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佐渡に棲んで

退職後の第二の人生を佐渡島で半農半漁の生活でおくり、日々の雑感、釣果の報告などを綴る

故郷の祭り

2013年10月27日 20時38分28秒 | 郷里
昨日、テレビで故郷の祭りが放映されました。

18日の宵祭り、19日の本祭りと営まれた

故郷の岩船大祭です。

今年は実家の本家が町内の「当宿」をつとめ

従兄弟の嫁さんが放映の主役になっていました。

しゃぎり屋台の飾り物の衣装を京都に発注して

新調したと言っておりました。

飾り物は先祖が作ったものと子供の頃から聞かされておりました。

カシラ(頭部)を覗きこんでみると先祖の名前が

書いてあったことを記憶しています。

今年の祭りの様子はブログ「岩船時間スタッフブログ」

http://khiwfn.blog.fc2.com/blog-entry-263.html

に写真が掲載されています。

今年の祭りが終わると早や、岩船モンの気持ちは

来年の祭りへのカウントダウンが始まります。

私の子供の頃からは少しずつ祭りの運営の形は

変わってきていますが、先祖から伝えられたこのすばらしい

祭りを、しゃぎり屋台を後世に伝えていって欲しいと

思います。

私の先祖が作ったといわれる実家の町内のしゃぎりのかざりものです。

このようなしゃぎり屋台が「お舟さま」を先頭に「白駒」まで

9台続いて、朝から深夜まで巡行します。



郷里の宵祭り

2012年10月18日 18時27分29秒 | 郷里
JAライスセンターのアルバイトも終盤を迎え

今日は片付けと清掃作業でしたが、時間内に終わらず

あすに持ち越しとなりました。

連日30kgの米袋を扱う作業で、腕はパンパン。

足腰はガタガタで帰宅して夕食、入浴すると

疲れがどっと出て早めに就寝する日が続いています。



今日は10月18日、故郷 岩船町の岩船大祭の宵祭りです。

今頃は各家々では戸口に角提灯を下げ、紅白の幕を張り

戸口を開け放っていることでしょう。

宵宮参りは町の北の小高い丘に鎮座する石船神社の松に

囲まれた参道を、明日の本祭りにしゃぎり屋台に乗る

姿でお参りするのが私の記憶ですが、現在はどうなのでしょう?

