アメリカには17年(とか13年)周期で大発生するセミがいるそうです。その間の年には全然出てこない。ちょっと気になったのは「本当に17年(13年)」なのか、です。たとえば実は34年セミで、半数ずつが丁度都合良く羽化している、ということはないでしょうか。さすがにこれはちょっと都合良すぎる仮定とは思いますが。さらに、もしもこのセミが、1/17ずつ毎年羽化していたら「毎年セミが出る」わけで「17年」ということばは出てこなかったわけです。
ところで日本のセミは、毎年鳴いていますが、彼らの生涯サイクルは何年なんでしょうねえ。人工飼育をするくらいしかその年数を正確に決定できる方法を思いつかなかったのですが、そんな研究をどこかでやっているのかな?
【ただいま読書中】『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節 著、 講談社現代新書1918、2007年、720円(税別)
「狐や狸に化かされる」は、昔話では定番です。狐には霊力がある、とされたから、お稲荷さんのお使いにもなっているし、安倍晴明の母親が狐だ、という話が伝えられることにもなったのでしょう。ところがそういった「フィクション」ではなくて「実話」として「キツネに化かされた」話は田舎で根強く語り伝えられていました。ではいつから日本人はキツネにだまされなくなったのでしょう? 各地でのフィールド調査によって著者はそれを「1965年前後」と同定してしまいます。意外と最近です。
では「1965年(昭和40年)」とはどんな年だったのでしょうか。
著者はフィールド調査で「なぜ1965年以降、人はキツネにだまされなくなったと思うか?」という質問をするようになりました。その答えの集積から、その時期に「日本人」に大きな変化があったことが浮かび上がってきます。
1950年の朝鮮戦争で日本は特需に沸き、50年代半ばに経済成長がはっきり統計に表われてきました。ただしそれは都会の話です。経済成長が農村に染みてきたのはそれから数年以上後のことでした。「高度成長期」とは「経済(成長)」が「神」になった時代でした。したがってそれまでの神(自然)の使いであったキツネはその霊力を失ってしまったのです。
さらに「科学」の普及があります。戦前の反動で「科学一辺倒」となってしまった風潮の中、「キツネにだまされること」は、「当然のこと」から「非科学的な迷信」になってしまったのです。
マスメディアの普及を言う人もいます。特にテレビは影響力が大きく、旧来の人のコミュニケーションの形を変えてしまいました。それまでの日本人が持っていた自然および人との濃密な関係が希薄となっていったのです。
進学率の上昇・死生観の変化・自然観の変化を言う人もいます。
ここまでは「人間の変化」でした。それに対して「キツネの変化」を言う人もいます。森林環境の変化(1956年からの「拡大造林」)によって、いかにも人をだましそうな老狐の棲息が困難になってしまったのです。
ここで著者は不思議なことを言い始めます。「日本人にはキツネにだまされる能力があった」と。著者が注目するのは、かつて地域共同体にあった(そして1960年代頃に消滅していった)様々な「通過儀礼」です。そこに見られるのは、自然と共同体に対する共鳴で、それが失われることによって人はキツネにだまされることができなくなっていった、だから「キツネにだまされた話」が消滅したと言うのです。
さらに話は大きくなります。「歴史」の構造について、ショーペンハウエルやファイヤアーベントが引用されますが、要するに「記録」に残される「歴史」が歴史のすべてではなくて、個人の記憶レベルの話もまた「歴史」の一部のはずです。(「個人の歴史」で考えたらわかりやすいでしょう。「自伝」「履歴書」に書かれたものだけが「私の歴史」ではないですよね? そういった「記録」には書けないもの・書かないもの・自分の記憶からさえ消滅しているもの、すべてが「私の歴史」です)
