佐渡に棲んで

退職後の第二の人生を佐渡島で半農半漁の生活でおくり、日々の雑感、釣果の報告などを綴る

時化ています。

2011年05月30日 06時59分38秒 | 日記
時節外れの台風2号の影響で佐渡島は

昨日は朝から雨でしたが夕方からは風も加わって

夜半から強くなり今朝は強風雨で時化状態です。

田んぼや畑周りの草刈りも済んで、農作業も一段落。

のんびりしていますが、東北の被災地ではこの風雨で

又、不自由な生活に追い打ちがかかり、さらに地震で

緩んだ地盤の土砂崩れなども予想され

本当に気の毒でなりません。

連日、新たになる政府と東電のでたらめ対応。

不手際の対応の責任のなすりつけ。

東電の企業体質の不誠実さは前回の中越沖地震の

柏崎刈羽の対応で露呈済み、

現場の不手際、作業不良の続出にその場しのぎの

再発防止策を提示しても根絶できるはずもなく

10何回目かの再発防止策を提示しています。

再発防止というのは徹底できたら一回でいいはず。

政府もハトの名をかたるサギが出てからはウソを

ついても何でもありの状態。

もはや政権末期の状態です。

ふりかえると、阪神淡路大震災の時も政権交代で

当時の社会党、村山政権でした。

この国は政権交代すると自然大災害で国家の屋台骨も

ゆらぐのでしょうか?

地震津波の被害に加えて明らかに人災といえる原発事故。

着の身着のまま家族の安否も確認できないままで

先祖伝来の故郷を離れさせられた人々の気持ちは

政府、東電の面々は判っているのでしょうか。

世界中の人たちの善意の義捐金はいつ被災地の人々に

行き渡るのでしょうか?

義捐金の募金箱、呼びかけを近頃むなしく感じているのは

私だけでしょうか?

