佐渡に棲んで

退職後の第二の人生を佐渡島で半農半漁の生活でおくり、日々の雑感、釣果の報告などを綴る

故郷は祭りです

2018年10月19日 19時43分35秒 | 郷里
稲刈り後の出荷や田打ち、コンバインやトラクターの

洗車、注油も済ませて納屋の片付けも済んで

今日はJAの農機の展示会に出かけました。

今日19日は、途中の集落の祭りの日でした。

戸地集落では白刃が行われています。

北狄集落ではお神輿が出ていました。

相川では豆まきや太鼓が出ていました。


今日は私の故郷の岩船でも岩船大祭 です。

NHKのローカルニュースでも放映されていました。

いくつになっても祭りの雰囲気は思い出され

血が騒ぎます。


夜になって今頃はしゃぎり屋台がちょうちんで飾られ

動くたびに怪しく揺れて味わいを見せているでしょう。


故郷は日本書紀に地名が出てくる古くから海運と漁業で

栄えてきた港町です。

興味のある方はこちらのリンクをどうぞ”岩船大祭

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母校のモニュメント

2016年06月12日 19時01分39秒 | 郷里
先日の6月5日、故郷で小学校時代の同級会が

開催され参加しました。

10年前の中学校時代の同級生との還暦同級会以来の

故郷での集まりです。

中学校は二つの小学校からの集合でしたが

今回は小学校時代の3クラスの古稀同級会です。

3クラスで150名ぐらいだったと思いますが

今回は1/3以上の54名の参加でした。

私にとっては中学校卒業で故郷を離れて以来

再会する人も多く懐かしいうれしいひと時でした。

故郷を出て以来、訛りのある言葉を封印して生きてきましたが

久しぶりに幼馴染と思う存分田舎言葉で話がはずみました。

その夜は高校も一緒に佐渡に渡った友の家に泊めてもらい

夜遅くまで話しました。

翌日は友と一緒に懐かしい場所を回りました。

中学校の近辺や駅前地区、名所の笹川流れなど

途中、母校の小学校へ行ってみました。

どうしても確認して写真を撮っておきたいものがあったのです。

それは小学校時代よくのぼって遊んでいた方位盤です。

記憶では校門から入って左手のイチョウの木の下にあったのですが

今回行くとその場所には給食センターのクーリングタワーがあり

方位盤はなくなっていました。

近辺を探しても見当たりません。

友と学校の裏手に回ってみると学校関係者のような方が

居たので尋ねると校長先生でした。

2年前に赴任されたそうで方位盤のことは判らないとのことでしたが

教頭先生を呼び出してくれました。

教頭先生に昔の記憶を頼りに説明すると別の場所に移設されて

いて、案内してくれました。

正面玄関の横に移設されていました。

御影石の2段の高さでしたが今は一段目はコンクリートの

中に埋まっています。

設置されていますが方位はずれています。

なぜこの方位盤にこだわったかというと

これは昭和15年の皇紀2600年記念に当時

漁業で栄えていた故郷の大型船の船主たちが

寄贈したもので船名と船主名が刻まれています。

そこには父が分家する前の本家の船名と船主の

伯父の名があります。

さらに本家はその前は漁業ではなかったのですが

跡継ぎがなく家名を存続させるために私らの祖父と祖母が

網元の生家から養子に入って相続した家です。

この方位盤には祖父、祖母それぞれの生家の

船名と船主名が刻まれていていわば私のルーツの

船名、家名が刻まれているのです。

今は私の祖父母の生家、本家、我が家も漁業は廃業して

船名は残っていません。

この方位盤の文字も風化して判読しにくくなっていますが

今も残っている船名は従兄弟が頑張っている船を含めて

数隻だけです。

この方位盤の写真を撮っておき私の子供たちに

我が家の歴史を残しておきたくて母校を訪ねてみました。

故郷は歴史の古い街で日本書紀に地名がでてくるところですが

町の名からして海、船に縁の深い町です。

小学校の校歌、応援歌も海にちなんだ歌詞です。



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故郷の祭り、岩船大祭

2015年10月19日 20時07分05秒 | 郷里
故郷は18日、19日と祭りです。

昨18日は宵祭りで町の北から岩船港を見下ろす

小高い丘に鎮座する「石船神社」の長い参道は

提灯に照らされ参拝する人たちでにぎわったことでしょう。

今日19日は本祭り。

0時に神社を出発した先太鼓がしゃぎり屋台の巡行する道を

清めて回ります。

