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犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム>裁判における最大の争点は「過大な基本高水」だった(3)

2018年06月06日 | 辰巳ダム
(3)基本高水の決定は既往最大洪水との検証が必須である
 裁判では文書による争いで正確さが問われるのでものごとの本質が見えてくる。
 行政が意見聴取と称して住民の様々な意見を聞く場合は、聞いているようで実は聞いていないことが多い。例えば、既往最大洪水と基本高水ピーク流量の比較である。
 住民が、既往最大洪水が930m3/秒あるいは第二室戸台風時は700±50m3/秒に対して基本高水ピーク流量1750m3/秒が過大ではないかと指摘すると、行政の意見聴取の場などの対応では、過去の洪水のことは不確かなことであるか、あるいはたまたま大きな洪水がなかっただけだなどとその場しのぎの説明で終わってしまう。
 一方、裁判での議論となると、文書が残り、立証もしなければならないのでその場しのぎで済まない。文書を見返してみると、基本高水ピーク流量を問題にするのではなく、既往最大洪水の量的な面、質的な面から、信頼に値するものではないと論理を展開し、対比すること自体を意味のないものとしようとすることがわかる。
 質的な面では、昔の技術水準で推定したものだから信頼できないとし、量的な面では、現在の技術手法で飽和雨量ゼロを条件で推定する(筆者注:山地の保水能力を無視した極限値であり、現実的ではない)と1200m3/秒程度になるなどと説明し、既往最大洪水量の数値がいかに信頼性の乏しいものであるかを強調する。既往最大洪水と比較すること自体を曖昧にし、意味のないものであるとの結論に導く。
 既往最大洪水は現実に発生した実体である一方、基本高水ピーク流量は様々な仮定を入れて創り出した架空のものにすぎないのであり、科学技術的な態度で臨めば、確度をあげて推定して求めた既往最大洪水量と近似するか、あるいはその差違を科学的に根拠づけた上で、解析過程を再検証して求めた数値を基本高水ピーク流量とするべきものであろう。
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辰巳ダム>裁判における最大の争点は「過大な基本高水」だった(2)

2018年06月05日 | 辰巳ダム
(2)基本高水は過大になる
 いわゆる「基準」に規定されている洪水量計算は、最新の科学技術的な解析手法によっているので、いかにももっともらしく見えるが素直に読めば誤魔化しである。確率(辰巳ダムでは100年確率)という枠をはめているが過大になることを抑えてはいない。
概ね100年に1回程度発生する規模の降雨を例えれば「バケツ一杯の水」だ。このバケツの水をドッと空けると流れる水量は大きくなり、少しずつ空けると流れる水量は小さい。辰巳ダムでは33通りの流れる水量を求めて、9通りを除き、残った24通りを選んだ上でその最大を基本高水と決めている。除いた9通りは異常に大きく、100年確率洪水ではないという理由をつけているが、残りの24通りはすべて100年確率洪水と取り扱っている。流れる水量が大きかろうが小さかろうが、何通りあっても「バケツ一杯の水」が100年確率であるから、流れる水量も100年確率洪水と決めているからで、「基準」では、その中から最大値を選択して100年確率洪水と決定している。
 大きさが最大のものが100年確率洪水であり、大きさが2番目以下の23通りは100年確率洪水ではないという理由で排除されたわけではない。大きい数値を採用した方が安心だという理由で決められおり、科学的な根拠で決めていない。理性ではなく、感情で決めるとすれば、過大になるのは当然である。
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辰巳ダム>裁判における最大の争点は「過大な基本高水」だった(1)

2018年06月04日 | 辰巳ダム
 裁判における最大の争点は「過大な基本高水」だった。

(1)基本高水は架空の数値である
 基本高水の決定は実績値をもとに科学的に求められるとはいうものの架空の数値である。従来は、既往最大洪水(実体)で基本高水を決定していたが、確率主義による基本高水の決定は、将来の環境変化を見込むことができる、進歩した手法であると考えられているが、あくまでも机上でつくられた架空のものである。確率論で論じられる未来値は、求めるべき将来の実体がわからないために、やむなく、架空の数値を求めるにすぎない。将来発生する実体との乖離がはなはだしくなる懸念があり、基本高水という架空の数値が実体に近似していなければ話にならない。この数値を検証する術がないと糸の切れた凧になる。
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辰巳ダム>北陸電力送電鉄塔移設の隠された理由

2018年05月28日 | 辰巳ダム
(鴛原超大規模地すべり地の末端土塊ブロック上の送電鉄塔が移設された理由は地すべりではない!)