困っている人に素早く対応して救済する事が応募している人たちの

気持ではないだろうか。

被災者に不公平がないように対応したいという当局の対応も

判らぬことはないですが、不足したらまた全国に呼び掛けて

募るぐらいの気持ちで今集まっている義援金をすぐ生かしてほしいもの

です。




上京、雑感

2011年05月25日 22時12分10秒 | 雑感
5月20日、午前3時に起床、出発して5時半のフェリーに乗船。

上越新幹線で上京しました。ほぼ10年ぶりの東京です。

上越線を利用しているころはいつも夜行列車でしたので

昼の上越線の沿線景色はゆっくり見ながらははじめてです。

新潟を出発してしばらくは越後平野の穀倉地帯の水田風景です。

むかしはそこかしこに秋の稲刈りした稲束をはざ架けする為の

「ハンの樹」が見えたものですが今は一本もありません。

機械化に合わせて耕地整理された大きな水田と農道の景色が続きます

新潟県を過ぎ群馬、埼玉と東京に近付くにつれ水田は見られなくなり

大規模畑作農業の景色となります。

水田も畑も直線が交差して幾何学模様となっています。

わずかに曲線が見受けられるのは河川の流れとその土手、河川敷。


上野駅で下車して上野公園に行ってみました。

上野駅そのものと出入り口は大きく変貌していますが、

公園や動物園などはあまり変わった様子は感じません。

「精養軒」で昼食をとり、バスで浅草に行きました。

雷門、仲見世どうりを歩き、吾妻橋から水上バスに乗りました。

浜離宮を経由して日の出桟橋まで行き下船して浜松町へ

浜松町駅前の「貿易センタービル」の中で

懐かしい面々と再会し、しばし楽しい時間を過ごしました。

40年ぶりに会う人もいて盛り上がりました。

皆充実した人生を送っている様子でした。

又、いつの日かの再開を約してお開きとなりました。


佐渡に戻ってからは天候が続き連日、田んぼ周りや

畑の草刈りに追われています。

例年ですと一月近く早くに草刈りが始まるのですが

今年はこれが初めての草刈りです。

今日も、山と畑の草刈りをして夕方女房とアジ釣りに

行ってみました。

アジも例年のペースより一月近く遅れています。

今日は入れ食い状態となって、二人で90程釣って

近所に配ったり、刺身と塩漬け、開きにして醤油味つけにしました。

サイズは20~35センチサイズです。

当分このサイズが続くものと思われます。

久しぶりに上京します。

2011年05月19日 11時41分57秒 | 未分類
コンピュータの保守会社に就職して最初に担当したのが

当時の国産最高能力を誇る機種でした。

東大、京大他各研究所などに納入されました。

その機種コード名にちなんで5月20日に当時の担当者が

集まって思い出話をしたり、旧交を温めたりしています。

不定期の開催ですので何年振りかで開くことになります。

今年も、東京浜松町に集合する事になりました。

現役時代は関西での開催を主催したりしていましたが

関東地区の集まりには参加したことがありません。

田植えも終わって一段落して、新潟の病院に入院している

同期の友人も見舞ったりしたいので参加することにしました。

実は上越新幹線に乗るのは初めてです。

大阪に勤務してしょっちゅう東京や横浜に出張していましたが

関西に転勤してからは上越線も利用する事もなくなりました。


就職して関東地区に居る間は帰省で利用する時は上越線は

上り下りとも夜行急行でした。

上野駅が発着点で「ああ上野駅」の時代です。

帰省の為、ホームに行くと必ず土産を持った知人がいて

家から職場に戻る時は、しばし訛りの方言生活をふっきって

都会人らしくふるまい、田舎人となめられないように

きもちによろいをきたものでした。

明日は早めに出てすっかり変貌したであろう上野駅近辺を

ぶらついて思い出に浸ろうと思っています。

天気晴朗なれど波高し

2011年05月14日 07時15分39秒 | 日記
一昨日から雨模様で風も強かった佐渡ですが

昨夜からは晴れ上がり月も出ていました。

夜中から南西の強風が吹き荒れて波がしらが白く立っています。


春の農繁期である田植えが済み、それに続く田植え機の清掃、整備して格納。

ビニールハウスの屋根の取り払いと風除けネットの取り付け、地面の耕起。

苗箱の洗浄と片付け。

田んぼの方は、田植え機では届かなかった隅の手植え、

除草剤の散布が終わって今は水をためたままの状態です。

田植え機での植え残部分や倒れた苗の植えなおしはまだです。

ペースト肥料や除草剤が土になじんでしまうまで静かに

しておきます。あと2日ぐらいして田んぼに入ります。


今年の天候は春になっても中々気温が上がらず、苗箱の苗の

根張りが不十分で田植え機に載せられない家が多かったようです

我が家は幸いにも大丈夫でしたが苗の調達に苦慮したところが多かったそうです。

海も例年ですと連休時期に港の岸壁の足元に35センチオーバーの大アジが

周ってくるのですが今年はサッパリ。5月半ばというのに姿が見えません。

タナゴもとっくに孕みタナゴの時期ですが今年は群れているサイズも

小型です。

何もかもがいつもとちがっています。









田植えが終わりました

2011年05月07日 05時11分23秒 | 農作業
5月2日に近所の家の田植えが始まり、それを手伝ってから

3日は近所と我が家、4日は我が家の分、

5日、6日は義姉の所と3軒分の田んぼの田植えが

足掛け5日で昨日終わりました、昨日は植え終わって

田んぼから上がって義姉のところのハウスを解体して

戻ったのが丁度お昼。

午後からは我が家のハウスを解体した後で、

大活躍した田植え機の清掃と各部の注油、

エンジンオイルの交換を実施しました。

4条植え機でペースト肥料の施肥機がついています。

6離れた義姉の所へ移動する時は

軽トラックに積んで移動します。

運転席から降りて、前部のハンドル操作で低速移動が出来る機能が

ついているので荷台の積み下ろし時や田んぼから出る時の急勾配の時

安全に作業が出来ます。

また来年に頑張ってもらうために丁寧に点検注油しておきます。


2日に作業開始時にいきなり20キロのペースト肥料を

無造作に持ちあげて腰を痛めたようでつらいのですが

コルセットで締めたりしながらなんとか耐えてきました。

明日も隣の家の田植え補助員の仕事を頼まれているので

今日はゆっくり腰を休めます。