日本人は近代化することによって、いわば文化的に以前とは違う“パラダイム”に生きるようになってしまいました。当然“それ以前”のことは理解できません。「キツネにだまされた話」は“自分のこと”ではないのです。したがって本書も実は「記憶の話」ではなくて、すでに「記録」になってしまっています。ただそれを読む者に“それ以前の記憶”があれば、記録は記憶に再変換され、さらに次の世代に“物語られる”ことが可能となります。私自身、キツネに化かされた記憶はありませんが、その時代の匂いは覚えています。だから子どもたちに語ってみることにしましょう。「むかしむかし、あるところに……」
実はここ数日体調が悪かったのですが(発熱と下痢を伴う夏風邪でした)、盆明けの職場は異常なくらい暇で、それで職場で“療養”できたのが大きかったのでしょうか、今日の昼食時に、久しぶりに空腹感を感じました。ほっとしました。実は明日の日曜も出勤なんですが、明日も職場で“療養”できる予定なので、なんとかめきめき回復するんじゃないかな。
空腹を感じるって、幸福です。
【ただいま読書中】『狭き門』アンドレ・ジード 著、 山内義雄 訳、 白水社、1961年、300円
12歳になる前に父を亡くしたジェロームは、母とパリに出ます。休暇は叔父の家があるル・アーヴルで過ごしますが、叔母は憎しみの対象でした。そして美しい従姉妹のアリサ(2歳年上)は……
叔母は“悪女”です。みかけは絶世の美女ですが内面はただの怠け者で、男を操ることで自分の望みを達し、それがかなわないときにはヒステリーの発作を起こします(その「発作」もまた、人を操るための手段です)。こういった人物像が「子供の目を通した描写」できわめて明確に描かれているのですから、著者の描写力は並みではありません。(そしてそれはジェロームが育ってからも同じです。平易で抑制的な文体ですが、その緻密さと思索の深さは、読者の背筋を伸ばすような緊張感をずっと与えてくれます)
ジェロームは率直にアリサに愛を語りますが、アリサは神を煙幕にその本心を明らかにしません。この二人の純愛を見ていると私が連想するのは『アラベールとエロイーズ』です。もっとも態度は男女で逆になっていますが。
さらに事態を複雑にするのは、アリサの妹ジュリエットの存在です。ジュリエットもジェロームのことが好きで、アリサはそのことにも気づいています。でもジェロームはアリサに夢中で、ジュリエットの前でもそのことをオープンにする無神経ぶりです。無邪気と無神経には数ミリメートルしか差がないことがよくわかります。ついでに言うと、ジュリエットを真剣に愛しているのは、ジェロームの親友のアベルです。これだけこんがらがった人間関係が円滑に通過するためには“門”は相当広くないと無理です。
しかしジュリエットは話が本当にこじれる直前に以前から求婚していた田舎紳士と結婚してしまい、その上幸せになってしまいます。さて、“障害”は取り除かれました。
ところがここで事態はスタックします、というか、二人で“協力”してスタックさせてしまいます。本書を初めて読んだのは40年以上前ですが(おそらく本書と同じ版の本のはず)、そのときにもこの二人の「そんなに素直に幸せにはならないぞ」という態度にはじりじりしましたっけ。
本書に登場する二人の会話では、はじめのうちはよく「神」が登場していましたが、中盤では神の出番はほとんどなくなっていました。ところが終盤でまた「神」が登場します。私は混乱します。神への愛と人間への愛とは両立しないのか?と。(“異教徒”の私にとっては、神は愛するものではない(少なくとも人間的な感情を向けるべき対象ではない)ものですから)
結果として「美しい者二人の間の純愛の美しさ」は保たれます。もしかしたら神はその美しさを愛でるのかもしれません。そう、著者はいつのまにか神の視点からこの物語を描いているのかもしれません。ただ、「神からの愛」は「人間の愛」とは異質なものなんですよね。
雲は立体です。私たちは地上からその底面と側面を眺めているわけですが、その区別をつけてます? 入道雲ならまだ「側面を見ている」と意識できますが、ふだん空を見るとき自分は雲のどこを見ているのか、わかっていましたっけ?
