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佐渡に棲んで

退職後の第二の人生を佐渡島で半農半漁の生活でおくり、日々の雑感、釣果の報告などを綴る

故郷、岩船を偲ぶ

2009年10月24日 06時22分49秒 | 郷里
故郷、岩船の祭りが終わると一気に秋は深まり、木々の

紅葉も進みます、

今年の祭りはあいにくと天候は不安定な一日だったようです。

当日は、前に自分で撮影したビデオやこちらの図書館で見つけた

岩船大祭のビデオを見て故郷の祭りの思い出に浸りました。

子供の頃、前日からほとんど寝る間もなく母が作った祭り料理、

この時期は鮭の母川回帰で鮭のシーズンとなるので

鮭料理が主となります。

ハラコ(イクラ)、氷頭(ひず)なます、やきもの、煮物・・・

現在はどうかわかりませんが、岩船祭りは無礼講

各家々は、戸口を開け放ち着飾った娘たちが座り

「おめでとうございます」と言って入ってくる見ず知らずの

人でもご馳走でもてなします。

はっぴ姿の屋台の引き手の若連中も徒党組んでなだれ込んできます。

自分の町内の屋台に置いていかれ路地裏や知らない家の戸口で

ひっくりかえって居る者、・・・・

祭りの喧騒の夜はふけていきます。


ここで、漁業で栄えてきた岩船で魚の料理は数々ありますが

鮭に関しては古くからの戒めがあり、岩船の人達は今でも

堅く守っていることがあります。

 一つは、川に上った鮭を絶対採ってはならない。

 鮭で鮨を作ってはならない。

これは次のような由来から来ています。子供の頃、父から聞かされた

事なので、あるいは一部間違っているかもしれませんが、自分なりに

今でも覚えていることは次の内容です。

 昔、岩船の集落が石川の河口の小さな集落の頃、石の船に乗った
 
 石船(岩船)神社の神様が海から来て、浜辺の崖を、ふじづるにつかまって

 上陸した。

 集落に来て一夜の宿を願ったが、丁度、各家は石川に上ってきている

 鮭の捕獲シーズンで保存食の鮭の飯鮨つくりで忙しくて断られた。

 他の家では不幸があって弔いが有るから断られ、

 次の家では、嫁がお産したばかりで穢れているがそれでも良ければ、ということで

 とまることが出来た。

 この地にとどまった神様は漁業他の技をつたえた。

以来、岩船の民は、藤づるは焼いてはいけない。

            石川に上ってお宮の橋をくぐった鮭は神の使いなので
            捕獲したり、いじめてはならない。

            鮭で、飯鮨を作ってはならない。

これを堅く守っています。

正月料理で飯鮨を作りますが、鮭は使わず、鱒や、身欠きにしんを使います。

この故事は、私なりに思うに、我々の先祖は、古来より鮭の母川回帰を

知っていて、母川に戻ってきた鮭を保護すること。

さらに、シーズン中に保存食を作る為に多量に捕獲してしまうことを

いましめて、適量だけを収穫するように。

そんな意味があるのではないでしょうか?

となりの村上では三面川で盛んに川漁を行いますが岩船は海でしか

とりません。

実際、川に遡上した鮭は婚姻色が出たら身が固くなり味は落ちます。


太古の昔、岩船の地に来た、石の船とは何だったでしょうか?

UFO?神様は宇宙人?

我ら、岩船人は宇宙人の子孫?

夢は広がります。






 


