雑談など
柳田の植物公園に星の観察館「満点星」がある。専門家が常駐していて展望台もあり、今日は金星の太陽面通過という天体観測ができるというので、望遠鏡が据え付けられていた。望遠鏡の接眼レンズにバカチョンカメラのレンズをあててシャッターを押しただけだが「見事な写真」が撮れた(^o^)。
6月6日12時8分撮影。

しみのようなものが数個あるが、黒点とのこと。
金星は、地球と同じくらいの大きさで、炭酸ガスに覆われ、表面の温度は400度くらいとか。水がないので生命体は存在していないらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする