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犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム>過大な基本高水となる理由

2018年04月21日 | 辰巳ダム
 過大な基本高水となる理由は明らかだ。現在のいわゆる「基準」による洪水量計算は、明確に誤魔化しだ。
 科学技術的な解析手法をとるといかにももっともらしく見える。
 概ね100年に1回程度発生する規模の降雨は、例えれば「バケツ一杯の水」だ。ちょろちょろ空けると流れる水は小さい、ドッと空けると流れる水は大きくなる。流れる水が大きかろうが、小さかろうが、何通りあっても「バケツ一杯の水」が100年確率であるから、流れる水は100年確率洪水とする。ドッと空けることを正当化するために確率論を使って誤魔化している。
 辰巳ダムでは33通りから、確率論を使って大きい方から9通りを除いて残った24通りの最大を選んで基本高水を決めている。
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辰巳ダム>「100年確率洪水」を考える

2018年03月07日 | 辰巳ダム
 辰巳ダムは、「100年確率洪水」を根拠に辰巳ダムが計画されて造られている。

 概ね100年に1回程度発生する規模の降雨による洪水から市街地を防御するためのものである。この「概ね100年に1回程度発生する規模の降雨による洪水」は、「100年確率降雨による洪水」であり、略すると「100年確率洪水」※1 である。
 
 「100年確率洪水」と数十年にわたり、つきあっているがいまだに悩まされている。
 架空のものであり、実体がない。
 実体があれば、誤魔化しようがないので答えは一つである。ところが、架空のものは、材料が同じとしても様々に加工して頭の中で創り上げたものだから、各人各様の答えがあり、容易に定まらない。

 辰巳ダム計画の例では、「100年確率洪水」は24候補がある。547m3/秒~1,741m3/秒の範囲にある。石川県の説明では、最も大きい数値1,741m3/秒を採用すれば、すべてをカバーできるとして、「100年確率洪水」は、1,741m3/秒となった。

「100年確率洪水」は、架空の数値である。
実体である観測記録をもとにして確率論的に加工して求められた架空の数値である。
将来の100年間に発生する最大規模の洪水(いわば実体である)と同じものではない。
また、過去の100年間に発生した最大規模の洪水である実体とも同じものではない。

 将来発生する実体を知ることは不可能だから架空の数値で代替しようとしているのである。知りたいのは、将来発生する実体だから、架空の数値が将来の実体に近似していなければお話にならない。
ところが、将来発生する実体がわからないので、求めた架空の数値が近似しているのかわからない。

 これを確かめるために技術基準※2 では流量確率による方法が定められているが、この方法で求めたものも別物の架空の数値であるから、この数値と比較しても確かかどうか評価しがたい、検証しているようで検証になっていない。

 科学技術的な手法は、過去のことを含め、現状の変化を考慮に入れて、将来発生することを予測できることになっている。変化を先取りして予測できるともいえるが、将来の実体は不明だから、確かめようがない。所詮、人間の頭の中で創造したもので誰も本当のところはわからない。

 辰巳ダム計画の「100年確率洪水」は過大な想定洪水であり、有史以来発生したことのないような洪水である。犀川で過去100年ほどの間に発生した最大規模の洪水は、900m3/秒前後であり、今後とも大きな流域条件の変化はなく、温暖化などの気象変動の要因を勘案した変化を考慮に入れても石川県が想定した数値とは著しい乖離がある。常識的な判断では、誰が見ても架空の数値が過大である。

 治水の基本となる架空の数値を決める際、現在は確率論的な手法を用いているが、過去には既往最大洪水をもとにしていた。実体と乖離が少ない現実的な方法である。
 
 「実体としての過去の洪水量」と「架空の数値としての将来の洪水量」の違いが著しい場合、何が信頼できるか。架空の数値を基本と考えるのではなく、実体を基本としてとらえ、架空の数値を補完的にみることが現実的な対応ではないか。
 確率論的な手法の場合、人類の英知を凝縮した科学技術に対する信頼が高いことも反映して、架空のものと実体とのつながりが弱くなり、ほとんど糸の切れた凧状態に陥りやすい。

