佐渡に棲んで

退職後の第二の人生を佐渡島で半農半漁の生活でおくり、日々の雑感、釣果の報告などを綴る

2年ぶりに滋賀へ帰宅

2019年11月29日 17時29分22秒 | 家族
佐渡で暮らしてからほぼ毎年1~2回、滋賀県近江八幡市の

自宅に帰っていたのですが昨年は集落の役に付いていたので

一年間離れることができず帰宅出ませんでした。

今年は平役員なので秋のコメ、大豆の収穫出荷が

一区切りついたところで16日に出発して

やく10日間を近江八幡で過ごし帰路に

二晩新潟の義妹宅に寄せてもらってから

昨夜、佐渡の家に戻りました。

佐渡の生活に車は欠かせませんが

久しぶりに本土の道を走ると運転感覚が

すっかりずれてしまっていることを実感しました。

佐渡には高速道路も鉄道もなくすべてが

農道につながる生活道路のためあまり緊張感がない

運転ですが、2年ぶりに高速道路を走ると

時速100キロで走っても徐々にスピードが

落ちていきます。

オートクルージングをセットして走らないと

いつの間にか80キロぐらいにおちています。


家の近くにはJRの踏切がいくつかあるのですが

遮断機の下りていないときに一時停止しても

そのままポケーとして電車が来るのを待ってしまったりします。


近江八幡の自宅には長女と孫娘、

近くに3女一家の4人、隣の市に2女一家の4人が

住んでいるので何度も行き来しました。

名古屋にいる大学生の孫もバイクでやってきて

8年ぶりに顔を見せてくれました。


一つ感じたことがありました。

それは小学生の登下校時になると

子供の数ほどの見守り隊の人が

いることです。

みどりのベストを来て横断歩道や交差点に

旗を持っている老人のなんと多いことか。

私は早期退職後に釣りを主とした半農半漁の

生活を始めたのですが。

そうでなかったらあの人たちに交じって

ボランテア活動をしていたのかも?

どっちがいいとか悪いとか言えませんが


やれ肥やしの袋が重いのとか

土の袋が重いから切ないとか

愚痴をこぼすのはやめた方がいいのかも・

等と思ってしまいました。

自分の作った米を主食にして育っていく

孫たちの成長を見れることは最高の

贅沢なのかもしれません。
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誕生日、成人式

2017年01月10日 16時26分31秒 | 家族
一昨日、8日は私の誕生日でした。

朝から娘や孫たちからメール、LINEでお祝いメールを

いただきました。

電話も来ました。

嬉しくもあり、人生の終焉に間違いなく近づいていることを

実感して複雑でもあります。

又、この日は全国各地で成人の日を繰り上げて

成人式を開催した自治体も多かったようです。

私の長女の息子、私にとっては2番目の孫も

大学生ですがこの日は地元に戻って成人式に

出席して私の誕生日祝いのメールと成人式の

スーツ姿の写真を送ってきました。

もうとっくに私の身長は越え、凛々しい若者姿です。

私の子供は娘が3人で孫は6人いますが5人は孫娘

子供、孫の中でただ一人の男なので貴重な存在です。

成人式を迎えて今後常識をわきまえた社会人となっていくことを

望みます。


私の成人式は東京都の武蔵野市でした。

電電公社の武蔵野通信研究所のコンピュータ室に

保守員として12名で24時間体制で交代勤務についていました。

成人式の時間に勤務の空いているものが出席しました。

勤務地での成人式なので同僚以外に知人もいなく

今でもあまり印象は残っていません。

ただ都知事選の最中で初めて投票に行き私は自民党候補に

投票しましたが結果は革新の美濃部さんが勝利しました。


ニュースでは相変わらずどこかで荒れた成人式になったりしているようです。

若いエネルギーを他の所で展開してほしいものです。

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久しぶりの自宅へ

2016年03月28日 21時35分49秒 | 家族
滋賀県の近江八幡市に自宅があり

近くに娘たちが住んでいます。

自宅には長女が住んでいます。

滋賀に行ったときは駐車場の便利さと

共働きの留守番、孫の世話などから3女の家に

泊まって過ごしてきていました。

前回、滋賀へ戻ったのは2012年でした。

その後、義父の介護に続いて義姉の入退院の

世話で女房が家を空けることができなくなり

滋賀の自宅へ帰宅できなくなっていました。

義父に続いて義姉も亡くなり、女房も島から

離れることができるようになりました。


先日17日に3女の婿さんの父上が亡くなり

通夜、葬儀に参列のため17日の夜のフェリーで

渡り、18日の早朝に近江八幡に着きました。

ほぼ4年ぶりの高速道路の運転なので

ETCカードのいれ間違ったり、高速のスピード感が

狂っていて最初は100キロの感覚が戻らず

高速走行も安定しません。

サービスエリアではどこも以前から見ると

きれいになっていて特にトイレは美しく整備されています。

目につくのは中国語、韓国語の案内が増えていました。


彦根で高速を降りて東近江の次女の家に寄る為

8号線と一般道路を走りましたがコンビニがやたら多いことと

介護関係、ディサービスの建物が増えていました。

通夜、葬儀の後、娘たちや孫たちと食事をしたり

買い物をしたり、久しぶりの自宅の手入れ、特に

植木の手入れは思い切ってばっさり切り詰めたり

雨戸の修理などをしてきました。

又、秋の取入れが済んでから新米を持って帰宅する予定で

戻ってきました。


23日に戻りましたが早速種もみの水浸、

苗箱の消毒、村の共同作業の堰普請

苗箱への土入れなどと農作業が連続して

多忙が続いています。
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脱力感

2015年08月18日 12時23分01秒 | 家族
毎年のことですが、お盆が過ぎてこの時期

夏休みで来ていた孫たちがお盆でやってきたそれぞれの

両親たちと引き上げて、

女房と二人だけの生活に戻ると途端に

寂寥感、脱力感に襲われます。

今年も13日に次女一家、

16日に三女一家を小木港に送り

戻ってから何とも静かで張合いがなく

力が入りません。


孫たちの釣竿を片付けたり

浮き輪やゴーグルを片付け

バーベキューセットを片付け


いちいち孫たちと過ごしたひと時が思い出されます。

また、来年の夏に取り出して使うのですが

だんだん年々どこにしまったか判らなくなっていたりします。

来年も元気でこれらの道具を使えることを祈りつつ

片付けます。
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義父の逝去、葬儀。

2013年11月26日 13時57分43秒 | 家族
同居の義父が18日夕方に息を引き取り、葬儀を

執り行いようやく片付けも澄んで静かな日常となりました。


退職して田舎暮らしの自給自足にあこがれて、

当時、女房の実家で一人暮らしで生活していた義父との

同居生活を開始して12年目になります。


昨年から義父は寝たきりとなり週に2回、ディサービスを

利用して家で女房が介護を続けてきましたが、老衰で

息を引き取りました。

享年99歳、苦しむ事も無い眠ったような大往生でした、

てっきり眠っているものと思って見ていて気付いた時には

息が止まっていました。


高齢なのでいずれは必ず訪れることと覚悟はしていたものの

直面すると気が動転したり不手際があったりしましたが

親戚や近所の人に助けてもらって葬儀一切を無事済ませました。


大勢の人が出入りしていましたが一昨日からは広い家に

女房と二人きりとなって、空虚感、脱力感に襲われています。

昨日で各所にも支払いを済ませ、後は細かい公的手続きなどが

あります、

介護の作業から解放された女房はタガが外れたような

気分であろうと思います。


落ち着いた日常の気持ちになれるには少し時間が

かかりそうです。
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