朝には各町内から引き出された金箔漆塗りの絢爛豪華な江戸時代から

伝わる「しゃぎり屋台」9台がそろいの法被姿の若衆にひかれて

神社に集結します。

神社の社殿前で、巡行の先頭を行く「お舟様」と最後尾をいく「白駒」を

両脇におき「お神輿」に「御霊移し」の神事が行われたあと

「お舟様」は岸見寺町のしゃぎり屋台に、「白駒」は横新町の

しゃぎり屋台の上台に乗せられて巡行が始まります。

各屋台はそれぞれの町内の子供たちが太鼓、鐘、囃子手として乗りこみ

笛吹きの笛に合わせて屋台が動いている間太鼓をたたき囃子の声を

だしつづけます。

屋台が神社の方向に向いたときや往復同じ道を通る時には

曲はテンポの早い「帰り囃子」に変わります。

巡行は夜中から朝方近くまで続くので子供たちも

大変な重労働ですが岩船もんの宿命です。

夜が更けて今頃は各屋台は提灯で飾られ屋台が動くと

提灯が怪しく揺れて、港を回る「浜周り」では

各屋台が一斉ににぎやかな「帰りばやし」となり

囃子の声もひときわ大きくなり祭りは最高潮となります。


NHKのニュースでも流れましたが懐かしい景色

屋台の映像を見ると岩船もんの血が沸き立ちます。


毎年テレビで後日放映されますので

今年もそれを楽しみにしておきます。

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故郷は祭りです。

2014年10月19日 12時01分32秒 | 郷里
今日は私の故郷の祭り、「岩船大祭」です。

佐渡は夜明け前からかなりの雨が降りましたが今は晴天となりました。

故郷の天気はどうでしょうか?

秋晴れの元で「しゃぎり屋台」がにぎやかに巡行しているでしょうか?

後日、テレビで放映されるでしょうから楽しみにしておきます。

今日は佐渡、相川でも「善知鳥神社」の祭礼です。

私は高校時代の3年間を相川で過ごしましたが

この10月18、19日は故郷に帰って屋台を引きたくて

毎年、なんだかんだと理由をつくっては学校をさぼって

帰省して祭りに参加していました。

その為相川の祭りについては知りませんでした。



物心ついて以来、祭囃子は身体に深くしみ込んでいて

思い出すと血が騒ぎます。





昨日は田んぼに鶏糞を散布しました。

動力噴霧器を背負って散布しますが、肥料の重さが年々こたえるように

なってきています。

7枚の田んぼに散布した後はぐったりしました。




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故郷は沸き返っています。

2014年02月14日 06時05分50秒 | 郷里
故郷、村上市は大変な騒ぎで沸き返っています。

オリンピック、ハーフパイプで「平野歩夢」選手が

やってくれました。

15歳、中学3年生で見事に銀メダル!!


何年か前から、実家に帰省する折には

「スケボーのうまい子供がオリンピックを目指している」ということは

聞いていました。

おばあさんは同郷の岩船町ということですが、私は面識はありません。

お父さんは私らと同じ小学校出だそうです。

村上市が全国に注目されるのは皇太子妃の小和田雅子さん以来です。

祭り騒ぎが生きがいのわが町民はその時は祭り屋台を引きまわしての

祝賀ムードでした。

今度は平野選手が帰省したらどんな騒ぎとなるのでしょうか?


事前の予想では金メダルの声もありましたが、

私自身の勝手な感想は銀メダルでよかったと思います。

15歳の少年が一気に頂点を極めたらその評価を維持していくための

重圧は予測できないものと思います。

常に常勝を義務付けられ不調となれば贔屓の引き倒しにも

遭いかねません。

まだまだ前途のある中学3年生、今度こその意気込みをもって

益々その技に磨きをかけていつかは必ず金メダル!の夢を

日本国民に見させ続けてほしいものです。


同じことで、女子ジャンプの高梨選手、結果はメダルを逃しましたが

本当にお疲れ様でした。

大会のたびに優勝を義務付けられたここ数年、見事にここまで

期待に応えてくれました。

チームの中で最年少で最高の結果を出すたびにインタビューでは

一言一言言葉を選びながら先人、先輩を立てる言葉遣いに

気遣いをひしひしと感じていたのは私だけではないとおもいます。

今回もチーム内で最高の成績でした、夢をありがとう。

正直、ほっとしたような気持ちを抱いているのは私だけでしょうか?

ここで一区切りつけて、次の目標に向かってほしいものです。

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