故郷に想いを寄せて。岩船大祭。

2009年10月19日 21時50分37秒 | 郷里
昨18日、今日19日は私の故郷、岩船町の鎮守

「石船(いわふね)神社」の祭り岩船大祭です。

昨夜が宵祭り、今日が終日、本祭りです。

故郷の岩船町は越後の北、現在村上市に属していますが

歴史は古く、大化の改新時代に北方に対する防御として「磐舟の柵」が

「沼垂の柵」と共に築かれ、「日本書紀」に地名が登場しています。

「阿倍比羅夫」が軍船を率いて磐舟潟に来た時にすでに地名と神社が

存在したといわれております。

先年、1200年祭が盛大に行われた古くから海運と漁業で栄えてきた

町です。

私に故郷の祭りを語らせたらブログ容量がいくら有っても足りません。

一昨日よりあいにくの天候ですが、今頃故郷は祭り一色になっていることでしょう

故郷に思いをはせながら思い出を綴って見ます。


俗に「岩船者(いわふねもん)は年13ヶ月働いて、一月分を祭りにつぎ込む」と

言われるほどこのお祭りを大切にして生活しています。

地元で漁業を営む漁師たちの他に遠洋漁業、内航船、外航船に乗り込んでいる

船乗りも多く、盆や暮れ正月に帰らなくとも祭りには帰ってくる人が多く居ます。

昨夜の宵祭りには町の北の小高い丘にあって、岩船港と岩船町を見守っている

「石船(いわふね)神社」の長い参道で宵宮参りで久しぶりに帰省した人達が

すれ違い挨拶を交わしてお互いの無事を確認しあって旧交を暖めます。

祭りには古いものは江戸時代に作られた「祭り屋台」私たちは「おしゃぎり」

と呼んで大切に扱ってきた各町内自慢の屋台が9台引き出され

御神輿と共に町を巡幸します。

各屋台を運営する町内は少ない町で30戸たらず、多い町でも100戸に満たず、

この町内が今なら新築すると「数億円」時々の修理代でも「数千万」と

言われる、豪華絢爛の金箔漆塗りの祭り屋台を守ってきてここまで

続いてきています。

祭りにかける思いとエネルギーが感じられます。

漁師町ですから先頭を行く屋台は「お船様」を乗せた岸見寺町町の屋台

御神輿は巡幸の後部で進みます。

今日の夜明け前から巡幸のコースを先太鼓が回って道筋を清めます

私たちは「やれかか」と呼んでいます。

太鼓と金のリズムが「やーれ、かかあ、おきろ。おこわまんま、ふかせ。

てれすこてんてん、すってんてん」と聞こえます。

夜が明けると船を大漁旗で満艦飾にはためかせ。

船の神棚、船魂様にお供えを供え、

各町内からそろいのはっぴ姿の若衆が屋台を引き出し神社に終結

して、御神輿に御神体、お船様にあらみたまが移されて

木遣りが上がり巡幸の開始です。

各所に見所はありますが、夜になり各屋台はちょうちんで飾られ丁度今頃から

ひときわ見ごたえがあります。



物心付いた時から屋台に乗ってきた私たちは故郷を離れても

祭囃子は身体に染み付いていて思い出すたびに身震いして

鳥肌たつほどの興奮を覚えます。


語ればきりはありません。

祭りは明日の夜明け近くまで続きます。

昼のニュースで一部今日の巡幸の様子が流れました。

飛んで帰って参加したい気分になりました。


ふるさとは 遠きにありて おもうもの

そして かなしくうたうもの よしや うらぶれて 異土の乞食と・・・

犀星でしたか・


節分も終わりました。

2009年02月05日 13時51分27秒 | 郷里
昨日は立春、佐渡島も先日までの時化がうそのような穏やかな天気が今日も続いております。
風もなく陽もさしていますが日陰の冷気はまだ厳しいものがあります。

ちょっと歩いてみるとふきのとうや福寿草が芽を出して春近しの感じです。
ふきのとうを摘んできて自家製のフキ味噌をつくり香りを楽しみながら食が進みます。

立春前日の娘たちの家族の様子もブログで楽しませてもらいました。
私には娘が3人いて滋賀県に住んでそれぞれに孫が二人づつ、ブログや写真メールで日々の
様子を知らせてもらっています。

節分には豆まきや関西名物の恵方巻きを自家製の海苔巻きで楽しんだようです。
孫たちにも良い思い出となったでしょう。
ふりかえってみると仕事人間だった私は娘たちに節分の思い出など作ってやっていたのでしょうか。
娘よ、許せ。その代わりといっては何だが、今、孫たちにせっせと尽くしております。

私の子供時代の節分の思い出としては父親の豆まきと雪の冷たい思い出です。
私の故郷は新潟県の北部、岩船町という漁師町で父の代まで漁師でした。
漁師は船の上でエンジンの音に負けないボリューム音量で話しますので、声がでかい。
節分の日は必ず雪が積もっています、暖冬のこのごろはいつの頃からか雪がありませんが私の子供時代は12月中旬から2月一杯は必ず積雪があり豪雪時は家全体が雪に埋もれることもあった。
節分の日は豆木(大豆の茎を干したもの)に鰯の頭つきの干物をさして戸口や窓辺におき、
父が普通(一般人よりは大きい)の音量で神棚、仏壇、座敷、台所、トイレ・・・・・・・と家中に豆まきをした後で、クライマックスを迎えます。
閉じた玄関の内側に豆を入れた一升枡を小脇に抱えて父が仁王立ち、引き戸の内側に兄と私が手をかけてスタンバイ。妹は母のひざにしっかり抱かれてしがみつき。
やがて、深呼吸して息を整えた父の合図で私たちが戸を開けるとすかざず父が持ち前の大音量で

ふくはうちを3回

おにはそとを2回

続けておにのめんたまぶっつぶせ!と言った所で

私たちがピシャっと戸を閉めます。
その頃には雪夜の静寂のなかからあちらこちらで「おにのめんたま・・・・・」が聞こえてきます。

豆まきが住むと晩御飯、父は上機嫌で晩酌をたのしみ妹は家族全員の年齢分の豆を拾い、
しかし私には憂鬱なおとづれ、
施餓鬼供養なのでしょう、各家々を追い立てられた鬼や魔物を供養するためにと近くの四辻へ母が包んでくれた半紙にくるんだ豆を男児が一人でおいて来なければなりません。いつの間にやら私の役でした。
置いたら決して後ろを振り返ってはなりません。
当時は車も通ることなく除雪もされてないため人どうりが途絶えると道はひざ上までの雪です。
外灯もなく雪明りの中をやっとたどりついて置いたらあとは一目散。
恐ろしさに追い立てられて何度も転げながら長靴の中に雪をいっぱいつめて家に転げ込みます。
四辻から家まで30メートルほどの距離が恐ろしく長かった。角の家の子がうらやましくて仕方なかった。
今でもふるさとでは同じ行事が続いているのでしょうか、
雪のつめたさ、当時の親父の力強い頼もしさを思い出します。

それにしてもきめぜりふの「おにのめんたま・・・・」はなぜなんでしょう?
たしかに、ふくはうち、おにはそと、だけより収まりが良いような気がします。

いたちの最後っ屁のような・・・