【ただいま読書中】『音楽と数学の交差』桜井進・坂口博樹 著、 大月書店、2011年、1800円(税別)
「音楽と数学」は、最低ピュタゴラスまでは遡ることができます。和音とか倍音とか、音楽が持つ数学的な性質についてピュタゴラスが見逃すはずがありません。
気持ちの良い和音は周波数が分数で表現できます。ところが1オクターブを均等に分割する平均律では無理数が登場します。つまり平均律では「どの和音も微妙な不協和音」なのです(このへんの話は2010年6月4日の『タンパク質の音楽』や2008年8月8日の『ミドルエージのためのピアノ・レッスン』で書きましたね)。
古代中国にも音階理論(楽律)がありました。1オクターブを12分割してその12半音階から7音を選択して7音階を作るのは西洋と同じですが、実際にはその7音階から5音(ドレミソラ)を選んでの5音階が主流でした。世界中の民族音楽の多くは5音階だそうで、だから中国もそうなったのかもしれませんし、五行の影響かもしれません。
西洋で「音楽」を「学問」として扱った人々は「ムジクス」と呼ばれました。対して音楽の実践者(演奏者たち)は「カントール」と呼ばれ、ムジクスより一段低い扱いでした(思索をする人が実践者より地位が高い者として扱われるのは、音楽に限ったことではありませんが)。
「対決」というキーワードも登場します。有名な音楽対決はヘンデルとスカルラッティのもので、有名な数学対決はタルタリアとフィオルのものが紹介されます。そういえば映画「カストラート」では、人間の声とトランペットとの“対決”がありましたっけ。昔はこういった「対決」が娯楽としてごくポピュラーなものだったのかもしれません。
もちろん「素数の音楽」も登場します。ガリレオの「宇宙は数学の言葉で書かれている」やケプラーの「天体は音楽を奏でている」ということばも登場します。「CANON」ということばが、数学と音楽の両方で使われた歴史も紹介されます。あるいは数学の歴史を音楽的に述べる、という試みさえ行なわれます。著者は楽しく遊んでいます。このお二人にとっては「数学」も「数楽」なのかもしれません。
『詩で語る数論の世界 ──素数の不思議さと美しさの発見』(2010年6月1日の読書日記)では「数論」と「金子みすゞの詩」の“共鳴”について語られていました。それが本書では一般解に拡張されて「音楽」と「数学」の“共鳴”について熱心に語られています。数学者には意外に(と言うと失礼かな)音楽好きが多くて、好きなもの同士の共通点を“発見”したいのかもしれません。
私は西日本で育ったせいか、子供時代に納豆が身近にありませんでした。東京や宇都宮で食べたのはそれほど美味くなくて「こんなものか」と思っていましたが、水戸のユースホステルで食べた納豆が美味くて“目覚め”てしまいました。今は好物です。ユースホステルでそんなすごいモノが出るわけはないでしょうが、やっぱり本場の力かな?
【ただいま読書中】『納豆の研究法』木内幹 監修、糸井利郎・木村啓太郎・小高要・村松芳多子・渡辺杉夫 編、恒星社厚生閣、2010年、2850円(税別)
「ご使用に際して」という注意書きが最初にあります。「本書は実験・操作のマニュアルとして企画されたものである。実際に実験台において使用されることを目指している」のだそうで、すると私の“使用法(座学で読む)”のは“邪道”ということになります。ただ、今から実験道具を揃えるのは大変なので勘弁してもらうことにします。
「納豆の研究」と言ったら、素材(大豆や納豆菌、ワラなど)・菌の培養・納豆の製造方法・納豆の品質管理・納豆の利用法・新製品の開発、などを思いつきます。素人がぱっと思ってもこれだけ出てくるのですから、プロが本気で研究したら、さて、どんなものが登場するのか、ワクワクします。
第1章は「納豆菌の研究法」で「分離法」「生理学的同定法」「分子遺伝学的同定法」「突然変異法」「スターター調整」「遺伝子組み換え実験法」「挿入配列実験法」「形質導入法」が並んでいます。