 再び、北陸電力送電鉄塔の件である。
 平成25年に鴛原超大規模地すべり地の末端土塊ブロック上の送電鉄塔が移設された。北陸電力の表向きの移設理由は、地すべり土塊上の送電鉄塔ではなく、その隣接鉄塔の倒壊防止のためであり、そのために前後の連続した6基の設置場所を変更した。

 報道されないところに本当の真実があるといわれることがあるが、北陸電力送電鉄塔の移設は、あえて説明しないところに真実が隠されている。

 北陸電力は鴛原超大規模地すべり地の末端部に位置する送電鉄塔を含めて6基の移設をすることにした。巨大な地すべり土塊の上に位置する送電鉄塔を移設するに際して、「工事を必要とする理由」として地すべりについて全く記載がなかった。地すべり土塊からはずれた、隣接の送電鉄塔の基礎地盤の安定確保が困難になったという理由で当該鉄塔を含む6基の送電鉄塔を移設することにした。

 6基の送電鉄塔を移設することになれば、総工事費は推定10億円にもなると推定される(総工事費について、情報公開を求めたが、北陸電力も監督官庁も公開を拒否した。「工事費概算額を明らかにすると将来発注の工事費概算額が類推され、発注する当該法人の利害に不利益を与える。」などと理由にもならない理由である。公共工事ではすべて公開されているが、発注する自治体に不利益など与えていない!)。

 大工事を行うとすれば、「工事を必要とする理由」は多いほど、重大であればあるほど実施の名分がたつ。そうすると、「理由の第一」は、地すべり土塊上の送電鉄塔が倒壊する危険である。しかも、鉄塔基礎付近で度々表層崩壊が発生しており、法面保護工が施工されている。「理由の第二」は、北電の説明によれば、(地すべり土塊上の送電鉄塔のとなりの)鉄塔の下方の法面が一部崩壊し、今後、法面崩壊が進行すると鉄塔の地盤安定性確保が困難となる可能性があるためという。

 北陸電力は、「工事を必要とする理由」として「理由の第二」だけを挙げている。経済産業省中部近畿産業保安監督部長あての「工事計画届出書」の「工事を必要とする理由書」によれば、「平成17年7月に石川県金沢市鴛原町地内の第59号鉄塔下方の市道法面が一部崩壊したため、水位と傾斜の観測を行うとともに鉄塔の地盤安定性確保のための緊急対策として水抜きボーリングを行いました。今後、法面崩壊が進行すると鉄塔の地盤安定性確保が困難となる可能性があるため、安定した場所を選定し、第59号鉄塔を含む6基を新設する工事を行います。」(筆者注:地すべり土塊上の鉄塔は第60号鉄塔である)とだけ記載がある。

 「理由の第一」が記載されていない。北陸電力の「工事計画届出書」に地すべり土塊上の鉄塔についての記載がないのは、北陸電力が調査していないという理由をつけることができるかもしれない。だが、鴛原超大規模地すべり地の地すべり土塊については、石川県が辰巳ダム建設に関わり、詳細な調査報告書が公開しているので「理由の第一」を記載しない理由にはならない。

 さらに、当該第59号鉄塔基礎法面一部崩壊の3ヶ月前の平成17年4月2日、石川県内の羽咋で地すべりによる北陸電力送電鉄塔倒壊事故が発生している。北陸電力は地すべり土塊上の鉄塔の移設は急務であったはずである。それにもかかわらず、「理由の第一」が記載されていないのは、石川県の立場への忖度としか考えられない。石川県は、地すべり土塊の安定計算で安全率が限度以内で地すべり対策は不要と主張しているのである。

 北陸電力送電鉄塔の移設の理由は、あえて記載されていない「理由の第一(地すべりによる倒壊)」であり、これが隠された真実である。
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辰巳ダム裁判>裁判に対する期待と誤解(2)

2018年04月24日 | 辰巳ダム
 辰巳ダム建設事業は石川県が実施する事業で決定権は石川県知事が持っている。ダム建設を阻止するためには、住民はダム建設を推進しない知事を選べばよい。多数の住民の支持があれば阻止できる。
 しかし、辰巳ダムの場合は、住居の水没はなく住民の生活にほとんど影響がないなど、多数の住民の支持を得るには難しい状況にあった。
 当初、ダム立地で辰巳用水東岩取入口が水没して歴史的文化遺産が毀損することなどのため、知事も一時、中止の意思表示をしたことがあったが、ダム本体の立地を変更したことなどでダム建設反対の民意は盛り上がりを欠くことになった。ダム建設反対の住民運動は、ダム建設の阻止には至らなかった。
ダム建設反対の場は、行政から司法に移ることになった。世論の力、多数の住民の支持を得なければならない状況は、「司法の場」でも変わらない。多数の住民の支持があってはじめて、司法から見て巨大な行政に対して、裁判長は“行政に物申す”ことができるのであり、いわゆる良い判決が出しやすくなるだろう。
 本裁判では、原告団を少人数することで裁判にかけるエネルギーを節約したが、並行して世論を高めるということにはマイナスであり、それが傍聴者数にも表れた。このような事情もあり、判決内容は住民の主張はまったく採用されず、被告(国・石川県)の主張が全面的に採用された。
 徒労に終わったことになるが、裁判に持ち込み、行政の行き過ぎを批判しないと司法も変わらず、行政も変えることはできない。
 大気汚染、水質汚濁などの環境問題については、まず世論が高まり、司法が先行し、行政が後から追いついてきて、そして立法された。その後、司法が遅れるようになって環境破壊がひどくなったことがあるのではないか。
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