佐渡に棲んで

退職後の第二の人生を佐渡島で半農半漁の生活でおくり、日々の雑感、釣果の報告などを綴る

大晦日

2011年12月31日 18時14分05秒 | 日記
今年もいよいよ残り6時間をきりました。

激動の2011年(平成23年)が終わろうとしています。

戦後生まれの私たちが経験したことのない大災害が

発生して、あらためて日本人、東北人の我慢強さ

秩序正しさ、やさしさを認識させられました。

年末に報道特集番組が多くなり、津波の映像が繰り返されましたが

あの日、肉親を失い、財産を失い、寒風に立ちつくした人たちに

思いをはせた時、私たちはテレビの映像を正視できず

チャネルを替えてしまいます。


被災されたひとびとに一日も早く安定した生活が

戻ることを祈らずにはおられません。

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大火鉢

2011年12月30日 07時45分22秒 | 日記
ここ数年来、冬場は七輪を使ってきました。

広い木造家屋なので12畳半の居間は

炬燵だけではとても過ごせません。

炬燵に加えて七輪に豆炭を入れて置き

他にも灯油の対流ストーブ、輻射式、バーナー式、コンロ型

等を使っています。

毎朝、起床すると七輪の前日の灰を捨て

消し炭を入れて着火して豆炭の火を起こすことが

冬場の日課となっています。

煮物の鍋ややかんを載せておきます。

今の時代にけして安くもない炭や豆炭を使って

面倒な火起こしや火の管理をせずとも石油ストーブや

電気を使えば便利で簡単なのですが、

子供の頃、囲炉裏の火で育ちかまどの火で炊いた飯で

育ったこの身が、赤い炎や炭火、豆炭の火に対する

ノスタルジヤが去りがたく、つい炎に手をかざしてしまいます。

そんな生活の中に、義姉が「長いこと使ってない火鉢が蔵の中にある」

と、言ってゆずってくれました。

直径55センチの大火鉢です。

相川の雑貨屋や大型量販店を周って、ひばし、灰ならし、五徳を

探し求めて来ました。

いったん炭火、豆炭の火を入れて、夜は灰をかぶせて置き

翌朝灰をよけて炭と豆炭をつぎたし・・・・

これのくり返しです。

余熱が夜中も続いていますので朝は居間は暖まっています。

毎朝の七輪での火起こしも不要となりました。

外で冷えてかじかんだ手も火鉢の縁をつかんでいると

ゆっくりあったまります。

正月には五徳の上に金網を載せて餅を焼くことに

なるでしょう。

何もかも簡単で便利になって行く現代に

あえて不経済な手間のかかりそうなことをしていることも

ちょっぴり贅沢かもしれません。

ひまで時間があるからできるのですが。

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餅つき

2011年12月28日 12時09分20秒 | 日記
今日の佐渡島は風もなく穏やかです。

昨日は時化で一日中みぞれでした。

雪とは言えないミゾレが降り続き風に乗って

顔に冷たく吹きつけました。

そんな天候の中で外で釜を出して餅を

搗きました。

羽釜に蒸籠をのせ、5升のもち米を蒸して

搗くのは餅つき機で搗きます。

餅つき機でも蒸してそのまま搗けますが

釜の強い火力と羽釜の蒸気で蒸すと

軟らかくきめ細かいきれいな餅が出来ます。

水分も少ないようでカビがなかなか付きません。


私の故郷、越後では餅はお飾り以外は四角い

切り餅にしますが、佐渡では切り餅はせず

全て丸く丸めたお飾り風の丸餅です。

この辺も関西の文化圏である事が判ります。


出来あがった餅は子供たちにも送ります。


年賀状も例年のごとく年末になってようやく投函しました。

迎春準備が整いつつあります。
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またひとつ、昭和が消える。

2011年12月22日 10時06分31秒 | 追憶
来春3月のJRのダイヤ改正で北陸線ブルートレインの

「日本海」と「きたぐに」が姿を消すそうです。

これで新潟県と関西とを直接運航する列車はすべて廃止されます。

一時は他に「白鳥」「つるぎ」「雷鳥」「越後?」なども、あったような

気がしますがすべて消えました。

廃止される理由は利用客の減少だそうです、最近は乗車率20~30%と

聴き、隔世の感がします。


昭和43年に姫路に転勤して以来、勤務地は関西地区となって

退職までを過ごしました。


自家用車を所有して、北陸自動車道が出来て車で帰省するように

なったのは、子供達が大きくなってから、それでも

夏休みに女房と子供達が田舎に帰る時は列車でと

実家と自分の居住地との往復は、もっぱら

国鉄、JRを利用してきました。


昭和の高度成長期、オリンピック景気の後

猛烈時代といわれ人々は活気に満ちて多忙でした。

レジャー時代到来と言われても海外などはほどとおく

1ドル=360円の固定相場の時代

モーターリぜーション時代到来以前の移動手段は

鉄道でした。


夜行長距離列車は常に200%近い乗車率で

登山客、スキー客であふれていました。

通路、デッキに新聞を敷いて座っていました。


指定席はとりづらく、自由席に座るため

「きたぐに」は夜行ですが大阪駅の

待合所に朝から並ぶことも日常でした。


大阪駅を22時ごろ発車して京都、滋賀、福井

石川、富山県を経て翌朝、新潟県に入り

駅名が「えちご・・・・」と変わってからの

郷里村上駅までの新潟県の長いこと。


長女にリュックを背負わせ、女房は1歳の次女を

背中に、生まれたばかりの3女を胸に抱いて

私は二人分のおむつ、ミルク、着替えでいっぱいの

荷物をかつぎ、抱えて乗車した事・・・・、


長距離列車にからむいろいろなことが

懐かしく思い出されますが

時代は流れて昭和時代のものがすこしづつ

消えていきます。


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今日も雪

2011年12月19日 07時27分03秒 | 日記
16日から17日にかけて降った雪は昨日で消えましたが

今朝の夜明けから又降りだしています。

風もなく海も凪いでいますが暗い雪雲の空から

音もなく静かに雪が絶え間なく降りてきます。

屋根瓦が白くなり始めました。

納屋の2階の私の部屋の室温は今、3℃

隙間だらけの部屋なので室温は外気とあまり変わりません。

この部屋で炬燵にどっぷり首までつかっています。

今日は女房が佐渡病院へ診察に行く日なので

同行して免許センターで免許更新をしてくる予定です。

ゴールド免許で来ていたのが9月にスピード違反で

捕まったので、ブルー免許に変わります。

ネズミ捕りに引っかかったのですが

見通しの良い直線の下り坂、両側は高い田んぼのあぜで

集落を抜けた下り坂なので40キロ制限で走る車は

ほとんどありません。

高い田んぼのあぜ道にかくれていてレーダーを照射するので

検挙率は非常に高く、警察のドル箱地点です。

市街地でもなくなんでここがいまだに40キロ区間なの?

あまり現実的とは思えません。

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