第2章は「外国での納豆様食品の採集法」。ここで参照するべきガイドになるのは「生物多様性条約」。遺伝資源に関しては原産国の権利を重んじる必要があるのです。そしていよいよ現地調査ですが、ここではきわめて具体的に、旅行会社の選定のコツまで披露されています。中国では行政や共産党委員会とのコネが重要、というところでは笑ってしまいました。
納豆には豆を煮る工程があるため食中毒はほとんど起きません。ただ、まれに大腸菌やセレウス菌による汚染が生じるそうです。対策は、作業環境・作業員・害虫対策。さらに、納豆菌へのバクテリオファージの寄生についても対策が必要だそうです。たしかに納豆菌が汚染されて「別のもの」になったら困りますよねえ。
異物も結構混入するので、その除去対策も重要です。製造ラインにX線異物検査装置を置くところも増えているそうです。まるで空港でのチェックみたい。遺伝子組み換え大豆の検出は、組み替えられたDNAの検出法と遺伝子組み換えの結果作られるタンパク質の検出法とがあるそうです。ちなみに、本書でまず紹介されている分析方法は、JAS分析試験ハンドブックの方法とは違うそうで、一応お上御用達の方法も書いてあります。もちろん残留農薬の検出も行なわれます。それで検出される農薬の一覧表がありますが、なんだかポケモンの名前リストを見ているような気がしてきました。数の多さもありますし、私にとってはほとんど無意味文字列なんだもの。
大変失礼な言い方ですが「たかが納豆」にここまで詳しい科学の目と手が入っていることに、私は感動しました。こんど納豆を食べるときには、口に入れる前に拝んでからにします。
「世界経済はますます先行きが不透明になっています」なんて言っているニュースを一緒に聞いていて……
息子「最近経済が透明だったのはいつのことでしたっけ?」
私「物々交換の時?」
【ただいま読書中】『ながすぎる蛇のアンソロジー』別役実 編、新宿書店、1989年、1900円
スタインベックの『蛇』を読みたくなって、図書館から借りてきました。全17編すべて「蛇」関係のアンソロジーです。
目次:「蛇」夏目漱石、「斜陽」太宰治、「黄金實壷」ホフマン、「蛇くひ」泉鏡花、「蛇」森鴎外、「蛇の生活」中西悟堂、「少女と蛇娘」武田泰淳、「蛇」ビアス、「蛇」スタインベック、「爬虫館事件」海野十三、「インドで買った蛇遣いの笛」西丸震哉、「蛇(だ)」綱淵謙錠、「蛇」サローヤン、「藪塚ヘビセンター」武田百合子、「シロヘビ」畑正憲、「蛇」別役実、「コタツ花」井伏鱒二
西洋での蛇は悪魔とかエデンの園とかのイメージが強くて、東洋系は霊とか超自然とか恐怖とか、かと思ってページをめくると……ビアスはやはりビアスでした。スタインベックは心理学系と言ったら良いかな。科学と人間との関係を「蛇」を焦点として結んでみた、といった感じです。読中から読後にかけてじわじわと不安感が増すような書き方がしてあります。
森鴎外はさすがに「科学」を意識してますね。ホラーもあれば推理小説やユーモア小説もあり、バラエティに富んだアンソロジーです。ご丁寧に、それぞれの作品にふさわしいと思われる活字を使ってあるので、作品が変ったらすぐ気づく、というおまけ付き。蛇嫌いに無理にお勧めはしませんが、でも、楽しめますよ。
マーフィーの法則に「バターつきパンが落ちるとき、バターが塗ってある側が下になる確率は、カーペットの値段に比例する」というのがありますが、そもそもバターつきパンをテーブルの外に落とすという粗忽自体がすべての不幸の始まりなんですよねえ。マーフィーの法則を責めている場合ではないでしょう。
【ただいま読書中】『人生を料理した男』ジェフ・ヘンダーソン 著、 楡井浩一 訳、 アスペクト、2008年、1800円(税別)
幼いときから盗癖のあった著者は、長じて麻薬の卸元になります。ギャングからコカインを大量に仕入れて加熱処理をすることでクラックに加工して売り捌いて大金を稼いでいたのです。コカインの仕入れ値は1kg14500ドル。それを慎重に熱処理すると1.5倍の量のクラックが得られ、それが1kg16500ドル(委託販売の場合は18500ドル)で売れます。週に1回10kgのコカインを仕入れると、儲けは?