 架空の数値を求める方法が精緻になればなるほど、信頼できると誤解されやすい。誤解された結果が、辰巳ダム計画である。科学技術的手法を理想的にとらえ過ぎるのは危うい、理想に過ぎると空理空論で破綻する、現実を踏まえ、地に足をつけて考えるべきだろう。

追記:「治水の基本となる架空のもの(基本高水)」と「(別物の)実体というもの」と違うと追求しても、“そりゃ違うさ”ということか。

※1:この表現は正しくない。「100年確率降雨による洪水」と「100年確率洪水」は同じではない。というよりもまったく異なるものである。治水計画では「100年確率洪水」を求めることが目的であるにもかかわらず、「100年確率降雨による洪水」が代用されているので、代用されていることを前提に話しを進める。
「100年確率降雨による洪水」は、雨の降り方によって洪水の大きさは違うので答えは一つではない。これに対して、「100年確率洪水」は概ね100年に1回程度発生する規模の洪水であり、答えは一つである。
※2:「基本高水の決定」の解説に「流量観測データが十分蓄積されているような場合には、流量確率を用いる」とある。

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辰巳ダム>安全と安心について

2018年03月06日 | 辰巳ダム
 「金沢市民の安全と安心のために辰巳ダムが必要である。」と知事はいう。

 この表現は正しくない。
 安全のために辰巳ダムは必要であるということは一応、正しい。辰巳ダム計画書でこの技術的根拠を示しているからである。
 安心のために辰巳ダムは必要であるということは正しくない。辰巳ダムで安心と考えている人たちもいるだろうが、辰巳ダムがあろうとなかろうと安心と考えているものもいるから、根拠はない。ただ、事業者が作ったパンフレットに書いてあるかもしれないが。

 安全は技術者の言葉とすると、安心は政治家の言葉である。
 安全は、客観的であり、数的に表現できて、各人の評価が一致する。
 安心は、主観的で一人一人の心の問題であり、各人の評価が一致するとは限らない。数的に表現できない。

 技術者は、数的に表現されている根拠をもとに安全な構造物を造るなどして安全を実現する。
 政治家は、様々の政策を示して、(住民の)安心を実現する。目標が数的に明示されていないだけに様々に政策が肥大化して、(住民の)安心を実現しようとしがちである。安心は一人一人の心の問題だから、政策が大きくぶれる恐れがある。
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辰巳ダム>兼六園曲水のつづき(辰巳用水土地改良区と維持管理と水利権)

2018年02月26日 | 辰巳ダム
 辰巳用水は金沢城へ引水するために造られた用水である。当初は余水を沿線のかんがい用水として利用し、その後、かんがい用水が主となり、水利にかかわる法律上も、かんがい用水として扱われている。かんがい用水を利用している農業者で構成された辰巳用水土地改良区が設立され、辰巳用水路を維持管理している。
 金沢城に隣接した兼六園へは、かんがい用水の余水として、取水量の1割程度が送られている。
 
 ところが、年々圃場が縮小し、耕作農家も減少し、辰巳用水土地改良区が辰巳用水路を管理することの負担に耐えられなくなりつつある。
辰巳用水土地改良区の畦地氏は、用水路の保存管理にかかわる委員会でつぎのように述べている。
「平常の維持管理については、土地改良区で維持管理していけるのも限界に来ている、受益面積はどんどん減っている、先程もでました老齢化、平常の維持管理については土地改良区でと、これも辰巳用水全体の維持管理というものも今後は公的なところで考えていってもらえないかと思うが。受益面積ももう20ヘクタール割るような状態になっています。中々農業用水として、土地改良区として管理していくということは今後難しい問題でないかと思います。そういうものを含めた維持管理ということも考えていってもらわなければならないと思います。」(平成23年1月31日金沢市役所開催の第4回国史跡辰巳用水保存管理計画策定委員会議事録より)