長い参道で盆暮れには帰省せずとも祭りには帰省する人たちが

すれ違いあって旧交をあたためるのが思い出です。


私の頃は、しゃぎり屋台に乗れるのは男の子だけ

はっぴ姿で屋台を引くのは成年男子だけで女性は

近寄ることはできませんでしたが、子供の数が

減って今は女の子も屋台に乗るようになりました

私の頃は、小学生までの男の子は振り袖姿で、

中学生になって大太鼓を打つようになると

黒紋付に腰までの白い長鉢巻き、赤いたすきを背中で結び

腕は手甲をつけ、足元は朴歯の高下駄でした。


今夜の24時になると、いよいよ19日の本祭り、

先太鼓が神社を出発して屋台の巡行路を清めて回ります。



思い出が尽きず、飛んで帰って祭りに参加したくなります。

故郷とのかすかなつながり

2010年12月18日 10時14分01秒 | 郷里
佐渡に住んで9回目の年末年始を迎えています。

数年前からこの時期に続けている事があります。

私の故郷 岩船町の海産物店にネットで手配して

滋賀県に住む娘たち(3家族)にハラコの醤油漬けを

年末に配達されるように送っています。


私の実家は親父の代まで漁師でしたので毎日魚には

不自由せず、特に、10月18,19日の岩船大祭と

正月にはサケ料理を欠かさず、子供の時から祭りには

生サケ料理とハラコ、正月には塩引き鮭とハラコが定番で

それにエビやカニがついていました。

貧しくとも今考えるとグルメだったようです。

私が所帯を持ってからも母が正月には時折塩引き鮭と

ハラコを送ってくれて故郷のサケ料理の味を子供達に

味合わせることが出来ました。


故郷をはなれて、つながりもすっかり薄れてしまいましたが

娘や孫たちに、岩船モンのDNAがつながっている事を

確認してもらうべく、故郷の味覚を届けています。

故郷の祭り

2010年10月20日 05時08分20秒 | 郷里
稲刈りと関連作業が終わってからは連日アルバイトの

JAのライスセンターの米出荷作業が忙しく、疲れ気味です。

30キログラムのコメ袋が年々重くなってきます。

日一日と日が短くなり5時に仕事が終わり港での

アオリイカのエギングもすぐ日没で暗くなり風も肌寒くなりました。

釣果もめっきり減って、毎日、1~2はいです。

連日、腹立たしい中国関連ニュースが続き、気分の晴れることも

なかったので、ブログの更新も日が空きました。


今週は、秋らしい冷え込みとなっていますが好天が続いています。

18~19日と故郷の岩船では 石船神社の大祭が行われました。

秋晴れの中盛大に盛り上がったこととおもいます。

まだ今朝のこの時間でも昨夜の余韻が続いている事と思います。

毎年、この時期になりますと、骨身に浸みついた祭りの囃子の

テンポが頭をもたげ、鳥肌が立ち、血が騒いで落ち着かないのは

岩船モノの宿命でしょうか。

幼いころの思い出とは様変わりしている町並みの故郷ですが

せまい辻を曲がるときの「しゃぎり屋台」の車輪のきしみ、

町内ごとの揃いのはっぴすがたの若衆のかけごえ、

子供たちの囃子の声、笛太鼓のまつりばやし・・・・

夜空に怪しく揺れる、屋台の提灯・・

今頃、先頭を行く、お船さまはどのあたりを巡行中だろうか・・

思い出は尽きません。


左義長の思い出

2010年01月16日 10時32分59秒 | 郷里
久しぶりの晴天です。

部屋の窓から見る海もそれほど荒れてはいません。

但し、部屋の室温は1℃、こたつにもぐっています。

露出している、頭、顔、手先が冷えます。

昨日15日は小正月、夜明けに浜に行き正月のしめ飾りを焼きました。

各個人で焼く所、集落ごとに纏まって焼く所、いろいろあるようですが

この辺では各戸毎に焼きます。

毎年浜へ出て焼くたびに故郷の行事を思い出します。

今では、各地の伝統行事も様変わりしていると思いますが

私の子供の頃、故郷岩船では、左義長という子供たちにとっては

大事な行事として運営されていました。

各町内の中学2,3年生が大将となり、小学生中学生の男子で町内行事を

運営する中で、左義長は年末の大掃除で各戸で旧いお札やヘイソク等を

軒下につるしておくのを子供達が集めておき、各町内ごとに神社やお堂に

保管しておきます。カンジョウとよびます。

冬休みの天候のよい日を選んで浜に子供だけでスコップを持って

大きな穴をほります。

15日の早朝、夜明け前に子供達はカンジョウをかますにつめたものを

穴に積み上げ、点火します。

町内にカンジョウに火をつけたことを触れまわります。

人々があつまり出したら、お札の紙を裂いて作った短冊の房を

長い竹につけて火をつけて振り回します。

この炎で町内の無病息災をいのり、囃したてます。

人々はカンジョウ焼きの炎で餅を焼き家に持ち帰り健康を祈念しつつ

家族で分け合っていただきます。


文章で書くとこれだけの伝統行事ですが、実は男の子にとっては大切な

人間形成の一つの材料となっています。

このカンジョウを出来るだけたくさん焼いてよその町内より長く燃えている事が

名誉なわけで、点火するまでよその町内に横取りされないように交代で

番をすることはもちろん時には徒党を組んでよその町内の保管場所から

くすねたり、身をもって取ったり取られたりが発生するわけです。

大きい子は小さい子を守り、小さい子は大きな子のいうことを聞いて

長幼の序と役割を身につけます。

14日の夜は各町内の神社やお堂に夜籠もりと称して、重箱に

ごちそうを詰めてもらったものを持ち寄り、ごちそうを交換し合って

甘酒や、砂糖湯を飲んで過ごします。

町内の各戸をまわって、火鉢を借り集め、炭をもらって、お金も貰い集めます。

集めたお金で駄菓子屋で子供の頭数分の袋詰めを作ってもらい分けます。

夜も更けたころには解散となり小さい子供達を家に送り届け大将どもは

徹夜の番に入ります。この泊まりは学校では禁止していて時間になると

先生が手分けして回ってチェックするのですが抜け道はいくつもあります。

泊まりのところに一杯機嫌のおとなが一升瓶をぶら下げてやってきて

いろいろと人生訓を垂れまくったりします。

酒の味を覚え、ちょっぴり大人の世界を垣間見たりすることになります。



今はどんな形で運営しているのでしょうか?

カンジョウ焼きの穴掘りは大人がユンボでやっているようですが・・


子供の頃、時には吹雪いたりすることもあり、冷たさで泣く小さい子を

かばって慰めながら穴掘りしたことなどを懐かしく思い出します。