自身は酒も麻薬もやらない著者にとって、クラック販売は金儲けのための手段でしかありません。そのために街中に中毒者が溢れていることには無関心です(無関心でした)。そして、手段はともかく、大成功して大金持ちになったら、それは「成功者」なのです。そして著者は20歳そこそこで「成功者」になりました。彼らがラスベガスのホテルに繰り込んで大金を使うと、ホテルは大喜びです。どんな手段で稼いだ金でもそれを散財してくれたら「大切な顧客」なのですから。ここには「アメリカン・ドリーム」のちょっと寒々とする一つの姿が描かれます。いくら大散財をしても、それは「金があるから使う」だけの行為で、自分の何も“豊か”にはならないのに、それ以外を思いつけない著者の生活が冷静に描写されます。
しかし「ドリーム」はいつまでもは続きません。著者は逮捕され、235箇月の懲役を宣告されます。そして、刑務所で著者は「中毒者の姿」を直視することになります。「自分は商売をしていただけだ。人を殺したりしていない」がただの言い訳でしかないことを悟らされたのです。刑務所で生き抜くために著者は宗教に興味を持ち、さらに高校卒業資格を取り、黒人ワークショップを開設します。厨房の仕事を割り当てられたとき、「鍋釜洗いかよ」と著者はぼやきます。自分の人生に転機が訪れたことも知らずに。
著者には「底辺からのし上がりたい」という強い動機があります。育った社会では(“手本”がワルの人間ばかりだったから)著者は麻薬取引でのし上がることになったのですが、刑務所ではその動機が厨房の仕事に結びつきます。つまらない下働きも嫌がらずにこなし周囲の“手本”を観察して学ぼうとします。すると“上”から声がかかります。「おまえにチャンスをやろう」と。そしてついに著者は「夢」を持ちます。出所したら家族みんなのために料理を作りたい。いつかは自分のレストランを持ちたい、と。思えば、著者はこれまでの人生で、刹那的な欲望充足は望んでいましたが、「夢」を持ったことはなかったのでした。生まれて初めて著者は「自分が何をしたいのか」を知ったのです。
厨房の仕事は、著者の料理の腕を上げると同時に著者の人間性も向上させます。ティーンエイジャー意識向上プログラムの受刑者講師にも就任して、高校生に「道を踏み外したらどうなるか」を講演して回るようになったのです。そしてついに刑務所の厨房で囚人側責任者に就任。著者は「これまで学んだ調理技術を惜しみなく利用し、麻薬ビジネスでも役だった天賦のリーダー性を存分に発揮する機会が訪れた」と嬉しそうに書いています。
そしてついに模範囚として出所。しかし「塀の外」には、著者の想定外の世界が待っていました。ここからの波瀾万丈の物語の面白さは、ぜひ本書から直接味わってください。最上級のコース料理を食べるような楽しみが待っていることを保証します。
大正デモクラシーは最終的には党利党略のひどい“政党政治”で結局軍部の台頭を許したものとして歴史に記録が残されていますが、平成のこの半年間は歴史にはどう書き残されるのでしょう? もしかして、無視?
【ただいま読書中】『空想お料理読本』ケンタロウ、柳田理科雄 対談、メディアファクトリー、2010年、524円(税別)
「小池さんのラーメン(おばけのQ太郎)」「目玉焼きパン(ラピュタ)」「マンモスの骨付き肉(ギャートルズ)」「コロッケ(キテレツ大百科)」「大盛りご飯(日本昔ばなし)」「ミートボールスパゲッティ(ルパン三世)」などなど、アニメに登場する様々な料理が実現可能かどうかを、料理家のケンタロウと作家の柳田理科雄が対談し、できそうなものは実際に作ってしまう(そして食べる)、という趣向の本です。
柳田理科雄さんの文章をこれまでいろいろ読んだかぎりでは、面白いのだけれど、もうちょっと発想をぶっ飛ばしてくれるかもうちょっと論理を突き詰めるかしてくれたらもっととんでもない面白さになるのになあ、という欲求不満を感じるものだったのですが、今回も同じでした(理屈と辞書検索でダジャレを言って「どうだ、おもしろいだろう」と言われているような気分、と言ったら伝わりますか?)。ただ、料理という具体的なモノがあるだけ本書で少しは“着地点”が見える、とは言えます。
そうそう「チビ太のおでん」も登場していますが、これは実際に商品化されていたはずです。面白いことを考える人はどこにでもいるんですねえ。
殺人犯人がよく主張する「騒がれたので殺した」というのは、「騒ぐ」が「原因」で「殺される」が「結果」の因果関係? それとも「されたら『人が騒ぐようなこと』を他人に平気でする」人間は「殺人も平気でする」という、相関関係でしょうか?