 いまのところ、辰巳用水土地改良区を監督する金沢市は、受益者負担の原則から、かんがい用水で受益を受けている人たちが負担する、つまり、水供給という“機能”の恩恵を受けている農業者が平常の用水の維持管理を行うこと考えているようである。ただ、いずれ負担できなくなるのは明らかであるので、この窮状に理解を示しているが。

いずれにしても、かんがい用水の用途が縮小、あるいは無くなるという事態もないとはいえない。そうなると遊休水利となり、水利権が消滅し、辰巳用水土地改良区が解散し、平常の維持管理もできなくなる。金沢市が維持管理を引き継ぐにしても、“かんがい用水”でなくなるのだから、水利の用途を明らかにして、水利権を設定した上で取水し、水供給という機能を維持していかなければならないことになる。

 平成22年に辰巳用水が国史跡指定された後、保存管理計画とその整備検討について、有識者を集めて議論がされている。平成22年から23年にかけて、国史跡辰巳用水保存管理計画策定委員会が4回、23年から24年にかけて、国史跡辰巳用水整備検討委員会が3回である。
この中での議論は、辰巳用水路という文化財としての物体の保存管理についてである。用水の機能である「流れる水」についての議論がなかった。端的にいえば、水利権の問題である。長期的な問題だから、議題にのせなかった面があると推測するが、用水管理の主体にかかわることで避けて通ることができないことは明白である。

 ちなみに、辰巳治水ダム建設計画の基本方針、整備計画の策定の段階で、辰巳用水の水利にかかる詳細な調査と議論があり、辰巳用水を“かんがい用水”ならびに“環境用水”としてまとめられている。この方針が策定されたにもかかわらず、水利権として法手続がなされず、放置されている。
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辰巳ダム>地域開発のダムと河川政策のダム(7)

2018年01月25日 | 辰巳ダム
(鞍月用水堰地点の流下能力不足の問題が解消)
 全国に数少ない「斜め堰」で、歴史的文化遺産価値の評価もあった鞍月用水堰で、保存案、一部保存する折衷案などもあったが、結局、撤去された。撤去されたことで、鞍月用水堰地点の流下能力不足の問題は解消した。
石川県は、当分、放置することにしていたが、ダム建設よりも河道危険箇所の改修を優先すべきだとする住民の指摘で、対応が急がざるをえなくなり、撤去されることになったものである。用水の取水地点が雪見橋地点まで移動し、今度は、雪見橋地点が流下能力のネックとなるが、幸い、鞍月用水地点とは異なり、仮に氾濫しても氾濫地域は限定的であり、氾濫水は再び、本流に戻る地形となっている。旧河道を通過して中心市街地へ氾濫するということはない。

(文化財行政が河川行政の圧力で歪められたか)
 文化財行政が河川行政の圧力によって歪められていた疑いがあった。
埋蔵文化財の試掘も少なく、調査の後の報告も何年も放置されたことが窺われる、形だけの調査が行われているが、審議した記録文書もなく、相合谷城跡の位置変更、相合谷遺跡の抹消がなされていた。住民の異議申立で存在すべき文書の不存在が明らかとなった。状況証拠であるが、ダム開発の障害にならないように文化財を消去した、文化財行政が開発行政によって歪められたと指摘した。文化財行政担当者はこれを否定していない。根拠が無くなっているので否定できない、真相は藪の中である。

(文書管理の整備)
 石川県の河川関係文書管理の整備を促した。
 工事実施基本計画なしでダムを計画するなど、杜撰な治水行政をやっていたことが判明したのは、住民の情報公開請求だった。犀川全般のダムに関する請求を行った。たびたび、永久保存文書の紛失、あるいは過失による廃棄などが判明した。徹底した追求が行われたので担当部署でダム関連文書の徹底した整理が行われた。

(住民運動による住民自治にもとづいた社会資本整備の一事例)
 辰巳ダムは建設されてすでに供用開始されているとはいえ、石川県は社会資本整備(辰巳ダム建設)に住民の意見を入れて、環境政策などを重視して社会資本整備(辰巳ダム建設)の変更、改善をした。住民運動による、住民自治にもとづいた社会資本整備の一事例だろう。
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