【ただいま読書中】『被曝国アメリカ ──放射線災害の恐るべき実態』ハーヴィ・ワッサーマン、ノーマン・ソロモン、ロバート・アルヴァレズ、エレノア・ウォルターズ 著、 茂木正子 訳、 早川書房、1983年、2300円
1945年9月23日アメリカ軍が長崎に進駐しました。海兵隊員たちは爆心地近くに宿泊し、瓦礫の撤去などに従事しました。アメリカ軍の公式見解では「残留放射能は心配ない」。しかし数十日後、彼らの中に奇妙な症状が出始めると、突然帰国命令が出、他の地域よりも優先的に除隊が完了します。そして帰国後、兵士たちは医者が首を捻る“奇病”につぎつぎ見舞われることになりました。復員兵たち、あるいは著者らの個人的調査では、爆心地近くで過ごした兵士たちの集団では、高率に癌や骨髄系の病気が多発していました。ところがアメリカ政府は、あっさり門前払い。政府が何らかの対応を始めたのは、1979年になってからのことですが、その最初の仕事は「否定」でした。復員軍人たちとの交渉の拒否、放射線後遺症が存在することの否定、それらの兵士の症状が放射線によるものであることの否定、さらにはそれらの兵士が広島や長崎にいたことまで否定します。
ここまでは数百人あるいは数千人の話でした。こんどは数万人の話が始まります。
アメリカは1946年にビキニ水域で核実験を行ない、そのとき“実験”として生身の兵士を投入しました。核爆発直後に飛行機でその空域を通過したり船で“危険水域”ぎりぎりまで近づいたり(あるいはそこにしばらく滞在したり)、潜水をしてサンプルを採取したり、爆心地近くに設置した船の除染作業をしたり。
これは「科学」のためというよりは「広報」のために行なわれたようです。ヒロシマ・ナガサキのあと、本書で見る限りショックを感じ自責の念を持ったアメリカ人はけっこう多かったようですが、ビキニの実験でその「安全性」が確認されたことによって世論は「安堵感」一色となります。
48年にアメリカはマーシャル群島で核実験を繰り返しますが、そこでは2万人の兵士が動員されました。もちろん“原住民”には何も知らされませんでした。51年にはネヴァダ州での核実験が開始されます。1952年の「オペレーション・タンブラー=スナッパー」では、32キロトンの核爆発から4マイル地点に兵士が待機し、核爆発後2時間以内に爆心近く(熱くてそれ以上近づけない地点)まで移動、という“作戦”が実行されました。その兵士たちに何が起きたかは、「急性放射線障害」「催奇形性」あたりで検索をしてみてください。そして核実験場の風下にはユタ州がありました(風がラスヴェガスやロサンゼルスに向かっているときには実験は延期されました)。牧歌的な風景の中で暮らす人々は、核実験の度に閃光や轟音や振動を感じ、「雲」が流れてくるのが見えました。そして数年後から人々に“異変”が起き始めます。
そういえば“それ”がジョン・ウェインの“死因”だと主張しているのが『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(広瀬隆)でした。その元ネタ(の一つ)が本書かな。(私見ですが、本書を読んだら『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』を読む必要はありません)
もちろん原子力委員会(と政府)の公式見解は「否」です。羊が死ぬのは牧羊業者のせい。白血病の多発は、データが握りつぶされました。79年までに1000件以上の訴訟が起こされましたが、政府は連戦連勝でした。原子力委員会は「放射線は安全」神話を流布し続けますが、それは数字のごまかしと内部被曝を無視したもの(つまり「人間は、飲食も呼吸もしない」という前提に基づく主張)でした。
そうそう、第五福竜丸の事件もありました。ここで特筆するべきは、被害者に賠償金が支払われたことです。当時の米政府の態度からは異例のことです。
やがて核実験は地下に移動しますが、そこからも放射能漏れの事故は起き続けます。そして政府がそれを隠蔽し続けたことも同じでした。
本書はそこでは終わりません。平和利用(あるいは民生用・商業用)での被曝の話も登場します。医療用の放射線、原子力産業の労働者、原子力発電所、そして、スリーマイル島の事故(漏出した放射性物質の量やその評価についてのどたばたは、なかなかすごいものです。TMI周辺地域の一時的な乳幼児死亡率の上昇とそのデータの隠蔽工作を「どたばた」と表現するのは不謹慎かもしれませんが)。
それぞれの「現実」の積み重ねには暗澹たる思いもしますが、それ以上に印象的なのは、米政府の“首尾一貫した態度”です。「危険」に対する「科学」の評価と対策ではなくて、「危険だと言う人」に対する“対策”の方を重視し続けます。当然私としてはこんなことも思うわけです。「日本政府は違うのか?」と。もしも本書の姉妹編として『被曝国ニッポン』が書かれたら、そこにはどんな「国の姿」が描かれるのでしょうか? それとその終章が「フクシマ」なのか、それともさらに別の……なんてことも思うのです。
未熟児で生んで、メタボにする
【ただいま読書中】『ココ・シャネルの秘密』マルセル・ヘードリッヒ 著、 山中啓子 訳、 早川書房、1987年、2000円
「シャネル」で私が思い出すのは、マリリン・モンローの「シャネルの5番」です。いやあ、どきどきするせりふでしたっけ。
ココ・シャネルの人生に関してインタビューを試みた人はたくさんいましたが、そのほとんどは失敗でした。本書から読み取れるのは、「人間関係の構築」がその原因のようです。ココ・シャネルは“気むずかしく扱いにくい人間”のようなのです。しかし著者は辛抱強くインタビューを重ねていき、少しずつ彼女のホンネを聞き出していきます。
そもそもなぜ「ココ」なのか、の物語(彼女の本名はガブリエルです)も、複雑でしかもあまりはっきりしないものです。父親に捨てられ、二人の叔母に育てられた幼少期。“モード”への目覚め。著者はココ・シャネルのことばを記録します。しかし、それを心から信じているという様子ではありません。ココ・シャネル自身が、自分自身の生涯の上にべったりと貼り付けられた“神話”を通してにじみ出てくる自分自身の物語に戸惑っているかのようです。著者はココの話を「話し始める度に新しく構築される、連続物語」として捉えるようになってから、ココの“実像”に少しずつ迫ることができるような気がしてきます。ただしそれはココの“過去”を明らかにするのとは逆の方向に進むことでした。彼女が「自分の過去はこうあってほしかった」と語る物語をそのまま受け入れることになるのですから。
「服を着る」ことは、その人自身を表現することであると同時に、その人の実像(裸の姿)を覆い隠すことでもあります。本書でのココ・シャネルのことばは、ちょうど彼女が生みだしたモードと同様に、「裸の彼女」を覆い隠し、そして同時に「彼女自身」を語っています。
「ココ・シャネルの人生」について詳しく知りたい人には、もしかしたらやや不満の残る本かもしれません。しかし、著者とココとの人間関係はスリリングで、とても楽しめます。私のように「ファッション、何それ?美味しいの?」の朴念仁でさえも楽しめましたのですから。
19世紀には戦争は「国」同士のあいだで行われるものでした。武器を持つのは兵士で、一般人は戦いに巻き込まれることはあっても殺されるべき対象からは除外されていました。
20世紀に戦争は“進化”します。国同士の連合の対立となり、戦いの目的は、普仏戦争のときのようなアルザス・ロレーヌの割譲といったレベルではなくて、相手の国力を削ぎ、相手政府を完全にたたきつぶすことになりました。そして、一般人も殺されるべき対象に“昇格”してしまいました。
そして21世紀。戦争は「テロ」に変容します。一般人は相変わらず殺されるべき対象ですが、では「戦争の目的」はどこに行ってしまったのでしょう? それが不明確だからこそ、アメリカはアフガンやイラクからなかなか撤退できなくなってしまったようです。
経済も、19世紀の帝国主義的なものから20世紀にはグローバル企業を中心とした姿に変化(または進化)しました。ただ、「通貨」はまだ「国」のものでした。
そして21世紀。「基軸通貨」の時代はそろそろ終わろうとしているようです。では「次」は? 戦争がテロになって境界が不鮮明で扱いにくいものになったように、経済もこれからは国境がさらにぼやけて全体像が掴みにくいものになっていくのでしょうか。というか、「企業」と「個人」の境界さえ不鮮明になっていくのかもしれません。現在個人で盛んにFXなどの取り引きをしている姿が、未来の何かを予言しているのかもしれないと私は感じています。
【ただいま読書中】『フランス革命を生きた「テロリスト」 ──ルカルパンティエの生涯』遅塚忠躬 著、 NHKBooks1175、2011年、1200円(税別)
富裕な農民の息子だったルカルパンティエは、法律関係の事務所で修行し下級の司法官職を購入します。フランス革命の初期、「デモクラート(民主派=小ブルジョワや民衆に親近感を持つ者たち、ルカルパンティエはここに属しました)」と「アリストクラート(特権的寡頭支配者層)」は鋭く対立しましたが、その間に位置する「大ブルジョワ(地主、大商人、高級官職保有者。第3身分だが「名士」たち)」は革命の進展に危惧の念を抱いていました。その危惧を裏づけるように、各地で農民と民衆の暴動が起きます。圧政への不満だけではなくて、食糧不足が深刻だったのです。憲法制定議会は事態を収拾するために旧体制の全面的廃止を決定します。各地の行政機構も改変され、その中でルカルパンティエは少しずつ政治の表舞台へと進んでいき、1792年に国民公会議員に当選します。国民公会での最大の議論は「国王を裁くことができるか」でした。1791年制定の憲法には「国王は不可侵」が謳ってあったのです。しかし「裁くべし」のルカルパンティエの演説を議論の締めくくりとして、国民公会はルイ16世を裁判にかけることを決定します。次は法的技術論(裁判にかける法的根拠)と罪状ですが、すでにルカルパンティエやロベスピエールは「正義の復讐としての死刑」を心に決めていました。
ルイ16世の死刑は、対仏同盟をもたらし、フランスは孤立化して長い戦争を始めることになりました。さらに内部では、各地で反乱が相次ぎます。革命政権は議員を各地に派遣して体制を維持しようとします。ルカルパンティエはマンシュ県に派遣されました。そしてそこで「反革命」の人たちに対する「テロリズム」を行なうことになります。行政官の刷新・軍隊の士官の更迭・総動員令・食糧確保・反乱軍(カトリック王党軍)に対する防衛など、はじめはわりと穏やかに始まった“改革”は、やがて「反革命派」の摘発と処断に移行していきます。恐るべきは、イギリス軍だけではなくて、イギリス軍への内通者だったのです。そこで「革命」に全面賛成しない人間は(たとえば修道女も)容赦なく逮捕されています。
ここで怖いのは、ルカルパンティエが単に「血に飢えた狼」なのではなくて、真っ当な社会正義や万人の平等の概念をしっかり持って事に当たっていることです。ルカルパンティエにとって「テロ」は「革命の大義」のために行なうべき“義務”だったのです。
テルミドールの反動によってルカルパンティエは「告発する側」から「告発される側」に移動します。逮捕・大赦によって“引退”したルカルパンティエは、ひっそりと暮らすことになりますが……
「テロ(仏語でテロリスム、英語でテロリズム、独語でテロル)」はもともとフランス革命での「恐怖政治」を意味していました。したがって、世界最初の「テロリスト」は、そのとき恐怖政治に関係した人たちのことを意味します。ルカルパンティエは、ジャコバン派(山岳派)の一員として反革命派を弾圧し、王政が復古したときに「テロリスト」として逮捕されました。著者は「テロリスト」の行動やその人生だけではなくて、時代や社会がなぜテロリズムを“必要”としたのかにも注目します。200年前の「テロリスト」を見つめることで、21世紀の社会のナニカがあぶり出されるのではないか、と。
近代の政治的テロリズムは「権力側の行為(ルカルパンティエのような、権力の末端に位置する者の行為)」として始まりました。フランス革命でもロシア革命でも、革命政権は、自分自身を維持するために「テロ」に頼ったのです。反革命派もテロに走ります(赤色テロに対する白色テロ)。つまり「テロ」は社会革命の“属性”として始まったのです。しかし、一度始まったものは変質します。20世紀に社会主義国家が崩壊し「社会革命」という概念が失われても、「テロ」は革命の理念や展望を失った形で「権力への反抗」として行なわれ続けているのです。